39.親子喧嘩
「母上!!!」
顔面蒼白になって膝をついたタイヨウに、カザンが駆け寄る。
「何を言われた? 焼くか? 今すぐ焼くか?」
ゆらりと、カザンの琥珀色の瞳が揺れた。魔圧は暴走寸前まで高まり、髪をかすかに巻き上げている。
ふぅっと煙管の煙を吐きながら、カグヤ妃がカザンを見下ろした。髪も瞳も肌の色彩も異なるが、やはりよく似た親子だった。
「野暮なことを。わっちは暫くタイヨウと話すゆえ、主は下がりなんし」
「できるか! タイヨウは連れて帰る」
威圧を発した瞬間、カザンを中心に風が巻き上がった。窓ガラスがガタガタと大きな音を立て、次の瞬間、弾き出されるように割れ飛ぶ。庭の植栽も、台風に吹かれたかのように折れ伏した。
それでもカグヤ妃は、まったく怯む様子を見せない。眼だけで圧をかける。
「阿呆。疾く、去ね」
鋭く上げられた口角から、ちらりと犬歯が覗いた。妖狐というものがいるなら、きっとこんな姿をしているのだろう――とタイヨウは思う。敵わないと心底悟った途端、不思議とクツクツと笑いが込み上げてきた。
「――大丈夫ですよ、カザンさん。お母さんがあまりにお綺麗なので、びっくりしただけです」
タイヨウは自分を護るように立つ大きな背中に、額を寄せる。シャツ越しに触れた背中は火のように熱く、汗ばんでいた。すでに馴染んだカザンの香りを吸い込むと、自然と笑みが溢れる。
「こっちを向いてください」
呼びかけに、カザンがゆっくりと振り向く。両頬をつかんで覗き込むと、琥珀色の瞳の奥で虹色のプリズムが揺らめいていた。
「……俺は嫌なんだ。タイヨウが傷つくことが。色情狂みたいな格好をしているが残念ながら母親だ。このクソババアがお前に嫌われることも不本意だ」
「クソ……」
両手で口元を押さえたタイヨウが背後を見ると、カグヤ妃が青筋を立てて「チィッ」と吐いていた。短気なのは、間違いなく母親譲りである。
「嫌いになんかなりませんよ! それに……たとえ傷ついたとしても、そんな弱虫じゃないんで心配いりません。すぐ治ります」
少年の顔になり、赤くなって拗ねるように、カザンが小声で続ける。
「……それに、お前がクソババアに目を奪われるのも嫌だ。連れて帰りたい」
ブワワッと頬を染めたタイヨウが、カザンの頭を胸に抱き寄せる。心臓がバクバク鳴っているが仕方ない。この顔を誰かに見せるのは、どうしても嫌だった。
「……アホなんじゃないですか。本当に」
抱きしめた髪に口付けながら呟く。心の柔らかいところが、きゅっと締めつけられるように痛んだ。これまでも微かによぎっていた甘い痛みを、今ははっきり自覚している。
落ち着いていく魔圧に胸を撫で下ろした、その時だった。カグヤ妃がカザンの頭を叩く。
「ど阿呆。主は三千世界一の阿呆じゃの。こんな阿呆でいいのか、タイヨウ」
「……ッ」
赤い瞳を見返しながら、タイヨウは息を止めた。
どうしよう。
どうしたらいい。
僕は、どうしようもないタイミングで、どうしようもなく恋に落ちた。
腕の中にある存在なしでは、もうどんな願いも叶わない。どう生きていけばいいのかも、思い出せない。
(……でも、僕1人が決められることじゃない……)
その時、風と共に中庭が光り、光が消えると隊服姿のヒューが立っていた。クセの強い白髪の下で、タレ気味の青い目が大きく見開かれる。
「ええっ!? タイヨウちゃん!? これどういう状況?」
観月宮の護衛陣は、緊急時に危険を知らせる魔石を、騎士団副長でありカザンの乳兄弟でもあるヒューに預けていた。ヒューが対応できない場合は諜報部へ通報が行く。アボット家の護衛システムに頼らないという皇国側と、王妃に護衛をつけたい王家側の折衷案である。
護衛陣は地方隊長格相当の戦力を誇るが、カザンには敵わない。その結果、魔石はヒューに託され、実質「親子喧嘩通報サイレン」と化していた。
緊急転移陣を起動させたセミマルが、気まずそうに頭を下げる。
「すまん。今度こそ本気で屋敷焼かれるかと思ったんだけど、天使のおかげでなんとかなっちゃったみたいで」
「申し訳ございません。ヒュー坊っちゃま。私が悪いんです、坊っちゃまの魔圧で失神してしまったので……」
爺とナリに支えられ、ホタルが青褪めて平伏する。魔力差の現実を目の当たりにし、タイヨウはカザンからそっと離れてから、カグヤ妃の前に平伏した。
「――カグヤ様、失礼ながら申し上げます」
カグヤ妃は、タイヨウの瞳をじっと見つめる。
「僕とお時間をいただく際、門前で待機している側仕えを呼ぶことをお許しくださいませんか。アボット家の者ではありますが、僕の命に賭けて、この場の皆様にご迷惑をおかけすることはないと誓います」
もはや令嬢ではなく、大貴族の令息そのものの佇まいだった。緊張に漲る美しい顔に、周囲は固唾を飲む。
「――嫌じゃ、と言ったらどうするえ?」
煙管を咥えたまま、表情を変えずに問う。
“日本人”という言葉を口にしたカグヤ妃と話す必要があるのは、タイヨウ自身だ。
それでも――。
改めて、床に額がつくほど深く頭を下げる。
「……誠に残念ながら、この場を下がらせていただきたく存じます」
「タイヨウ、なぜ引く!」
肩を掴まれ、タイヨウはそっとその手を握り返した。瞳を覗き込む。
好きだなあ。
この人の、こういうところが好きだ。
役目を理解し、それを奪わない。守るだけでなく、1人の人間として尊重してくれる。だから、ただ僕でいられる。
「僕のそばにハンナさんがいれば、カザンさんは安心して帰れるでしょう? ここまで案内してくださってありがとうございます。ご家族の皆さんに会えて、とてもうれしいです」
一人一人と視線を交わすと、観月宮の者たちは照れ臭そうに笑った。
「それに僕の都合もあって……カグヤ様、ちょっと失礼しますね! あ、ホタルさんもちょっと離れた方がいいかもしれません。背中側だから平気かな?」
勢いよく立ち上がり、割れた窓枠の前に立つ。中庭で立ち尽くす二人に、現場監督よろしくチョイチョイと手で指示を出した。
「ヒューさん、セミマルさん、ちょっと退いてもらっていいです?」
「あ、ハイ」
ガラスを踏みながら、セミマルがヒューを縁側へ引っ張っていく。
「ねえ、俺何しに来たの? 帰っていい?」
ドシリと腰を下ろすヒューに、タイヨウが頷いた。
息を一つ吸う。濡羽色のウェーブが舞い上がり、凄まじい速さで手印が組まれる。バチバチと音を立てて魔圧が上がった。
紫色の光で形作られた魔法陣が浮かび、カルマが唱えられる。自作ではない。ソーレが遺した禁術集から、こっそり練習していたものだ。
「……『逆転する運命の輪〈リバース・エッジ〉』!」
光が消えると、窓ガラスも倒れた植栽も、破壊前の姿へと戻っていた。
「“この直すやつ”、僕あんまり使えないんで、これ以上壊されちゃうと困っちゃうんですよね。だからハンナさんを呼べないなら、僕も帰るしかないんですよ」
唖然とする一同に、未熟者ですいませんとへにゃりと笑う。
それは開国期に魔王と呼ばれた能力者の遺産――復元不可能とされた伝説のカルマだった。“この直すやつ”呼ばわりする存在は、数千年遡っても他にいない。
「――カザン、表のハンナとやらを呼びなんし」
カザンが跳ねるように立ち上がる。
「ヒュー、そのままこの唐変木を連れて帰りゃ。主が離れとるのは事情があるんじゃろ」
事情の全てを知らずとも、勘は告げていた。すでに抜き差しならぬ局面だと。
カグヤ妃は、いなせに笑う。
「こことタイヨウは、わっちに任せなさんし。主は殿と民草を守るんじゃろ」
入口に回ったヒューが手を振る。
「行くぞ、カザン! タイヨウちゃん、またね」
去り際、セミマルとナリが戯れる。
「無理をするなよ」
カザンが両頬に触れる。名残の熱が伝わる。
「はい、カザンさんも」
「当分逢いには行けんが、八咫を飛ばす。石を外すなよ」
真紅の御霊石を指差す。
「……聖誕祭が終わったら、お時間をもらってもいいですか? 2人でお話がしたいんです」
掠れた声に、カザンが青褪める。
「別れ話か!?」
オロオロと取り乱す肩に手を置き、タイヨウがふわりと浮かび――唇を塞いだ。
一段、世界が明るくなった気がした。
長い、長い口づけ。
観客が震え、カグヤ妃が紫煙を吐く。
「……この流れで、あなたは本当にアホなんじゃないですか?」
カザンは物のように転移させられた。
唇を離したタイヨウが、物を投げるようにヒューの元へカザンを転移させた。
我慢できずに高笑いするカグヤ妃の周りで、侍従たちといつの間にか増えた黒装束の忍達が紙吹雪を散らし、くす玉を開け、太鼓を鳴らし、歓声を上げて総領息子の春を寿いだ。
「おさらばえ」
ヒューが手を振り、唇を押さえるカザンをズルズル引き摺っていった。




