71.再開門
午前9時。
蓼丸の合図を受けて、タイヨウは再びミカド皇国への門を開いた。
紫色の光で出来た門は、昨日の反省を活かして高さ10メートルほどにセーブしていた。アボット一族の叡智の結晶であった国交門を容易く改竄されたジョルジュは苦笑いしながら王宮へと戻り、その転移陣を閉ざした。
ミカド皇国は夜。
前回のようにスモークが焚かれていないため、秋の虫の音が鳴りわたる向こう側の様子がよく見えたが、建築物はなく森の中の草原のような景色だった。
扉から出てきたのは2名。
まず歩み出した黒の斎服姿に眼鏡をかけた30代半ばの男が口を開いた。
やや神経質そうな細面ながら、全体的には清潔感のあるビジネスマンといった佇まい。しかし直言を許さぬ立場であると暗に伝えるように、微笑みながらも頭は1度たりとも下げなかった。
「ご無沙汰しております。ヴォルフガング殿、そしてカグヤ殿。此度、“祭事の諸事”が万事滞りなく整いましたこと、お慶び申し上げる」
ヴォルフガング翁はニヤリと笑った。父親から国交の要を引き継ぎ、翻訳呪文のかけられた男の名は蓼丸備悟。
柔和な外見に反してナチュラルに上から目線。今もさらりと“万事はバベル王国への支援である”とまとめ、上に立つ姿勢で打って出る向こう気の強さで若年ながら政務の重臣に身を置く男であった。
今の発言も直訳すれば(地方大名の誕生パーティーごときをサポートする優しいミカド皇国様を敬えよボォケ)である。
ヴォルフガング翁も返す刀で法外な量の闇エネルギーという対価の件を持ち出す。
「いやはや。此度の貴国への技術供与、若者たちの交友を今後益々の国交の一助としたいという貴君の熱い想いに応えたく老骨に鞭打った甲斐がありましたなぁ(ウチの闇系能力が喉から手が出る程欲しいのはそっちだろうが。即金5億バベリウムに拘って6時間も粘りやがって若造が!)」
しばし見つめ合ってから、フォッフォッフォッ!ハッハッハ!と笑う男達に飲まれたように、バベル側一同は微かに引いた。
「なあ、爺さん。なんかやることあんだろ? おかげでウチの天使が3時間も開門してなきゃいけねえんだぞ。早く進めろよ」
ビジネスマン同士の言葉の裏の戦いを鬱陶しそうにフォルクスが睨む。
「あ、いや一回開いちゃえば維持は大して……」
慌てて手を振るタイヨウが前に出ようとしたところで、ハンナが声高に叫んだ。
「母さん!」
声を上げながら、視線は目を見開いた蓼丸備悟に止めている。
「はいはい、タイヨウ様。知らない人と口聞いちゃいけませんよ。娘が心配しますからねえ」
鑑定魔のメイは蓼丸備悟が弟とは異なり単一の属性で五級程度の力しかないことを鑑定して身勝手にがっかりしながら、乗り気でない声で静止をする。
「チィッ!」とハンナが舌打ちするのを見て、タイヨウが顔を白黒させた。
フォルクスでさえも忘れていたが、メイは一応ノーマン領担当のアボット家であった。ハンナがソーレに伴い移動する前から『ノーマン領には当主フォルクスとゴーンという二大火力が御在領なのに今更ひ弱なアボットが出るなど恐れ多い』といった言い訳で任務から逃げていたが、今回海外へと離脱する娘からタイヨウの保護を改めて託されたのである。否、放棄していた義務に就くことになっただけであるが、業務態度はよろしくない。
鑑定欲や研究欲に溺れがちで甚だ不安だが、次期当主の保護者に内々定している実力者であることは間違いない。
間違いないのだが、異世界出身でサポートが必要な主人を軽んじる母にハンナは苛立っていた。
肩を怒らせたハンナと鑑定眼を光らせた軍服姿のメイ、油断のない目でこちらを睨むヒューとフォルクスを見渡して蓼丸備悟は「貴女がタイヨウ様ですか」と微かに頷くとタイヨウの眼をじっと見つめて口を開いた。
「……白米、納豆、味噌汁」
「!?」
タイヨウはもちろん、固有名詞には翻訳呪文が機能しないため、“ハクマイ”“ナットー”“ミソシル”という聞き慣れぬ単語をそのまま耳にしたバベル人たちも怪訝な顔をする。
「漫画、温泉、桜。……ございますよ、ミカドには」
どうだ、と誘うように備悟が手を広げる。
目を見開いて聞いていたタイヨウは一瞬ためらったあと、コテンと小首を傾げた。
「あ、はい。観月宮にもあるので……そうなんでしょうね……?」
呆気に取られた顔で備悟が手を上げたままギシリと固まる。
その様子にカグヤ妃とセミマルが吹き出した。ムッとした顔で2人を見る備悟にまた腹を抱える。
士族である蓼丸家はミカド皇国において圧倒的な強者であった。
一方、吉原の者達は平民だ。
ミカド皇国に落ちてきた日本人達が欲するものを羅列すれば自国へ誘えるはずだという思い込みと傲慢さが打ち砕かれる様は痛快であった。カグヤ妃が王妃という立場であることを考えれば気軽に観月宮に出入りしていることも想定外だったはずで、尚一層小気味よかった。
目尻の涙を拭いながら、カグヤ妃がタイヨウの頭に手を置く。
「ああ、おかしい。先だっても飯3杯喰らってたわいな」
「えへへ、土鍋で炊かれるので美味しいんですよねぇ」
照れるタイヨウにカグヤ妃がニッと笑う。
「タイヨウ、わかっとらんじゃろ。蓼丸の兄貴は“ミカド皇国に来ないか?”と誘うておったんえ。主が恋しく思うものがミカドには揃っておると言うておったじゃろ」
「ええっ!? 本当ですか?」
宝石のような瞳で見つめられた備悟はたじろいで言葉を飲んだ。
「恋しく……って、僕の大切なものは全部バベルにあるのに? ハンナさんっていう大切な人がミカドに行くので、それは恋しいですけど。返してもらえるって聞いてるので、我慢しますし……」
別離の不安がまたそぞろ顔を出したらしく、一瞬瞳を潤ませたが、「ミカドには行かないですよ。ご挨拶が遅れました。僕の名前はソーレ・タイヨウ・ノーマンです」と優雅なカーテシーで挨拶した。
そのタイヨウを片手で抱き上げながらフォルクスが不敵な笑みで備悟を見下ろす。
「そしてこの俺は、ウチの天使を手放す気のないパパ、フォルクス・バロウズ・ノーマンだ。ゴローコーだ」
昨日聞き齧ったばかりの言葉が自らと同格のヴォルフガング翁を指すらしいと睨んだフォルクスが言うが、当のヴォルフガング翁は頭を抱え、「父様、御老公は偉いおじいちゃんって意味ですよ!」とタイヨウは少し赤面して耳打ちした。
毒気を抜かれた顔でため息を一つつくと、蓼丸備悟はフォルクスと向き合う。
「貴殿がノーマン殿か。蓼丸備悟です。愚弟が世話になったそうで」
「ああ、大したことはしてないから気にするな」
フン、とふんぞり返ったフォルクスを見て、セミマルがケラケラと笑う。
「麟五様が泊まったのはウチだしな! 大したことも何も、旦那は酒飲みに来ただけで何もしてねえな」
「己の所業は忘れても、花札の負けは忘れんようにな。ツケとくえ」
笑い合う一同の、中でも肩の力の抜けたカグヤ妃の様子を見て備悟は素早く方向性を切り替えた。
「ノーマン殿、タイヨウ様にご負担をおかけするのはこちらも本意ではないので本日時間を頂いた件に移りましょう。我々の闇属性特級者50年の要求を5年に短縮するための“追加担保”です」
そこで言葉を止めると、振り返らずに背後の人間に「出よ」と声をかける。
素早い動きで左にズレたその人物は、銀と白で彩られた消防隊のような衣服を身にまとった小柄な少年だった。
ざっくりと耳上で切られた紫の髪はふわりとウェーブし、大きな瞳は灰色。小動物を思わせる全身に緊張を漲らせ、少年は声を上げた。
『はいっ! 特別消禍隊第七局一士飛梅音です!』
甲高い一本調子に緊張した早口、そして何より翻訳呪文がかけられていないミカド語のため、フォルクスが片眉をあげる。
「なんて?」
いかつい武人に威圧混じりに問われ、びくりと少年が震える。その様子を見ていたタイヨウが父親をはじめ、バベル人たちに聞こえるように翻訳した。
「自己紹介されてましたよ。第七局って聞こえたので、リンゴ君と一緒ですね。一士ですって」
「新米だな。騎士団と一緒なら1番下だ」
「そうなんですね! さすがです、父様。お名前はトビウメオトさん、と仰るようですよ。飛梅が姓で音が名です。オト・トビウメさんです」
娘のヨイショを機嫌よく頷いていたフォルクスが首を傾げる。
「で? トゥべ……トビーがなんなんだ。新米をウチで鍛えるのか?」
備悟ではなく麟五を振り返った父の顔をグイッとおさえて、タイヨウは身を乗り出した。
「飛梅、トビー……もしかして、あなたが“トビ”さんですか?」
魔圧の高い武人に抱き上げられた、人外めいた美貌の少女がミカド語を喋っていることを飲み込むまでに3秒。直答を許される立場なのかと迷って2秒。
間を置いて、飛梅はコクリと頷いた。
『はい、隊ではそう呼ばれています』
「セリヌンティウスだ〜!」
『!?』
解答を得たとばかりの明るい声でタイヨウが麟五を振り返り、次いでなんとも言えない生温かな目でカグヤ妃とセミマルが麟五の顔を見た。




