55.美味しいものを食べるといいアイデアが生まれる
観月宮皆楽苑。
本殿の裏手にある一万坪の広大な敷地には見事な日本庭園が広がっていた。石庭、苔庭、池庭、流水庭、桃源台の五つの庭からなり、四季折々で姿を変える庭園を王とミカド陣営のみで二十数年楽しんできたとは何という贅沢だろうか。
エリア3に出向いたノーマン領一行とカザンは南側台地にある桃源台の中腹を削って作られた無量庵という食事処で昼食をとることになった。
そして目の前で今まさに仕上げられている鰻丼に目を先程からタイヨウが目を輝かせている。
「うわぁ……っ」
関西風に腹開きで捌かれ、串を打ち、炭火で焼きを入れてからタレを塗り、再び鰻が火にかけられる。
「ほわぁ……っ」
醤油の芳しい香りが団扇で煽がれて鼻腔をくすぐったかと思うと、土鍋で炊かれた白米の蓋が開けられ炊き立ての香りが漂う。
「はわぁぁ……っ」
黒塗りの朱里椀に米と鰻がのり、仕上げに細切りされた黄金色の錦糸卵がふわりとのせられる。日本ではTVもない貧困家庭育ちであったタイヨウにとって、間違いなく人生で最も高価かつ高品質な鰻丼が恭しく目の前にサーブされて、タイヨウは思わず合掌した。
「蛇だろ……?」
右隣に座るフォルクスがスプーンで鰻をそっと持ち上げて皮の部分を気味悪そうに覗き込む。
「ウ・ナ・ギですっ! 文句言うなら父様は食べなくていいのですっ!! ウナギさんに失礼です!」と、タイヨウが父の手をピシャリと叩いた。
無量庵は岩山の中腹をアルファベットのCのような形で切り抜かれて作られていた。縁にテーブルが備え付けられており、今日はそこに10席の紅毛氈の椅子が置かれている。眼下には色づき始めた庭が広がり、まさに無量の心地になれる絶景であった。
席には奥からカグヤ妃、カザン、タイヨウ、フォルクス、ヴォルフガング、ルイ、リリガルド、そしてメイ・アボットが座っていた。エリア3に来ていた職人達は設計作業に入ると言い、自領の会社に戻っている。
「ハンナさんにも食べさせてあげたかったです……」そうタイヨウが呟くと、「ハンナさんには控えの間で同じ御前をお出ししておりますのでご安心なさいませ」と背後に控えたホタルがやさしく微笑んだ。
「まあ、タイヨウお嬢様のお優しいこと」
そう言ってタイヨウを瞬きもせずに見つめるメイの笑顔が怖く、蛇に見つめられた蛙のようにタイヨウは背筋を凍らせた。
◆◆◆
タイヨウの転移で観月宮に到着次第、出迎えの中に母の姿を見つけたハンナは一瞬よろめき、「観月宮はアボット出禁のはずでは?」と苦々しく呟いた。
「主を入れたからの。1人も2人も同じじゃ」と紫煙をパカリと紅い唇から吐き出したカグヤ妃は今日は臙脂の麻の葉模様の着物に男物の黒い羽織を肩からかけている。口紅以外は化粧もしていない。ラフな装いをすると、その顔が息子と似ていることがよくわかった。
メイはハンナと似ているどころではない。ハンナをそのまま成長させた瓜二つの相貌に髪を伸ばして眼鏡を掛けさせただけだ。
「初めまして! いつもハンナさんにお世話になっております!」とタイヨウが頭を下げると「あなたが“ソーレ”お嬢様でしたか。随分印象が変わられましたね」とメイは薄く微笑んだ。
ピキ、と笑顔が引き攣ったタイヨウの半身前に身を出したハンナが鑑定眼をかつてないほどに光らせながら微笑んだ。
「直接お嬢様に会ったのは初めてでしょう? 母さん」
「あらハンナ、4年ぶりね」と、家出同然に飛び出した一人娘に、やはり鑑定眼を光らせてメイが微笑む。
己の執着対象に固執するアボット達の目に見えぬ攻防に、カザンが溜息をつく。
「後でやれ。腹が減った」
クッと顎で背後にある無量庵を指したカグヤが息子に言う。
「上には猿と百合がおるぞ。何人上がるんえ? 10人前は用意があるが」
猿と百合とはヴォルフガング翁とリリガルドのことらしい。
「ハンナは控えなさい。私がいればお嬢様も問題ないでしょう」
「いやっ、それはどうかな〜と僕的には思うんですが」
メイの言葉に手を挙げて主張したタイヨウであったが、母の眼を見つめていたハンナはふと力を抜くとタイヨウの腰にそっと触れた。
「かしこまりました。それでは控えておりますので、後ほどお話をお聞かせくださいませ」
タイヨウが目を丸くしてハンナを見ると、腹心のメイドは一歩下がって深く腰を折って主人を見送った。
『大丈夫です。性格はクソですが、母は味方です』
腰に触れられている間、確かに脳内に響いたハンナの声を反芻しながらタイヨウは無量庵の階段を登った。
◆◆◆
カザンとタイヨウの鰻重の前には朱塗りの箸が置かれ、それ意外の面々の前には朱塗りの木匙が置かれた。
カグヤは昼は食事を摂らないらしく、酒とつまみが置かれている。
祖母が日本人ではなかったため食卓に和食が上ることはなかったタイヨウだが、保育園から始まった給食とバイトを通じて味わってきた日本食は魂の舌に刻まれていたようだ。半年ぶりに嗅いだ出汁と醤油、そして米の香りに既に涙ぐんでいる。
頂きます、と手を合わせてから「あああ……ありがとうございます……おいひい……おいひいです……」と感動で泣きながら食べる娘を見て、蛇にしか見えないと最後まで怪訝な顔をしていたフォルクスも一匙口に入れる。
そして目を大きく開くと、勢いよく掻っ込み始めた。
その様子を見て、ルイも猛然と食べ始める。若い男子特有の気持ちの良い食いっぷりに目を細め、「おかわりもございますよ」と微笑んだホタルに「あざっす! いただきます!!」と口の周りに飯粒をつけてニッカリ笑うルイにセミマルやミカドの料理人も嬉しそうだ。
元々ゲヘナ周辺の原住民をルーツとするノーマン領の食事事情は貴族であってもそれほど豊かではない。長期保存がきく素材を中心に、焼く、そして茹でるという2工程で大半のレシピが形成されている。
やはりその分野ではゲラン領が圧倒的に長けており、高級から下流まで国内のレストランはゲラン系だ。四領の中で領内総生産の最も高いヴォルフガング領でもその発想や技術は追いつかず、消費がメインで生産はドレッシングやルーといった加工品が多い。
90歳にとっては40歳も若造である。
若い女と飲むよりも若い男の食いっぷりを見ていた方がよほど胸がすくと普段から思っていたヴォルフガング翁は食う手を止めて隣に座るフォルクスとルイの勢いを愉悦の表情で見守っていた。カザンは慣れたもので、品良く口に運ぶだけで面白いものではない。
当主であり生粋のノーマン人であるフォルクスを揶揄って「ノーマン舌でも美味いじゃろ? サンショというスパイスを加えるのもいいぞフォルクス」と小瓶を差し出せば、鼻を寄せて思い切り吸い込んだフォルクスが咽せると涙を流して笑っていた。
そして、その咽せる父の背中を撫でるタイヨウの右手を見て「ほう、ハシを使えるんじゃな、タイヨウ嬢は。大したもんじゃ」と目を輝かせた。
咄嗟のことに目でここにはいないハンナを探したタイヨウだったが、「知らんのか? “タイヨウ”はミカド語じゃ。亡き御母堂がミカド贔屓だったとな。道理で“ミカドの文化”をよう知っとるわ」と、カグヤ妃の出した助け舟に慌てて乗り込みガクガクと頷いた。
「そうじゃったんかあ。カザン坊ちゃんとは生まれる前から縁があったんじゃのう」
とヴォルフガング翁が感心したように言うと、ミカド陣営が満更でもないと言う顔で微笑むのと、諸々の怨みも込めて「爺、てめえ覚えてろよ……!」とフォルクスが唸るのは同時で、無量庵には温かな笑いが満ちた。
小ぶりの椀で先に食べ終えたリリガルドが、ささっとコンパクトで口元を確認するとバインダーを取り出して話し出す。
今日は黒いリボンタイのシャツにストライプのパンツスタイルで、シンプルな金のフープピアスを耳元で輝かせていた。
「はーい、じゃあアタシから報告しまーす。観月宮の当日解放予定コースを見学させてもらいましたが、最っ高でした!」
撮影した写真で即刻ポスターを準備して一週間前から告知できるようにすること、予約制にはしないが時間入れ替え制とし混雑を避けること。入場料を設けることで観客抑制効果と環境保全費の確保を狙うこと。
リリガルドが口した内容は既に了解済らしく、カグヤが一つ一つ頷いている。オータム商会による全力のバックアップがあるとはいえ、短時間でここまでまとめ上げる手腕は流石としか言いようがない。
「案に出ていた賭博は諦める方向よ。ここはね、誰が見てもエキゾチックだし、上品なのよ。ハイクォリティなものはアーシリア文化だけじゃないのね!って知るだけで新鮮なの。それがミカド文化の魅力だと思う。賭け事はミスマッチよ」
その言葉にカザンが母親に呆れ声で話しかける。
「賭博なんてやるつもりだったのか」
「主は何をやらせても弱いからな。醍醐味を知らんのよ」
とカグヤが酒をあおった。
「カグヤ様の持ち込んだボードゲームは既に流行してるわ。来年以降は賭け事じゃなくて……そうね、例えば競技大会にしたらいいんじゃないかしら?」
「ああ、有名な大会だと将棋四獣杯ってやつがミカドにもあるぞ! 聖龍、白虎、朱雀、玄武の四冠を手に入れた棋士は天帝と呼ばれるんだ」
控えていたセミマルが言えば、「誰が勝つかも賭けてもいいわな」とカグヤ妃が呟き、カザンが再び呆れた顔をする。
「その大会予告を会場でしてみても面白いかもしれないわね。ゲームの物販も狙えるんじゃないかしら?」
「ジンテンドーの在庫を全部取り寄せとくか。売り子もつけんとな」
脳内で算盤を弾いたヴォルフガング翁は満開の笑みだ。
「ここまでは正直好調だったんだけど、飲食が手詰まり! 売上の10%はシナンに寄付するんでしょう?どうせならドカンと売りたいんだけど」
「ミカドには美味しいものがいっぱいあると思いますけど……」
食後の煎茶を至福の顔で飲んでいたタイヨウが言うと、リリガルドは目を尖らせてタイヨウを指差した。
「そんなのわかってるわ! スシもウナギもミカド菓子も美味しいわよ! 試食に来たのに太っちゃうわ! 味見だけにするつもりだったのにおいしくて全部食べちゃうんだもの! でもねえ、祭りってそういうもんじゃないじゃない?」
祭りの飲食はねえ……と言い溜めてから、右手を高々と振り上げる。
「片手で持てる! 映える! 昂る! それが大事なのよっ」
「焼きそば、綿飴、たこ焼き、……ミカドの祭りの風物詩といえばそんなとこか?」
「でもユリちゃんと大旦那様は大量生産して街の店に卸したいそうですよ。ソフトクリームみたいに」
「機材作って、作り方教えてってなると手間ですねえ」
セミマルとホタル、そして料理人も加わって喧々諤々の議論が始まる。
「ユリちゃん? リリガルドさんのことですか?」とタイヨウがカグヤに尋ねると、「リリーは百合じゃろ?」と笑う。随分気に入ったらしい。
「うちの奴らは気に入ると渾名をつけるんだ」とカザンが言えば、「俺のはないのか?」とフォルクスが少し寂しそうだ。
「スナック系ですかね。大判焼きとかお団子とか鯛焼きとか温めればいいだけのやつ……」
タイヨウも腕を組んで考えるが、「茶色いし地味」と他ならぬミカド陣営から一蹴される。
うーーーん、と悩んでいたタイヨウがそこで、前提を根本から覆す疑問を発する。
“なぜリンゴは地に落ちるのに、満月は落ちないのか?”
子供が抱く質問には、エポックメイキングなインスピレーションにつながることがある。
「そもそも、なんでミカド領はないんですか?」




