48.ゲラン城
【ご注意】この回には残酷な描写が含まれます。苦手な方はスキップをお願いします。※犬は死にません。
灰色の石材で作られた城の中を歩きながら、ヒューは一歩ごとに気が滅入っていった。
この城は、顔つきは若干異なるものの、印象はすべて同じに見えるアーシリア系貴族とよく似ている。どこまでも冷たく、無機質で排他的だ。
尖った耳。病的に白い肌。淡い金髪に、瞳は青系。押し並べて長身で細く、吹けば飛びそうな身体をしているのに身体能力は高く頑強だ。そして長命で、大体200歳が平均寿命だという。純粋な戦闘力としての能力こそバベル王国人に劣るものの、種としての弱さは感じられない。
「聖誕祭当日までゲラン城を特級能力者に警備させろってのが無理がある話なんですよぉ。隙が全くないですよぉ〜」
総務部から引っ張り出されたドビー・アボットが、慣れない索敵共有を展開しながらビクビク歩く。等級鑑定こそ入団資格ギリギリの三級だが、闇系魔導具の開発のセンスはズバ抜けており、引きこもっていたところをメイに引っ張り出された男だ。
アボット家の上級能力者は、鑑定眼の魔法陣を仕込んだ片目を髪か片眼鏡で隠しているのが通常だが、ドビーは緞帳のような分厚い前髪で両目を隠している。鑑定眼云々ではなく個人的趣向らしい。
「こ、この時間が一番嫌だ……なんで僕が……」
「諦めろよ。魔法令嬢☆プリンチペッサのライブチケット、ヴォルフガング公から融通してやるから」
「ヒョフッッ!! 全通分もらったって割に合わないですけどね! でも下さいね! 最前列でお願いしますね!!」
身長はヒューより高いのだが、ヒョロヒョロした蜘蛛のような長い手足を猫背で縮め、副長の影に隠れるようにして今日も着いてきている。
ゲラン城内は特級能力者を基本とするツーマンセルでの護衛となるため、索敵の主軸であるメイ・アボットはカザンと組ませていた。ドビーよりも能力の高い闇属性能力者は、手薄になった他エリアに配置していた。
消去法でドビーを選ばざるを得なくなったヒューだが、うんざりすることしかない日々の中で、案外この組み合わせは気に入っていた。
「つらい……あと1ヶ月もこんな生活が続くなんて……副長、よく耐えられますね……」
ドビーの嘆きは止まらない。
2人組3組3交代制で24時間勤務。勤務終了後は明け休日と翌日休日という勤務体系は騎士団のそれと変わらない。だが『特級能力者による切れ目のない護衛を要求する』というゲラン公の要望により、明け休日の24時間はカザンとヒューはゲラン領に留め置かれることになっていた。
ツートップに寝ずの番を強いて体力を削るわけにはいかない。団員はすぐ忘れがちだが、カザンは王位継承権の放棄前であり、正統な王子である。そのためメイとドビーは共に居残り、献身的な索敵で上司の身を守っていた。アボットの意地だとメイは笑っていたが、業務に消極的なドビーは常に弱音を吐き続けている。
「メイは、叔母さんだっけ」
「あ、はい。メイは母の姉で……。ウチのはメイより性格最悪っすよ。嫌がる一人息子に『お前にはもう基本的人権も残ってない』とか言って放り出すんですよ。癖強いんですよウチの女達」
「魔法大学を勝手に退学して学費を推しに注ぎ込んだ君も大概だと思うけどね。……さて、今日はどうだ?」
カツン、と石畳の上で靴を止めたヒューが、20メートル先の大きな白木の扉を指す。ゲラン領当主、ヴァイス・ゲランの主室だ。
騎士団護衛の交代は当主立ち合いの元に行うことを主張したゲラン公は、ここ数回、呼びにいかなければ指定された部屋にお出ましにならない。さらに『個人的な時間』をヒューに見せつけるという悪趣味な行為を続けており――。
ヒューの言葉に、扉に向けて自作の索敵オペラグラスをかざしたドビーがゴクリと喉を鳴らす。
「……2人多いです」
「配置を報告するように」
ドビーが手に入れた情報を伝えるために、ヒューの背中に渋々触れる。
最悪だ。十九歳のプライドはこの作業のたびに傷つけられた。優秀な従姉妹であるハンナは索敵共有を未接続で行えるが、ドビーは子供がするように触れなくては共有ができない。素肌ではなく、なんとか洋服越しの接触で済むようになったのが精一杯だ。
「うう……護衛はいつも通り4人、侍従が4人、未詳2名です。未詳は能力反応なし。民間人のようです……が、ひとり……体力減ってる? 死にかけてる!?」
次の刹那、ドビーの目には瞬間移動したように見えるスピードで、ヒューがゲラン公爵の部屋の前に立ち、5メートルほどの高さがある巨大なドアをノックした。
中から出てきたのは目元を布で覆った侍従であった。長い金髪、白い肌。アーシリア系であることはわかるが、それだけだ。体も白い貫頭衣のような服で包まれて顔も性別も年齢も判別がつかない。
ゲラン公付きの者たちが皆、白地に紫紺で十字が書かれた太い鉢巻のような布で目隠しをしているのは、創造主に連なるとされる主人の御尊体や私生活を直接目にしないようにするためだという。
「私生活? 糞を見ないようにするためか? すなわち王家も平民も人は皆糞袋だという暗喩か? 仏教なのか?」
と、酒の場で大真面目に首を傾げたカザンの言葉に、観月宮の面々と大笑いした夜がちらりと過ったが、頭の奥に押し込んでおく。
大切な者たちを、たとえ記憶だけでもゲラン公爵の前に晒すのは嫌だった。氷のように冷え切ったアイスブルー色の瞳で、うっすらゲラン公に微笑みかける。
「失礼。御目見がなかったもので馳せ参じました。お取り込み中でしたか?」
天井が10m程、全長が約75mと広大な部屋だ。
数十のシャンデリアが威光を照らすように天井から光を放ち、側面はアーシリア王国の景勝地グリンデンバル高原を映す魔鏡が一面に貼られている。バベル王国独立前に闇系能力者が奴隷としてアーシリアに拉致され開発したとされる景色魔鏡は、バベル国内貴族には忌避される傾向があるため、これほどの量が見られるのは国内ではここだけだ。
白樺の精が人形をとったらこのような形になるだろうと思われる長躯が振り返る。その両手はシナン系の若い女性の両肩に置かれていた。萌え出る双葉がそよぐよりも柔らかく笑みを浮かべたゲラン公が、白銀のローブを少しも揺らがせることなく、芝居がかった優雅な仕草で右手を挙げた。
「ああ、済まないヒュー君。僕の家畜人が少々……少々……君たちの言葉でなんていうか思い出すから待ってくれないか。……そう、“トラブった”だ。トラブったものでね。対処していたんだ」
抑揚のない、ひどく間延びした声だった。長く生きすぎた者だけが発することができる、全てに飽いた空洞のような音。
「――この子はモナハ。とてもよく働く仔だ。まだ妊娠したことはないが、乳も良く出るいい体をしている」
ゲラン公は言いながら女性の乳房を軽く叩く。
「モナハの番はズヨルにした。これもまた健康ないい雄だ。しかしズヨルは少々……悪い男でね。他の雌に手を出してしまうそうなんだ。何度止めても聞かないという。そうだね? モナハ」
再び肩に手を置かれたシナン系の少女は一度身体を震わせたが、声は出さなかった。ヒューは後ろ姿の褐色の首を細目で見つめる。
奴隷売買をバベル王国はもちろん、シナン諸島連邦も当然禁止していた。現在“奴隷”と呼ばれているのは、貧困故に低賃金で出稼ぎに行く者たちだ。自らの意思でアーシリア王国に流れ着く者たちと、“家畜人”は異なる。
法で禁じられる前に強制連行した奴隷を“繁殖”させた者が“家畜人”だ。基本的人権もなく、ルーツとなるシナンの言葉も知らぬ彼らは、奴隷からも蔑まれていた。
護衛の1人が魔圧を瞬間的に高めた。主人の問いに答えなかった少女は強風に殴られたように激しく蹈鞴を踏み、青褪めた顔で護衛を見つめた。
追いついて室内に入ってきたドビーが、恥も外聞もなくヒューの袖を掴む。
少女の横顔に血が飛び散っているのを見たドビーがひゅうっと息を呑んでから、荒い呼吸でさらに袖を握りしめた。
護衛たちに鷹揚に手を振ると、ゲラン公はため息をつく。
「よさないか。モナハは傷ついているのだし、アーシリア語しか話せないのは知っているだろう」
そう言ってから、アーシリア語で『どう、どう』と言いながら少女の背中を撫でる。
「ああ、だからねヒュー君。僕はモナハに罰を与える許可を与えたんだ。さあ、見せてごらん」
少女が肩を押され、くるりとヒューと向き合う。褐色の少女は虚な瞳で赤く染まった両手を合わせていた。頬には涙の跡があり、頭髪は汗で乱れている。
ヒューが目を細めて、すばやく少女の全身を確認する。掌からは血がしたたっているが、粗末な布を縫い合わせた衣服からは出血が確認できない。手首からの出血もない。ゲラン公とモナハの背後に佇む巨木のような護衛の白い鎧にもマントにも血はなく、少女が命の危機にあるようには見えなかった。
「ふ、ふふ、副長……奥……」
魔導具の索敵オペラグラスを瞼に食い込むように押し当て、ドビーがヒューの手を握る。視覚情報が削ぎ落とされた魔素の構成情報が意識に傾れ込む。
能力を持たないとされる平民であっても、魔素がないわけではない。そこでドビーは血液中に含まれる微細な魔素を探知できる魔導具を開発していた。索敵に長けたアボット家の血は、自在に対象を絞るソート機能を付加している。
護衛の奥に、今この時も魔素が失われている人物がいる。通常の表示は青、死に近づく程に赤くなる。横たわった人型は、紫がほぼ赤に近付いていた。
ヒューが口を開こうとすると、ゲラン公が微かに目を細めてそれを制した。
「ふぅむ。興味深いね。このマントは探知を弾くはずなんだが……君の“目”は優秀なようだ」
顎をクイっと動かすと、身長2.5mほどの護衛が1人、のそりと道を開ける。緑色の目は冷たくヒューを見据えていた。木の精の末裔とされるアンシェント族で構成されたアーシリア兵の護衛は俊敏さには欠けるが頑強であり、能力攻撃にも耐性がある。バベル王国建国時の百年戦争の最大の敵は彼らであった。
「ひぃぃぃ……ッ」
情けない声を出してドビーがへたり込む。緊急事態に駆り出された若き天才魔導具開発者は戦場経験もなければ訓練も積んでいないため仕方がないが――。
「立て」
ドビーを振り返らず、ヒューが短く指示を出す。ゲラン公の今日のターゲットはドビーだろう。これは彼の能力を測るための悪戯だ。
彼らの目線の先には、下半身を露わにした褐色の青年が横たわっていた。気を失っていたが、汗と涙と涎に塗れた顔は青ざめている。その股間には小さな赤い水球が、くるくると静かに回っていた。
「ズヨルの去勢をモナハにやらせたんだ。医師が手掛けるはずだったが、モナハにこそ権利があるだろう? モナハの番なのだから」
名前が口に出されるたびに、モナハが肩を震わせる。
ゲラン公の言葉の、どこまでが真実かはわからない。すべてが虚偽だったとしても、彼女が絶叫を聞きながら同胞を傷つけたことは事実なのだろう。既に心は粉砕されている。
ゲラン公は微笑みながら、ローブから手のひらに収まる鉄の機器を取り出した。円形の鉄台に釘がいくつも生えているような奇妙な形をしている。
「これはミカドの花器でね……剣山という。彼の国の文化は馴染まないが……生け花はいい。我が国のフローリストたちも褒めていたよ。自然のまま、生々とした姿を止めるとはね。発想から素晴らしい」
花鋏もよかったね、という言葉と共に、青年の前に浮かんだ血濡れた水球の中に微かに見える小型の鋏に目をやる。
「――これに、ズヨルの罪を生けたら、と思ったんだ」
家畜人の教育に手頃だろう?
言い放ったゲラン公は満面の笑みだった。ヒューの背後で、うっぷ、と嘔吐をこらえる音がする。
「些か下品な響きになってしまうが……“芯”がないとたたなくてね。葉を落とした薔薇を刺したら丁度いいと思うんだが……色が決まらない。ヒュー君、何色の薔薇がいいと思うかね?」
侍従が微笑みながら、色とりどりの薔薇が50本は入った大きな花瓶を持ってヒューに歩み寄ろうとした瞬間――どう、と大きな音を立てて、ゲラン公の背後にいたアンシェント族護衛の1人が倒れた。
3人の護衛が主人を守る陣形を彼らなりに素早く取り、武器を構える。ヘラヘラと笑いながらヒューが薔薇を持った侍従の前でパチンと指を鳴らすと、侍従もその場に崩れ落ちた。手から離れた花瓶は割れなかったがゴロンと転がり、水と薔薇が床に溢れる。
「どうもすいませぇん〜! 情けない部下が御前の間をゲロで汚す前に気絶させようとしたんですが、手元が狂ってしまったみたいで」
「え゛っ!?」
ドビーが跳ね上がって口元を抑えた。その姿を見て、ゲラン公が片眉を上げる。
ヒューは笑っているが、瞳は魔力をコントロールし続けているため微かに揺らいでいた。風能力者の最高位、王国騎士団副長の真骨頂がそこにあった。
「……空気、か」
一時的に対象の周囲の酸素濃度を濃くし、呼吸困難からの気絶を促すという歴史上類を見ない高度なコントロールをヒューは獲得していた。アイスブルーの垂れ目が挑発するようにゲラン公を、そして周囲を睥睨する。
「ああっ、どうもすいませえん! 動揺して民間人のお嬢さんまで」
バベル語を理解しないモナハは、視線が自分に集まったことに気づき、怯えた目で周りを見てから白目を剥いて倒れた。
「――ご存知の通り民間人を騎士団が傷つけた場合、我が国では速やかに騎士団医療機関にて治療することが義務付けられています。このゲラン城内は治外法権ですが、我々騎士団の失態は国内法の適応となります。侍従と護衛のお二人は5分もすれば目を覚ますでしょう。だが民間人の彼女は危険だ。至急移動いたしましょう。アボット!」
ドビーの手に、今週2回目の登場となるミカド製『親子喧嘩お知らせサイレン付き魔石』を握らせる。魔石は観月宮からの救援信号を捉えるだけでなく、有効になっている観月宮の転移陣を探知できるようになっていた。
「奥の彼も連れて行くように」
ドビーが震える膝をなんとか立たせながら激しく頷き、一度呼吸を整えると、気絶した若者2人を自身の背後に転移させた。苦手な転移を一度で成功させたのは上等だ。後で褒めてやろう、とヒューが心に決める。
「……ズヨルの失神は君によるものではないはずだが?」
ゲラン公が目を細めた。
「いえ、私の未熟さ故です。先ほど彼、薄っすら目を開けていましたから。ばっちり起きてました。ね、アボット君。彼起きてたよね?」
突然のフリにも関わらず、一刻も早くこの場を離れたいドビーは流れを汲み取り、全力で頷いた。
「起きてました。目合いました。そこを副長がやっちゃってました。僕見ました」
白々しい芝居をまとめて、ヒューがにこやかに笑う。
「アボット家が言うなら間違い無いですねえ。面目ない限りです。ほら、早く行け。俺も引き継ぎ終えたら行くから」
胸元から転移陣が描かれたシートを取り出し、横たわった2人の上に広げると、その中央に魔石を持ったまま手を置いてドビーが叫んだ。
「失礼しまああす!!!」
切り抜かれたように忽然と姿を消したドビー達を一拍見送ってから、ヒューがゲラン公を見据える。
特級は次元が違う。そう表現される力の片鱗を目の当たりにしたゲラン城の面々が、ヒューを最大限に警戒する。
「いやだなあ。そんなに警戒しないでくださいよ。しかし特級とは名ばかりの未熟者で申し訳ない。王に申し出て我々の護衛を外すこともできますし、今回の不手際を法廷に持ち出すこともできますよ。どうされますか?」
どちらも選ばれないと知っていながら、ヒューはゲラン公の返答を笑顔で待つ。その様子はまるで、若い雄に追い立てられる老獅子のように見えた。
「興醒めだ……行こうか、交代の時間なんだろう?」
ゲラン公が目を合わさずに扉へ向かう。侍従達が先導し、3人の護衛がゲラン公を包み込むようにして歩き出した。
ヒューは殿に付きながら、偽りの景色を映し出す窓を見る。
―――カウントダウンは始まっている。
その時計を止めないこと。それが自身の役割だと彼は知っていた。




