59.お姉様にお任せ
「30分、ですわね……」
「ふえええ、ごめんなさいですわぁぁ」
アルハンブラ宮殿ダンスホールのピアノの前で、長身のマーレ夫人にシュリ姫が涙ぐみながら謝罪した。中東風の城は吹き抜けが多く、プルメリアとブーゲンビリアの香りがどこからともなく漂ってくる。
「とんでもございません。お気になさらないで、シュリ様。早めに検証できてよかったですわ」
穏やかにとりなしたマーレだったが、思案顔は隠せていない。ピアノの伴奏を買って出たタイヨウが心配そうに2人の顔を見上げていた。
シンプルな白いドレスのスカート部分にシナン諸島連邦特産の薄紗のドレープを重ねたシュリ姫は水系能力の派生“歌”の名手だ。歌声に魔力を乗せ、聴く者の心を癒し、鼓舞する力を持つ。
フィガロ領聖誕祭のメインコンテンツ候補であったが、その稀有な能力の再現性が低いことは事前に予測されていた。検証と打ち合わせのためにマーレとタイヨウがアルハンブラ宮殿まで訪れたというわけだが、結果は予想より下回るというのが正直なところだった。
10歳のシュリ姫の能力は現在4級と5級の間。自身では5分ほどしか能力を発揮できない。同じ水系で特級能力者であるマーレが魔力を供給しても長時間は耐えられず、30分しか魔力をのせて歌うことができなかった。
「歌は素晴らしかったです! 詩を読み上げて物語を編んでいく、シュリ姫の歌が僕大好きです」
重い空気を払うように、タイヨウは楽譜にシュリ姫の手筆によって書き込まれた詩を細く白い指でそっとなでた。
第一章は「森」というタイトルだ。
“深い森のなかで
彼女は立ち止まり
ひとつ深呼吸をした。
大丈夫 太陽はまだ高い”
国民の半数を失った大熱禍という未曾有の悲劇。だがシナン諸島連邦の不撓の魂が各国、主にバベル王国の支援を受けて復興していく姿が抽象的な短い詩の連なりによって表現されている。黒天使の賞賛に、シュリ姫の側近2人が深く頷く。事実、シュリ姫は歌声だけでなく作詞の才能も卓越していた。
「お恥ずかしいこと……でもマーレのおかげで7曲も歌えるのですね。わたくしだけでは2曲が限界でした。ありがとう存じます」
浅黒い肌に群青色のツインテールを揺らし、シュリ姫が頭を下げると、マーレもたちまち相好を崩す。
そしてシュリ姫はタイヨウを見ながら、はにかみながらツインテールの先をいじる。
「あの……シュリは今日、タイヨウお姉様と同じ髪型にしてみましたの。お許しいただけて?」
「おねえさま」
当惑するタイヨウに、長いまつ毛を臥せながらシュリが頬を染める。
「ごめんなさい、ご迷惑でしたか? 初めてお会いしたときから、そうお呼びしたかったんですの。だって、こんなお姉様がいたらいいなと思う方そのものだったんですもの!」
「……!?」
「お強いのにお優しくて……まさに天使様そのものですけれど、シュリはお姉様ってお呼びしたいんですの」
義弟となったレオンからは姉上と呼ばれている。だが元少年のタイヨウにとって彼は“同性”の感覚が強く、心中では弟分、つまり後輩のようなポジションに置かれている。それはそれでくすぐったい存在だったが、レオンの発する「姉」はただの記号であり「先輩」のかわりに「姉上」と呼ばれているという印象でしかなかった。
だがシュリ姫から発された「お姉様」は違う。尊さが違う。
一瞬で花畑で花冠を交換する“ありもしない記憶”が蘇るほど、一人っ子のタイヨウにとって衝撃的なパワーワードであった。
年嵩の侍従が微笑ましいものを見るように目を細めてタイヨウに言う。
「姫様はフィガロ街の門番に“お姉様がお見えになったら髪型を知らせて”とねだっていたんですよ。そのためにわざわざキラン様の速烏をお借りして」
「もう! ばあやったら!」
恥ずかしいわ、とツインテールで顔を隠すシュリ姫に対してムクムクと庇護欲が湧いてきたタイヨウは勢いよく立ち上がり胸を叩いた。
「シュリ姫、お姉様がんばります! お姉様にできることがあればなんでもするので、お姉様に言ってくださいね!」
「タイヨウちゃんは闇属性だからあまり出来ることは……」
一人称が“僕”から“お姉様”になっている娘の興奮を抑えようと腕に触れたマーレにシュリが子犬のようにまとわりついた。
「マーレもタイヨウお姉様のお母様には見えないですわ。だってうんと若くてきれいなんですもの! しかも清らかな水の波動で感動しましたわ! マーレも、シュリのマーレお姉様、だわ!」
そう言いながら満開の笑みになったシュリ姫は上顎の犬歯が抜けていた。タイヨウは一瞬ギョッとしたが(歯が生え変わる時期か!)と納得する。自身も3年程前まで経験していた事象であるはずなのに、過ぎてしまえば彼岸の彼方だ。
大人びた美しい顔が、その一本の欠落でひどく幼く見えた。永久歯も生え揃っていない、その正真正銘の幼さは後に“国民の妹”と呼ばれるシュリ姫の妹力を最大化し……
「「お姉様たちに任せて頂戴?」」
マーレとタイヨウがかつてないやる気に満ちた眼を見合わせることになった。
◆◆◆
シュリ姫との対話はフィガロ領アルハンブラ宮殿で1時間のみであった。あとは書面のやりとりが主となる。
移動した先はシナン諸島連邦キラン宮のプライベートビーチ。白いテントの下にラタンのビーチチェアが五つ置かれている。サンゴが砕けてうまれた白い砂浜には塵一つなかった。
「魔力を載せられる録画玉と再生機の用意はあるんですね?……そんなに! ありがとうございます、ヴォルフガングさん。またご連絡しますね」
パラソルの下で通信木札を使って連絡していたタイヨウが「システムは即時OKです!」とキランに笑う。
シナンの太陽は南国のそれだ。
初秋の15時とはいえ、夜になるまでは盛夏と変わらない。晴天だったバベル王国とは異なり、今にも雨が降り出しそうな曇天にも関わらず30度を越えていたためタイヨウとマーレはスタッフ用のラフな綿のワンピースを借りて着替えていた。
「事前にコマ撮りで撮影して編集すればいいんですよ。なあに、舞台だと考えれば容易いことです。1時間でも2時間でも、このジェイクスピアにお任せを。いやはや、奥様から急にお呼びたていただいた時はどうなることかと思いましたが」
腕が鳴りますなあ、と言う舞台演出家ジェイクスピアはバロック調のヘアスタイルに似合わぬアロハシャツと短パンを身につけている。ちなみに彼は出自こそゲラン系だが、闇系能力を活用した舞台演出に使命感を感じてノーマン領に転籍したという変わり種だ。
「それでは第一夜、第二夜用にミュージックビデオをつくりましょう。第三夜は最終章のみをLIVE中継出来るといいわね」
ドロップ型のサングラスをつけたマーレが手元のノートに企画を記録していく。
「姫君の20篇の抒情詩は7曲、6曲、7曲の3部構成に分けられますからな。四貴街それぞれの中央広場で……」
「待って???」
礼服姿で頭を抱えたキランをタイヨウが気遣う。
「そうなんです、それでも日中のプログラムがなくて……困っちゃいますよね」
「ちゃうわ!!! 俺が聞きたいのは、その前の話やねん! 何も、なんっも聞いてへんぞ。シュリが今日タイヨウと会うって話だけや。それを象舎前にいきなり転移て……」
「いきなりじゃないです〜! キランさんとお話ししたいって連絡入れたじゃないですか〜」
「おま……お前段々図々しさがフォルクスに似てきたな!?」
「え、照れます……」
「褒めてへん! 来るなら来るで、こっちも事前に準備せなあかんねん!」
「そんな、お構いなく……」
「お構いとかそんなことやない!! まだ確定診断を受け取らんお前はともかく、マーレ姐さんは特級やろ。特級は国外に出れんやろうが!! お忍びで来たとしても認識阻害がかかる部屋しかあかんやろ」
「「あっ」」
しまった、という顔を見合わせたタイヨウとマーレが揃って舌を出す。
「あっ! やない!! タイヨウは認識阻害できんのやろ、いつも連れとるアボットはどうしてん? 何でおらんのや」
「ハンナさんは今日は別件で……終わったかもしれないので聞いてみますね!」
別行動のハンナは本日騎士団隊舎に出向いていた。非番のドビーを捕まえて精密な魔力判定機を作らせるためだ。聖誕祭本番までタイヨウに予期せぬ高出力が発生する可能性を考えると、ソーレの帰還のための闇Suica備蓄作業は精密な魔力鑑定が必要だとハンナが主張したのだ。
ハンナが鑑定をし続ければ問題ないが、常にノーマン邸に索敵をかけていることで負荷がかかっている。それ以上の負担は避けたい。さらにハンナ自身も翌年の3月末に行われる確定診断に向けて特級に上がるための修行、つまり闇魔石製造の副業を続ける必要がある。
合理的判断により、メイドは主人から1日離れることを決めた。
「タイヨウ様と離れるのは気が進みませんが、本日は分担作業といたしましょう」
そう言って頭を下げたメイドの姿を思い出しながら、タイヨウは通信木札を取り出した。
「あ、ハンナさん! タイヨウです。そっち終わりましたか?……あー、夜……はい、そしたら夜に僕が取りに行くので……あ、今はキランさんのところにいます。あ、違います、シナンの……」
そこで耳元で絶叫されたタイヨウが右耳を思わず押さえてから、再び木札を耳に当てる。
「き、来てもらえますか?」
メイドの了承、というより指示を受けたタイヨウが「ちょっとお迎えに行ってきますね」と一同に頭を下げると一瞬消え、次の瞬間には仏頂面のメイドを連れて戻ってきた。
マーレの姿を見て片眉を上げたが、ハンナはそのままふわりと髪を巻き上げながら瞬時に手印を切る。
「――お二人に認識阻害はかけました。タイヨウ様の残滓も出来る限り消してあります。あと一時間で帰りますよ」
「あら、今日はパパが夜子供達を見ていてくれるって言ってたわ。急いで帰らなくても……」
「奥様、旦那様はルイ様の特訓で日中はエリア3にいらっしゃいます。テンションがぶち上がったままレオン様を連れ出して夜通しエリア3で過ごすことなど容易に考えられますが?」
ハンナの鉄仮面フェイスに詰め寄られたマーレは口をへの字にしたあと、諦めのため息をついた。
「あと1時間で帰るわ」
「大体、奥様もいて、なぜこのような無謀な……」
ノンノンノン、と人差し指を振りながらタイヨウが小鼻をふくらませて胸を張る。
「なぜなら、僕たちが“お姉様”だからです!」
キャッキャとマーレと手を合わせているタイヨウを指差しながらキランがハンナを見下ろす。
「こいつ、さっきからこればっかやねん」
「ご迷惑をおかけして……」
「ほんまやぞ。こいつ、見た目と能力はすごいが、中身はただのアホだぞ」
「重々承知しております、毎日毎日……」
アホくさ、と溜息をつきながら、キランがどんどん分厚い礼服を脱ぎ捨てる。投げられた衣装は背後の侍従が慣れた手つきで受け取っていく。
ターバンをとり、サリーのような飾り帯をとるとキランの上半身は薄いシャツ一枚になった。
その様子をカサカサと蟹のように近づいてきたジェイクスピアが血走った眼で見つめていた。
「怖い怖い怖い、近づくな」
忠実な部下しか接したことのない王子が、ぬらぬらと光る中年男性の瞳に青ざめる。
「これは失敬、私は舞台演出家ジェイクスピアと申す者」
ジェイクスピアはマーレを振り返り、ポン!と自身の後頭部を叩いた。するとその双眼が光り、ホログラムのように洋服を脱ぎ捨てるキランの姿が浮かび上がった。
「キモッ……」と小声でキランが呟くそれは、ジェイクスピアが唯一使える闇系5級『30秒録画』の技術だった。
「奥様、キラン殿下の脱ぎっぷりは画になりますぞ」
「いいかもしれないわぁ。脱いじゃいなさいよキラン君」
「ダンスだけにしますか? ユニット組んで歌も入れてもいいかも! キランさん、セクシーですから」
勝手なことを言い出す来客達に怒り出すかと思いきや、キランはもちろん、背後に控える3人の男性侍従も満更ではない表情だ。
「シナンの男達は皆、歌も踊りも上手いぞ。バベルにいる者たちもシナンの血が濃ければ、リズム感が違う。俺たちは血で踊る」
いそいそと素早く楽器を持ってきた3人の侍従がリズムを刻み出すと、「イーャッ」「ハッ」という掛け声に合わせてキランが舞い始める。言うだけあってダンスの質は一級品で、ジェイクスピアは手持ちの録画玉で声にならぬ歓声を上げながら録画していた。
「なるほど! ちょっとそちらのリュートをお借りしていいですか?」
タイヨウが近づいていき、ブツブツ言いながら弦楽器を爪弾き試す。
「いきなり使えるもんやないぞ」
「いや、これギターとほぼ同じなので……」
タイヨウが集中を深めるたびに瞳が昏くなり、魔力が上がっていくのをハンナは注視していた。




