61.水の竜
「何、なんか気に触ること言うた?」
「……」
「あっか。赤すぎやろ。タコやん」
「……」
「だから、何なん!? 姐さん、これ何? 何の時間!?」
真っ赤に膨らんだタイヨウの頬を大きな手で潰しながらキランがマーレに尋ねる。
堪らなくなったマーレが淑女らしからぬ大きな声で笑いだすと、ハンナと舞台演出家ジェイクスピアまでもがあらぬ方向に眼を逸らした。
「ああ、ごめんなさいね。タイヨウちゃんとジェイクスピアに口止めしていたのは私なのよ。いいわ、キラン君に知られたって。誰に知られたって、もういいのよ。タイヨウちゃん、歌ってみせて」
「う〜……っ」
獣のように下唇を噛んで上目遣いで周囲を見るタイヨウの頭を優しく撫でてから、マーレは立ち上がった。
「いい? 上手くできないことを仲のいい人に見せるのは『普通』のことよ、タイヨウちゃん。そうやって人は助け合って生きていくの」
「なんや、音痴なんか。意外だが可愛げがあってええやないか」
キランがニヤリと笑う。
尖った犬歯がいたずらっぽく煌めいた。
ほれ、歌ってみ?とにじり寄るキランに、「やだぁ……恥ずかしい……」と顔を覆って泣き声をあげる黒天使の図は録画玉が数百万個は売れそうな代物であったが、年長の侍従のキアヌが助け舟を出す。
「殿下、お戯れはおよしなさいませ。タイヨウ姫様はフィガロ領、ひいてはシナンの恩人でございますよ」
「アホ、ここまで来て引くわけないやろ。タイヨウ、俺だけだったらええやろ? なあ、頼むわ」
「キラン君〜。いいけど、責任とりなさいよ。セキニン」手を振りながら言い捨てたマーレがジェイクスピアを連れてセッションの中に混ざって行く。
「ああっ、母様ァ」
「ええい、観念せい。諦めろ」
母に向かって手を伸ばす薄幸の美少女と嗜虐心を掻き立てられた邪智暴虐の王子のような二人に、「あと30分ですよ、お早く」と冷たくハンナが言うとキッとタイヨウが眦を上げた。
「僕、嫌だって言いましたからね!」言うや否や浮遊すると、キランの耳元でそっと先ほどの曲を小声で歌った。
ハンナは歌が進むたびにキランの白目が大きくなり、やがて足から大きな震えが走り膝から崩れ落ちるのを見つめていた。
ザン…ッと波音ひとつ分がゆっくり響くと、キランは砂浜に両手を突きながら吠えた。
「キキキ、キアヌー!……キアヌーッ!!」
「はっ、はい」侍従が駆けつけると、キランは脂汗を砂浜に落としながら懇願した。
「なんでもええ、なんでもええから歌ってくれ、俺の左の耳元で可及的速やかに歌ってくれ頼む」
「はぁ?」
「今すぐ! 俺の感性がまだ生きているうちに! 頼む!!!!!!」
「ひどい……ひどすぎますよ! キランさん! 僕一生懸命歌ったのに!」
タイヨウが頬を膨らませる。相変わらず、通り過ぎた100人が100人振り返る可愛さだ。
「そ、それほどでしたので……?」キランが信じられないという顔で主人の背をさする。
「ああ、音痴なんてもんやない。コレと比べたら……マンドラゴラも歌姫や」
「マ……ッ!?」
その光景を目を細めて見ていたマーレが微笑む。
「気にすることないわよぉ、タイヨウちゃん。特級はね、みんなそうなのよ。人が普通に出来ることで出来ないものがあるのよね」
「奥様……」
つ、と制止に入ったハンナをマーレが止める。
「いいじゃない、ハンナ。国防とは関係ないわよ。とはいえ、ここだけの話にしてね?」
「お、おう……」
急に真面目な顔になり、ひたりと見据えられたキランが振り子のようにガクガクと頷いた。
「ちなみにパパも同じくらい音痴なのよ」
「そうなん!? 知らんかったわ」
「ふふふ、レオンが産まれた時に彼が子守唄を歌ったら乳母まで引き付けを起こしたから家で歌うのを禁じたんだもの。内緒よ?」
「僕も知りませんでした!……母様にも苦手なコトがあるんですか?」
バベル王国屈指の良妻賢母。彼女にも自分のような欠点があるなど想像もしていなかった。
「私はねえ、料理らしいわ」
夫と付き合い初めの頃、手土産の手作りクッキーでフォルクスを一昼夜昏睡させ、手作りサンドイッチを差し入れれば爆弾処理班のお世話になり、ついには王国騎士団から懇願された両親に厨房への出入りを禁じられたマーレが言う。
「特級は兵器みたいな扱いだから、弱点は明かしちゃダメみたいな雰囲気あるのよね」
「それが戦闘において致命的なものではない公爵ご夫妻やタイヨウ様の欠陥は当たりくじなんですよ。やはり公開はすべきではありません」
アボット家では欠陥の開示は厳禁となっている。メイドはカバンの中から羊皮紙とペンを取り出しながら、有無を言わさせない圧力でキランと侍従3人にサインを迫った。
「口外ができないよう、契約呪文をかけさせていただいてよろしいですか?」
書面の内容を確認した侍従長キランが主人に頷く。
「信頼を得るためでしたら問題ございませんでしょう。大人気なく年下の姫君に無理強いした殿下が悪いのですから」
魔力を込めながら4人分のサインが記された契約書は金の光に包まれ、虚空に消えた。その現象に平然としている一同を見て、改めて異世界にいることをタイヨウは認識する。
「奥様、彼らの歌唱力もダンスも素晴らしいですが、やはり前座としては30分が限度かと……」
やはり動じずに楽譜を見ていたジェイクスピアが呟く。メインコンテンツのシュリ姫の歌が30分。それを超えるのは美しくないと頭を振る。
「姫様の歌を超えることなどあってはなりません」
侍従達も揃えて頭を振る。シュリ姫はシナン諸島連邦の貴族ではないが、血筋としては申し分ない。仮に現王の養女となれば王位継承第一位となり、キランより地位は高いという。
「ナーガとかどうや。ショーにしたら珍しいんちゃうか?」
「ああ、ナーガ。確かにバベル王国の近海では見られないので珍しいかもしれませんね」
「ナーガというと、シーサーペントですか?」
どこでも契約書セットをカバンにしまったハンナが眉を上げる。
「そうですね。一般的なシーサーペントは灰色ですが、我々がナーガと呼ぶのは国色の水色一色の種でして。よく懐くので漁や航海に幅広く多用しております」
キアヌが微笑めば、キランが太鼓を叩いていた年若の侍従に声をかける。
「見せた方が早いな。コア、呼んだれや」
はいっ!と威勢のいい声を残し、砂浜から海へと駆け出した少年は海面に水で作った蛇で浅瀬から離れていく。
声も届かぬところで一度両手を振ると、笑顔で高く宙返りして海の中へ飛び込んだ。曇天を打ち払うような爽やかな光景にバベル人一同が目を細める。
「爽やかだわぁ……おばちゃん、今の見ただけでお駄賃あげたくなったわ」
「映画監督ジェイクスピアが爆誕しそうになりましたぞ……」
アイドルプロデューサーと舞台監督が蕩けるような目で見つめていると、キュイッという甲高い鳴き声と共に1匹のナーガが空中に首を出した。その首の上にはコア少年が白い歯を見せて跨り、親しげな仕草で頭を撫でる。
知性を感じる穏やかな瞳に、高品質な魔石となる細やかな水色の鱗。水の竜と呼ばれる由縁となった優美なカーブを描く長い首には蝙蝠のような小さな翼が2対ついており、自転車のペダルのように少年が無造作に足をかけていた。
大人になる直前の少年だけが持つ直線的な腕が振られると、海水が3筋立ち上がり、そのまま手をくるりと回すとそれらは空中で大きな3連の輪となった。
ピューイッ!と指笛を吹くと、コア少年は宙返りして海面に器用に降り立った。それを優しい目で見守っていたナーガがキュイッ!と甲高い声で一鳴きすると、水飛沫をあげて海に潜り、こともなげに3連の輪を潜っていく。
海岸からはジェイクスピア、タイヨウ、マーレ夫人が大興奮で歓声を送った。
「ブラボーーーッ!!!」
「すごいですっ!! 感動ですっ!!」
「コア君ー! ナーガ君! こっち向いてー!!」
「せやろ? すごいやろ?」
小鼻を膨らませるキランの周りをくるんと一周笑顔で回ったタイヨウが頷く。
「はいっ! キランさん。すごいです! 来年はナーガショー絶対やりましょうね!」
「おう、来年な……来年!?」
「来年ですっ」
絶句するシナン人たちに大きな瞳を輝かせてタイヨウが腕を広げた。
「ナーガのショーは、多くの方に、生でその目で見てもらうべきです! シナンの海の素晴らしさも伝えられます。録画玉の映像で届けるだけなんてもったいないですよ」
「私もそう思いますよ。このショーは眼前にこの質感あってこそ。まさに舞台向きだ。録画にして埋草で消費するなどもってのほかですぞ」
有名舞台演出家の後押しに、嬉色は滲ませているものの、複雑な顔をした侍従がおずおずと手を挙げた。
「ケコアと申します。発言をお許しいただけますでしょうか? う、うちのナーガは今回、お役に立てないのでしょうか?」
日頃水竜達の世話を担当しているという青年はあからさまに肩を落とした。
「あら? ナーガで何か思いついたのよね? タイヨウちゃん」
マーレ夫人が目を細めて娘に問いかけると、タイヨウは力強く頷いた。
「はいっ! ナーガさんは最大限使わせて頂きます!」
ハンナさんっ!と声をかけられたメイドはボストンバッグからどこでも書道セットを取り出し、それをなんなくタイヨウは手元に転移させて勢いよく半紙に筆を振るった。
「僕のアイデアはこちらです!」
『チャリティー競ナ』
そう書かれた半紙の前に、一同は首を傾げた。




