38.カグヤ妃
「爺、御館様に聞いてきてやれよ。坊もこの調子じゃ言うこと聞かねえし、連れて上がっても天使様の前でパッパと屋敷を燃やすようなこともしねえだろ」
セミマルが言うと、爺はひとつ頷き、音もなく消えた。
最初からそこにいなかったかのような消え方に、タイヨウは背筋が薄く寒くなる。
「カグヤ妃は、どうして僕1人でと仰っているのでしょうか?」
はて?と小首を傾げるタイヨウに、ナリが肩をすくめる。
「タイヨウ様が御館様に聖誕祭の件で話があるんだろ? 自分の望みに自分一人でケツ持てねえ奴とは会いたくねえって言ってさ」
「聖誕祭!? 僕が? 聖誕祭のこと、さっき聞いたばかりだったんですけど、カザンさんどういうことなんですか!?」
訪問の意図を観月宮に伝えたのはカザンだ。
怒涛の勢いでここまで流されてきて、てっきり『近くまで来たから友達を紹介する』程度のことだと思い込んでいたタイヨウは、完全に動揺した。
「違うのか? お前からの文に魔法大学に行くとあったとうちのアボットに言ったら、奴が『千里眼』で観たんだ。千里眼といっても微かな未来視で、せいぜい精度のいい占いみたいなもんだが。アボットが把握したのは『ヴォルフガング領の聖誕祭の催事は今回カグヤ妃が中心となる』『タイヨウが代表になる』ということだけ。聖誕祭は来月で時間もないし、謁見調整の手間を省くために俺が来たんだが」
カザンの言葉に、タイヨウはハクハクと空気を噛んでから、悔しそうに呻く。
「うう〜!!! 何も違わないんですが、僕自身追いつけていないことを会ったこともない人にしっかり把握されていて、さらにコントロールされている感じが〜……」
「わかるぞ、アボット家のそういうところが母上も嫌いなんだろうな」
二の腕をさするタイヨウに、カザンも頷く。
『御霊の誓い』という魔力を縛る絶対的な誓約により主人に忠誠を誓っていることが周知されているため、看過されがちだが――基本的にアボット家の人間は重度の過保護で過干渉だ。
護衛のためであれば、主人の予定も私信も閨事すらも当然の顔でチェックする。許可なく未来を見ることなど、何ということはない。
「驚かせてすまなかったな。ハンナから何か聞いていると思っていた。これが嫌で、周りから強く言われても俺自身はアボットをつけてない。メイ・アボットは騎士団諜報部につけて『アボット欲』を発散させている。護衛と言われても、俺のが強いしな」
「そうですよね、僕もハンナさんは護衛だと思っていません。護るべき人です。しかし彼女からそこまでのアボットみを感じたことがなかったので、今回は驚いちゃいましたよ」
やれやれ、とタイヨウとカザンが顔を見合わせて苦笑いする。
実際は国家を揺るがす生物兵器である二人を、アボット家が看過するはずもない。ハンナとメイは影ながら全力で『アボット欲』を発散させていたが、本人たちは知る由もない。
「それにアボット家は基本同性にしか付かぬ。アボット欲を恋情に違えるなど、間違いがあっては困るからな」
「そ、うなんですね……?」
絶対服従の『御霊の誓い』を、ハンナはソーレにしていると聞いている。
(今ソーレさんの体は僕〈男〉になってるけど、平気なのかな?)
モヤッとしたところで爺が戻った。
手話を見て、ナリがカザンを見上げる。
「坊も一緒でいいって。でも“試し”をさせろってさ。ったく、御館様も人が悪りぃな……」
ガリガリと頭をかくナリに、タイヨウとカザンは顔を見合わせた。
◆◆◆
本殿に向かい、応接間だというだだっ広い畳の間に案内されると、着物姿の女性が平伏して待っていた。
赤い雪洞が吊るされた高い天井。奥は壁一面が窓になっており、広大な日本庭園が見えるようになっている。久しぶりの畳の香りに、思わずタイヨウは深く息を吸い込んだ。
女性の背後には、絢爛豪華な襖絵に負けない艶やかな着物が3枚掛けられている。
「お待ち申しておりました。私は案内を務めますホタルと申します。本日、タイヨウ様は半刻程しかお時間が取れぬと聞いております故、早速“試し”を行わせていただきます」
「顔を上げよ、ホタル。母上はどこだ。年甲斐もなくボードゲームに入れ込んでいるのは母上であろう?それを催事で使おうというタイヨウを歓迎こそすれ……」
「御控えなさいませ、御坊ちゃま。タイヨウ様を護りたいと思うお気持ちはわかりますが、ここはタイヨウ様にお任せなさいませ。女にも戦はあるのですよ」
苛立った口調のカザンに、ホタルが顔を上げ、ピシャリと言う。
髪こそ黒いが、瞳は綺麗な青だった。顔立ちは彫りが深く、年は四十を回ったあたりだろうか。優しげな笑みを眼尻の皺にためている。
「僕は平気ですよ! 何をすればいいですか?」
バベル王国の風習では考えられぬことだろうに、靴を脱がされても顔色ひとつ変えず、相手を見習うように正座を進んでしたタイヨウに、ホタルが笑みを深め、振袖の前へと誘う。
「タイヨウ様、こちらはミカド皇国の衣服でキモノというものです。本日御館様とお会いになるとき、どちらをお選びになりますか? お選びになったものはお持ち帰りいただいて結構ですよ」
ホタルの青い瞳は、不思議と祖母のアッシュグレーの瞳を思い出させた。
タイヨウは両親を知らない。祖母に聞いたことはあったが、『いない』との一点張りだった。タイヨウが赤子のときからの写真は残っていたが、そこに一枚も親が映っているものはなかった。祖母とは顔立ちも似ていたし、保育園に入ったときから『おばあちゃん』と周囲に判断されていたので血縁は確かにあったのだと思う。
祖母は外国生まれで、タイヨウの出産と共に日本に来たという。会話は全く問題なかったが、日本の風習にはやはり疎かった。
だが、そのハンデを容易に乗り越える祖母は、生涯を終えるまで徹底した『努力の人』であった。
地縁も学歴もなく最初は通訳や翻訳家として働いていたが、そのうちに様々な副業に手を出していった。日本にはそれを許す環境があると喜び、『この国に来れてよかった』と度々言っていた。興味を持つと図書館で資料を集めては読み込み、反復練習を重ねて地道に習得していく。
『生きるために成長する』
その向上心の尽きない姿はタイヨウの根幹をつくり、血肉となった。
吊るされた着物は一見、日本のものと同じように見える。2枚はいま季節の季節にちなんだ紅葉や葡萄といった意匠が色とりどりに溢れていた。1枚はタイヨウの瞳の色に合いそうな淡い紫の水紋柄に小花が散ったデザインで、季節は違うように見える。
そして今、タイヨウはホタルを見る。
彼女は鼠繻子の小袖に、銀糸の入った黒系の帯。髪型はラフな夜会巻きだ。
(これはマナーを問う問題? ミカド皇国のことを知っているかどうか測る問題?)
タイヨウは考える。
やはりミカド皇国は日本とは別物なのだろう。なんらかのつながりはあるのだろうが、日本人として違和感を感じる所が多々ある。
(なんというか、外国の人が作った映画の中で出会う日本、みたいな感じだ)
敬語を使わない護衛、ナリの巫女姿、おそらく奥女中に当たるはずのホタルが銀座のクラブのママのような着物姿であったりと、ルールがタイヨウには分からなかった。
だがミカド皇国はカグヤ妃の縁嫁で開国したばかりのはずだ。バベルの人間でルールが分かる者が果たしているのだろうか?
(――違う、これはカグヤ妃に会わせられるかを問う問題だ!)
タイヨウがホタルの目を観ると、花が綻ぶようににっこり笑ってホタルに伝える。
「僕は、どれもとても素敵だと思います。……ホタルさん、どれを選べばいいか教えていただけませんか?」
試合を放棄したかのようなタイヨウの言葉に、カザンが肩を揺らすが、ナリに袖を引かれて黙って見守る。
一瞬目を丸くすると、ホタルは嬉しそうに破顔した。
「ほほ、これは大変失礼いたしました。そうですね、タイヨウ様にお似合いになりそうな色はこちらの葡萄柄のものでしょうか? 紅葉柄のものもカザン様の髪や瞳を思わせるので素敵ですけれどね」
コロコロと笑うホタルに、タイヨウが照れつつ「ありがとうございます」と頭を下げる。
「……なんだ? 今ので通ったのか?」
カザンが隣のナリに話しかける。
ナリは肩をすくめると、微笑みあいながら歓談するタイヨウとホタルを目を細めて眺めた。
「開国したばかりのミカド皇国と繋がりを持とうとする奴は多いよ。それも蛮族だという思い込みのもとにな。全てよこせという者、奇妙な服だとバカにする者、そもそも試しを行うことに憤る者……そんなんばっかりだから大抵の奴はここで母さんが断っちまう。タイヨウ様は一歩引いたからよかったんだろ。謙虚な姿勢は異文化交流の基本だぜ」
「いや、その前に、まだそんな輩がいるのか……?」
仮にも王妃、その離宮だぞ?とカザンが息を吐く。
西の古豪アーシリア王国からの縁嫁であるコーネリア妃とその息子ゲオルグ王子、後援であるゲラン公からは幼い頃よりミカド皇国について何かと揶揄されてきたが、近年はそれもない。第三王子でありながら実力で最年少王国騎士団長の座を得たカザンは、自身の足元が見えてなかったことに愕然とした。
「この試しにパスしたのは片手の指に収まるくらいしかいねえよ。でも“試し”は誰も止めねえ。大殿もだ。御館様にゾッコンだから、人目に触れなくて丁度いいと思ってるくらいだろ」
ため息をつくカザンに、背後から艶美な声がかかる。
「――カザン、あの小娘がお前の惚れた女かえ? 随分若いの」
音もなく入ってきた長身の美女が煙管をくゆらせてタイヨウを指差す。抜けるような白い肌は輝き、カザンによく似た吊り目の眼尻と唇には瞳と同じ朱が映えている。
何より印象的なのは、その衣装だった。元々日本の着物は身体的な女性性を強調する衣装ではない。だが、彼女は着物を着ながら色気を最大化していた。
ばっくりと肩を出して着崩した豪奢な着物からは豊満な乳房がはちきれんばかりに迫り出し、歩めば長く白い脚が艶かしく目に入る。素足の爪は金色。結い上げられた白い髪には光輪のように鼈甲の簪が刺さっていた。
至高の領域まで高められた、むせ返るような色香。
欲することを許さぬ気高い気品。
タイヨウは慄然と身を震わせた。
カザンのことをこれまで美しい男だと何度も思ってきたが、初めて「女に産まれた方がよかったかもな」とタイヨウは思った。この遺伝子を余すところなく継ぎ、表現しきれる可能性がない男性性であることが惜しいとすら感じた。
いつの間にか近づいてきたカグヤ妃が顎に手を当て、そっとタイヨウの顔を持ち上げる。
ぞわりと下腹部から首筋まで快感が疾った。白檀をベースに花の香りを幾重にも重ねた香が鼻をくすぐる。
「……傾城……」
美と性の圧倒的な暴力に呆けて、思わず溢れたタイヨウの言葉にカグヤ妃がクッと口角を上げる。
「は、傾城とな」
クイッと美しい白首を傾けて、キロリと斜め上を見る。
蓮っ葉な仕草すら美しいなとタイヨウが思っていると、耳朶に口を寄せられ温かな息がかかった。
「……主、“日本人”かえ?」




