72.約束
次の瞬間、集めた視線をその場に残し、転移したかのようなスピードで麟五が兄と飛梅の間に入った。
「――飛梅に何をさせる気だ」
弟の声に、備悟がニコリと笑う。
「確かめてもらうだけさ、リン」
「何をだ。闇属性の者を連れ帰れば飛梅は放免にするという話だったはずだぞ」
それを聞いた備悟は、ぐずる幼児を諭すようにゆったりと語りかけた。
「私も困っているんだよ、リン。たった5年留学される人物が此方の御庭番衆アボット家らしくてね。一族以外への鬼道……カルマの公開が命約で禁じられているそうなんだ。鑑定は出来るというが、どこまで使えるか未知数だ」
ハンナの存在を道具か何かのように“使う”と言い放った備悟をタイヨウが無表情で見つめ、トンと父の腕から離れて降りた。その眼に怒りによる魔力の揺らぎの気配があることを敏感に感じ取った麟五が言い切る。
「鑑定ができるならば問題がないだろう。もういい。下がれ、飛梅」
『蓼丸教官……!』
だが、身を引こうとした飛梅の眼前に指をさして備悟はさらに続けた。
「ダメだ。もはやこれが闇属性であるか知るだけでは放免にできぬ。3時間以内に闇エネルギーだけを分化させることができなければ郎党共々予定通り処分する」
『そんな……ママは、母は関係ないのに!』
「関係ないはずがない。教唆、隠蔽の罪が重なるのだ。其方より重いくらいだ」
蒼ざめて備悟の袖に手を伸ばそうとした部下に威圧を込めて麟五が叫ぶ。
「飛梅! 相手は幕臣だぞ。下がれ!」
飛梅は大人しく麟五の背後に移動したが、こらえきれない様子で涙を落とした。膠着した状態に一石を投じたのはリリガルドだった。腕を腰に当て、備悟をくるりと返した手でツンと指差す。
「――ねえ、お兄さん。さっき“担保”って聞こえたんだけど。それって聖誕祭費用の分割払いに関すること? その“担保”があれば応じるって話?」
備悟の基準では平民が着るようなカジュアルなパーカー姿の少女に話しかけられ、思わずヴォルフガング翁の顔を見た。だがヴォルフガング翁は少女を止めるでもなく、真意の読めない目で沈黙しているだけだ。
実力主義のバベル王国とは異なり、如何なる等級であろうと平民は士族と目を合わせることすら不敬とされるミカド皇国の重臣である彼は、少女がタイヨウと同じ衣装を身に纏っているということに落とし所を見つけたらしく、リリガルドに向き合った。
「――いかにも。滞在50年を5年にする価値があることを証明する担保です」
「オッケー。国家間の契約の話はヴォルフガング様に任せるけど商売の話ならアタシが聞くわ! アタシはリリガルド・オータム。聖誕祭領連合のプロジェクトマネージャーよ。お兄さんの要求は①闇属性か鑑定する②闇エネルギーを分化する でいいのね? 分化っていうのは何を指すの? どの状態?」
能力は単一属性だけではないらしいとリリガルドも軽く共有は受けていたが、自身が単一水属性操獣系という認識が強く“分化”という言葉の意味を計りかねて小首を傾げる。
チャキチャキと無駄のない的確な受け答えをする少女の評価が上がったらしい備悟が心持ち表情を和らげた。
「分化の証明は……そうですね。これが空の魔石を闇エネルギーだけで満たせればよい。測定器は此度のエネルギー輸送に伴い頂いたものを使用する」
「そう、動作チェックになるから丁度いいわね」
ひとつ頷くと、トトトッとバベル一同の前に出てリリガルドは手を広げた。
「カンタンな話なんじゃないかと思うんだけど、どう? 運営としては、このタイミングで冨籤に関する資材を一式もらいたいの。そこは譲れない。3時間内っていうのはWin-Winよ」
するとメイが胸元から『1日限り』と何よりも大きな字で記された紙を掲げる。
「カグヤ妃、ヴォルフガング様、ノーマン様にご承諾いただければ、アボット家当主代行の私が見ますよ。当主の鑑定は即時確定となりますので効力は十分かと存じます」
当主ジョルジュ・アボットのサインを見たカグヤ妃が肩をすくめる。
「否やなどあるまい、やりゃ」
ヴォルフガング翁は鷹揚に頷き、フォルクスはコキリと首をならして備悟の紺色の瞳を見つめる。
「ノーマンも大枠イエスだが、鑑定はハンナにやらせろよ。それをメイが承認すればいい」
「その真意は……?」
「ハンナの優秀さをここではっきりさせとこうかと思ってね。今日そちらに渡すハンナはウチの天使が姉のように慕うメイドでね。国宝級の防犯ブザーを持たせるような存在なんだ。それを壊れてもいい鑑定具や魔石のように扱ってもらっちゃ困るんだよ。なあ、兄さん。これはアンタを守るために言っている。娘を本気で怒らせたらどうかるかわかるか? ミカドに帰ろうが闇属性の娘からは逃げられない。アンタは死ぬぞ」
フォルクスの首を掻き切る仕草、そしてそれを否定しないタイヨウに備悟が息を呑んだ。
フォルクスは「安心しろよ、この場だったらアンタだけじゃない。魔圧に耐えられなくて爺さんも、あの後ろの職人たちも死ぬ。寂しくないな?」と朗らかに高能力者以外を指していく。
「トビーとかいう新米の言ってることはわかんなかったが、察するに言いがかりでもつけて人質をとってるんだろ? 事情があるんだろうが、俺が胸糞悪いからやめろ。やめる褒美に鑑定はしてやる。だが魔石にエネルギーを入れるまでは保証しない。それはトビーの能力など不確定要素が大きいからな」
「そんなことが罷り通るはずが……御老公!」
怒気をぶつけられたヴォルフガング翁はわざとらしい仕草で老眼鏡をかけ、目を眇めて契約書を広げて見る。
「――はて、追加担保のお話は契約に元々なかったですからのぉ。貴殿に快くハンコを押して頂けるのであればと思って先ほどは頷いてしまいましたが、ノーマンの言い分にも一理ありますしなあ」
どうしたものか、とヴォルフガング翁が芝居じみた仕草で頭を抱えた。それを見たフォルクスは、肘置きのように備悟の肩に太い腕を置き、にこやかに顔を覗き込んだ。
「リンゴの口ぶりじゃ、オタクが元々描いてた絵図は鑑定まで、なんだろう? 若者は欲かいちゃいけないよ。汗かかなくちゃ」
「特別消禍隊の者の発言など……」
「おおっと? どうやらアンタはリンゴより随分御立場が上でいらっしゃるようだが、リンゴが歯向かえなくても俺は違う。――もう一度言う。俺と娘を怒らせるな」
闇属性の日本人という稀有な存在と、自身が置かれたかつてない不快な状況とを天秤にかけて備悟は肩に置かれたフォルクスの手を払った。
「無礼がすぎる」
だが踵を返してミカド皇国へと戻ろうとした足は、ぴたりと止まった。帰るための門は跡形もなく霧散していた。驚愕してタイヨウを振り返れば、少女は指先に挟んだ木札をチッチッ!と揺らしていた。
「ハンナさんを安心して送り出せないなら、門は開けませんよ。あなた一人で泳いで帰ってください」
「タイヨウ様、貴女まで何を……! 日本人といえど御庇い立て出来ませぬぞ!」
「庇ってもらわなきゃいけないのはアンタだろ? 顔の割にバカだな」
控えていたヒューが心躍ると言った顔でフォルクスの横に並んだ。ミカド皇国で向けられたことのない魔圧に血の気が引く。
「リン!」
しかし兄の必死の声に弟は動かなかった。ハッ!とフォルクスが鼻で笑う。
「動けないよなあ。この距離で俺を止めるために動けばお前が死ぬからな。言っとくけどな? 確かにリンゴは強いが、風単体なら俺が勝つぞ。万が一、億が一、俺が負けてもヒューがいる。そして決着がつくまでの魔圧にお前は耐えられない」
「愚かな。御老公も死ぬぞ」
「そんなんタイヨウが転移させるに決まってんだろ。ああ、いっそ迷惑をかけないようエリア3に場所を移してもいいな。結論、お前はどう転んでも死ぬ」
処理落ちしたPCのように表情をなくした備悟にカグヤがゆらりと歩み寄り、扇子を広げながら憐憫に満ちた顔で話しかけた。しっかりと視線を合わせることで、立場が対等であると伝えていく。
「――ああ、困りんしたなあ蓼丸殿。ここは誠意を見せて……そう、疾く印を捺した方がよいのでは? タイヨウ様もキリキリしなんすな。殿もお優しい方故……調印の後、ゆぅっくり3時間。ハンナの扱いは相談すればわかってくれるはずえ?」
言葉の裏の意味は理解せずとも元気一杯にタイヨウが頷いた。
「はい! わかってもらえるまでお話します! わかるまで門開けませんけど!」
嫣然とカグヤ妃が微笑み、まとう香りが一段と濃くなった。
「ほほ、愛いこと。タイヨウ様は息子の嫁でありんすよ。なあ、タイヨウ。母たるわっちがダメだと言ったら、殿に無体なことはせんわなあ?」
「もちろんです! 無益な殺生は祖母から禁止されてますし! 父様も止めますよ。あ、でも僕で止められるかわかりませんが……」
「ハッハッハッ! パパは強いぞう?」
バベル一同が笑い合っている中、カグヤ妃が備悟の耳に顔を寄せる。
「観月宮……末の天道領はミカドの門。幾久しい共栄しか望んでないでありんす。此度の件、殿のお庇い立てはわっちがいたしんしょう」
庇う。それは上位に立つ行為だ。
反射的に顔を歪めた備悟の首を、カグヤ妃はつつと熱くした爪で撫で上げた。
「わかっておくれなんし。お一人でお越しいただいた大切な殿が野卑な国の瘴気に耐えられなんだ、などとわっちからお上にお伝えしたくはないでありんすよ」
ミカド皇国の常識に凝り固まっているが、頭の悪い男ではない。備悟は瞳を閉じてひとつ呼吸を整えると、バベル一同を笑顔で見回した。
「――調印をいたしましょう。こちらも貴国の闇エネルギーを疾く持ち帰りたいですから。その間に、ミカド皇国に御留学いただくハンナ・アボット様に飛梅一士の鑑定をしていただくことが出来ましたら幸甚です」
フォルクスが不敵な笑みで頷くとハンナを手招きした。
「ハンナ、まず一士に翻訳呪文をかけてからやれ。メイ、請求はビンゴ君にツケとけ」
「なっ……翻訳呪文は幕府でも蓼丸一族のみの扱いとなっておりますので一士などには……」
「ああ、翻訳呪文の対価は100万ゴールド相当だったか?」
「500万ゴールドじゃ」
「がめついな、爺さん……。なあビンゴ君。ケチくさいこと言うなよ。俺が一士と話したいんだよ。お前に決定権はない。諦めろよ」
やれ、と言われたハンナが白手袋を取りながら飛梅の前まで歩いていく。フォルクスの言葉がわからない飛梅が怯えた目で麟五の袖を掴んだ。
『蓼丸教官……』
「今から翻訳術をかけていただく。お前に負担はない。施術者は向こう5年間ミカドに滞在されるハンナ・アボット様だ。日本人であられるタイヨウ様の大切な方とお伺いしている。失礼のないように」
『ハッ!』
上司の説明を疑わず飛梅は気をつけの姿勢をとり口を閉じた。
麟五の説明にフッと口元を緩めたハンナが人差し指を飛梅の額にそっと当てた。指を離すと、常の鉄仮面で飛梅を見つめる。
「……私の言葉がおわかりになりますね? トビウメ一士」
「はい! わかります!」
「よろしゅうございました。初めまして、ハンナ・アボットと申します」
「ハンナ様……! えー! すご……蓼丸教官、これ自分の口どうなってるんですか? 自分、今バベル語喋れてるんですか!?」
「飛梅、黙れ」
「ハッ!」
ふたたび気をつけの姿勢に戻った飛梅にフォルクスが上官のように話しかける。
「直れ、トビウメ一士」
反射的に応じようとした飛梅の頭を叩き、麟五はフォルクスを睨んだ。
「……フォルクス殿、飛梅は私の部下であり、直接の指揮はお控えいただきたい」
「ああ、悪い。確かにな。じゃあお前に聞く。オタクの新米と話していいか?」
困惑の色がクルクルしている飛梅の眼を見てから、蓼丸はため息をついた。
「……俺が見ている前なら構わない」
「よし、トビウメ一士! 俺はバベル王国防衛局長フォルクス・バロウズ・ノーマンだ」
「ハッ! 自分は特別消禍隊第……」
敬礼しながら挨拶しようとした飛梅を手を振って止めながらフォルクスがハンナの横に並んだ。麟五と飛梅は小柄のため、備悟からは顔が窺えなくなった形だ。
「挨拶はいい。ハンナが今からアンタの能力を鑑定するよ。それで属性や魔力量の詳細がわかる。だが俺もこの世界じゃ長いんでね。周りの人間が自分の魔圧で死ぬかどうかくらいは把握できるんだ。ーーアンタは死なない。何某かの特級だ」
その言葉に麟五が眼を丸くし、飛梅をまじまじと見た後に口を覆った。麟五の様子にフォルクスはニヤリと笑いながら黙れと言うように唇に指を当てる。
「トビウメ一士。あっちにいるタデマル兄はお優しい方でな。お前が闇属性かどうかだけ調べれば諸々ぜーんぶ無罪放免にしてくれるそうだ。終わったら安心して国に帰りなよ」
「えっ、ほんとですか!?」
フォルクスの言葉に喜色を弾けさせた飛梅だったが、表情を取り繕ってから恐る恐る備悟を伺う。
「な、ビンゴ君? そういう話になったよな?」
ぐるんと振り返ってフォルクスが尋ねるが、憮然とした顔で応えない備悟に「ビンゴ君? 返事は?」とさらに追い詰める。
「……そのようになっている」
それを聞いた飛梅は瞳に涙を浮かべ、震える口を引き結び、「よかったぁぁぁ」と顔を覆ってしゃがみ込んだ。
ふよふよと飛んできたタイヨウがぽふぽふとその頭を撫で「メロスを信じてよかったですねぇ、セリヌンティウス?」と微笑んだ。
「しゃがんでる場合じゃないぞ。ほら立て。ハンナが鑑定するからメイも来い。ビンゴ君も来なさい。鑑定自体は危ないもんじゃないから横で見てなさい」
名指しされた人物が揃うと、ハンナは長い前髪に隠された鑑定眼を紫光で輝かせた。
「闇属性、150000。水属性、5000弱。混在する能力を持つ者の基準はまだ決まっておりませんが……現段階の当国基準においてトビウメ一士は極めて優秀な闇系特級能力者です」
言われた飛梅本人はポカンと口を開いた。
その両頬をむにゅっと掴むと鑑定眼を光らせたメイがキスするほどの距離に顔を寄せて眼を覗き込んだ。
「次が風……やっぱり他の系統もあるのね……あなたも水をベースに分岐点を持ってるの? それとも闇? お嬢さんよく見せて」
「母さん!」
ハンナに首根っこを掴まれて引き戻され、フォルクスに頭を叩かれたメイが眼鏡を直しながらいう。
「――アボット当主代行として、鑑定が正しいものであると証明します」
ほう、と感歎まじりの声を漏らした蓼丸兄が、誤魔化すように咳払いをしてから言った。
「なるほど。結果は喜ばしきことだが貴家当主代行の鑑定価値は現時点で我が国においてない。やはり魔石にエネルギーを入れてもらわないとこちらとしては……」
ハンナが片眉を上げて備悟に問う。
「トビウメ一士が闇属性だと証明すればいいんですか? あなたにわかるように」
「それはそうだが……出来るのですか?」
素早く備悟の能力を鑑定したハンナは一瞬考えるように視線を上げ、飛梅の顔を見てから微笑んだ。
「トビウメ一士、失礼しますね。“アンヴェール”」
右手を飛梅の胸部の前で一閃させると、紫の光でできたヴェールが広がった。その光が消えた瞬間、ポンと聴こえるかのような勢いで飛梅のバストが膨らんで隊服を押し上げた。
特別消禍隊訓練士の正装であろう白い隊服はタイトな作りであったため、正中線の境目を裂くように谷間が顕になってしまう。
主に男性陣の注目が自分に集まっていることに気づいた飛梅は、視線を追って胸部を見て青ざめ、追って赤面した。
「きゃああああっ!?」
「闇系能力の基本は“転移”です。意識を転移させる、認識阻害もその応用です」
「前が閉じないい!! なんでえええ」
「ご覧のように、何のためかはわかりませんが、トビウメ一士は胸部への認識阻害を日常的にかけていたようですね」
「サラシが、布が足りないいい!!!!」
「闇エネルギーの少ないミカド皇国において継続してそれが出来ていたことが彼女の能力の証左となりましょう」
「み゛ゃっ!?」
身体強化した腕で隊服の前を寄せたことでビリビリと背中が裂けた飛梅に、我に返った麟五がトレーニングジャケットを脱いで羽織らせる。縋りついてきた飛梅の頭を抱きながら怒りを滲ませた眼でハンナを睨みながら言った。
「カグヤ殿、俺の服に予備があっただろう。一着いただきたい」
状態を愉しんでいることを隠そうともしないカグヤが機嫌よく頷いたのを見て、セミマルが駆け寄ってくる。
「タイヨウちゃん、ホタルに言ってくんな! 今の時間なら内宮にいると思う」
「はわわわ、もちろんです! 急ぎますよ! トビちゃん」
パッと腕の中の飛梅が消えたのを見て、キツく眼を閉じると麟五は紅い星を光らせて兄に手を振り、空中へと浮かせた。首元をおさえて備悟が苦痛に顔を歪める。
「グッ……麟、何を……」
「飛梅の母親まで確保したとは何の話だ? 俺をここに行かせたのは飛梅から眼を離させるためか。言え、他に誰が、何を知っている」
「……」
「言え」
「……ッ! 漏らすものか……其方の隊の者の不祥事は蓼丸の名に傷がつく……!」
「それは重畳。ならば幕府には予測通り隊員の1人が闇属性であったことのみを報告しろ。“屍病”に罹らなかった理由がわかってよかったな。それだけで褒められるだろう?」
「け、……被験体」
「ああっ!?」
浮かんでいた身体を今度は地面に叩きつけられ、備悟は潰されたカエルのように声にならない悲鳴を上げた。
「飛梅は特別消禍隊から出さん。俺が2度と目を離すと思うな。タイヨウのためにもハンナも隊預かりとする。研究開発をしたいなら隊内でやれ」
「……」
「返事は?」
「わかった……」
潰れている備悟の上で、ハンナが軽く手を挙げながら麟五に話しかける。
「リンゴ様、留学生として日勤はいたしますが預かりまでは結構ですよ。私と後続のツレはヨシワラに宿をお借りする予定なので」
そこへセミマルが「ねー!」と言いながら、揉み手で近付いてニコニコとハンナに笑いかけた。
「そうですよぉ。ハンナ先生様はウチに来るんだから。あ、そういえばハンナ先生。白濁☆駅先生が早く会いたいって言ってたってヨォ。出版の方に確認したら“帆南堂”ってペンネームは被りなかったからそのまま使えるって」
「あら、では早速コラボなど……?」
「わかってるねぇ! ハンナ先生〜! 毎日銀座の寿司でも美男子の舟盛りでも何でも出すよ〜!! 出版のサルマルっての弟だから話通しとくし〜!」
「なるほど。昂ってまいりました」
「全然顔に出ないね〜!」
キャッキャと話す2人に少し顔を和らげた麟五だったが、両眼を鑑定印で光らせて備悟を見ていたメイの言葉で再び夜叉となった。
「今、備悟の頭の中を覗いてるんですけど……髪が短い……裸体のカグヤ様の書籍? 表紙の文字が私には読めないんですが…… その中にある上着で乳首だけ隠した若いカグヤ様が……あ、この服は先程トビウメ一士が着ていた服に似てますね。先程のポロリを見て、この軍服乳首隠しカグヤ様を連想したんですね。トビウメ一士のことは妾に召し上げれば何とかなる、って考えてますよこの人。ショートカット巨乳がド性癖みたいですね」
王妃を巻き込んだあまりの内容に、フォルクスとヴォルフガング翁はギシリと身体を固めてカグヤ妃から視線を逸らした。
当のカグヤ妃は愉快そうにセミマルと顔を見合わせている。
「『楽園』かえ?」
「『楽園』だな。懐かしいなぁ。コスプレページは髪が短いカットもあったな確かに」
ハンナが軽く目を見開いてセミマルに尋ねる。
「本当にあるんですか? そんな破廉恥本が?」
「あったのよぉ。15歳のカグヤちゃんが出したヌード本。花魁の店出し前のヌードグラビアは当時でも初めてで大騒ぎになったけどね。すぐに高尾太夫も小紫太夫も出したし、今じゃ普通だけど」
「わっちは芸術的に美しかったからの。破廉恥などではないわ。後世に残すべき文化遺産ぞ」
「それを何かの拍子に見た大殿がカグヤちゃんを口説きにきたからねぇ。国取物語の始まりになったヌードグラビアよ。まあ搾り取った精液で発電できれば……って江戸で言われてたからエロっちゃエロだけど」
肩をすくめたカグヤ妃が息子の乳兄弟のヒューを見る。
「わっちにとっては恥でもなんでもないが。ヒュー、カザンには……」
「あ、言わないっす。言えないっす。むしろ記憶消して欲しいっす」
ヒューを筆頭に、話が聞こえていたバベル王国人男性は気まずそうに視線を彷徨わせた。
「……妾、と言ったのか?」
「言った、というか考えた、ですね。『鏡盾』、読心ですよ。私当主代行なんで」
どこかふざけているように聞こえるメイの口調に、真意を探るように金色の眼で見られたハンナが頷く。
「――『読心』で見たならそうなんでしょうね。ミカドに王と滞在した現当主ならともかく、バベル王国から出たこともなければ、つい先日まで観月宮にも出入りしていなかった母が王妃の裸体本の存在を知ることは不可能です」
さすがに観月宮には置いてねえよ、というセミマルの言葉は尻切れに窄む。
跳ね上がった麟五の魔圧に耐えるように即座にカグヤ妃の前にヒューとセミマルが、ヴォルフガング陣営の前にメイとハンナが大きな防御壁を展開させた。
慌てて起き上がろうとした備悟は自分の左腕が根本から切断されていることに気づき、絶叫した。
ルイを除いて戦事に馴染まないヴォルフガング陣営にとっては永遠にも思えた5秒で、ゆっくりと備悟に近付いた麟五は左手で印を結び、2本の指で腕の上をなぞるような動きをした。
激痛が消失した事で、腕が何事もなかったかのように再びつけられたことを知った備悟は無表情で見下ろす弟に激怒した。
「リン、貴様何を……!」
だが起こそうとした身体は再び絶叫と共に血に沈んだ。再び5秒後に根本から切られた右脚が繋がれていく。脂汗と涙と泥で汚れた顔で、備悟は息を上げながら弟の顔を見た。
「飛梅に手を出すな。今後は目を合わせることも禁ずる。わかったら印を捺せ」
ガクガクと音が鳴りそうな勢いで備悟が頷いた。
下がった魔圧を察して防御陣が消され、精も魂も尽きた顔で備悟がノロノロと立ち上がった所で、タイヨウとトレーニングウェア姿の飛梅が少し離れた上空に転移してから集団の元に降り立った。
「戻りました〜! って、どうしたんですか!? お兄さん、洋服破れてますよ! あとその地面、血ですか!? 何事ですか!?」
斎服の左腕部分は肘にぶら下がり、右脚部分は右手で押さえていたが根本から切れているのを見てタイヨウがオロオロと備悟に近づいていく。
「怪我ですか? 大丈夫ですか?」
麟五が一片の曇りもない爽やかな笑顔でタイヨウに微笑んだ。
「もう何も心配いらない。兄上が間違えて転んでしまわれてな。怪我は俺が治せたんだが、服はどうにもならなかったんだ」
ねぇ、兄上?と笑顔で首を傾げる麟五に備悟が呆然と頷いたのを見て、全てを見ていた者たちもぎこちない笑顔で一斉に頷いた。
「はー、リンゴ君、水系メインだもんね。そんなこともできるんだ」
すごいね、さすがだね!とクルクルと周囲を飛ぶタイヨウを見て、思わず飛梅が小さく吹き出した。
「飛梅」
自分を男だと思っていたはずの上司から、何を問われるでもなくただ優しく呼ばれ、飛梅は不思議そうに麟五の目を見た。
「ご配慮いただいたカグヤ様に礼を。バベル王国の王妃で、近いうちにミカドの後援のもと立ち上がる天道領の領主となられる方だ。タイヨウの義母様でもあられる」
土下座しようとした飛梅の額に器用に魔圧を丸めた空気弾を飛ばして、ニッとカグヤ妃は笑った。
「いらんえ。ここはバベルじゃ」
花が綻ぶように笑った飛梅は、たわわな胸元が再び抑えられていても、もう誰の目にも少年には見えなかった。
「ありがとうございました! 洋服だけじゃなくて、ホタルさんが色々お土産持たせてくださって……今度きちんとお礼しに伺わせてください!」
パンパンになった唐草模様の風呂敷を抱きしめて頬を染める飛梅にカグヤ妃は母の顔で微笑んだ。
「ああ……領が拓いたら、また来なんし」
やりとりをニコニコと見ていたタイヨウが太陽を背に中空に浮かび上がるなり「リンゴ君、トビちゃん、見て!」と呼びかけた。
素早く手印が結ばれていくとバチバチと音を立てるほどの勢いで魔法陣が浮かび上がった。
「すげぇ魔圧だな……」と手庇のフォルクスが言うのと「『逆転する運命の輪〈リバースエッジ〉』!」とタイヨウが叫ぶのは同時だった。
紫の光で出来た魔法陣が備悟の頭から足まで通過すると、チェックしたタイヨウがヨシ!と頷く。
「見て! メガネと洋服直ったよ! 闇属性もすごいでしょう」
備悟が驚愕して自分の衣服をパンパンと叩いて確認する。ほわぁ、と瞳を輝かせた飛梅に目を細め、麟五がタイヨウに拍手した。
タイヨウは少しはにかんだ顔をした後、麟五とちょうど目の合う位置に飛んでいく。そして、声に微かな魔圧をのせて、麟五に語りかけた。
「――すごいでしょう? でもね、僕を鍛えたハンナさんは、僕よりもっとすごい。もっといろんなことができる。僕の大切な人なんだよ」
「ああ」
「僕はハンナさんが傷つけられたら、いつだって、どこにいたって、わかるよ」
「ああ、聞いた。国宝級の防犯ブザーを持たせていると」
クッと喉を鳴らした麟五に少し口元を緩めたが、真剣な目でタイヨウは続けた。
「僕はリンゴ君とも戦いたくないし、トビちゃんも傷つけたくない。だから、ハンナさんを守って」
「ああ、約束する」
蓼丸はしっかりと頷いた。
その顔は自信に満ち溢れ、決意に満ちた眼差しをしていた。それは、その存在が常に周囲の者たちに力と希望を与えるであろうことが容易に伺えるものであった。




