64.出会い
「おい! ハンナでもメイでもいい。このちびっこに翻訳呪文かけてくれ!」
ミカド語でのやり取りはタイヨウとカグヤ妃の言葉以外一切理解できなかったが、血の気を失っている愛娘のただならぬ様子に焦れたフォルクスが吠えて剣を下げた。
「ボス、油断すんのは早えんじゃねえか?」
叩き上げの野生の本能で緊張を解かぬゴーンに同意するように、ヒューも冷え切った目で剣を握り直す。
日頃感情を荒ぶらせることのない当代副長がこの表情をすることは極めて珍しかった。
彼が余裕をなくしている理由は3つある。
まず一つ目、ヒューにとって剣はブラフだった。ゲラン宮で披露したように、彼はその風能力で目の前の男を酸欠にしようと先ほどから仕掛け続けていたのだ。
だが、目の前の小さな男には一向に影響がない。それは相手が自分以上の風系能力者であることの証左だった。
二つ目、ヒューにとってはカグヤ妃は王妃である前に乳兄弟の母、つまりもう1人の母であった。先ほどのタイヨウの言葉や、かつてないセミマルの態度から“母”が相当に侮辱されたことを把握している。
三つ目、ヒューにとっては数ヶ月違いで同じ乳房を吸って育ったカザンは双子の兄弟のようなものだった。だが、彼は常にカザンの身分を誰よりも正確に把握していた。
『王子が海外からの使者を傷つける』という醜聞を乳兄弟に被らせるつもりはない。
結果、ヒューは人生で初めて、心底、徹底的に、完膚なきまでに明確な殺意を来訪者に対して抱いていた。相手が自分より上でも、倒す方法はある。ヒューは虹色に揺らぐ瞳を冷たく光らせたまま微笑んだ。
「ゴーン先輩に一票。門も閉じたことですし、これは片付けていいんじゃないです?」
その様子を見たカザンが小さなため息をついて剣を下ろした。
「カザン!」
叱るように名を呼んだヒューの肩を叩くと「落ち着け」と囁き、カザンは剣を納めた。
騎士団においてボスの意思は絶対である。フォルクスとカザンに従うように、ゴーンとヒューは無表情で剣を下ろした。
「カザン、このちびっこに一応許可取れよ。翻訳呪文はミカドにはないらしいぞ」
フォルクスの言葉に頷いたカザンがミカド語で蓼丸に話しかける。
『蓼丸殿、我が国の術師により翻訳呪文をかける許可を頂きたい』
そのカザンの言葉に焦ったのはタイヨウだ。
「いや、ちょ! 待って! 翻訳呪文をかける前に、僕ちょっとこの方と2人きりでお話したいんですけど、ダメでしょうか!?」
「「はあ?」」
父と恋人のボルテージが瞬時に跳ね上がったのを見て、水をかけられたようにシュンとするタイヨウ。その肩に手を置いたのはカグヤ妃だった。
彼女は厳かに蓼丸に言う。
『……こちらの姫はタイヨウ様であらせられる。拠無い事情があって、姫は“日本人”であるということを隠しておられる。またそれをこの先もお望みじゃ』
他ならぬ、タイヨウの願いという宣言。それは“日本人”に対するミカド皇国人の国民感情を突いた、最適の一手であった。廓言葉でもなく、さらにタイヨウに遜るようなカグヤ妃の物言いに、カザンが目を丸くした。
『なぜ……』
『それを問うことは此度の本題ではないし、姫の望みではあられない』
タイヨウがカグヤ妃を見上げると、見たこともない優しい顔で王妃から微笑まれた。しかしその穏やかな表情の中、赤い瞳だけがギラギラと輝いている。
(そういうことにしておけ。そして主は可及的速やかに黙りゃ)
無言に込められたメッセージを汲み取り、タイヨウが目を潤ませる。
(了解ですぅ! ありがとうございますぅ!)
『姫……真、でございましょうか?』
タイヨウは蓼丸の問いに静かに頷く。激しい緊張から安堵して弛んだだけだったが、その表情はひたすらに美しく、死者もバク転で蘇るほどの神々しさであった。
『しかし……』
次の瞬間、黒天使の居た場所でフォルクスが蓼丸の後ろ襟を猫の子を持つように吊り上げた。
「おおっと、2度目はねぇぞ。ちびっこ」
蓼丸と父の移動のスピードを目視できずに驚いた黒天使は自分が“定位置”、カザンの腕の中に抱かれていることに気づいて再び驚いた。
「ひゃ! 速いですね皆さん!」
そこにヌッと出てきたのは、空気の読めないことで定評のあるメイだった。母の動きを横目で見ながら、ハンナがそっとタイヨウの手に魔石を握らせて魔力を補充する。
「じゃあ翻訳呪文掛けさせていただいてよろしいです? ノーマン様、しっかり押さえておいてくださいね」
メイが言うなり、蓼丸の額に触れて呪文を素早く唱えた。術者の技量は求められるが、翻訳呪文自体は痛くも痒くも無い。タイヨウは寝ている間に掛けられていたほどだ。怪訝な顔をする蓼丸にメイはメガネを光らせる。
「私は王国騎士団メイ・アボットと申します。まずはお名前からお伺いしてよろしいでしょうか?」
違和感なく聞き取れるようになったバベル語に、蓼丸の表情が変わった。
ミカド皇国には闇系能力者がいない。だがこの短時間で声の消失、翻訳呪文という未知の現象に触れた彼は、『蛮族しかいない未開で野卑な国』という認識を速やかに改めた。
そして“国の要望”と“なぜ自分がここに送られたのか”を正確に理解した男はフォルクスの手から逃れて地に降りると襟元を正して頭を下げる。
「特別消禍隊第七隊長蓼丸麟五だ。度重なる無礼をお見せしたことを詫びる」
主にタイヨウに対してではあるが、ミカド屈指の名家である蓼丸家が自ら頭を下げたことにカグヤ妃とセミマルが顔を見合わせた。
「俺は四貴家ノーマン領当主兼防衛局局長兼元騎士団長、そしてそこにいる天使タイヨウちゃんのパパのフォルクス・バロウズ・ノーマンだ」
「俺は、ゴ……」
ゴーンが名乗ろうとした瞬間、カザンの声が割り込んだ。
「その前にタデマル、“ニホンジン”とはなんだ?」
その言葉に、タイヨウとカグヤ妃、セミマルが凍りつく。
「カカカカザンさん!? 今、ゴーンおじさまがお話ししてる途中でしたでしょうが! お行儀が悪いですよ!」
「母上もセミマルも知っているようだな。なんだ、“ニホンジン”とは。タイヨウを指しているのだろう?」
「ききき聞き間違いですよ!」
口元を押さえようとするタイヨウの手を器用に躱しながら、カザンは蓼丸から視線を逸らさない。
「息子にも伝えてないのか?」
「バベルに嫁いだからといって、わっちが吉原の輝夜であることは変わりんせん。お上のご意向に逆らうはずはなかろうて」
蓼丸の金の瞳と、カグヤ妃の紅の瞳が交差して数秒。
「相わかった。お前、名はなんという」と蓼丸はカザンを見据えた。
「カザン。それの息子で現騎士団長でこれの婚約者だ」
フォルクスが横目でカザンを睨んだが、流石に今は執拗に絡んでこない。
「“日本人”とはな……」
すうっ……と金色の目が細められ、タイヨウが青褪めてカザンの首に齧り付いた後、蓼丸は言った。
「――神の使い、いや神だ」
カザンとフォルクスが驚きの表情で固まった。
そして……
「よくわかったな。そちらではそう言うのか。まさしくタイヨウは我々の“ニホンジン”だ」
「君、見どころあるねぇ! わかる? わかっちゃうかなウチの娘の輝き」
2人の団長は一挙に態度を軟化させた。誤解の上に成り立っている際どい会話にタイヨウが目を白黒させていると、ヴォルフガング翁からのんびりとした声がかかった。
「おぅい、すまんが誰かワシを運んでくれんか」
「あ、すいません! 今すぐ!」
パッと蓼丸の前に呪符に包まれた老人をタイヨウが転移させる。
「このような形で申し訳ない、リンゴ・タデマル殿。ワシがヴォルフガングじゃ。本日は遠路はるばるお越しくださり……フォッフォッ、ビンゴ・タデマル殿から貴殿のご活躍は聞いておりますぞ」
その言葉に、蓼丸は深々と頭を下げた。
「ヴォルフガング御老公であられましたか。ご挨拶が遅くなりました。兄からは御老公は“魔界”の地にはおいでにならないはずだと聞いておりましたが」
「フォッフォッ、その予定でしたがな。先ほど貴殿に翻訳魔術をかけたメイが防御陣を、ほれこのように」
「左様でございましたか。“闇系”とはここまで多様な……」
呪符とメイ、そしてタイヨウを見た蓼丸が思案するように腕を組んで黙り込む。
「なんだ? 一気に態度変わったな。おい、この爺さんと俺の格は全く一緒だ。俺もゴローコーだぞ」
「……」
「ついでに言うと、お前が先ほど蹴り飛ばしたのはゴローコーの孫だ。ルイ・“ヴォルフガング”だぞ」
「……」
圧の強いフォルクスを堂々と無視しながら、蓼丸はポケットから出したスマートフォンサイズの木札をとりだし、素早く操作した後に耳に当てて通話を始める。そしてのびているルイの元へ向かうと、しゃがんで額を人差し指で触れた。
「兄上、俺だ。……ああ、問題ない。闇属性の日本人がいらっしゃったが、話は予定通り進めていいか?」
「ぷはっっっ!!……えぇ!?」
悪夢から醒めたように半身を起こしたルイが、蓼丸と皆の顔を見比べて困惑する。
「……なるほど、承知した」
通話が終わったらしく、木札を袂に入れると「立て」ルイに顎で指示する。
「あ、え?」
騎士団生活で染みついた力による序列により反射的にルイが立ち上がった。
「次に俺を馬鹿にしたらまた潰す。何度でもこうして起こす。わかるまでやる。わかったか」
「え、ああ……」
「返事はハイ、だ」
ガッ!と脛を蹴られて涙目になったルイは、それでも揺らぐことなく背筋を伸ばして立った。
「はいっ!」
「俺は蓼丸麟五だ」
「……林檎?」
ヘラッと笑った顔が残像となり、ルイはまた側頭部を蹴られて沈んでいった。
「“君”をつけろよ、デコ助野郎」




