50. 男達の本気
「終わりましたよ〜! あっ! ヒューさんもいらしてたんですね」
三時間後。
プールサイドに、ハンナとドビーを連れて転移してきたタイヨウが、ひらひらと手を振った。王との謁見用のドレス姿から、ラフなシャツにショートパンツという水際カジュアルへと着替えており、足取りもどこか軽い。
「母様は患者さんと一緒にタウンハウスへ行かれました。患者さん達は騎士団の方が迎えに来てくださるそうです。ホタルさんは観月宮へお戻りになりましたよ」
服装は相変わらず重々しい黒いメイド服のままのハンナだが、今日は衣装にまったく似合わない大きなサングラスをかけている。
負担の大きかった腹心のメイドを労りたいタイヨウと、それを拒否するハンナ。その折衷案だった。
「旦那様。しばらくタウンハウス住まいになるとのことでしたので、荊は天井まで覆い直して荊姫〈スリープモード〉にしています。本日は夕食までこちらでゆっくりして、夜にタウンハウスへお越しいただきたいと奥様が仰っていました」
そうハンナがフォルクスに告げると、タイヨウが嬉しそうに続ける。
「ここで食べられるバーベキューセットを、料理長が用意してくださるそうですよぉ。後で僕が取りに行ってきますね」
暑苦しい隊服を着込んだままのドビーを見ると、正座をしながら貝殻型の浮き輪を必死に膨らませていた。庇のような前髪に隠れた表情は、完全に無である。
面倒くさがる風系の男たちから事情を何とか聞き出したキランが、巧みに水を操ってプールから飛び出した。
見えないイルカに押し出されたかのような着地に、タイヨウが小さく手を叩く。
「おい、タイヨウ!」
「キランさん! 二日酔い、治りましたか?」
顔に水が跳ねたアボットの二人は露骨に嫌な顔をして拭うが、タイヨウは明るく笑うだけだ。
ハンナはすかさずキランの下半身を確認する。フォルクスのコレクションの中から、黒地に白い波柄の水着を借りたらしい。
「お前、大変やったらしいやん。大丈夫か? 癒術なんて初めてやったんやろ?」
腰を屈めて視線を合わせるキランの思わぬ気遣いに、タイヨウは大きな目をぱちぱちさせた。
「お前、シナン語わかるんやろ? 方言はあかんのか?」
首を傾げ、水の滴る長い髪をかき上げる。筋肉質な褐色の若い肌に落ちる水滴が、太陽の光を受けてきらきらと輝いた。
「わかります、わかりますけど……その、前回お会いした時と違って、すごくフレンドリーで驚いたといいますか。嬉しいんですが、びっくりしちゃって」
「ああ。お前もうカザンとまとまったんやろ。ほな俺の妹分で決定や。正式に身内やな。フォルクスは俺の兄貴みたいなもんやし。落ち着くとこ落ち着いたっつーか。で、平気なんか?」
「大丈夫ですよ! むしろ勝手に下半身を参考にしてしまって、すみませんでした」
ぺこりと頭を下げると、ウェーブのかかったツインテールが踊るように跳ねた。
「かまへんかまへん。妹に見られたかて減るもんやない」
タイヨウの頭を軽く叩き、白い歯を見せてニッと笑う。
「キランのがデカかったから、兄貴の体裁も保てたな!」
パラソルの下で白ワインをラッパ飲みしていたフォルクスが、吹き出しながらヤジを飛ばした。
「うわー、フォルクス先輩。それ下ネタすぎっすよ。娘に嫌われて半年口聞いてもらえないパターン」
ヒューが新しいビール瓶の栓を風で切り落としながらからかう。
「ノーー!! 今日はダメだな。パパ調子が出ない。ママのカッコいいところを見たせいかもしれん。惚れ直したぞ、あれは」
「父様もカッコよかったですよ! “疾風”も初めて見ましたし。いくつカルマがあるんですか?」
シャツとショートパンツを脱ぎ捨て、胸に白いリボンのついたワンピース型の水着になった娘を見て、星型サングラスの父は首を傾げる。
「五十かな……」
「すごっ!」
「風系って技は似てるけど、名前だけは分けるんだよな」
フォルクスの言葉に、ヒューが訳知り顔で頷く。
「わかるわー」
「な! 他属性と違って大半見えんから、『あるもん! 本当にここにカルマあるもん!』ってヤケになったりな」
「わかるっす。特に初期の頃とか」
「そのうち覚えるのも面倒になって、名前もどんどん短くなる」
「風系あるあるすぎるんすけど!」
ギャハハと笑い合い、風系特級能力者二人は酒瓶をカチンと合わせて乾杯する。
「もう嫌ーーーーーー!!!!!!!!」
立ち上がったドビーの絶叫で、場が一瞬にして静まり返った。
蝉の声、波音、ヴォルフガング領特製オーディオから流れるシナン音楽が、やけに大きく感じられる。
「これだから陽キャは嫌なんだ!! もっと話すことあるでしょうが! 見たでしょう!? ちんこをもぎ取られてるんすよ! ゲラン、マジでやばいんすよ!!
あと! そこにいるのキラン殿下ですよね!? 孤高の虎王子とか言われて女子に騒がれてるレアキャラなフィガロ公!!」
「ほぅ……?」
キランは満更でもない顔でプールに背から飛び込み、水で作った玉座に足を組んで座る。
「暴言系王子が方言系王子になって、さらに身内に優しくて、ちんこでかいとか属性盛りすぎなんですよ!! あとお嬢様!!」
「ぼ、僕?」
水でできた巨大な蛇が、飛び込んだタイヨウを受け止める。その首に抱きついたまま、タイヨウがきょとんと振り返った。
「直視できない人外レベルの可愛さ!! なのに僕っ子!! それで水着!! しかも彼氏はボス!! フォルクス先輩の奥様もバチくそ綺麗だし!! あんたたち脳筋陽キャはいっつもそうだ!! DNAレベルで一番美人を持ってくんだ!!」
荒い息を吐きながら拳を握るドビーの前に、フォルクスが音もなく立つ。
その頭に、そっと手を置いた。
「アボットの坊主。何が言いたい」
叱責ではない。
低く、強い声に、ドビーがびくりと顔を上げる。
「言え。騎士団の一員なら、己の望みを把握して口にしろ。弱いことは悪じゃない。弱い人間が主張してはいけない道理もない。察してくれと不満を溜め込むな」
ドビーは縋るようにフォルクスを見た。
能力も人格も信頼でき、なおかつ直属の上司ではない――その立場の男が、絡め取られていた心の最後の箍を外した。
ブルブルと震え、ついに大粒の涙が零れる。
「……怖いんですっ! ゲラン城にいるはずの担当アボットがいないんです! どれだけ探しても痕跡すらない! 何を企んでるのか分からないのに、非道だってことだけは分かるんです! 毎日、毎日……!」
「それは望みじゃない。ただの不安だ。望みを言え」
大きな掌が、ぐりぐりと頭を撫でる。
「助けてくださいっ!!」
信条を踏み越えた叫びだった。
「なかったことにしないでください! ボスと副長を酷い目に合わせないでください! ……ゲオルグ王子を、王にしないでください!」
「当たり前だ、バカ」
子供のように泣き出したドビーを、風でプールに投げ入れる。
「無茶無理無謀は騎士団の十八番だろ。ノーマンも、キランのフィガロも、ヴォルフガングの爺さんも……動くさ」
沈むドビーにしゃがみ込み、低く告げる。
「バベルの逆鱗に触れたんだ。エルフの皆さんも潮時だ」
そう言い捨てたフォルクスの顔に、薄く笑みが浮かんだ。
頷く男達を誇らしげに見守っていたタイヨウが、ふとプールを覗き込む。
「ドビーさん、上がってきませんね」
その言葉に、わざとらしい仕草で「困ったわ」のポーズをつくり、ハンナが答えた。
「お恥ずかしながら、アボット家は皆すべからく金槌なんです」
「早よ言えや!!」
キランが水の蛇で水中からドビーを引き上げ、駆けつけたヒューが介抱する。
ぴゅーっと鯨のように水を吐かせたヒューは笑いながらハンナに尋ねた。
「知らなかった! アボットはみんな泳げないの? メイも? あの生まれた瞬間から大人でしたみたいな顔してるジョルジュ当主も?」
「はい。なぜか皆泳げません。当主は洗顔することもできないらしいですよ」
謎の多いアボット家の、初公開情報。
男達が一斉に爆笑する。
「ハンナ、お前言ってよかったのか? 王家御庭番の一族として言っちゃいけない弱みだろう」
ドビーが膨らませた浮き輪をプールに蹴り落とし、そのまま飛び乗ったフォルクスが胡坐をかき、ニヤリと笑う。
「平和な時代なら、それでよかったんですけどね。旦那様は先ほど、バベルの総意として悪意と闘うことを選択されました。ならば、目となる我々の弱みも当然知っているべきだと判断いたしました」
口元を引き締めた面々に対し、ハンナの顔は清々しさに満ちていた。
「先程、不祥の従兄弟ドビーが申し上げた、ゲラン領担当の闇属性一級能力者トラビス・アボットの消息が掴めず、ただ生きていることのみ確認できていることは事実です。アボットは水に弱く、ゲランは水系能力者の宝庫です。アボットは王家の盾。王を守る限り、命を賭して皆様を助けます。その使命を尽くす前に、手折られぬよう――どうか助けていただきたいと心から願います」
深々と頭を下げたハンナに、タイヨウが拳を上げる。
「当たり前ですよ!」
フン、とフォルクスが浮き輪からプールに背から飛び込んだ。
「―――もっと早く言って欲しかったよ、おじさんは」
騎士団団長という身分も、決して軽いものではなかった。
だが四貴家当主となり、数え切れぬほどの役職と役目を抱えて、いつしか自分の本分から遠ざかっていたことを――フォルクスは今、強く恥じた。
『お前が他人より強く生まれたのは、死ぬまでに他人より多くの人間を助けるためだ』
幼いフォルクスに何度も言い聞かせた姉の姿を思い出し、熱くなった目元を冷やすように、ぶくりと一度、見ずに沈む。
「……詳細は言えないんすけど、裏で官民で動いているプロジェクトがあるんすよ。それも四貴家は巻き込めない前提で動いてたんですけどね。一番声を上げられないはずの民間から、鬨の声が上がったんですよ。団長としても、王子としても、キツいっすよ。カザン、一時目も当てられないくらい落ち込んでました」
ヒューの白髪が風にそよぐ。
ピンクのハート型サングラスに隠された瞳に灯る意思は、強い。
――王になったほうがいいと思うか?
俯いたカザンの、掠れた声。
それを思い出して、タイヨウが唇を歪ませる。護国に尽くす覚悟が揺らぐほどの衝撃だったのだろう。
「もう言ってしまっていいと思うんですけど……レイ王子も、ゲオルグ王子を王にしちゃいけないって仰ってました」
タイヨウはハンナが頷くのを確認してから、レイ王子に課されたモラトリアム大作戦のことを訥々と話していく。
聖誕祭で、五年間の猶予を稼ぐ。
それが王の願いでもあることを、虐げられ続けた弱者の王子に、早く知らせたい。肉親である父と語り合うこともできない孤独な彼に、光があることを伝えたい。
「ただ耐えるんじゃなくて、見逃すわけでもなくて、暴力に暴力で返すわけでもなくて。僕は正々堂々、聖誕祭でゲラン領をぶっつぶしたいです。ご協力のほど、何卒よろしくお願いします!」
いつの間にか起きていたドビーも揃い、応、と声を上げると男達は歓声を上げて水遊びに興じ始めた。
キランの作った水蛇に誘われ、ドビーが恐る恐るその背に跨る。その姿に、皆が明るく笑う。
ワインクーラーを取るためにプールから上がったフォルクスに、ハンナがそっと問いかけた。
「そういえば旦那様。カザン様とタイヨウ様がお付き合いする件は、もうお許しになったのですか?」
このような形でまとまる前に『ヴォルフガング領の代表としてカグヤ妃をかついだ聖誕祭の手伝いをする』と伝えたタイヨウに、ノーマン夫妻は「やるなら、ちゃんとやりなさい」と特に難色を示さなかった。
あの時から、気になっていた。
「止めてどうなるもんでもないからな。一回結ばれたら、どうにもならんさ。特級同士の色恋は」
二人を逢わせちまった時点で俺たちの負けだ、とフォルクスが笑う。
「ママは魔属大継承のことを心配してたが、ミカドの医療は想像を超えてる。あちらさんがチラリとも心配してないってことは、もしもが起きてもなんとかなるんだろ」
なるほど、と頷くハンナを、フォルクスが太い指を立てて制した。
「だからと言って、タイヨウちゃんには言うなよ」
「何故です? お喜びになるかと思いますが」
鉄仮面の目を、かすかに大きくしてハンナが尋ねる。
はしゃぐ娘を見ながら、父の顔になったフォルクスが目を細めて呟いた。
「せっかくうちの子になったんだ。せめて、あと五年間は娘でいてほしいんだよ」




