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5. タイヨウ、ノートン領に立つ RE:

「――それではお父様、行って参ります」

 

 春の日差しの中、見事なカーテシーで挨拶をした娘に「……ああ、ノーマン様たちによろしく」とだけ告げると、父1人で育て上げた娘が戸籍上は他人となるという別れには到底見えないドライさでドゥフト男爵は屋敷に戻っていった。ソーレとは似ている部分が全くない、平凡の見本のような男だ。


(一人娘との今生の別れだぞ……? さすがに入れ替わりに気づいたか……?)とハンナは内心冷や汗をかきながら見守っていたが、恐れていたトラブルは発生しなかったのでよしとしよう。


 それより予想外なのは、「タイヨウ様……!」と馬車の周りで涙を流している使用人たちの姿だ。


 ミドルネームの使用が許されるのは伯爵家以上の家格の者だけだ。公爵家の養子になるにあたって、ソーレ・ドゥフトはソーレ・タイヨウ・ノーマンになった。


 それはタイヨウの異世界令嬢生活QOL向上のためにソーレが整えた一手だった。


『亡くなった母が好きだったという遠国の言葉でソーレ〈太陽〉と同じ意味を持つ〈タイヨウ〉という音を名乗る』という荒唐無稽な申請はノーマン家にも問題なく受理され、他家に入る前に気分を一新したいからタイヨウと呼んでほしいという願いは使用人たちにも瞬く間に広まった。


 なぜなら、タイヨウが()()()()()()()()()()()()だったからである。


 夜中に日本に遊びに行くため昼夜逆転し、昼間は「具合が悪いって言っといて」と寝倒していたソーレ。日本でジャンクフードを食べるために食事をほとんど取らなかったソーレ。ゴスロリに憧れ、黒いドレスと黒いヴェールが定番スタイルだったソーレ。なまじ闇属性持ちなだけに厨二病が止まることを知らず「傷がうずくぜ……」など奇怪な言動を繰り返していたソーレ。


 近年は〈闇(病み)の令嬢〉と呼ばれ、完全にアレな令嬢として忌避されることはあっても使用人から慕われることなどついぞなかった。


 ところがタイヨウは入れ替わりの翌朝から、全てを塗り替えてしまった。


「おはようございます! お掃除は済ませておきましたが、やり方が違っていたら仰ってくださいね」と深々お辞儀をしては執事を昏倒させ、


「なんて美味しいサラダでしょう! こんな美味しいもの初めていだきました!」と頬を染めればシェフが膝から崩れ落ち、


「わあ、素敵なお花たち! 肥料は何を使っていらっしゃるのですか?」とドレスの裾が汚れるのも構わず裏庭で庭師に話しかければ、老夫は心臓を押さえてうずくまった。


 極貧家庭に育ち、違法バイトで鍛えられたタイヨウが庶民ムーブをかますほど〈下々への理解と慈愛に満ちた奇跡の令嬢〉と誤解され、生まれ変わった黒天使タイヨウ様として崇められることになったのだった。


「タイヨウ様、どうかお元気で……!」

「いつでも帰ってきてくださいね!」


 慟哭しながら見送る者たちが見えなくなるまでタイヨウは馬車の窓から手を振っていた。


 たっぷりレースと刺繍の施されたレモンイエローのドレスに大きなリボンのついた帽子を身につけたタイヨウは、馬車のシートに腰を落ち着かせるとハンナに微笑みかける。


「お屋敷の方々、皆さんいい人たちでしたね。どんな生活が始まるかと怖かったんですが、ソーレさんやハンナさんの仰った通りでした! ゆる甘、どころじゃないです。甘々です! とてもよくしていただいて」とニコニコ笑うタイヨウ。


 そのくもりなき笑顔の上に天使の輪が見えた気がして、今回の入れ替わりに関して腹に一物もニ物も抱えているハンナは眉間を押さえながら瞑目した。


(何かズレていっている気がするんですよねえ……)


「――いや、何というかその、はい」

「ノーマン家の皆様とも、仲良くできるといいのですが……」


 ハンナの懊悩には気づかず、ソーレは自分の傍に置いた大きな紙袋をそっと撫でた。



◆◆◆



「わあ……これはお屋敷じゃなくて、お城ですね……」馬車の窓からタイヨウが感嘆の声を上げる。


 ノーマン家の門をくぐり、森に包まれた東京ドーム1つ分ほどの馬車道を延々と登った先に現れたのはお伽話に登場するような堂々たる白亜の城だった。


  海沿いに建てられた城は、夕陽の温かな光を受けて、まるで黄金色のヴェールを纏ったように輝いていた。西の空がオレンジとピンクのグラデーションに染まり、城の白い壁がその色を映し出し、柔らかな光の中で幻想的な姿を見せていた。穏やかな波の音とともに、城の美しさは一層際立ち、まるで時が止まったかのような静寂と壮麗さに包まれていた。


 城は海に面した岬の上に建てられており、城の向こうには穏やかな海原が夕日をうけてきらめいている。城前の車寄せには大理石が敷き詰められ、中央の噴水は熟練の水魔法師の手によるものだろう、まるでダンスをするかのように軽やかに舞い上がっていた。


「うう〜!! 何LDKあるんでしょう……お掃除スムーズにできるかな。緊張してきました」

 

 バベル王国屈指の名家であるノーマン家の威光を体現した城を前に、タイヨウがズレた心配をする。ドゥフト家まで迎えに来て道中でしっかりタイヨウに魅了されていたノーマン家の馬丁が、天使も冗談を言うのですねという表情で微笑んだ。


「タイヨウ様なら問題があるはずもございません。家の者を呼んで参りますので、こちらで今しばらくお待ちくださいませ」と馬丁が門番に手をあげながら近づいていく。


「タイヨウ様、疲れていませんか?」

 

 先に馬車を降りたハンナがタイヨウに手を差し伸べる。そっとその手を握ると、軽やかにタイヨウは馬車から降りた。


「はい、まったく! ソーレさんの闇Suicaのおかげです」そう言ってポケットをポンと叩く。


 闇Suica。JR東日本が発行する磁気カードはソーレの手により魔改造が施され、タイヨウが触れればストックされた闇エネルギーが引き出され、移動魔法など簡易な闇魔法が使えるようになっていた。おなじみの銀と緑のカラーリングはマットな黒ベースに変更され、心なしかSuicaペンギンの顔も小悪党のような面持ちになっていたのがソーレらしい。


 性根や性癖は腐っていても闇魔法の天才であるソーレは、地図から座標を計測し自在に移動していたが、タイヨウは「見える範囲で一番遠いところにジャンプ」というささやかな使用に留めていた。


 本日は闇魔法の練習がてら闇Suicaで馬車ごとジャンプを繰り返し、本来なら10時間ほどかかる道中を2時間弱に短縮したのだが、そもそも使い手の少ない闇魔法を初めて目の当たりにした馬丁は「これが天使の御業(みわざ)……」と涙ながらに合掌していた。


「歓迎されているようですので、緊張なさらなくて大丈夫かと。あと何度もお伝えしましたが、メイドが卒倒しますので掃除はどうか下々にお任せくださいませ」


  白亜の城のデザインを台無しにしている『熱烈歓迎! ようこそノーマン家へ』と書かれた横断幕をさしながらハンナが言う。


「でも、お世話になりっぱなしなんて……! 働かざる者食うべからずっておばあちゃんも言ってましたよ」

 

 ハンナに慣れてきたタイヨウがぷぅっと頬を膨らます。その仕草を見たハンナは小さくため息をつく。馬丁が此処にいなくてよかった。あまりの可愛さにそのまま昇天しただろう。


「ご準備整いました。どうぞお越しくださいませ!」走り寄ってきた門番が恭しく腰を折る。


「タイヨウ様、お越しにございます!」


屋敷の鐘が鳴り響き、玄関が開け放たれた。



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