40.落夢者
ヒューから指示を受けて、ハンナは急ぎタイヨウの元へ向かった。
物言わぬナリに誘導され、靴を脱ぐことになっても、護衛の男たちに武具の類を持っていないか身体を確認されても、どうやら魔力を抑えるらしい魔石の連なった腕輪を付けられても、顔色ひとつ変えなかった。
『主人の側を離れない』
それはアボットの本能であり、存在意義である。
アボットの検知を阻む堅牢な魔法陣の仕込まれた観月宮に、タイヨウ一人が誘われたことはハンナも承知していた。だが一人残され、たった一分がこれほど長く感じられたのは初めてだった。ジリジリと魂が焼けるような焦燥に、自分自身でも驚いていた。
正確に言えばタイヨウはハンナの主人ではない。だが忠誠を誓ったソーレとの『魂の双子』としてのつながりは確かに感じられたし、何よりこの数ヶ月間でタイヨウ本人に愛着が湧いていた。
そしてアボットの愛着は人並みではない。もはや妄執だ。
なぜか唇を押さえたまま目も虚なカザンを連れ、ヒューが現れたときは全身の毛が総毛立った。『中に入ればわかるから急いで行ってやって』という言葉が終わるか否かで、ナリの後ろを駆けていた。
そんなハンナが応接間を抜け、案内された奥座敷の扉を開かれると……。
「――いや、30分目を離しただけで……何をどうしたらこういうことになるんです?」
ハンナは膝を折り、畳に手をついた。
青々とした畳の上に豪奢な赤い絨毯の引かれた座敷は、洋間のインテリアが配置され、卓上には花が飾られた華やかな祝宴の場になっていた。
壁際ではミカド人の料理人達が、コメにサカナの切り身を乗せた料理をせっせと作っている。対面の壁側では見慣れぬ弦楽器や横笛の楽団が、聴き慣れぬ音楽を打ち鳴らしていた。抜けの窓には、滝と鮮やかな朱色の木々が映える美しい石庭が見えている。
その手前には、しどけなく長椅子に寝そべるカグヤ妃と、やんやと周囲からヤジを飛ばされながら『祝 御成婚』とバベル語で書かれた紅白の襷を掛けられたタイヨウが、正座で将棋を指していた。将棋盤の脇に置かれたテーブルには、トランプやポケッタブル囲碁などカグヤ妃の生み出したヒット商品が所狭しと並んでいる。
「あ、ハンナさん! ごめんなさい。お迎えに行けなくて」
ハンナを見ると、申し訳なさそうにタイヨウが頭を下げ、盤面に再び視線を戻す。
「いやいやいや、それはどうでもいいんですけど、結婚したんですか?」
それ、と襷を指差しながら、禹歩の競歩でハンナが主人に歩み寄る。
「けけけ結婚してませんよ!! これは、その……その……若気の至りと言いますか」
盤から目を離し、首まで赤くしたタイヨウが襷を引っ張りながらワタワタと説明しようとして――プシューッと沈黙した。
「――ほう、他人の息子の純潔を奪っておいて、手遊びだったと申すかえ?」
パチリと駒を打ちながら、「哀しいのぉ、ホタル」と側に控えた女に言うカグヤ妃。
ホタルと呼ばれた着物姿の女は煙管をカグヤ妃に差し出しだすと、「ほほほ。坊ちゃん、死んでしまうかもしれませんね」と水割りを作り出す。会話はバベル王国語だが、口元はミカド皇国語だ。翻訳魔法をカグヤ妃と女はかけられていることがわかる。
豪勢、怠惰、倒錯。
全ての要素を過剰に詰め込んだジャパニーズギンザスタイルな空間に一瞬たじろいだが、ハンナは血走った目をギュルリとタイヨウに寄せる。
「純潔、奪ったんですか? カザン様の?」
完全にホラーなメイドと化したハンナに、タイヨウがダラダラと汗をかく。
「奪っ……頂いてしまった….気がします」
タイヨウが震える手で駒を置くと、両手で顔を覆った。首筋まで赤く染まっている。ハッと気を吐いて、カグヤ妃が言った。
「気がします、ねえ。主、攻め方が顔の割にゲスよの。賭場で学んだんえ?」
刹那の思案をしてから気持ちのいい音を立てて駒を置くと、煙管を咥えながら身体を起こして脚を組む。露になった白い脚が目に入り、慌ててタイヨウは視線を逸らした。
「ホタル、皆を下がらせよ」
「御意」
ホタルが周囲に眼をやると、爺、セミマルを除いた全ての者が退出する。時が止まったように静寂が満ちた部屋の中で、カグヤ妃が王のように煙管でハンナに指示する。
「座りゃ」
ハンナが指し示された布張りのスツールに腰掛けると、畳に正座していたタイヨウも、その隣の椅子にヒュンと座った。
「タイヨウ様、先ほどの“ショーギ”は決着がついたんですか?」
「あ、はい。粘っても、僕が負けますね。カグヤ様相手では勝てるイメージが湧きません」
小声で話す2人を見ながら、カグヤ妃が水割りを紅唇に含むとニッと笑った。
「そうかえ? 主もなかなかぞ。下品だが勝ち気で貪欲で、わっちは好きな手じゃ。聖誕祭でミカドのゲームを扱いたいと言うだけのことはある。門外漢なら跳ね除くつもりだった。主、麻雀もいけるのか?」
「はい! 将棋より麻雀のほうが自信あります」
褒められて嬉しくなったタイヨウは、右腕で力瘤を作る真似をした。祖母は晩年、肉体労働が辛くなったと言って数多のボードゲームのルールを飲み込み、時折裏カジノに潜り込んでは大金を稼いできた。そのナレッジをタイヨウも引き継いでいる。技術を通して祖母との日々が照らされたようで、心が浮き上がった。
「“まーじゃん”….…って何ですか?」
固まったハンナの声に、タイヨウが飛び上がる。そのままギシギシと頭を回し、顔色を伺った。
「もしかして……麻雀はバベルにないんですか……?」
「そうじゃった。わっちも抜けておったな。麻雀は来年カザンの成人記念に発売しようと思っていての。ミカドの者以外、まだバベルではヴォルフガングしか知らぬなあ」
カグヤ妃が首をわざとらしく傾げる。
「はて、その麻雀を知っている理由。主が“日本人”だという理由以外にあれば教えてくれるかえ?」
はくはくと空気を食んでから、タイヨウがガクリと肩を落とす。その様に呵呵とカグヤ妃が笑った。
「チョロいのぉ。よくここまで何事もなく来れたもんじゃ。主のアボットの籠も大したものじゃえ」
煙管で指されたハンナが、全てを諦めた顔で瞑目する。ソーレで身に染みたはずだ。この『魂の双子』は想像の斜め上をいく。
考えろ、考えろ。
麻雀、日本人、日本、ミカド皇国、タイヨウ、黒門。
考えろ、そして守り抜け。
腹が据わったハンナが、真っ向からカグヤ妃に問う。
「タイヨウ様の側仕えを務めるハンナ・アボットと申します。恐れながらお尋ねいたします。国交がひらき、ミカド皇国の遊具や書籍が入ってくるようになりましたが“日本人”に関するものを目にしたことはございません。“日本人”とミカド皇国のつながりは何なのですか?」
「あ、それ僕も聞きたかったことです! 色んなことが日本すぎるんです。これって」
「ややこしくなるから一旦タイヨウ様はお口にチャックで」
タイヨウの口をハンナがおさえると、カグヤ妃がホタルに目をやる。ホタルは一つ頷くと、タイヨウとハンナの前に膝をつき、説明を始めた。
「――ミカド皇国は、渡来した日本人によって発展してきた国でございます。古来より日本人はミカドに現れる度に、言葉、文化、農業、医療など様々な恵みをもたらしました。そのためミカドの言葉を話し、文化をご存じであられたタイヨウ様に“日本人か?”とカグヤ様は尋ねられたのです。ミカド語……“日本語”でね」
「渡来……転移が……行き来ができる……?」
日本へは稀代の闇属性能力者であるソーレが偶然時空を捻じ曲げて転移したはずだ。闇属性がいないはずのミカド皇国人に転移ができるとあっては、国防が根本からひっくり返ることになる。
「いいえ、来ることはあっても、こちらから日本へ行くことはできません。日本人は同時に複数人いることもあれば、数年来ない時もある。意にならぬ天からの賜りものとして、彼らのことを敬意をこめて“落夢者〈オチムシャ〉”と呼び、崇めてきたのです。ちなみに私は翻訳魔法を掛けて頂いているのですが、漢字はどう翻訳されるのでしょうかね? 書いてみてもよろしいですか?」
ハンナに断ってから、ホタルはセミマルの持ってきた文机で“神門”と書いて見せる。
「ミカド、と書いてあります」
ハンナが答えると、ホタルが首を横に振った。
「なるほど、翻訳術のかかった私が書くとダメですね。セミマル、お願いします」
セミマルが勢いはいいがクセの強い字で“神門”と書いてみせると、今度はハンナが首を横に振る。
「これは私たちの漢字という文字で“ミカド”と書いてあります。漢字は1文字ずつ意味を持ちます。これは“神”、そして“門”。日本人という神々が来る門、それがミカド皇国なのです。ちなみにこれがミカドの国章です」
差し出された白いハンカチには、赤いマークが刺繍されていた。日本国旗の赤い円の下を切り、座りをよくしたものに羽衣のように円が重なっている。日本、そして門。
「これまでバベル王国に“日本人”が来たと聞いたことはありません。ですが御館様は『もし誤ってバベルに渡来することがあれば、ミカドに来るよりも苦労するだろう』と日本人が齎したゲームをそのままバベルで発売することにしたのです。日本人が反応することを期待して。いわば、これらは“日本人ホイホイ”なのでございますよ」
ホタルの言葉に、カグヤ妃が頷く。
「バベル人で日本人の存在を知る者は殿と、殿についておったアボットだけじゃ。カザンも知らぬ。厳重な情報統制をかけておる故、バベルで産まれたナリヒラも知らぬ」
「ナリヒラ……ナリさんですか?」
タイヨウが尋ねると、セミマルが“業平”と漢字で書いた。
「業平は俺とホタルの息子だ」
差し出された半紙を見て、思わず郷愁で眼を潤ませたタイヨウに、セミマルがニッと笑う。さらに筆を重ねた。
輝夜、螢、蝉丸、業平、篁。
篁の字を指し、「これは?」とタイヨウが問うと、爺が手を挙げた。
「タカムラさんと仰るのですね!」と言えば、嬉しそうに頷く。
そんなタイヨウに、セミマルが尋ねた。
「タイヨウはどんな字を書くんだい? 海か? お日様か?」
「お日様の方です」
セミマルは一つ頷くと、『太陽』と墨書した後、横に『崋山』と書いた。その字の横をそっと指で滑らせると、タイヨウが目を輝かせた。その字はカザンの魂の在り方そのもののように見えた。
「……カザンさんは、こうやって書くんですね。ピッタリです」
それに、額に飾りたいほど素敵な字です、とタイヨウが誉める。
「へへ。俺はバベル語を独学で覚えたんだ。今はミカドとやり取りしながら辞書の編纂を行ってる。印刷も製本もミカドが段違いだからな。御館様は次は漫画を輸出するつもりなんだ」
普段口にできない母国に関する事柄を話せる喜びを露に、セミマルが胸を張った。




