56.無量庵
「そもそも、なんでミカド領はないんですか?」
目線が合ったフォルクスは肩をすくめる。国政と関わるような名家の出ではないし、当主業務は妻の担当。名ばかり当主のフォルクスはこの場で最もタイヨウに近い感性を持つ男だった。
建国以来、バベル王国は王都と四領に分かれている。アーシリア王国、ヴィロン共和国、シナン諸島連邦以外の小さな国家から縁嫁が来ることもあったが、ノーマン領以外のいずれかの四貴家の養女となる形をとっていたという。
縁家達の邸宅やタウンハウスは縁付いた国のものを使用するか、別途領地内に作られてきた。王都の観月宮しか持たないミカド皇国だけが異例なのだ。
「わっちの一代限りのつもりじゃったし……」という、言い訳のようなカグヤの言葉に、ミカド陣営も頷くが、タイヨウは納得しない。純真と良心の塊である黒天使は、大人の事情で看過されてきた矛盾点を次々と看破する。
「カザンさんがいるじゃないですか! もう2代目ですよ」
「3代目もいずれ産まれるだろ」
フォルクスの言葉に、確かに、という顔をしたカグヤ妃とカザンに「まだ認めたわけじゃないからな!」とフォルクスが吐き捨てた。
赤くなった頬を手で扇ぎながら、タイヨウがカザンに尋ねた。
「カザンさんは特級ですし、バベルの外に出られないです。ミカドにも戻れないですよね? カザンさんは引退したらどこの領地に住むんですか? 御実家に戻るんですか?」
「いや、実家はちょっと……」
騎士団隊舎近くの王族のタウンハウスにでも住めばいいと軽く考えていたカザンが言葉に詰まる。
「嫁の実家か? 悪いが、うちはレオンかクリスが継ぐぞ」認めたわけじゃないがな、とフォルクスも大概しつこい。
そういえば、と実務統括であるリリガルドも首を捻る。
「今回はヴォルフガング後援だけど、観月宮を見せたり、ミカドの食べ物をということであれば、確かにもうミカドの祭りよね……。あのゲラン領のソフトクリームにはバベルとゲランの紋章が入ってたけど観月宮はどうするの? チケットや物販の紙袋とか、紙物多いわよ。ヴォルフガング領の紋章を入れる?」
紙物は国民投票を促す主要PRツールだ。
そこまで考えていなかった大人達が黙り込む。土地はもちろん、紋章すら持っていない。タイヨウの問いは、本来自分達が持つべき権利を指摘する疑問であった。
四領は独立した法律を持つわけでもない。ノーマン家以外は縁嫁祖国の大使館としての意味合いが強いのではないか? それが半年間で得たタイヨウの理解だった。人口減少などの理由により住区が統合されたり、名称が変更になるという現象を日本で見聞きしていたタイヨウがさらに続ける。
「ノーマン領にいるとピンとこないですが、各領は祖国とのパイプが強いと聞いています。それって要するに大使館……それぞれの国の門みたいなものなんじゃないでしょうか? 領を持つ貴家になれば、ミカドとのパイプも今より開きますよね。国民にとっては住所が変わるひとがいるくらいで、いいことばかりなんじゃないですか?」
問題点があったら教えてください……と声を窄ませるタイヨウを励ますように、リリガルドが明るい声を出した。
「確かにミカドの領があってもいいと思うわ」「ね、なんでないんでしょうね」
「――欲しいと言われなかったから、が答えですかね。領地線は王冠と王勅があれば引き直せます」
お茶を啜っていたメイ・アボットが言うと、「いたのか」「そういえばいたな」という驚きが込められた視線が集中した。
「流石に今年の聖誕祭までに、と言うのは無理でしょう。ですが、5年間あればわかりませんよ。今年の“ゴール”はシュリ姫のために5年間を得ることなのでしょう?」
誰が伝えたのか、など、もう誰も気にしない。なぜならそれがアボットだからだ。
「5年間結果を出し続けてごらんなさい。ミカド発信でヴォルフガングとノーマンが乗ったチャリティーで、“亡き母の祖国を救われた”王が自領の一部をミカド皇国の縁嫁に与え、新たな貴家と領を創出する。そんな話があってもいいような気はしますよ。それにね、」
そこで仮面の口角が上がったような、奇妙な笑顔を貼り付けてメイが笑った。
「5年の間にやらかしが発覚して、没落する貴家もありそうじゃないですか? その領地をもらうというのもアリですね」
キャハハッとやけに甲高い声で笑うが、追従する笑いは起きない。完全にホラー映画のヴィランである。
「……国取じゃな」
カザンも含めたミカド陣営が振り向くと、カグヤ妃が妖姫めいた笑顔でニィッと笑った。
「国取花魁輝夜姫、が実になっちまうってことか」
セミマルが感極まったように天井を見て鼻を啜る。
「名前はどうしようかしら。祖国の名前とは変えるのよね? ヨシワラでいいのかしら」
夫の背を叩きながら、ホタルが涙ぐんだ目でタイヨウを見る。
幸せになることが一番の復讐であると知っていたのに、私達は自分達の幸せを考えてこなかった。
「かぐや姫はお月様じゃなくて、バベルに帰るんですねえ」
ほわほわと笑う黒天使の笑顔に確かに神の光を見たホタルは、ついに両目から涙を落とし顔を覆った。
「名前は5年もあるんだから、ゆっくり考えてよ。とりあえず、仮でいいから紋章決めない? 印刷の都合があるのよ」
ミカド皇国との交易が増え、商品や技術が流入すれば一番得をするのは販路を多く持つヴォルフガング領だ。研究開発も飛躍的に進歩するに違いない。召されんばかりの恍惚とした表情を浮かべていたヴォルフガング翁が我に返って、紋章の説明をする。
「おお、そうじゃの。バベル王国の国章は葦に竜、色は黒と金。領紋の色は一色ずつじゃ」
ヴォルフガング領は蔦にアナグマ、色は黄。
ノーマン領は薔薇に鷹、紫。
フィガロ領はプルメリアに2匹の水蛇、水色。
ゲラン領は山百合に獅子、白。
「そうじゃのう、色はかぶらなければよし。初代を想起できる植物と生き物の組み合わせなら問題なかろう」
シンプルなやつがいいわよ、刷りやすいし刺繍しやすいわよとリリガルドが声を上げる。
「どうする、初代」ついに自分の生家にも奇跡を施した黒天使をめちゃくちゃに抱きしめたい気持ちを抑えて、カザンが母の顔をニヤリと見る。
「どうもこうも、国を取れと宣う2代目の嫁に聞くしかあるまいよ」苦み走った顔のフォルクスを見て、カグヤ妃は白い喉を見せて笑った。
一同の視線が自分に集まったタイヨウは、一瞬迷うように視線を泳がせたが、既にイメージは固まっていたので笑顔で頷いた。
うん、これしかない。
「葛葉に白狐、色は赤。しかないんじゃないですか?」
伝説の妖、九尾の狐。
傾国の美女の真の姿ほど、カグヤ妃に相応しいものはないだろう。
「お見事!!」
バベル人はポカンとしていたが、ミカド一同が強い拍手をする。忍んでいたタカムラも現れ、紙吹雪を散らし、くす玉を破った。黒い覆面の奥の目は、やはり潤んでいた。
「飲食はリンゴ飴がいいんじゃないか? 赤いし、日持ちするだろ」
「それいいわあ、皮に狐の型をぬいてから飴かければいいのよ。飴細工も華やかにして」
「リンゴアメ? 何それ、詳しく聞かせて」
セミマルとホタルの元にリリガルドが寄っていき、打ち合わせを始める。
カグヤ妃は手放しにタイヨウを褒め称えた。
「ほんに見事じゃ、タイヨウ。誕生会ごときと動かなかったミカド皇国幕府も、開領がかかるとなれば態度を変えるえ。さすれば猿、主が喜びそうなものもできようぞ」
「ひょっ! なんですかな?」
翁は既に揉み手の恵比寿顔だ。
「富籤じゃ。バベルジャンボ富籤」
「ばべるじゃんぼ!」
その名称から内容が推察できたタイヨウが思わず吹き出す。
ミカドの富籤は、一枚一枚に組と10桁の番号が振り当てられ、1枚あたりの値段はバベルの通貨で300ゴールド。一等は3億ゴールド、組違いは5000万ゴールド、前後賞は2500万ゴールド。バラでも売られるし、10枚1組でも販売が可能だ。特殊印刷機や用紙となる薄い紙、さらに魔素を取り込んだインクを読み込み贋物や当確を判別できる判定機がミカド皇国にはあるという。
「為替相場が固まっておらんから、ミカド皇国が対価として何を要求してくるかわからん。だが、無い袖を振れとは言わんはずじゃ」
「コストがどのくらいかかるか……粗利がとれる範囲で安くして500ゴールド、うちの上がりは100億ってとこか……販売は銀行とギルドで……」
「爺ちゃん、金のことはいいからさ! あと2週間だぜ! 間に合うのかよ」
商才のないルイでも危機的状況はわかるらしく、祖父の袖をひっぱる。天才ビジネスマンは数秒思考の海に沈み、カッと目を開いた。
「――ミカド皇国に3日で1億枚分ご用意いただくことができ、対価が5億ゴールド相当で収まるならお受けできますぞ。今年の聖誕祭に間に合わなくても、来年は必ずやりましょう」
「い、一億枚! ちなみにこれは賭博禁止の法にはあたらないのですか?」
黒天使の問いにヴォルフガング翁はカッカッと笑った。
「賭博? なんのことですかな? これはチャリティーですぞ。必要経費をさっ引いた分はシナンに届ける、懸賞がついた募金じゃ。なんら咎などありますまい」
「俺もいいのか? 買えるなら一千万ゴールド分買うぞ」
3億当たっちゃうんじゃないのぉ?とフォルクスは既に夢見心地だ。だが、良くも悪くもバベル国民に最も感性が近い男の好反応はカグヤ妃の背を強く押した。
「掛け合おう。ミカドとここは時差があるが、夜には話せるはずじゃ」
資料と上申書をまとめよ、と命じられたホタルは頭を下げると無量庵を出て行った。
「アタシもシェフも一緒に降りるわ。飲食系を詰めたいの」
角刈りの中年男性である料理人は、見た目はツンとしたボーイッシュな美少女にしか見えないリリガルドに腕を取られ、ホクホクと降りていく。
「で、エリア3はどうだったんじゃ?」
この世の春と言った風な笑みで翁はフォルクスを見た。
フォルクスが、そしてタイヨウとカザンが自分を見ているのを感じて、雷に怯える大型犬のようにルイは机に震えて伏せた。




