7.王国騎士団長 竜のカザン
バベル王国騎士団本部。
王都郊外にあるその建物は華美とは程遠く、質実剛健な木造の平屋建てだ。
訓練場として広い庭があるため、まるで学校のようにも見える。庭に面した窓を大きく開いた団長室には、訓練中の若い騎士たちの掛け声が流れ込んでくるのでなおさらだ。
「ソーレ・タイヨウ・ノーマンのデビュタントの夜会のご案内ねえ。ゴージャスな封筒だ。この子、王都でも最近話題の『黒天使』の令嬢でしょ。カザン行くの?」
クセの強い白髪に灰色がかったアイスブルーの瞳を持つ、長身の騎士が机の上に置かれていたひらひらと招待状を風魔法で手繰り寄せる。
市井の婦女子の心を滾らせる魅力的な風貌を持つ彼は王国騎士団の副長ヒューだ。
「ーー行くわけないだろう、馬鹿馬鹿しい」
美貌の闇魔法の使い手だと何やら部下が騒いでいたが、分別のない小娘が覚えたての闇魔法で周囲を惑わせているだけだろう。
赤銅色の髪にトパーズ色の瞳をした男が睨むと、風で浮かんだ招待状はたちまちに火に包まれ、灰となった。
「だから、いきなり燃焼すんじゃないよ! 灰って掃除しにくいんだよ!」
落ちてくる灰を風で窓の外に飛ばすヒューを、フン!とあしらったのは王国騎士団長のカザン・ミカド・バベル。黒地に白に近い銀糸で縁取りされた隊服に包まれた長い脚を組む。
切れ長の瞳に整った顔立ち、しなやかな体躯は猫科の大型獣を思わせる。
火属性魔法の名手で史上最年少の騎士団長就任レコード保持者。しかも美男子で第3位王位継承者とあっては玉の輿を狙った令嬢の親からのパーティーの招待状が引きも切らないわけだが、本人は「興味がない」と一蹴して片端からこうして燃やしている。
気高い美貌、周囲を畏怖させる覇気、また炎魔法で敵を殲滅する姿から建国の王の再来と『竜のカザン』と呼ばれているが、それも本人は気に入らないらしい。
竜はバベル王家の紋章だ。
いずれ臣籍降下し、国家防衛に生涯を捧げたいと願う我が身には相応しくはない。そう常々考えている。
「今日はソマ村に視察に行くんだろ、早く準備しろよ」
ついでに部屋の掃除も風魔法でパパッと済ませたヒューがカザンを振り返る。コクン、とうなずくカザンの手元を見れば、机に積まれた書類の山が朝から全く片付いていない。
部下も多忙な騎士団長を配慮し書類を整えているため、カザンは承認のサインをすればいいだけだけなのだが、真面目という型に真面目という熱い鉄を流しこんだような堅物な乳兄弟は一枚一枚内容を丁寧に確認するので時間がかかって仕方ない。
「なんだよ、も~! 経費の承認だけじゃん」
書類を風で舞い上がらせ壁に貼り付けると、内容を確認したヒューがカザンの卓上からインクと印鑑を風で手繰り寄せる。
「おい」
ヒューの意図に気付いたカザンが立ち上がる。
「こういうのは経費部のみなさんを信じて〜!! パパッと捺せばよし!!」インクをたっぷり吸わせた団長印をスポポポポンと捺していくヒュー。
「やめろ! 俺たち騎士団は国防のためということで血税から教育訓練の生活を送らせてもらっているんだ!」
ポン!と無視して捺印作業を続けるヒュー。
「それゆえに経費には責任と誠意をもって向き合うべきで! 聞け、ヒュー!」
「だーから、経理部の皆さんが一生懸命やってくれてるんでしょーー!! お前の仕事はそれを信じて、ハンコを押す! そんで部下を褒めればいいの! ヤバそうだったら俺が言うから! ほら着替えろ〜」
まだ反論するカザンにヒューがお忍び用の村人衣装を手渡す。2人とも目立つ相貌をしているが、セットになっている認識阻害機能の付いた眼鏡をつければ会話はできるが印象には残らなくなるという仕様だ。
19年前、カザンは生まれてすぐ死にかけていた。
第二王妃であるカザンの母の産後の肥立ちが悪く、第一王妃からの執拗な妨害もあり、絶体絶命だった母子に生後半年の息子を抱えていた貧乏男爵家のメイドが「オッパイは2つあるからさ! ガハハ」と乳母に立候補し、そこからカザンとヒューは双子のように育ってきたのである。ちなみにヒューの母はその後6人産み、類稀なる授乳力を証明した傑物だ。
優秀だが、不器用かつ寡黙で人付き合いが悪く、それ故に誤解されることも多いカザン。その乳兄弟のことを器用なヒューがこうして何かと面倒を見てきたため『オカン攻め一択』『ノンケ流されオカン受けもおいしい』と市井の腐女子の心を滾らせているのだが、それは本人たちの知るところではなかった。
「そういえば、ソマ村は『黒天使』のノーマン領の近くだよ」さっさと自分は変装してしまったヒューが地図を見ながらカザンに言う。
(しかし、何なのこの服……!)
総務部から届けられたお忍びセットを見たヒューがため息をつく。袖が毟り取られたGジャンにジーパンで認識阻害眼鏡『ドロップ型サングラスver.』って何なの。頭に巻くよう指示があるこのバンダナは何の意味があるの。こんな村人、田舎にいるの?
「ああ、だが魔獣の森の被害がノーマン領に出たという話は聞かない。確認が必要だな」
カザンも赤チェックのシャツをピタッとしたジーパンにイン、なぜか黒い紙袋を持たされるという、この上なくオタクなファッションに着替えて認識阻害眼鏡『ガリ勉ver.』を装着しながら答えた。指示通り、化粧油を塗り付け7:3に前髪を分けている。
(うわ、クソださい。これ用意した総務部の奴ら、絶対楽しんでる……!)
だが、生来見た目にこだわりのないカザンはヒューの嘆きには気づかない。
魔獣の群れに襲われ、防護柵が崩壊したとソマ村から連絡が入ったのは昨日だ。
事実なら王都の防衛を担う騎士団が人員を派遣し、必要な修繕を行うのだが、「老朽化した施設を税金で直してもらいたい」という不届きな統治者からの違法申請も少なくはないので、承認前にお忍びで事実を調査することになった。
「それじゃ、いきますか!」
転移陣を使いながら、今日は馬で向かう。クセの強いロックファンと往年のオタクのような服装に扮した2人は、いまいちやる気の出ないまま馬舎に向かった。