41.鍵と門
思案を続けていたハンナが、ポツリと呟く。
「戦争になる。それがアボットを退けていた理由……」
「ええっ!?」
仰反るタイヨウを完全にスルーし、ハンナは続けた。日本を訪れ、夢のような技術力に圧倒された経験を持つ彼女は、“日本人”という存在の価値をよく知っている。
「ミカド皇国に高い技術力を齎した“日本人”。その存在が白日の下に晒されれば、我が物にしたいと思う国が出てきてもおかしくはありません。特に奴隷貿易を行ってきたアーシリア王国は、道具として“日本人”を手に入れようと躍起になるでしょうね。技術力のあるミカド皇国人の拉致でもいい。いずれにしても戦の火種となります。……でも出来ないんですよ。彼らだけではね」
お借りします、とホタルに筆を借り、大陸の地図をざっと描く。さらにもう一枚の紙に『ミカド皇国』と書き、「この紙をあっちの端まで飛ばしてください」とタイヨウに渡した。
一人でブレインストーミングを行いながら、ハンナは頭の中を整理していく。タイヨウが大陸の地図と『ミカド皇国』と書かれた紙を部屋の端と端に浮かせると、ハンナは筆を持って立ち上がった。
「ご覧のように、ミカド皇国と大陸には距離があるんです。王の外遊記によると、アボット家当主が選りすぐった闇属性能力者精鋭を集めて境界索敵を続け、航海術に長けたシナン諸国連邦の協力があっても、ミカド皇国に辿り着くのに約一年かかったとされています。闇属性能力者はアーシリアには存在しません。索敵もできず、当て所のない航海に出ても、兵も兵站も運べません」
「そ、そうですよ。永世中立のバベル王国が、そんな横暴な振る舞いに手を貸すと思えませんし」
戦争なんて、とタイヨウが言いかけると、ハンナは首を振った。そしてチラリと、セミマルの書いた“神門”の文字に目をやり、バベル王国の位置に“門”という漢字を書き込む。
「――“バベルは”ではなく、“現王は”ですね。王の一年間の外遊のうち、外交期間はわずか約一ヶ月でした。その間に巧みな外交手腕でカグヤ王妃を娶り、転移陣を置くことに成功した。つまり、バベル王国には“神が降りる国への門”があるんです。ノータイムで人も物も移動できる。その門を起動できるのは、バベル王国の闇属性のみ。そしてこの規模の転移陣を起動できる“鍵”となれるのは、闇属性特級能力者です。カグヤ様たちは“日本人”の情報を手に入れられる諜報機関であり、“鍵”であるアボット家を遠ざけていた……」
転移陣。
門。
闇属性特級能力者。
アボット家。
鍵。
次々に言葉が書かれた紙が宙を舞う。
「現在の“鍵”は、アボット家の前当主、そして現当主。そしてそのアボット家当主は、王に絶対の忠誠を誓い、その護衛に着くことが決まっています」
ゲオルグ王子。
アーシリア王国。
ゲラン公爵。
バベル国王。
新たなピースが加わり、物語が一本につながった。
「ゲラン公爵は代々、祖国アーシリア王国と縁が深い。そして現ゲラン公はコーネリア妃の異父兄にあたり、ゲオルグ王子は強くその影響を受けてきました。ゲオルグ一派はアーシリアの門。そしてミカド皇国への鍵はバベル王が持つ。ゲオルグ王子が王となり、ミカド皇国の詳細や“日本人”のことを知ったらどうなると思いますか? アーシリアによるミカド侵攻が始まりますよ」
あまりの事態に、喉がカラカラに乾き、うまく喋ることもできない。やっと絞り出したタイヨウの一言は、掠れていた。
「――でもバベルは戦争を放棄した永世中立国、だから……」
「バベルが戦をするわけではありません。アーシリアに門の利用を許せばいいだけです。通行料でも貰ってね」
部屋全体が重たい沈黙に沈む。
次の瞬間、宙に浮かんでいた紙が一斉に燃え上がった。
驚くタイヨウとハンナに、爪に赤い火を灯したカグヤ妃が言う。
「ミカドは強いぞ。転移陣の弱点は、出てくるところがわかるところじゃ。門から出てきたアーシリアを叩けばよい。楽なモグラ叩きよ。わっちが縁嫁として来ることが決まり、門が開かれた時に、ミカド側は覚悟して対策を立てておるわいな。それでも交易は莫大な金になるからの。危険な橋でも架けるのえ」
「そんな……でも、目の前でそんなことが起きれば、父様はゲオルグ王子やゲラン公爵を止めると思います! ヴォルフガング公やフィガロ公だって……」
タイヨウが、絶大な権力を持つ四貴家の名を挙げる。四つの火の玉を浮かべ、チッチッとカグヤ妃は舌を鳴らした。
「ノーマンはそうであろうの。先の大戦による戦の嫌悪感が、最も強く残っておる地じゃ。だがヴォルフガングは違う。あやつは商人じゃ。交易をしても、戦をしても金になる故、機を見て動く。フィガロは祖国シナンの内患をバベルに救われたばかりで、バベルに借りがある。バベル王の言には逆らわぬえ」
四つの火の玉は、三対一に分けられた。
ミカド皇国の味方は少ない。諸外国から縁嫁を娶る制度は、こうした事態を防ぐための仕組みでもあったのだろう。
ハンナが溜息と共に言い捨てる。
「さっさとカザン様が王になればいいじゃないですか? タイヨウ様という子を成せる王妃候補も現れたのですし」
空いてますよ、ここ。
そう言わんばかりに、タイヨウの下腹部を指すハンナ。
「何ってこと言うんですかあ!!!!」
「純潔奪ったんでしょう? 責任を取ってくださいよ」
「いや、その前にカザンさんは王にはなりたくないって……」
鉄仮面のメイドを、タイヨウが半泣きで揺さぶる。だが髪をボサボサにされたまま、ハンナは黒天使の瞳でじっと彼を見つめ返した。
「――ゲオルグ王子が王となったとき、カザン様が騎士団長ならば、ミカド侵攻の先鋒にさせられますよ。カザン様がミカドを大切に思うからこそ……彼らはそのくらい外道なんです」
ハンナのことは信じている。だが、飲み込みにくい内容だった。
タイヨウは根本が純粋にできている。未だ会ったこともなく、直接害されたこともないゲオルグ一派を、悪だと断じることが生理的に受け入れられなかった。
「カザンは王にならぬ」
カンッと小気味よい音を立て、小さな火鉢に煙管を叩きつける。カグヤ妃は伸びをして、首をゆっくり回した。
「時にタイヨウ、主はわっちが御公家さんだと思うかえ?」
「クゲ……?」
バベルにはない単語に、翻訳魔法がうまくいかなかったらしい。ハンナがタイヨウを見る。
タイヨウはカグヤ妃を見つめた。
大輪の花が溢れ出すような、むせ返るほどの色気。過剰に強調された性。それは御簾越しに匿われる身分の女性とは、あまりにも対極にある。
「……いえ、僕の感覚では……傾城……花魁のように見えます」
「そうじゃ。わっちは公家ではない。武家ですらない、廓の女よ。カグヤという名も、置屋の遣り手婆が名付けた源氏名さ。その女の子供に、親としては王位など望めんわな。鄙びた村から吉原に売られた名もなき娼婦が、大陸の大国の王妃となる。わっちの輿入れは、吉原と幕府の大博打じゃ」
燃えるような紅葉を背に、カグヤ妃は見栄を切るような美しい所作で言い放つ。
「イヨォッ! 輝夜太夫!!」
セミマルが声を張り上げれば、ポポン!と小気味よい鼓をタカムラが叩いた。
「威勢のいいこと言ってますけど、輿入れしたときバチバチの処女でしたけどね。カグヤ“ちゃん”」
ほほ、とホタルが笑うと、「姐さん!?」とカグヤ妃がぎょっとした顔で首まで赤く染める。妖狐と見紛うほどの美貌が剥がれ、初心な乙女の顔になる。それはそれで、男心をくすぐる乙粋な絶景だった。
「大殿がミカドに来たのは、禿の時分から希代の花魁になると言われていたカグヤちゃんを、どの大名家が落籍するんだって、初見世前に江戸中がソワソワしてる時だったよ。俺たちは元は吉原の者で、礼儀も知らねえ。だがカグヤちゃんのことは誰より知ってら。カグヤちゃんの出世話は『国取花魁輝夜姫』って歌舞伎の演目にもなってるんだぜ。輝夜太夫はミカドの全男の夢の華、どこに出しても恥ずかしくねえミカドの宝だ」
一層砕けた様子で胡座をかいたセミマルが、ドンと胸を叩いた。
わあ、と舞台を観終えた観客のように興奮して手を叩くタイヨウの隣で、ハンナは心底わからないという顔をして言う。
「バベルはご存知の通り実力至上主義なんで、当世一と言われる特級能力者であるカザン様の母が、仮にミカド一の乱痴気ド淫乱娘だったとしても、王位を望まない理由にはなりませんけど?」
唯一の生粋バベル人であるハンナの飾らぬ言葉に、ミカドの侍従たちが思わず表情を和らげた。
「そうよの。バベルは好かん所の多い国じゃが、そこは気に入っとる。だがの、ミカドの人間として、王になることを息子に許せん理由が、もう一つあるんえ」
国をも傾けると言われた傾城花魁の仮面を、カグヤ妃は再び被る。窓を見て、こちらに背を向けた。気怠い仕草に、重暗い悲壮感が漂う。
「タイヨウ様も想像できぬことです。とても言いにくいのですが、実は“日本”と“ミカド”の吉原には大きな違いがありまして……」
ホタルが暗い顔をして俯いた。
「なんでしょう。どうか僕には構わず、教えてください!」
タイヨウが焦って躙り寄る。
カザンが、ミカド皇国が秘めてきた王位継承を断る秘密。
ハンナも、いつしか無意識に手を固く握りしめていた。
「我らはの、“一穴一棒主義”なんえ」
一同で、この上なく下品な性行為を示す手印を決めながら、カグヤ妃がペロリと赤い舌を出す。
静寂の広間に、鹿威しが――ポーンと音を立てた。




