60.プリュート
「整いました! いきますよ! JASRACごめんなさい!」
タイヨウが「3.2.1!」とリュートの腹を叩いた後、勢いよくリズミカルな音楽を奏で始めた。たっぷり10秒ほど奏でてから、ふと目を上げたタイヨウが小首を傾げた。
「どうしたんです? やはり知らない曲では踊れませんか?」
侍従達の今にも踊り出したい興奮と得体の知れない者を見る恐怖が混じった視線を受けたキランがタイヨウの頭に手を置く。
「……お前が作ったんか? この曲は」
「あ、違います。人様の曲なんですが、キランさん達に合いそうだなと思いまして。紙ありますか? 歌詞もあるんです」
「コア、タイヨウが言うものは全部持って来いや」
名指しされた侍従の1人が転ぶように駆け出して行く。シナン諸島連邦の王族専用侍従は男女共に剃髪しているが、特に男性侍従は僧のような清廉さではなく、裸体が露わになったようなある種の性的魅力を掻き立てる佇まいになっていた。
コアと呼ばれた年若い青年の背を見ていたタイヨウの頭を、キランがぐりっと自分に向けさせた。
「聴いたこともない曲やが、この際不思議ちゃんのお前にそれは聞かん。プリュートはシナンの楽器や。なぜお前はできる?」
「ぷりゅーと?」
「リュートちゃうねん、プリュート。これはシナンにしかない。これは俺たちの魂や。バベルにもアーシリアにも持ってってへん。法で決めてるわけやないが、不文律として国外流出は過去二千年遡ってもしてへんのや」
「どうして、と言われましても、扱ったことのある楽器に似ていたので……」
もっとも年長の侍従がシナン式の土下座に似た礼をタイヨウに行った。
「太陽も畏むタイヨウ姫様、侍従キアヌに発言をお許し頂けますでしょうか?」
「わわっ、当然です。キアヌさんと仰るのですね? キアヌさん、頭を上げてください。姫とかじゃないですから!」
タイヨウの目に疑いようもない誠実さがあふれているのを見て、額と手の砂を素早く払いながらキアヌはかすかに表情を和らげた。
「……プリュートは特殊でして、魔力を流さなくては音が鳴らない仕組みになっております。満足に音を出せるまでに10年はかかると言われております」
「僕も魔力があるからですかね? 少し人より多いみたいですし」
少しどころではないが、この際そこを問う者はいなかった。
「違うのよ、タイヨウちゃん。あなたそれを鳴らしている間、水系の魔力だったわ」
「えっ!?」
マーレの発言にキアヌも頷く。
「左様でございます。我が国は水系が大半であり、プリュートは水系能力者しか扱うことができません」
「えええ!?」
「……タイヨウ様は恐らく、原始の闇系能力者が使えたという『模倣』を使ってらっしゃるのでしょう」
「模倣?」
ハンナの言葉にキランが片眉をあげた。
「はい、模倣です。似せているだけで、根本は闇系の出力でしたよ。先ほど演奏を一度ご覧になったので、無意識に……。馬鹿げた話ですが、それもタイヨウ様なら可能だという証左でございましょう」
「つまり全属性を使えるってことか?」
「どうでしょう。記録に残っているだけで、全容は解明されておりませんので。そちらのプリュートを奏でるには五級程度の出力で問題なさそうですから、上限はあるかもしれません。闇系能力の基本は『転移』。タイヨウ様はそれを高次元で実現しているのです」
「仮に五級だとしても、チートやん」
「はい、それは……。弦楽器は習得済みだったとはいえ、バケモノですよ」
ハンナの言葉にびくりと黒天使は小さな肩を震わせる。
そこへ紙束とペンを持ってきたコアがタイヨウに差し出した。
「そ、そんなすごいことじゃないと思いますけど……」
猛スピードで記譜しながら、歌詞を書き込んでいくタイヨウが怯えた声を出す。
「すごいのはプリュートを作ったり、曲を作った人ですよ」
猛スピードでプリュートで試し弾きをしながら神の最高傑作と謳われる長いまつ毛を伏せた。足から砂に落ちていくような、そんな冷たく寂しい恐怖が足元から拡がっていく。
「僕に出来ることは限られてますし、そんな変なことじゃ……」
「……なんやお前、震えとるんか」
キランの低い声に、タイヨウがビクッと細い肩を震わせた。タイヨウが弦を爪弾く桜貝のような爪を止めた。抑えようとしても、細かな震えが止まらなかった。周囲の顔を見上げることができず、折れそうなほど華奢な白首をますます項垂れる。
「――タイヨウちゃん、何を怖がるの? 大丈夫よ、何も怖いことなんてないわ」
砂がつくのも構わず、娘の前に膝立ちしたマーレはそのまま温かな両手で抱きしめた。 大丈夫、大丈夫よと背中を撫でる腕に、祖母を思い出したタイヨウは大きな瞳に涙を湛えて養母の顔を見た。
逆光で母の顔が陰る。
その背から波の音と、潮とプルメリアの香りが漂ってくる。
「……ほ、他の人と違う所を見せると、その場所にいられなくなってしまうって」
祖母の教えを遠い目をしながら口にした娘の背に、温かな手を添えてマーレは微笑んだ。
「うん?」
「僕は1人じゃ何もできないから、嫌われたら生きていけません。だから普通にしてなくちゃいけないのに……」
「うん」
「でも……でも僕は昔から、その『普通』がわからないんです……っ」
虚空を見つめながらポロポロと涙を落とした娘の、初めて打ち明けられた悩みはマーレの胸を締め付けた。姪の生家、ドゥフト家には高能力者はいない。誰が植え付けたものか、厄介な呪縛がタイヨウの心の奥に垣間見えた。
養子として迎え入れて半年。
周囲の想像を超える能力を持つとはいえ、タイヨウはまだ子供だということを改めて痛感する。
振り返れば、タイヨウが迷いなく発揮した能力は『既に先達がいるもの』ばかりであった。刺繍、乗馬、料理、ダンス、そしてカルマ。
水準は高いが、どれも同じようにこなせる者がいる。故に彼女がそれを駆使しても『優秀だから』『卓越した魔力を持っているから』と解釈されてきた。だからこそタイヨウが人知れず抱えてきた恐怖は見過ごされてきたのだろう。
「バカねぇ、タイヨウちゃん。プリュートの演奏、パパが見たらどう思うかしら?」
「……」
「ねえ、想像してみて。さっきの“模倣”を見て、パパなら何て言ったと思う? 闇系なのに、水系が使えたのよ」
「えっ……と」
母の明るい声に、タイヨウが硬直した頭で想像してみる。
元騎士団長であり、特級能力者である父フォルクスが何と言うか?
白銀の髪と冬の湖のような淡青の瞳の父は、大きな口をニッと開き、いつも楽しそうにこちらを見てくる。近代カルマの概念を変えた使い手であり、戦闘において容易に抑え込める相手であるタイヨウを前に、彼の顔が嫌悪や恐怖に染まることなどあり得ない。
「……水系が使えるなら、風系も試してみよう、とか」
「言いそう!」マーレがぷっと吹き出す。
「風系カルマを伝授する、とか……」
「言うと思うわぁ。あなたが闇系でレオンが草系だから、あの人クリスに期待してるもの! まだ一歳なのに!」
「火系も土系も試そう、とか」
「わかってるわねぇ。きっとゴーンさんを連れてくるわねえ。ルイ君の修行にも駆り出されるんじゃないかしら」
タイヨウは心が真夏の向日葵のようにぐんぐんと明るい方向へ向かっていくのを感じた。
「そして私はね、うちの黒天使はやっぱり天才ね! って黒天使通信を出すだけよ。タイヨウちゃん、大丈夫よぉ。違いはね、間違いじゃないのよ」
僕はもう、本当に一人じゃないんだ。
タイヨウはきゅうっと喉元が詰まるような気持ちで、ハンナの顔を見る。いつもの無表情だが、今ならわかる。どれほどの優しさと愛で彼女が献身的に支えてくれてきたか。
『バケモノ』、で、いいんだ。ハンナさんが作ってくれたのは、そんな僕の“普通”なんだ。
きっとプリュートを奏でても、レオンは姉をいつものように讃え、リリガルドは我が事の様に胸を張り、そして……。
「カザンも何とも思わんやろ」
タイヨウがキランの海の色の眼を見る。
「闇系は攻撃力が低いしな。他系統が使えるなら自分が側におらん時に身を護る術が増えてラッキーくらいにしか考えんぞ。あそこのオカンも周りもな」
ミカド人は排他的なくせに独占欲がアホほど強いねん、と言いながら、タイヨウの手にある楽譜を乱暴に取った。
「――シナンにはお前のような高能力者も闇系もおらん。だから最初は驚くかもしれん。さっきは悪かったな。許したってくれや」
キランの3人の侍従が、瞳に怯えではなく、尊敬と畏怖を滲ませて跪く。
「あ、いえ。大切な楽器をいきなり触った僕が悪いので……」
「で? これが曲か?」
タンタン、と脚でリズムを取りながらハミングした。主人から渡された楽譜を、侍従達が眼を輝かせて覗き込む。プリュートや打楽器でセッションを始めた男達はすぐ日本のラブソングを奏で始めた。
「斬新で、いい歌や。歌詞が女言葉なのもええな。しかし、何でわざわざ書くん? 歌えばええやん……って何!?」
侍従達のセッションとタイヨウの顔を交互に見ていたキランが、頬を火が吹くように紅潮させたタイヨウの顔を見てギョッと仰け反る。




