42.カグヤの過去
「なるほど、地雷というわけですね。王になれば複数の穴……縁嫁を持つ必要がありますからね。その場合、カグヤ妃御自身はどうなるのです? バベルに縁嫁でいらしてからゲオルグ王子とシュリ姫が産まれていますけど、その主義は曲げられたんですか?」
顎に手を当てて思案顔のハンナに、真っ赤な顔をしたタイヨウが縋り付く。
「ええっ!!! ちょ、ハンナさん、今ので理解できたんですか? アレで!?」
「地雷の話でしょう? BL読まないからついてこれないんですよ、タイヨウ様。大事なことは大抵BLに書いてあります」
「BLの話してました??? 今」
「溺愛系攻めの一穴一棒主義は鉄板ですよ? そもそも等級が大きく異なれば性欲の対象にもならないのが通常なので、性風俗の仕組みが異なっていると聞いても疑問には思いません。一夫多妻の王族とアボット家が異常なんです」
ヌッと卑猥な手印を真似して示したハンナの手を、タイヨウが呆れてパチンとたたく。
「わっちは主義は曲げておらんえ。犠牲を払ったがの。……タカムラ、見せてやりなんし」
指示を受けたタカムラが黒装束の頭巾を外した。
現れた胡麻塩頭の好々爺然とした風貌――その“口から下”に、明らかな異常があった。皮が剥け、肉が露わになり、喉元まで酷い瘡が続いている。古い傷だ。だが声を発することのない彼が、未だ癒えぬ傷を負っていることは一目でわかった。
ミカドの人間たちが目で問うていた。
ここからは危険水域だ。踏み込む覚悟があるのか、と。
タイヨウとハンナは顔を見合わせる。ハンナが頷くのを見て、タイヨウが口を開いた。
「聞かせてください。お願いします!」
「私からもお願いします。拠ない事情があり、タイヨウ様が“日本人”であるということは私ハンナ・アボット以外誰も知りません。その秘密をご存じなのは、この先も皆様のみ。ならば、私共もお伺いするお話を口外することは致しません」
ハンナの亜麻色の瞳が光る。
タイヨウが“日本人”であるという情報を肯定し、対価として情報を求める。情報によって命運を預け合う――。
それは危険な提案だったが、他ならぬハンナ・アボットが口にしたことで“価値”になった。
ハンナの真価を測るように数秒見つめた後、カグヤ妃が頷いた。
「とはいえ、肝心なところは“忘れた”んじゃがの。――カザンの上には“楓林”という男子がいるはずじゃった」
カグヤ妃が語った二十年前の物語は、奇妙で、哀しい話だった。
◆◆◆
「華、殿はうまく話すかのぉ……?」
珍しく気弱な態度で抱き枕に顔を埋めたカグヤに、華と呼ばれた側仕えが苦笑する。華はバベル人らしい風貌ながら、ミカド皇国風の藍色のお仕着せを着ていた。灰色の髪を引っ詰めにまとめ、賢そうな灰色の瞳には、いつもの明るい光が踊っている。
「何度目なんですか!『ミカドの房中術は世界一。殿はもうわっち以外勃たんのじゃ〜』って5分前に自慢していたばかりじゃないですか」
枕をパンパンと叩いてはベッドの上に置き、妊娠6ヶ月を迎えようとしている主人が寝やすい寝床を整えてやりながら、華はからかうように言う。
ミカドから連れてきた侍従たちに身辺を世話させている観月宮にあって、バベル人の側仕えで寝室まで迎え入れられる者は、彼女と産婆以外いなかった。
「でも本来は各国の縁嫁が子を成すものなんのじゃろ……」
「それもお話ししたでしょう? たまたま同じ世代に等級も家格も整ったお嫁さんがいないこともあったんで、子を成すことまでは義務付けられてないんですよ。それにコーネリア妃は既にレイ王子をお産みなんですから」
それはそれは可愛くて優しい王子様ですよ、と華がコロコロ笑う。
各国から妻を娶り、外交手段として子を作るバベル国王の性事情は、自分を買ってくれる『たった1人』のために心技体を磨くミカド皇国の遊女カグヤにとって、耐え難い風習だった。
わかっていた――とはいえ、いざ腹に子を宿してみれば、尚一層耐えられない。
なんとかなる。こんな非道は誰かがなんとかしてくれる。
どこかでそう思っていたのかもしれない。そういう点では、遠いバベルに来たばかりの頃のカグヤは、まだ子供だったのだろう。
だが腹が膨らみ始めても、何も世界は変わらなかった。
結局、王も乞食も変わらないのだ。
この世は基本クソであり、誰もが自分の人生を少しでもマシなものにするためにもがいて生きている――諦めと共にそう知り、彼女は大人になった。
そして、そう気付いた時には。
夫となった男を愛していた。
腹を括ったカグヤは、まず側近たちに信頼できるバベル人の側仕えを探させた。そうして出会ったのが華であった。貧しい子爵家の生まれだが、闇属性2級という優秀な能力を持っていた。祖国ミカド皇国の事情で“アボット家”を遠ざけていたミカド陣営にとって、それは喜ばしい能力でもあった。
「元気な男の子みたいですねえ! 風系の子かな?」
最終面接の際、鑑定能力で腹の子の属性まで言い当てられたときに、カグヤは彼女を部屋付きへ迎え入れた。ミカド皇国には闇属性はいないものの、水系能力者による医療技術が発展しており、子の性別や属性を妊娠段階から高確率で推測できる技術も確立されていた。
華の親は既に亡くなっており、夫とも子が出来ないまま二年前程に死別しているという。コーネリア妃とゲラン公の息のかかっていない側仕えを手に入れられなかったミカド陣営にとって、彼女から得るバベル王国の情報はありがたかった。ミカドの誓約呪術を掛けさせた上で、祖国の情報も伝えていた。
そうしてバベル王国の文化風習をインストールしたカグヤ妃は、夫に切り出したのである。
「もう他の妃を抱いてほしくない」と愛妃に泣かれ、王は一瞬固まった後に男泣きした。
王としてではなく、ただ一人の男として求められ、初めて愛されたと感じたのだという。
ミカド皇国に来てカグヤと出逢い、初めて恋を知った夜に話した夢を泣きながら繰り返し、王は第一妃コーネリアに『夜渡り』の停止を申し入れるとカグヤに誓った。生殖行為の停止宣言である。
他国との平和の象徴である縁嫁のシステム上、どこか一国に比重が偏るのを防ぐため、一妃一子が不文律として継承されてきた。通常、その第一子が無事に洗礼式を迎えられた場合に『夜渡り』は停止されるが、それを早めるのだという。
第一王子レイは5歳。王位継承者の内定が決定できる洗礼式までには10年あるが、このまま“順当に育てば”レイが王位継承者となる。ならばコーネリアも納得するはずだと王は言う。
「それがいい。わっちは息子にも女を泣かすような男になってほしくはない。レイ王子が洗礼式を迎えたら、あんたも王をやめたらいい。あんたと子供くらい、わっち1人で食わしてやらぁ」
育った郷の言葉で威勢よく啖呵を切り、王を送り出したのが昨夜。
それでも、最後の夜渡りへ向かった王のことが心配でたまらず、カグヤは落ち着けない。
そんな彼女に、華が笑って言った。
「レイ王子が洗礼式を迎える頃になっても、カグヤ妃はまだ28歳ですよ。王が隠居したら、ポコポコまた子供を作ったらいいんです。人生は長いんですから」
トントンと子を寝かすように布団を叩いていた華が、ぴたりとその手を止めた。怪訝な顔をして見上げたカグヤは、次に華の視線の先――扉に目を向ける。
扉がゆっくりと開くと、まるで時が止まったかのようにカグヤは息を止めた。暗闇から、口からゴボゴボと血泡を溢れさせたタカムラが現れる。覚束ない脚で歩み寄り、手でカグヤに逃げろと指図してから、ゆっくり前のめりに倒れた。
カグヤが覚えているのはそこまでだった。
翌朝、硬い廊下の上で目覚めると、股間が冷たく濡れていた。手をやれば床まで血に染まり、膨らみ始めていた腹は平坦になっている。
「いやじゃ……いやじゃぁぁっ!!!」
空虚な絶望を抱き締めながら、冷たい血溜まりの中でカグヤは絶叫した。
護衛はタカムラを除き全員死んでおり、華をはじめ、その夜に寝所に詰めていた者たちは全て姿を消していた。出血多量で瀕死に陥ったカグヤは、御霊石が鳴り響いたことで緊急に観月宮を訪れた王とアボット当主により救出される。
その後、カグヤは一ヶ月ほど養生として祖国に戻った。バベル王国に戻ったとき、王宮と妃の離宮を管理する宮内局と面会した。『近習はカグヤ妃の流産を心苦しく思い自死した』という宮内局警察の馬鹿馬鹿しい報告を、虚な瞳でカグヤは聞いた。
帰国後、子を失った愛妃を献身的に見舞った王は、最後の夜渡りの記憶が不自然に曖昧であると言っていた。その夜渡りでコーネリア妃に子ができたと宮内局から知らせが来た後、カグヤは再び王との間に子を作る。
カザンの妊娠に際しては皇室級の警備力を誇るミカド皇国の吉原から、ホタルやセミマルなどの護衛と側近を迎え入れた。再びバベル王国の人間を観月宮に雇うことはしなかった。唯一の例外が、乳母として迎え入れたヒューの母親メリッサだ。幼い息子を抱えて来宮する五級能力者の彼女は、ジョルジュ・アボットが推薦した。
不可解な流産事件を思い出すまいとしていたカグヤだったが、腹が膨れてくると、失った子の属性を当てたバベル人の側近のことを思い出せない自分に戦慄する。まるで切り抜かれたかのように、部分的に記憶が抜け落ちている。
「×××さんは、ミカド語だと×××ですかねえ」
「じゃあ、“華”だの」
ミカド人の側近と子の名付けを行なっていた時、戯れに当ててやった漢字の名に涙ぐんで喜んでいた瞳は覚えているのに――その顔も本名も、記憶のどこにも残っていなかった。
◆◆◆
「ゲオルグ王子は、王の子ではない可能性がある……?」
ハンナが口に手を当て、小さな声で呟いた。
それにしても随分荒々しい手に出たものだ。五歳は、早い子では魔力の発露が現れる年齢である。レイ王子が無能力者であると見切りをつけたコーネリア妃が王位継承権を確固たるものにするため第二子を望む。そこへカグヤ妃の懐妊。さらに夜渡りの停止の申し入れ――焦ったという筋は通る。
「しかし、記憶を失ったということは闇属性が関与している……彼らにはその手がないはず。どうやって?」
思わず爪を噛みながら独り言を漏らしていたハンナが、ハッと姿勢を正して隣に目をやる。タイヨウは青褪めた顔で、ただ言葉を失っていた。生理として女性性に馴染んでいるとは言い難い少年にとって、無理のない反応だ。
「仰る通り、この事件には闇属性能力者が介在しているでしょう。コーネリア妃が最後の夜渡りの近辺でゲオルグ王子を妊娠したことは事実ですが、王の子であるとは私たちは考えていません。この20年調べてきましたが、なんの尻尾も掴めませんでしたがね」
ホタルが薄く微笑んで言う。
後悔、絶望、怨嗟。時が押し流せなかった激情が、その笑顔の裏から漂ってくる。
(闇属性で操心と記憶操作ができ、複数人を陣もないままに転移させることができる能力者……? アボット家以外にも特級闇属性がいる?)
ソーレに会いたい。
ハンナは目をきつく閉じる。もう自分一人では抱えきれない領域だ。闇属性の頂点に立つ主人を、これほど強く求めたことはなかった。
「宮内局で“華”さんの情報は確認できなかったんですか? 彼女は闇属性だったんですよね?」
この世界の世情がわからないなりに思案していたタイヨウが、カグヤ妃とホタルに尋ねる。話の中で一番怪しいのは、どう考えても“華”だ。コーネリア妃とのつながりはなかったのだろうか。
タイヨウの疑問に、カグヤ妃は肩をすくめた。
「宮内局は預かり知らんことよ。観月宮の予算で独自に雇い入れたからの。安全のために手を回したことが仇になった。だが後々調べて、“華”の情報は手に入ったぞ。奇縁じゃの。主の養父の姉だったえ」
「ええっ!? 父様の?」
「それに“華”が二級であれば、都合よく記憶操作なんて出来ません。禁術のカルマ級です。今回の主犯は間違いなく特級クラスですよ。特級と認められれば、四貴家領主に匹敵する高給が国から得られます。等級審査を誤魔化すメリットもないんです」
カグヤの言葉に青褪め、ハンナの言葉に安堵し、情報を必死に飲み込みながらタイヨウが顔を白黒させている。
まだノーマン家に婿入りしておらず、当時はフォルクス・バロウズという名で騎士団長を務めていたノーマン公爵は、宮内局から姉の死亡の知らせを受け取っただけだったという。バロウズ家は元々ノーマン領の貴族であり、当然コーネリア妃やゲラン公、背後のアーシリア王国との繋がりもなかった。
「じゃあ、誰なんですか? そんなに酷いことをした人は……っ!」
「わからぬ。コーネリア妃とゲラン公爵の周りにも、もちろんアーシリア王国にも、奴らが意のままに扱える特級闇属性は今日まで確認できておらん」
小さく震えるタイヨウの背にそっと手を置き、ハンナがカグヤに尋ねる。
「王はこの件は……?」
「もちろん知っておるえ。殿に侍っておるアボット当主もな。だが、それだけじゃ。この国の王は平和の象徴にすぎず、力があるわけでもない。それでも殿は全てを飲み込み、レイ王子を王位継承者に指名するつもりだったんえ。無能力者だからと言って、何の咎がある? 可愛い我が子には変わらんわ。それを自ら辞退させたのはコーネリア妃よ。一体何がしたいのか。気が狂うておるとしか思えん」
吐き捨てるように言ったカグヤ妃を、労わるように見つめてから、ホタルがハンナに向き直る。
「ハンナ様にお尋ねいただいたもう一件。クマリ妃とシュリ姫の件ですが、姫も王の子ではありませんよ。それどころか、“子”ですらありません。クマリ妃とシュリ姫は同一人物。『シュリ姫』は王とミカドが打った大芝居なんです」
「もう何を聞いても驚かないと思っていましたが、うち〈アボット家〉に知られずよくやりますね……」
力が抜け、ガックリと肩を落としたハンナを、慌ててタイヨウが支えた。




