45. 揺れるノーマン邸
四貴家の主邸には、縁嫁となった王妃と共に訪れる王のための謁見の間が必ず用意されている。
代々のアボット家当主と公主しか解錠できぬその部屋は、王妃を一度も排出していないノーマン公爵邸にも一応用意されていた。王のためだけに用意された食器も建て直しの際に一度は一新している。
だがしかし……
「謁見の間!? 応接間かサロンじゃダメなの? うちのは100年くらい開かずの間よ!? この邸を建て直してから王なんて来てないもの」
「奥様、レオン坊っちゃまとクリス坊っちゃまは寝かせたままでよろしいですか!? 拝謁用のお洋服の準備が間に合いません……」
「ご主人様、皆様朝食召し上がりますか!? いつものお茶でよろしいんですか?グリーンティーは用意がなく、ミカドの方々のお口に合いますかどうか……」
鉄の荊に包まれたノーマン公爵邸の中は、急ぎ戻った主人に来訪者の正体を伝えられ、まさに蜂の巣を突いたような騒ぎになった。
上から下まで、王の来訪というかつてない事態に動揺している。侍従達は主人達に服に着せつけながら王族をお待たせできる5分間で出来ることを考えていた。男女が同時に同室で着替えることなど通常はあり得ないが、状況が状況である。メイクを施され、髪型を整えられているマーレ夫人も下着姿で文句も言わない。
ノーマン家は屈指の名家、四貴家である。皆、王との謁見の経験は当然ある。だがそれは王城や式典、王都の王城内ノーマン公領フロア、あるいはタウンハウスでの話だ。ここは歴史的に縁嫁を輩出したことのないノーマン領主邸。予告もない王の突然の来訪など過去数千年遡っても起きたことなどない。この3分間の精神的激震も無理からぬことである。
「せめてハンナさんがいれば……」
メイド長が青ざめる。
王家御用番アボット家の人間であるハンナは王城勤めの経験もある。また国民的天使であるタイヨウの信頼も篤く、基本的に外面も良いため、他の使用人達から絶大な信頼と尊敬を勝ち得ていた。その頼みの綱のハンナはノーマン城防衛システム“荊”の維持に駆り出されたままだ。
「あの〜……もしかして謁見の間って閉ざされた部屋のことですか? この階の?」
マーレ付きのメイドによって身支度を整えられていたタイヨウがマーレに尋ねる。
「そうよ。私達の寝室の隣の壁しかない所が……って、隠蔽魔法がかけられてるはずだけど、なんで知ってるのかしらタイヨウちゃん」
マーレがギョッとした顔で娘の顔を見つめた。
朝の自由時間に魔法の自主鍛錬を積んでいたタイヨウは、王宮図書館の禁書庫に入り込んだソーレと同じように隠蔽された部屋にも呆気なく侵入していた。
そして……
「えっと、転移の練習していたら偶然入れて……ハンナさんに屋敷のお掃除はメイドさん達の仕事をとることになるからダメだと言われたんですが、僕掃除が趣味で……そのお部屋だけは誰も掃除をしていない様子でしたので僕がやってもいいかなと……」
特別な客が来た時の客室なのだろうと思っていた。その部屋は最上階で日当たりも良く、寝室も浴室も揃っていた。丁寧に防音魔法も認識阻害もかけられている。埃は積もっていたがバベル王国の国章が散りばめられた豪奢な調度品は磨くほどに輝き、タイヨウの掃除欲を満たすにはこれ以上ない環境だったのだ。
ときめいた。これ以上ないほどのときめきだった。手を入れるほどに輝いて応えてくれる部屋は、タイヨウにとっていつしか育てがいのある生徒のような存在になっていた。
「シーツを洗濯したり空気を入れ替えて掃除してました。あの部屋は十分綺麗だと思います……先日ミカドの皆様からお土産に頂いた玉露も置いてあります……」
宝石のような淡い紫色の瞳が憂いを帯びて潤む。
もちろん親には言わないが、いつかカザンと2人きりで話すならここにしようと逢引場所として目星をつけていた場所でもあった。
十代の少年らしい下心も燃料となり、観月宮から戻ってからは一層念を入れて手を入れていたのである。なんなら花まで生けてある。ハンナに庭いじりも禁じられたタイヨウは広大なノーマン邸の敷地内を自在に転移し花畑を見つけては、フラワーアーティストも脱帽するロマンティック空間を実現していた。
これはハンナも把握できていなかった点である。初恋を認識した黒天使は、実は性愛に関してはアグレッシブ気味な黒悪魔であった。
「僕、ダメでしたか……?」
言葉と顔色を失った周囲に、ふにゅうと上目遣いで尋ねる。
タイヨウの告白は、端的にまとめると王のための部屋の私物化であった。有り得ぬ、そして許されぬ事態である。
しかしフォルクスは現役時代、主に小ゲヘナ攻略で功績をあげた団長であった。予測できない魔獣や魔木の攻撃や毒の沼を切り抜け、地図すらつくれぬ瘴気漂う森をバベル史上最も深奥まで開拓して魔石や魔鉱石を得て、飛躍的に魔道具を発展させた漢である。
いわゆる名家の生まれではない。
だが、現場力が違う。
カッ!とアイスブルーの眼を見開くと、一同に宣言した。
「謁見の間に王をお迎えするぞ。ノーマン家の誇りにかけて、この接待を切り抜ける!」
応、と戦場に出るかのような勇ましさで一同が手を挙げて応えた。
◆◆◆
「申し遅れました。私はアボット家当主、ジョルジュ・アボットでございます。以後お見知りおきを」
「あ、タイヨウです。いつもハンナさんにお世話になっております」
ペコリとお辞儀をするタイヨウに「片道20000ほど消費しますが、あなたには問題がなさそうですね」と、片眼鏡をかけた眼を軽く眇めながらジョルジュは一枚の呪符を差し出した。
「はい、行ってきますね!」
ジョルジュ・アボットに転移陣を借り、シナン諸島連邦本島のキランの邸宅に象を返してからノーマン公領主邸内謁見の間にタイヨウが戻ったのは10分後。時刻は午前6:15であった。
海原が見渡せる自慢の大窓が鉄の荊に覆われているため、真夜中のように照明が灯された室内で王とカグヤ妃、シュリ姫とノーマン夫妻が席についている。ジョルジュは入り口前に転移してきたタイヨウをチラリと見てから、席に着くよう手で合図をしながら会話を続けた。
「……というわけで、こちらには“原因不明の体調不良を覚えられたキラン王子がノーマン公に助けを求めて訪れた”という方向で。王とカグヤ様、シュリ姫が夜な夜な諸外国にお忍びで訪れていることは口外なきようお願い申し上げます」
「すまないね、ノーマン。もはや観月宮もフィガロ宮も安全ではないんだ」
ジョルジュの言葉を受けて頭を下げる王に、眉間に皺を寄せたフォルクスが慌てて制する。
「陛下、そのようなことは……。ただ、状況を把握していなかった自分が情けない限りです」
ゲラン公の主張により、王国騎士団のツートップであり特級能力者のカザンとヒューが聖誕祭までゲラン領に留め置かれていることは認識していた。
ノーマン領の騎士団担当者は諜報部のメイ・アボットだ。彼女の報告を受けても、自身と元副団長のゴーンが領内にいるため防衛に不安はないとしか思えず、聞いても「それがどうした?」で済ませていたのだ。王城の守りは王師が務めており、その元帥は自身が推した前騎士団長ライプニッツである。王都の守りが手薄になるはずもない。
だが、今回狙われたのは王都ではなかった。
昨夜、聖誕祭に向けて準備が進んでいたフィガロ花祭りの苗が全て立ち枯れていたという。
「――シナンは20年前から始まった“大熱禍”の大災害から復興している途中です。お父様の聖誕祭にも恥ずかしながら用立てるお金がなくて……ここ数年はシナン特産の花を沿道に並べて販売する花祭りを行っていたんです。それが……」
幼いシュリ姫の美しい金色の瞳がたちまち潤み、形の良い唇が悔しさに震えていた。
「そんなこと言うものじゃないよ。私はまるでシナンの市を歩いているような気分になれるフィガロの花祭りがとても好きだ。だから今回のことは……」
そこで王は言葉を止める。
例のごとく、犯人は捕まらない。その状態で王である自分が特定の領の名を上げることは出来ない。たとえ魔力の残滓から水系能力者の犯行であると推察され、水の上級能力者はゲラン領とアーシリア王国に集中しているとわかっていても、だ。
「お花たちが何かの病気になった……とかではないんですよね?」
園芸も趣味の一つであるタイヨウが南国の花をいくつか思い浮かべながらおずおずと尋ねる。
「フィガロ公領アルハンブラ宮とシナン諸島連邦キラン宮で一年かけて職人達が準備を進めていた合わせて10万鉢の苗が一斉に枯れることなどあり得ません。調べると魔力が込められた水が噴霧された形跡がありました。毒霧を扱える者の手によるものでしょう」
「ひどい……」
ジョルジュの返答にタイヨウも思わず涙ぐむ。
そこに、謁見室に併設された寝室からホタルが手を拭きながら入ってきた。黒地の民族衣装に揃いになったヴェールをかけた姿は観月宮で見たセミマル達護衛を想起させるが、口を開けばいつもの銀座のクラブのママだった。
「ほほ……こちらの流儀なのでしょうか? ベッドの上に赤い薔薇の花びらが……」
言いにくいことを上品な声音でスルッと伝えたホタルに、ノーマン夫妻がギギギとタイヨウを見る。王と眼を合わせないように最上級のサーブを行っていた執事とメイド長もギシリと石のように身体を固めた。
「ベッドの上に……?」
「赤い薔薇の花びら……?」
「ほほ、浴室も満開でございましたわねぇ」
フラワーアレンジメントを行なっている最中にどうにも気持ちが盛り上がってしまい、やりすぎて高級ラブホテル仕様になってしまったことを思い出したタイヨウが顔を覆う。
「お、オシャレかな? と思いましてぇ……」
頬を薔薇のように染めた黒天使を見たフォルクスが精一杯のビジネス笑顔を貼り付けて話を変える。
「ハハ! 急なお出ましでしたので娘に少々手伝ってもらったのですが、何分世間知らずの箱入りですので至らぬ点が多く……キランの体調はいかがでしたか?」
「ご心配なく。ただの二日酔いでございますよ。カグヤ様のお持ちになったミカド酒をヤケ酒のように飲まれて……酒抜きを行いましたので、あと2時間もすれば健やかにお目覚めになるでしょう」
そう言って微笑んでから、床に膝をつきノーマン夫妻に頭を下げる。
「申し遅れました、私は観月宮医術士のホタルと申します。カグヤ様、そしてシュリ様の侍医でございます」
「夫で護衛のセミマルもいま〜す」
パタパタと部屋の片隅でセミマルが両手を上げる。ほっこりとした笑顔でマーレ夫人が頷くが、フォルクスの表情は固い。セミマルのたっぷりとした服の下には暗器が無数に仕込まれているらしく、微かな金属音を彼の耳は捉えていた。
王、カグヤ妃。ホタルにセミマル。ジョルジュ・アボット。室内には他にシュリ姫付きの乳母が2人のみ。
意図を感じる組み合わせだ。
ただの二日酔い覚ましに同行したわけではあるまい。
「……うちの執事とメイド長はこのままでよろしいか?」
王とジョルジュにフォルクスが尋ねると、ジョルジュが無表情のまま頷いた。
「本日の滞在は30分のみ。こちらのお二人にはその間の記憶を排除させていただきますので問題ありません」
ピクリと再びノーマン家筆頭侍従の2人が身を固める。
「……うちの者を疑うのか?」
かすかに怒りを漂わせたノーマンに、王が済まなそうに言う。
「申し訳ない。未特定の闇属性能力者の存在も危惧されているんだ。Jですら把握できていない、といったら危険が伝わると思う。今から話すことは、聖誕祭が終わるまで限られた者だけの話にしておいた方がいい」
闇能力者の能力が自身よりも高かった場合、読心や操心によって容易く操作されてしまう。
シュリ姫の侍従2人は一級以上ではなさそうだが、既に何らかのガードをジョルジュ・アボットによって掛けられているのだろう。事態の深刻さに眩暈がする思いがして、フォルクスは眼を閉じた。
「J、ハンナも呼ばりゃ。タイヨウの側仕えじゃ」
カグヤ妃がジョルジュに命じると、王の盾はフォークを挟めそうなほど眉間に皺を寄せた。
「しかし荊はこのまま維持せねば……」
「いざとなればここの全員を連れてタイヨウが王宮に転移させるわ。のう、できるの?」
「はい、できますよ! 人を集めている余裕もなければ、この屋敷ごと王宮上空に飛ばすこともできます! そっちのが楽です」
デビュタントで使用を予定していた正絹のエンパイアドレスを身につけていた姫ルックのタイヨウが勇ましくとんでもないことを言ってのける。転移を得意としないアボット家の系譜らしく、その言葉にジョルジュが眼を大きく開く。
「今一度、ノーマン領にも攻撃してくるとは思えん。彼奴等が狙うならタイヨウのみよ。それに例え攻撃してきたとして30分程度何とかなるじゃろ。そこなノーマン夫人も特級なんじゃろ?」
「マーレと申します。私は魔力量が多いだけで、無尽蔵に純水を出せるだけなのですが……」
急に話を振られたノーマン夫人が眼をぱちくりとする。だがカグヤは一つ頷くと、スマートフォンサイズの薄い木板を取り出して耳に当てながらジョルジュに言った。
「J。ついでに猿も呼ぶえ」
「朝6時ですが?!」
慌てて止めようとしたジョルジュを片手で制して、カグヤが話し出した。
「おう、猿。今ノーマンのところにおるんじゃ。……黒天使? 当然じゃ……そうえ。来るじゃろ?」
そう言ってから耳に当てていた木板を床に放ると、描かれた魔法陣が紫色の光を放つ。
光の中から、70歳ほどに見える老人がモノグラムの入った明らかに高級そうな革張りのスーツケースを持って現れた。
黒い羽織袴、禿頭に長い白ひげ。
顔立ちはオータム商会会長と似た猿顔であった。だが、迫力が違う。
小柄ながら人相の悪いジャパニーズヤクザのドンのような風貌で部屋内を睥睨した後、末席に座るタイヨウを見るなりパァァッと笑顔になり舌舐めずりをする。見入られたタイヨウがぞぞぞと背筋に鳥肌を立てた。
「カグヤ様、猿が参りましたぞ! 優秀なビジネスマンには時差など関係ございませんからな。カッカッ!!」
「ヴォルフガング卿……老人は朝が早い……」
全てを諦めた面持ちで礼をするジョルジュを見て、呆気に取られていたノーマン家とシュリ姫の侍従達も慌てて跪いた。




