70.旅立つ者たちへ
夜明け前から2時間馬を駆り、辿り着いたのはヴォルフガング領の石灰石採掘現場。奥深い山の中にありながらそこだけ神が絵の具の配分を間違えたように灰色一色となっており、朝陽を雪原のように反射していた。
「はーーー! 初めて来たけど、壮観ね!」
リリガルドが猫耳のように見えるピンクの癖毛を揺らして手庇で採掘場を見渡す。
眼下の人は多い。
フォルクスを囲むように灰色の作業着にヴォルフガング領印の入った黄色いヘルメットを被った職人集団が数十人、騎士団からは団服のメイとヒュー、そして観月宮からは昨日の軍服コスプレのカグヤ妃とセミマルが当然の顔で並んでいる。
その横では黒地にシルバーのラインの入った軍仕様のトレーニングウェアを身に纏った蓼丸とルイが最終調整を行っていた。胸元に“七”と刺繍が入っている無骨なウェアを指差し、リリガルドが騒ぐ。
「うわ、あの服カワイイわね! どこのかしら? 欲しいんだけど! タイヨウわかる?」
バベル王国では見慣れぬである材質であること、そして明らかに米国陸軍のトレーニングジャケットを模したものであることから、大方着替えを欲した名家令息蓼丸の希望で観月宮の仕立師達がミカド皇国仕様のものを用意したのだろうと推察できたが、タイヨウは「さあ……」と腕を組んで光景を見下ろしていた。
超巨大ダンプカーの上で、横に立った黒天使のいつならぬ仕草にリリガルドが立ち上がってその肩をはたく。
「なーにイラついてんのよ」
「別に何でもないです……ないよ!」
蓼丸と話す口調を見て「ずるい! あたしもタメ口にして!」とイキリたったリリガルドにより、慣れぬ会話を強いられているタイヨウが強張った顔で答える。
ツインテールにオーバーサイズの黒いTシャツとパーカー、黒のスキニーに明るいブラウンのワークブーツ。リリガルドも揃いの衣装は、リリガルドを迎えに行った際に乗馬服から着替えさせられたマダムバタフライデザインの特注品だ。
「なんなの? 遅れてきた反抗期?」
「なんでもないったら」
「明らかになんでもあるでしょ。えっ、もしかして影みたいにくっついてたメイドが離れるから? 特級のメイドってのが、さすがノーマン家ってびっくりしたけど!……でもさぁ、たかがメイドでしょ?」
大富豪の息子であるリリガルドは貴族のそれと遜色なく、むしろ大抵の貴族よりも多くの使用人達に傅かれて育った。
家令や執事、乳母は流石に別格だが、メイドなどの使用人は正直生活備品に対する感覚に近い。なくてはならないが、交換可能で名前をつけるまでもないもの。
メイドが令息に気に入られて玉の輿!という庶民に人気の物語も、実際の令息の立場からすると“備品に欲情する奇妙な性癖の持ち主の話”というのが実際の感想だ。ましてやタイヨウとハンナは同性。同性愛に人一倍理解があるリリガルドでもドラゴンカーセックス好きの気配を友人に感じとったような戸惑いがある。
「たかがじゃないよ! ハンナさんは!」
更に苛立ったようにキッと睨むタイヨウにリリガルドが生来の鼻っ柱の強さですぐさま返す。
「メイドはメイドでしょ。何が違うってのよ」
「ハンナさんはっ……! 何も知らない僕に色々教えてくれて! 失敗しても優しく導いてくれて、守ってくれて。僕に、僕に夢見ることまで許してくれたんだよ!」
(ははーん? なるほど、メイドじゃなくて姉って感じなのね)
上に2人の姉を持つリリガルドはすとんと腹落ちした。
出生と共に四貴家出身の母親を失い、父親は貴族位に上げられたものの元庶民の医師。没社交で昨年までクソ田舎のドゥフト領生家からでたこともないという特異な生育環境で発生したレアケースなのだろう、と。
友人のじとっとした生温かい目にムキになったタイヨウが肩を怒らせる。
「だから僕はちゃんと、これから……っ」
「これから?」
おおい、タイヨウちゃん!と下からフォルクスが呼んだ。
反射的にリリガルドを伴って転移しようと伸ばしたその手を掴んで引き止め、「ん?」とリリガルドが小首を傾げる。
きゅうっと喉を詰まらせ、震え声でタイヨウは本音を吐いた。
「お……恩返ししたかった……っ」
今はまだ肩を並べているが、じきに見下ろすことになるであろう少女の細い身体を軽く抱きしめてからリリガルドは笑顔で言った。
「いこっか」
下を向いたタイヨウと対照的に明るい顔のリリガルドが人々の中心に降りてきたのを見て、メイが転移魔法陣を広げると、ヴォルフガング翁、そしてハンナとアボット家当主ジョルジュが王宮から現れた。
お馴染みの鉄仮面フェイスでジョルジュがタイヨウを見つめ、ついでフォルクスを見た。
「ンンッ! ノーマン殿、しばしタイヨウ嬢と話がしたいがよろしいか?」
「あ? 構わないが、俺も聞くぞ」
どっしりと腕組みをしたフォルクスを前に、1秒たっぷり無言になってからジョルジュはタイヨウに尋ねた。
「……ソーレ嬢はそれでもよろしいので?」
入れ替わりのことだと悟ったタイヨウは軽く頭を振って父を止めた。
「ーー父様、僕とハンナさんのことなので……少しだけ、許してもらえませんか?」
担保としての出立が仮決めとなったハンナは昨夜ノーマン邸に戻ってこなかった。
身の回りのことはノーマン家に来てからはハンナ以外の使用人が手掛けることが多くなっていたものの、その存在が全くない夜というのは初めてでタイヨウはなかなか寝付けなかった。
その様子を妻を通じて知らされていたフォルクスは、当主としての義務より思春期の娘に対する配慮を優先することにした。
「5分までだ。認識阻害は使っていいが見える場所でやれ」
一つ頷くと、取り出した懐中時計を開いてからジョルジュは白手袋のまま指を鳴らした。
「ンンッ! それでは失礼」
タイヨウが目を瞬いていると、認識阻害を確認できたらしくハンナが口を開いた。
「ーータイヨウ様、申し訳ございません。出立の条件として当主より読心を受けることになり、諸々バレております」
口調に別れ際の湿っぽさはなく、いつもの鉄仮面だ。常のハンナらしさにタイヨウは思わず笑みをこぼした。
「まあ、そうなりますよね……ジョルジュさん、色々申し訳ありませんでした」
「タイヨウ嬢……否、スズキタイヨウ君が謝ることではない。全てはこれとソーレ嬢の所業故」
知られるということはそういうことだとは理解していたが、半年ぶりに呼ばれた本名にタイヨウの心が音を立てて跳ねた。
「私からは王の名の下に決定事項を申し伝える。まず魂転換のカルマ“黒門”について。闇属性の高能力者を有する我がアボット家が転移術を得意としないため使用者が想定できず他の禁術同様の扱いとしてきたが、以後は極禁術とすることが決まった。これからは実行者だけでなく、企てた者も極刑となる。“黒門”を扱える程の能力者を誅する苦労を思うと気が重いが、やり方がないわけではない」
つまり……と、そこでアボット家当主は、恐らく彼にとって非常に珍しいことに一瞬言葉に詰まった。
「君は、元の姿に戻れない。了承の上のことだとハンナへの読心にて把握しているが……それでよろしいのか? 尚、ミカド皇国との秘密保持契約の締結を優先することは王にもご承認頂いている」
元の身体に戻る猶予を与える、と暗に言われていると察したタイヨウは静かに頭を振った。
バベル王国で、この身体で生きていく。
自分で望んだことであるし、その点については既にハンナとしっかり話せている。
魔力の使用は想像以上にイメージに左右される。魔力そのものは魂に紐づいているため、再び入れ替わったとしても、魔力の使用は魔素が多い地においては問題はない。しかし、いざ“鈴木太陽”という日本人の身体に戻ると思うと、魔力が使えるというイメージが湧かなかった。
ソーレの身体だから魔法が使える。
そのイメージが強すぎるのだ。
先を考えたとき、タイヨウはどうしても、魔力を手放す気にはなれなかった。
それよりも気になるのは……。
「王は、カザンさんのお父さんは怒ってらっしゃいましたか……? その、カザンさんの事を裏切る……わけではないですが、中身が男だったとか、バベル人でないとか……」
(まず案ずるのはそこなのか……)
長いまつ毛を伏せる姿を見下ろして、ジョルジュは顎に手をやった。そういえば、この少年は不自然なほどに自己評価が低いのであったと子供の扱いに慣れていないジョルジュは戸惑う。
巡り合う人々の心を掌握し、この国の行く末を変えるための聖誕祭プロジェクトの中心となり、孤立していた王の愛妃とその共達の心を救い、優秀すぎる故に配偶者の目処も立っていなかった第3王子の未来に手を伸ばすという奇跡を起こして尚?
嵐のように発生した法整備、寝る間もなく押し寄せた国家間のやりとりなどの合間に、「タイヨウさんは本当に大丈夫なのか?」としきりに心配していたのは王の方だ。父の顔で、夫の顔で。天使が国を見放す可能性を憂う民の顔で。
“日本人”という未知の存在の性質なのか、正直厄介である。この点をケアしてきたであろうハンナがいなくなる弊害を思ってさらに気が重くなる。
「いえ、その点については特に何も」
「そう、ですか……」
少しも気が晴れたようには見えないタイヨウの姿に若干焦りと苛立ちを感じ、ジョルジュはハンナを見下ろす。
ハンナは半歩出て、タイヨウの紫色の瞳を見つめた後、もうしばらく前からソーレには見えなくなっていた姿を焼き付けるように見た。
「タイヨウ様、ご安心召されませ」
「……はい」
「王に何と思われようと構うことなどないのです。そもそも5年の猶予を勝ち取るのでしょう? その間にカザン様が何かをやらかしたり、“居残りを命じられた生徒とそれを忘れた女教師”プレイを冒頭に挟まないとといった特殊性癖の持ち主であるということが発露した場合はこちらからお断りなさればよろしいのですから」
「な、何を言ってるんですか! ハンナさん!」
論旨をずらしたような回答に、タイヨウが赤い顔で噛み付く。ハンナは見慣れた者だけがわかる笑顔で言った。
「ーー貴方はなにも負うことはないのです。咎められることもない。どうかそのままの貴方でいてください。あなたは自由です」
言葉に弾かれたように、タイヨウは目を大きくしてハンナを見た。いつも着ていた白襟のついたメイド服ではなく詰襟の家令服姿。初めて見るパンツスーツ姿だが、よく似合ってると思った。
左目を隠した亜麻色の髪。
表情を変えない茶色の瞳。
装いを抑えていることも輪をかけて、仮面のように見える顔立ち。不動の体幹で、常に前に手を組みメイドらしく一定の距離をとりながら、誰よりも側にいてくれた人。
引結ばれた唇がわなわなと震えて、タイヨウは宝玉のような両の瞳から大粒の涙をこぼし、どんっとハンナに抱きついた。
「さみしい、さみしい! さみしい!」
万事控えめな主人に勢いよく抱きつかれハンナは虚をつかれた。そして勢いで跳ね上がった白手袋の手で、おずおずと体温の高い華奢な背を叩く。
「5年、たったの5年でございますよ」
泣きじゃくる声を宥めるように穏やかな声に、タイヨウは顔を上げた。
「5年で帰ってこれるんですか?」
「はい。ミカドへの担保になることが大きく、ソーレお嬢様と私は短期間の島流しという処理で済みました」
「島流しって……でも……ソーレさんなら帰って来れますよね?」
期待に満ちた瞳に胸が痛んだが、ハンナは首を振った。
「確かにソーレお嬢様ならミカドからここまで、自在に行き来ができるでしょう。しかし、それは致しません」
「なんで!」
そこでジョルジュが静かに口を開いた。
「ーー観月宮事件に関与した特級闇属性能力者、未詳がまだ捕らえられていないからです。此度の聖誕祭が思惑通りに運んだとして。5年後シュリ姫が継承権選挙に出られ、その勝利が確定するまで脅威は残ります。その期間、正体不明の特級闇属性者としてソーレ嬢がバベルにお越しになることは“敵”にとって利する機会になりうるのです」
「犯人にされるってことですか? でも観月宮事件はカザンさんが生まれる前でしょう……? ソーレさんも当然生まれてないですよ」
「現在戸籍もないソーレ嬢の年齢を、どう証明するおつもりか」
「……っ!」
はくはくと喘ぐタイヨウに、ジョルジュは努めて穏やかな口調で伝える。
「5年の分割払いはミカド皇国の了承を得ました。ソーレ嬢の推定魔力量は読心の過程で私が正式に確定診断をつけています。ソーレ嬢の存在は、我々の奇貨となった。だが残念ながら敵にとっても奇貨なのです。ハンナは島流しなどと言いましたが、この5年は処罰などではない。ソーレ嬢と、彼女に命を捧げたハンナを守るためにある。王ができる、最大限の礼です」
5分が近いと知らせるように、芝居がかった仕草でジョルジュが懐中時計を開く。
ハンナがゆるく抱きしめたまま、タイヨウの顔を覗き込む。
「……手紙は許しが出ております。検閲が入りますが。それに“潮騒のメモリー”は使えますよ」
「……」
「あまり早く起きて側仕えを困らせないように。掃除も、私が見ていないからと言ってやらないようにしてくださいね」
「……」
「どうか、お身体に気をつけて。5年後、成長した貴方とお会いできるのを楽しみにしています」
黙り込んだままのタイヨウに、ハンナが困った顔をする。それを見て「……僕はまだ怒ってますからね」と黒天使は泣きすぎて掠れた声で小さく呟く。
そして、すん!と鼻を鳴らしてからズボッとポケットに手を入れると、3ctほどの紫色の宝石を取り出してハンナの手に押し付けた。
「これ、身につけていてください」
ジョルジュが目を見開く。
それはタイヨウの瞳を写しとったような夜明けの空色の御霊石。魔石の基礎を持たせず純粋な魔力だけでつくられた、それも30万程の魔力のこもった前代未聞の代物であった。
「貴方は一体何を……! 大体御霊石の生成は洗礼式後と……」
それに噛み付くようにタイヨウが言った。
「うるさい! 無事に出来たんだからいいんですよ! 僕は……僕だって、わ、悪い子なんですからね! 悪い子だから、ハンナさんにもしものことがあれば特級が国外に出ちゃ行けないとか関係ないんですから。……どこにいたって、何してたって、僕が絶対助けに行きますから」
きゅうっと喉を鳴らして、再びタイヨウがハンナに抱きついた。
そこで認識阻害の帷が開かれたが、会話の中身はわからないものの見守っていた者たちはフォルクスを筆頭に概ね貰い泣きしていた。
「今まで、ありがとうございました」
「貴方にお会いできてよかった。こちらこそ、ありがとうございました」




