75.コクーンの糸〈1〉 X-DAY マイナス8
「――みなさん、集中してください。準備はいいですか? 1… 2… 3… Jumpin! 1… 2… 3… 」
タン、タン、タン。
小気味よく手を叩きながら、アルハンブラ宮内小ダンスホールの壁面鏡の前で、タイヨウが次々と指示を飛ばす。そして一歩前に出て、柔らかさとキレが両立したダンスを講師として披露した。男性向けの振り付けのため、指先まで正確でありながら、動きは繊細かつダイナミックだ。
胸元に赤い狐のマークが入った白いTシャツ、太めの黒パンツ、白いスニーカー。目深に被った黒いキャップの下、雑にお団子にまとめられた髪の隙間から、珍しく汗が流れている。
「はい、ここでターン!」
パン!と強く手を叩いた直後、タイミングがずれたセンターのキランがバランスを崩した。
それを見たタイヨウは、即座に音楽を止める。
「リズムはよかったです。もう少しバランスに気をつけてくださいね。15分休憩にします。後でもう一度やってみましょう! 集中して、動きを正確にしてくださいね」
その言葉に、キランががくりと膝をついた。
「すまん、また俺や!! 俺は……俺はシナプリのお荷物やっ!!」
悔しそうに床を叩くキランに、「そんなことはございません! 若はシナプリの柱!」「若の輝きについていけぬ我らの落ち度!」と、ダンスボーカルユニット“歌う王子様!シナンプリンス”――通称シナプリのメンバーが慌てて駆け寄る。
上半身裸、水練用のゆったりとした白いパンツ姿の男たちに囲まれ、涙腺を決壊させたキランが腕を広げた。半裸の男たちは汗と涙を流しながら抱き合う。
ここはしばらく任せた方がいい、と指導者の眼で判断し、タイヨウは小さくうなずいた。リリガルドから投げられたタオルで汗を拭きながら、見学者席へと歩いていく。
十月に入り、外は秋風が冷たく感じられるようになったが、練習室の中は熱気でむせ返るほどだった。
「ごめんなさい、ヒューさん。ご覧の通りシナプリもまだ手が離せる状態じゃなくて……」
黒い団服姿のヒューが口を開きかけた、その瞬間。
シナン諸島連邦で舞台総監督を務めるジェイクスピアが、ササッと割り込んできた。
「タイヨウ様、先ほどの練習シーンを今日の“連続ドラマ小説”にまとめに、私は事務所に戻ります。イベント数日前でも仕上がらない焦燥感、緊張感……ティザーとしては十分です」
三夜に分けて開催されるシュリ姫コンサート。その前座として行われるシナプリのコンサートは、シナン諸島連邦クムダ島のビーチから、王都各領街中央広場へライブ配信される予定だった。
だがチケット制にしたことが裏目に出たのか、孤高の虎王子と呼ばれるキランの熱狂的ファン以外の売れ行きは芳しくない。
支持基盤はフィガロ領民だが、国難に喘ぐシナン諸島連邦の流れを汲む彼らは貧しい者も多く、自領から王都への移動費や宿泊費が重くのしかかる。買い控えが起き、他領のファン層もまだ十分に育っていなかった。
その窮状を聞き、タイヨウが提案したのが“連続ドラマ小説風ティザームービー”だった。
ステージを目指して努力する青年たちの姿をありのままに切り取り、十五分のドキュメンタリー映像として編集し、告知代わりに放映する。放映はオータム商会が請け負い、バベルジャンボ富籤販売所に小型放映機を設置した。
シナン諸島連邦第二王子としてでも、孤高のフィガロ公としてでもなく、ただ一人の青年として仲間と壁に挑むキランの姿は、共感とともに広まっていった。
無能力の平民に魔力体験を提供するという聖誕祭の成功セオリーからは外れていたが、努力と友情の物語は、武によって建国したバベル人の感性に響いた。チケットの販売状況は、確実に回復傾向を見せている。
だが問題は、肝心の完成度だ。
当初はメインコンテンツであるシュリ姫コンサートを立たせるため、歌い上げ系ではなく、タイヨウが以前提供したライトなポップスで構成していた。
しかしドラマとの相乗効果を狙い、ダンスのうまさで名高いアイドルグループの熱いダンスチューンへとセットリストを変更。結果、練習不足に陥り、本番五日前の今も完成には程遠い。
シナプリは全員が三級以上の水系能力者で、身体能力に優れ、卓越した歌唱力を持つシナン系男子たちだ。だが日中はそれぞれ本業があり、全員が揃うこと自体が困難だった。
なんとか捻り出した合同練習を見た舞台総監督ジェイクスピアの表情は、暗い。
パァン!
乾いた音が響き、その頬を打ったのはリリガルドだった。
「暗い顔すんじゃないわよ! まだ諦める時間じゃないでしょ!」
はっとして頬を押さえ、ジェイクスピアが顔を上げる。
「いい? これは通観点でしかないのよ。アタシたちはこんな所で立ち止まってる場合じゃないの。目指してる勝利は違うでしょう」
その言葉に、周囲の者たちもはっとしてリリガルドを見つめた。
「がんばってるのはアンタたちだけじゃないの! アタシたちオータムもよ! いい? 今回のティザー放映の手配は持ち出しなのよ。グッズ展開も間に合わないから収益の柱もない。コストだけよ。ミカドの印刷技術と比べたらお粗末すぎるけどチケットも、あんた達の衣装も!」
コスト意識の低い貴族たちが、さっと青褪める。
それを見て、リリガルドはキッと顔を上げた。
「でも赤字でもやるって決めたのよ。本気なのよ。本気でゲランに勝とうとしてんの。平民のアタシが諦めないでこんなに頑張ってんだから、日和ってんじゃないわよ!」
それぞれの想いを胸に、沈黙の帳が降りる。
その中で、ヒューに伴われてきた胡麻塩頭の中年男性が、ゆっくりと拍手をした。迷彩柄の衣服に身を包んだ、バベル王国軍元帥ゴーダである。
注目を集めたゴーダは、少し照れたように咳払いした。
「失礼、一平民として胸にきたもので」
ヒューとゴーダの顔を見てから、タイヨウはジェイクスピアを事務所へ転移させ、キランには他のシナプリメンバーと外で休憩するよう指示を出した。
室内に残ったのは、タイヨウ、リリガルド、キランの三人。
ヒューが静かに口を開く。
「この人は俺たちと一緒にゲラン潰しの官民軍事作戦“コクーンプラン”に参加されている、民間代表のゴーダさんだ。王国軍元帥であられる」
――ゲラン潰し。
町内会の除草作業でも告げるような軽さに、タイヨウとリリガルドはさすがに凍りついた。
「……ああ、君たちは聖誕祭で勝つということをゴールにしているんだもんね。でも目的は変わらないよ。聖誕祭優勝が貴族サイドの手段なら、コクーンプランは平民サイドの手段というだけさ」
二十歳と若い副長の声音は穏やかだが、瞳に宿る色は峻烈だった。
カザンとともに騎士団に入団して七年。大人の世界で他者を護ってきた者と、護られてきた者との差は、否応なく浮き彫りになる。
コクーンプラン。
ハンナがいれば、タイヨウの耳に入ることを全力で防いだだろう。だが彼女が離れた隙に、カザンはGOを出した。シュリ姫の王位継承が絡めば、フィガロ公キランが否を唱えるはずもない。
タイヨウ、リリガルド、レオン、ナリヒラを巻き込む極秘計画。
当然、保護者たちは最初こそ難色を示したが、身の安全を守ることを条件に、ノーマン公爵、ヴォルフガング公爵、そしてカグヤ妃は了承した。
――いずれ責任ある立場に立つ子供たちだ。
親の目の届く範囲で社会勉強をさせよう、と。
緊迫した面持ちの二人を前に、ゴーダはふっと表情を和らげた。
「今日は非公式なので、面倒な挨拶はやめさせてもらいますよ……」
そう前置きして、彼はゲオルグ王子の悪業の数々を語り始めた。




