57.神童
カザンは神童であった。
否、神童でならなければいけなかった。
遠い異国から嫁ぎ後援もない母と、バベルの言葉を話すことすらできない侍従達は観月宮から出ようとしない。そのためカザンは第3王子という立場でありながら王宮で暮らしたことがなく、教育や訓練のために日中は城に赴くという暮らしを物心ついたときから強いられていた。
宮中は、現在基本的にゲラン系が仕切っていた。
1年前に入宮して夭逝したシナン諸島連邦出身クマリ妃の忘形見、シュリ姫は王宮内フィガロフロアで育てられていたため、それまで宮中をリードしていたシナン系現王の乳母や教師達はシュリ姫についている。
国交を結んだばかりのミカド皇国にバベル王家の教育を施せるわけもなく、結果レイとゲオルグという2人の王子の近習たちがカザンも指導することになった。礼儀や作法を間違えては「蛮国の血」と笑い、覚束ないそぶりをみせれば「売女の息子」と嘲笑う者たちを黙らせるためには、誰よりも優秀である必要があった。
今日の茶番に付き合うのもそのためだ。
「いかがかしら……? アボット様」
淡い金髪に水色の瞳、白い肌、尖った耳。見た目的には20歳前後、齢100歳を超えているとは到底見えないコーネリア妃がゆったりとした仕草で頬に手を当てて首を微かに傾げる。
装飾品はアーシリア王国伝統の草花を模った金細工のみ。それも額と耳を楚々と飾るだけで、首元まで覆われた袖の長いオフホワイトのドレスは妖精姫と謳われるに相応しい清楚な佇まいである。アーシリア系特有の静かで気だるい口調も、この妃の風前の灯のような儚さを演出していた。
『でもお前の母ちゃん、ボン!っていうか、バァン!じゃん。横に並ぶと悪役に見えるのが損だよな』本当は逆なのにな、と双子のように育った乳兄弟のヒューは言う。
目の前のコーネリア妃が、そんな見た目悪役(性格もそこそこに悪役)な母に王の夜渡りを奪われたことを10歳のカザンは既に知っていた。だから大人しく、縁嫁に平等に与えられるべき権利を我が儘で奪った悪女の息子として、今日もゲランフロアの一室で冷たい視線を浴びている。
「ゲラン城にいらっしゃるアボット様は、ゲオルグがいずれ一級になるだろうと仰いますの……」
途方に暮れた、という顔でコーネリア妃はジョルジュ・アボットを見る。
「……もしそのようなことが事実なのだとしたら、これから始まる武稽古でカザン様をゲオルグが傷つけてしまわないか、心配で、心配で……」
姫様のなんとお優しいこと、ゲオルグ様は10歳でそこまで、という侍従たちの芝居がかったざわめきが波のように広がる。
母親と叔父であるゲラン公によく似た金髪の美少年が「カザン、母上は優しいだろう? 母上は家畜人の怪我にもお心を傷められる方なんだ。エルフの血ってやつさ」と、隣の席に座るカザンの顔を覗き込む。
耳の下で切り落とされた金髪を揺らして微笑んでいるが、瞳の加虐的な光を隠せてはいない。無能力者で周囲を落胆させた兄と違い、一級の想定認定を内々に受けた弟は有頂天だった。
王族や有力な貴族は、20歳の確定認定、15歳の暫定認定を前に10歳で想定認定を受けることがある。
だが、アボット家の立ち入りを禁じている観月宮で育ったカザンは想定認定を受けたことがない。それどころかカグヤ妃を始め、ミカド皇国の人間は1人も公式な能力診断を受けてはいない。王が一級であるため、王の子を出産したカグヤ妃は一級あるいは二級相当であると考えられているにすぎなかった。
ゲオルグを見据えながら鑑定眼を光らせていたジョルジュ・アボットは、一度目を閉じるとコーネリア妃に向かって言った。
「ゲオルグ殿下の想定診断はいずれも水系、一級が48%、二級が29%、三級が12%、他級が11%でしょう」
アボット家の新たな当主の精密な診断にゲオルグは満面の笑みで母の横顔を見、密やかな歓声が侍従たちから上がるが、一本の毛程の不愉快という感情がコーネリア妃の顔に過ぎるのをカザンとジョルジュは見逃さなかった。
「なんという喜ばしいことでしょう。ゲオルグはバルサザールの恩恵を賜ったのですね」
アーシリア王国の武神の名を出し、穏やかな笑みを浮かべて、コーネリア妃は手を胸の前でクロスさせるアーシリア式の礼をジョルジュに送った。
「カザンも見てもらうといい。案ずるな。私はこの歳で5級だが、無能力者である兄上も父上はお赦しになっているのだからな」
異母弟を思いやる表情を作ってはいるが、透き通った白肌は微かに高揚し、唇は嗜虐の笑いを抑えるために奇妙に歪んでいる。
赤銅色の髪を揺らすこともなく無表情でゲオルグの眼を見返していたカザンの肩に、三歩歩いて近づいたジョルジュの白手袋の指先がそっと触れて離れた。
そして鉄仮面のまま、ゲオルグ王子の顔を見る。
「――その必要はございません」
見る必要もないということか、と弾けそうなほど膨らんだゲオルグの愉悦は、次の一言で永遠に砕け散った。
「カザン殿下は、既に特級であらせられますから」
深海のような静寂に沈んだ部屋で、カザンは立ち上がると誰にともなく宣言するように言い放った。
「俺はもう、ここには来ない」
10歳にして特級能力者という、歴史上でも類を見ない神童を指導できる人間はゲラン領にはいない。バベル王国に2000年間縁嫁を送り出し続け、系類を増やしても、特級の壁は誰も超えられなかったのだから。
「励めよ」
そうゲオルグに言うと、コーネリア妃の顔も見ずにカザンは部屋から出て行った。
優秀が故に正論で周囲を屈服させるカザンの性格は、この日確固たるものとなった。
◆◆◆
上等なミカド酒が一合ずついれられた白いシンプルな徳利が5本、卓上に並べられていた。
食事は下げられ、タイヨウ、カザン、フォルクス、セミマル、そしてルイが卓の前に並んで立っている。卓を挟む形に置かれた椅子にはカグヤ妃、ヴォルフガング翁、メイ・アボットが座っていた。
「タイヨウ」
カグヤ妃が顎で命ずると、タイヨウが手を動かすこともなく、卓上の徳利全てを前、後に転移させ、再び中央に戻した。
「闇系能力です。闇系は“移動”がその基本となります。我々アボットの索敵や認識阻害も、原理はこの移動術でございます」
五能力体験ショーの解説を担当するのは、鑑定眼を光らせたメイだ。タイヨウとセミマルという鑑定したことのない能力を前に進んで手を上げた、というより、涎を垂らさんばかりのアボット欲を露わにして強引に押し切ったのである。
「次、カザン。卓を燃やされては敵わん。タイヨウ、一つとってやりゃ」
「はい!」
ピッとタイヨウが手を挙げたが、カザンが中央の徳利を指差す。
「そのくらい自分でできる」
中央の徳利は赤い火に包まれると、音を立ててヒビ割れ、卓に落ちる前に炭化した。
「火系能力です。説明不要ですね。ボスは豊富な魔力量を持ちながら細かな出力コントロールが可能です」
移動術は苦手なアボットだが、メイが炭の中から綺麗に焼け残った底の部分を浮かべて見せる。
「焦げ臭え」
フォルクスが言うと、風と共に入り込んだ偕楽庭の清涼な空気で部屋は満たされた。
残っていた料理の匂いなども消え失せ、森に佇んでいるような心地になる。クロモジの香りを捉えたタイヨウの鼻は、思わず胸いっぱい空気を吸い込んだ。
「風系能力です。機動力は最も高く、隊にも多く所属しています。過去存在したカルマを参考にしながら新たなカルマを生み出す手法はフォルクス様が先駆者です」
貧しい子爵位の家に生まれた豊富な魔力量を持つ少年が行っていた“必殺技の真似事”が、騎士団員となり禁書に触れられるようになって加速度的に実を結んだというエピソードは彼の伝記的書物の中でも“熱い”部分であり、後進の教育に役立っている。
「俺、そんなに水の扱いうまくねぇんですが……旦那、イケる口ですか?」
左端の徳利を指差したセミマルに尋ねられたフォルクスは、「ミカド酒か? 来い来い、バベルのシーサーペントとは俺のことよ」と招き手をした。
ほいっ、という掛け声がかかると、細い水蛇が徳利から抜け出て、フォルクスの顔の前で頭を下げるような仕草をすると、上向いたフォルクスの口の中に入っていく。
「うまぁぁい!」
そして、もっとやれ、もっとくれと宴会のように囃し立てた。
「水系能力です。派生も多く、こういった水の操作だけでなく、体内の血液操作を行うなど最も多彩な能力といえます」
そして、と愉悦至極といった表情でメイ・アボットがため息をつく。
「エクセレント! 皆々様、特級であられます。ルイさんと同じように」
セミマルも特級ということに、タイヨウが内心引っかかる。妻ホタルとの間に子を成しているはずだが、ホタルはカザンの暴発で顔色を失っていた記憶がある。特級は特級同士でないと妊孕能力がないと聞いていたはずだったが……。
タイヨウの思案を断つように、カグヤがルイに命じた。
「主は土なんじゃろ。丁度空になった。砂に戻してみせりゃ」
「……手に持ってもいいならできます……」
「ならぬ。手におさまらぬものを扱えてこその特級よ。手を離してもできるはずじゃ。やってみろ」
救いを求めるようにカザンを見たルイだったが、エリア3の課題はルイを活用できるかどうかにかかっている。ならば、ありのままを見せるほかあるまい。
「一度見せてみろ」
上司の声に、腹を括ったルイの茶色い瞳が卓上に残った徳利を見つめた。
「防御陣を張ります」とメイがヴォルフガング翁の前に紫色の光で出来た盾を作ると同時に、ルイから暴力的なまでの魔圧が発され、無量庵自体が激しく揺れ始めた。
「ストォップ!」
フォルクスが風の玉をルイの背にぶつけて制止する。上半身は揺れたが、脚元は微塵もブレないことをカグヤ妃は見ていた。
徳利は倒れただけで、形は変えていない。フォルクスがルイの肩を抱き、耳元で囁いた。
「イメージだ、ルイ。魔力はイメージが重要だ。対象を見据えて、砂になるとイメージする。それができるとイメージする。もう一回だ、やってみろ」
タイヨウが何も言わずに徳利を立て直してやると、ルイが深い呼吸をしてから真剣な眼差しで再び出力していく。すると外から「キャアッ!!」と微かな悲鳴が聞こえ、慌てて外に飛び出したタイヨウが外に浮いたまま無量庵の窓に手をかけた。
「たぶん、石庭の灯籠が砂になりました……」
カグヤ妃が片眉を跳ね上げ、セミマルが「い、いくつ……」と青褪める。
元がいくつあったのかわかりませんが、と再び石庭を見下ろしたタイヨウが「灯篭、一つも残ってないです……」と言うと、ハフンと奇妙な吐息を吐き出しセミマルが膝をついた。
短気な火系親子の喧嘩を生き抜いてきた9つの灯篭は、いつしか彼の戦友のような大切な存在になっていた。
春の朝には桜の花びらを払ってやり、夏夜には妻と蛍を集めて入れ、秋の夕暮れには幼い息子が初めて成功させた水手裏剣で端を欠けさせ、雪の降る冬には主人の作った狐火を灯して回った。
たかが灯篭、だが思い出の景色にはいつもある。
「重要文化財の九十九灯篭が……嬢ちゃん、先だってのアレで元に戻せねえか?」
“逆転する運命の輪〈リバースエッジ〉”のことは当然タイヨウも考えたが、「正確な元の形がわからないのでちょっと……」と目を伏せる。くぅぅ……とついに落涙したセミマルの前に見事なジャンピング土下座で翁が謝罪する。オータム親子も同じことをしていたことからすると、ヴォルフガング系商人のお家芸のようだ。
「申し訳、申し訳ないっ!! 金で済む話でないのはわかりますが、孫の不始末にはこのワシが……こりゃっ、ルイも謝らんか!!」
だが、ルイは仁王立ちしたまま唇を震わせると食いしばった歯からきゅうっと音を出し、「できねぇって、俺言ったじゃん……!!」とついに真っ赤な顔をして泣き出した。
「がんばりたいけど、できないんすよ……っ! 手を離しちゃ、離れてちゃ無理だって思っちまうんだよ。逆に聞くけど、なんで出来るすか!? どうやるんすか!?」
戻ったタイヨウ、そしてカザンとフォルクスは困り顔で顔を見合わせ、揃って首を捻った。
「ごめんなさい、やろうと思ったら出来ていたので……」
「正直、呼吸の仕方を聞かれても、という感覚が最も近い」
「クンッてかんじだ、クンッてやればできるぞ」
何の助けにもならない現在進行形の神童と元神童の言葉に「あんたらいつもそればっかりだ!」と、さらにルイが大泣きする。
「もうよい。ここでやれというたのはわっちじゃ。そこな仔犬の力がなければどうにもならんのなら、吸い出してやりゃ」
人間電池にしろというカグヤ妃の無慈悲な発言にメイが頭を振る。
「法で禁じられておりますが、仮に許されたとしてもルイさんの魔力量に耐えうる機材の制作に数年かかるでしょう」
パチ、パチと扇子を開け締めしていたカグヤがメイの眼を見据える。
「ふぅむ。して、なぜこの仔犬が特級なんじゃ。今の騎士団にはカザンとヒュー以外特級はおらんと聞いておったが?」
「はい。本日私は、そちらを説明させていただくために参りました」
すべては3年前から始まりました、とメイは淡々と語り始める。
「3年前入団したルイさんは豊富な魔力量がありながら、五級程度の技術も使えませんでした。それを特級と扱うのはどうか、と当時の団長であられたライプニッツ様がお止めになったのです」
特級であればカルマを残し、後進の教育も行う義務がある。カルマも持たず、発動もできないルイにその資格はない。
「そのため、私は抑制と認識阻害を組み込んだブレスレットをつくり、彼の力が“一級”に見えるようにいたしました」ちなみに製作したのは闇系魔導具開発においては無類の天才であるドビーだという。
「氷のミモザさん、操縦のアガサさんがそれを見て、ご自分達も装着されました。20歳の確定診断を前に、一級のままでいいとご決断されたのです。ブレスレットを外せば、お二人も特級なのですよ」
成人した特級能力者は莫大な公金が与えられると聞いていたタイヨウは首を傾げたが、カグヤ妃はため息をついた。
そしてパチリと扇子を閉じて、息子を指した。
「うちの嫁候補にならぬように、か」
否定も肯定もせずにメイは薄く微笑んでいる。
「モテねぇんだなあ、お前……」
同情と憐憫をたたえたアイスブルーの瞳で覗き込まれたカザンは腹立たしそうにそっぽを向いた。
「タイヨウお嬢様でお決まりになったのなら、ミモザさんとアガサさんも能力を解放し、急ぎ再鑑定を当主に依頼しましょう。特級隠しなど前代未聞の世迷い事を、“見たがらない”アボットなどおりません。明日には認定改定、それが済めばゲラン公爵の望みも一つひっくり返すことができましょう」
メイは己の両手首から、銀のブレスレットを外した。鑑定の苦手なタイヨウにも魔圧が上がったことがわかる。
「“聖誕祭まで特級が含まれるチーム編成で護衛を”“操縦能力者は禁ずる”とのことでしたから、氷のミモザさんか私が残ればいいはずです。特級となればアガサさんが副長代理を務められます。ボスと副長は解放できますよ」
そうすれば、また一つゲラン公の望みを散らすことになるだろう。業務の合間に女性人気の高いカザンとヒューが他領のサポートに回れば、ゲラン票田にこれ以上ない痛手となるはずだ。ニヤリと不敵極まりない顔で笑ったフォルクスがルイの背を強く叩いた。
「俺が鍛えてやろう。お前の好きなゴーンも連れてきてやる。あと3日でモノにしろよ」
歓喜と困惑と不安がないまぜになった複雑な表情でルイに見つめられたカザンは、小さく吹き出しながら笑った。俺はもう1人じゃない。王になる必要もない。頼もしい仲間を得て、一年前から名乗っていた称号が、ようやく自分のものとなった気がした。
「騎士団長として甘かったことを詫びる」
すまなかった、とカザンがルイの肩に手を置きながら白い歯を見せて笑う。
「励めよ」




