62.ヴォルフガングの名賭け
シナンをタイヨウが訪れた翌日。
夏の終わりを告げる嵐が雷と共にバベル王国を覆ったその日、エリア3に設置された巨大ベースキャンプ型結界『玄武MarkII』に夜明けと共に錚々たるメンバーが顔を揃えた。
第二回領横断聖誕祭特別対策本部会議である。
観月宮、第二王妃カグヤ。その近習セミマル。ミカド皇国の衣装ではなく、迷彩柄の訓練服とベレー帽というミリタリーファッションに身を包んでいる。どこで仕入れたものか、バベル王国にはないガムをクチャクチャと噛んでいた。
ノーマン領、ノーマン公爵フォルクス・バロウズ・ノーマン。長女タイヨウ、側仕えのハンナ。そして元騎士団副長であり、現在は防衛局技監を担うゴーン・ビートニクが防衛局のオールブラックのミリタリーコーデで揃えている。もちろんハンナは通常通りのメイド服だ。
フィガロ領からはエリア3に耐えられる人材がいないと参加を見送る通達が来ており、残りのメンバーは騎士団からカザンとヒューの当代2トップ、そしてメイ・アボットが馴染みの黒い隊服で参加している。ミスリル製の長剣を共に帯剣していた。
その日は夜明けから暴風雨により天からも地からも雨が降っているような有様だった。玄武マークIIはエリア3を前面に臨む一面が開放されている白いテントであったが、赤茶けた汚泥により迷彩加工がなされていた。
唸る風の音や激しい雨音の中、「定刻マルロクマルマル、です! 父様!」というタイヨウの期待に満ちた声が響いた。
フォルクスはのそりと立ち上がると、天を睨みあげた。そして開口部に向けて太い腕に血管を浮かべて高魔圧の空気弾を放つ。発射された空気弾は直角に曲がり、L字型に真っ直ぐ天を目指していく。
「……3、2、1、発破!!」
懐中時計を見ながらカウントをとっていたタイヨウが耳を塞ぐと、遥か天頂から爆発音がこだました。 タイヨウが耳をおさえていた両手を拍手に変えて歓声を上げた。
「おおっ! ピッカリ晴れましたねぇ!」
雲が裂かれた開口部からは朝陽が燦々と差し込み、雨に濡れたエリア3が眩く煌めいた。
風で風雨を退ける。
神の如き力を振るった父の腕に「父様、すごいです!」とタイヨウが歓声を上げてぶら下がった。
「一時的に、なんだよなあ。また降りだしたらやるよ」
肩をすくめたフォルクスが白銀の髪をかき上げる。愛娘の絶賛を受け、その小鼻はピクピクと動いていた。
「それでも1時間は保つだろ、ボス」
元副長ゴーンが丸太のような腕を組みながらニッと笑う。
「1時間も!」
星屑のような瞳でレジェンド2人を見上げた黒天使の背後でカザンが低い声で呟く。
「まあ、うちのヒューもできるがな」
「副長なら気を使って皆さんが到着する前に晴らしておくでしょうね」
「ヒューなら2時間保つかもしれんな」
「お召物を濡らすとボスの御母堂に叱られそうですしね」
乳兄弟バカのカザンと空気の読めないことに定評のあるメイのやりとりに血走った目でヒューが詰め寄る。
「やめて??? 何、何か俺に恨みでもあるわけ君達!?」
ヒューが仁王像のような怒気を放つ元騎士団2トップをチラチラ気にしながら言うと、カザンとメイは顔を見合わせてから肩をすくめた。
「恨み? あるわけないだろう」
「愛しかないですよ」
「OK、俺も愛してる。ただ今日、喋るのは俺だけに任せてくれ」
そのヒューの横顔を心底気の毒そうにハンナが離れた場所から見てため息をつく。
「ったく、新人の教育も出来ねぇのに口だけは立派な奴らだな」と、ゴーンが地を這うような声で言い放った。短い赤い髪が逆立って見えるのは気のせいではなさそうだ。
言うまでもないが、実績だけで一代伯爵となったゴーンの方が“口だけは立派”なのだが、ヒューは120%の笑顔で頷いた。今も昔もこれからも、倍以上も歳の離れた体育会系おじさんを怒らせていいことなど何一つない。口先や態度はサッパリしていても、情に厚く、そして途方もなくねちっこい生き物なのだから。
「そうです、全くもってその通りです!」
「おい、ヒュー。そこまで遜ることなど……」
「そうですよ。能力値で白黒つけます? 観ましょうか?」
「カザン、今日はそういうのいいから! あとメイは空気読んで! タイヨウちゃん、早くヴォルフガングさんたち呼んで!!」
はあい、と元気よく返事をしたタイヨウがテントを出て、まだ濡れた赤茶けた大地に立つ。そしてそのまま中空に右手で円を描いた。
その軌跡は、見えない手持ち花火でも振り回したかのように紫色の光となり、ユンッ!と不思議な音を立てて異なる空間を映し出した。
壁の深みのあるオーク材には蔦が絡み、天井からは領の貴色である黄に銀糸のアナグマが縫い取られた旗が無数に垂れている。王宮のそれよりも豪奢であると噂される、富豪の粋をこらしたヴォルフガング宮ダンスホールである。
タイヨウは聖誕祭のエリア3プランに備え、転移技術をアレンジし、異なる空間同士をつなげる門を作り出す技術を完全にモノにしていた。つながったダンスホールから、ふわりとウッド系のアロマが漂う。小ゲヘナの荒涼とした死の土地に突如現れた異空間から、ひょいと隊服姿のルイが顔を覗かせた。大きな手には魔素計測器を持っている。
「ルイさん、どうですか〜?」
「大丈夫っす! 試運転通り、こっちには魔素流れてないっす! じいちゃん呼んできますね!」
バタバタと音を立てて視界から消えたルイが、すぐに車輪のついた台に乗った“何か”を運んで戻ってくる。
それは呪符を全身に巻き付け、人肉大好き某博士のような佇まいになったヴォルフガング卿であった。視界の部分は防御ガラスで覆われており茶色い瞳は見えている。しかし2m近い長身のルイが150cm半ばの祖父を運ぶためか物体にしか見えず、謎の“何か”感が強烈だった。
そのままガラガラと孫に台車を押されて、ヴォルフガング公爵アーサー・ヘンドリヒ・ヴォルフガングはついに魔界と呼ばれる地に踏み入れた。
その目に赤茶けたエリア3の景色が飛び込んでくる。
夢だった。
夢と諦めるしかない、夢だった。
この世に生を受けて95年。
天賦の商才と反比例するように弱い魔力しか持たない彼は、この夢以外は望むもの全てを手に入れてきた。
五級は五分で息絶えると言われる魔の地。
自国が抱えるその異世界に憧れ、騎士団に入ることを夢見た少年時代。
だが、自身に魔力の才能がないことを知り、自分の身で立つことはできないと多くの人間と同じように諦めた。
月に立つことはできない。
それと同じように、凡人はゲヘナに入ることはできないのだと、写真や映像で見て思いを馳せることしかしてこなかった。
だから、こんなにも自身がこの地に焦がれていたことに、この瞬間本人も驚いていた。呪符に包まれて滂沱の涙を流す老爺にタイヨウとルイが慌てて声をかける。
「だ、だいじょうぶか!? じいちゃん!」
「ご気分悪いですか!? 一旦戻ります?」
呪符の奥で咳払いをしたヴォルフガング卿は、ややこもった声でタイヨウに話しかけた。
「大丈夫じゃ。ありがとうタイヨウ殿……ありがとう」
「いえいえ、とんでもないですよ! それより、お加減は本当に大丈夫ですか?」
「ああ、今日ほど生まれてきてよかったと思う日はないほどな」
「……お元気そうですね?」
「感無量じゃ」
「なら、よかったです!」
天然系天使と特級呪物のような風体の老爺がややズレた会話をしているところに、テント下にいた特級の面々が歩み寄る。
「猿、今日は主が一番強そうな形になっとるの」
「おお、カグヤ様! いやはや、こんな姿にならないとここまで来れないとはお恥ずかしい限り。頭も下げられず申し訳ない」
「よいわ。主の禿頭なぞ見飽きとる」
ガムをくちゃくちゃ噛みながらドロップサングラスを光らせるカグヤ妃も、遠巻きに見るカザンもそこはことない高揚をにじませていた。
観月宮を領に――。
自分たちにそんな奇跡を齎したタイヨウの新たな“御業”がまた目の前で見られたのが嬉しいらしい。
セミマルは主人を横目で見つつ、小さくため息をつく。これと決めた物には執着心の強い主人、もとい親子だ。
(タイヨウちゃん、物凄い勢いで埋まるどころか、天使を閉じ込めようと塀のように高くなってるぜ! 外堀……!)と、ポヤポヤ笑っているタイヨウに心の中で密かな声援を送った。
「まったくよぉ。『ゲヘナツアー』が完成したら一番に呼んでやるって言ってんのに」
フォルクスが呆れ声で言えば、ゴーンが快活に笑う。
「爺さん昔からゲヘナ話が好きだったもんなあ。せっかく来たなら土産にワイバーンの首でも持たせてやりてぇな。ワイバーン酒好きだったろ?」
かつてエリア3を開拓したレジェンド2人の自信溢れる会話に、筆頭ファンであるルイがソワソワと身を震わせた。
「え、何それ見たい……伝説のお二人がワイバーン狩り、見、見たい……いくら積めば……」
「こりゃ、ルイ。そこはお前が成長してワイバーンの一匹や二匹倒すと言うところじゃろ。メイ殿、無理を言って済まなかったな。いずれ誰もが入れるようになる、と聞くと居ても立っても居られなくての」
魔素避け呪符を準備したメイが静かに黙礼すると、さあっ、と荒野に風が吹き抜ける。
街では得られない独特の静寂にうっとりと目を閉じた天才商売人はカッと目を見開いた。
そして嗄れつつも凛と張る声で宣言した。
「いやはや、この景色を生きている間に拝めるとは思わなんだ。ヴォルフガングには“借りは倍返し 恩は百倍返し”という言葉がありましてな。エリア3『ゲヘナツアー』も『バベルジャンボ富籤』も王の願いも、このアーサー・ヘンドリヒ・ヴォルフガングの名にかけて実現してみせましょうぞ。必ずや!」
祖父の本気を初めて目の当たりにしたルイは、感極まって唇を震わせた後、その長い手を振り上げた。
「おう! じいちゃんの名にかけて!」
バベル王国内でも際立って魔力が少ないヴォルフガング系の民は長命の者が多い。その人生が長く続くからこそ、彼らにとって名を賭すということは非常に重いとされる。もしも不履行となれば、その不名誉を長年引き摺ることになるからだ。
故に、彼らは勝てない賭けはしない。バベル建国2000年余り、名賭けはすなわち必勝の意味となっていた。それほど重い“ヴォルフガングの名賭け”を目にした面々は、それぞれ胸に熱いものが込み上げていた。意味を知らぬタイヨウですら、目の端に涙を浮かべている。
次の瞬間、リィン!と甲高い音を立ててカグヤ妃が腰から下げた金色の鈴が鳴った。
爪に紅の塗られた白い手でポケットから木札を出したカグヤ妃がニィッと笑う。
「タイヨウ、この札で“開門”せよ。ミカドが来るぞ」




