37.観月宮へ
『カグヤ』『カザン』という名を聞いたとき、響きが「日本っぽいな」と思っていた。
ソーレがかけてくれた翻訳魔術によって会話は自動変換されるが、人物名や地名などの固有名詞は基本的にそのままだ。
カグヤ妃がミカド皇国から持ち込んだ『将棋』などの数々のゲームを作るという『ジンテンドー』という企業があると聞いたときも、「日本すぎないか?」とは思っていた。
(なぜあの時に、僕はハンナさんに疑問を共有しなかったんだろう!?)
今となっては、取り返しのつかない後悔だ。
さすがに目の前の光景には「もう日本でしょ、これ……」とタイヨウは頭を抱えるしかなかった。
古くからの名家の邸宅が立ち並ぶ閑静な高級住宅地を馬車で行く。整然とした石畳、白い塀、バベル風の装飾――いかにも王都の上流らしい洋風の街並みだ。
その中に、唐突に朱塗りの大鳥居が出現した。
異物。
周囲の景色から浮きすぎて、逆に堂々としている。
カザンの母親が住むという離宮はバベル王立魔法大学の近くにあった。『ヴォルフガング公の協力を仰ぐのであれば早急に父親に話をしておきたい』というリリガルドをバベル王都内にあるオータム商会本社ビルに送り出し、車中はタイヨウとハンナのみだ。カザンは馬で馬車を先導している。
大鳥居の手前にはぐるりと広大な敷地を囲むように石塀がある。
石塀の向こうは見えない――はずなのに、鳥居の奥へ続く玉砂利の白さが、視界の中心を奪う。
玉砂利の先、その奥に見えているのは……
「へ、へ、平安神宮じゃないですかあああ!!!」
「へーアンジングー?」
悲鳴じみた叫びが馬車の中に反響した。
威光を階層によって表現する傾向のあるバベル王都において、朱塗りの平家建ては明らかに異彩を放っていた。寺院ではなく住居であるため中央の社殿は記憶にあるものと意匠が変わっているようだが、全体的な佇まいは極めて似ていた。
――いや、似ているなんてレベルではない。
タイヨウの脳内に、修学旅行や観光パンフレット、テレビの特集、そして“朱”の記憶が一気に蘇る。
「ハンナさんはソーレさんと『日本』に何回か行ったんですよね!? こ、これ京都ですよね? なんでここだけ京都なんですか!?」
「珍しいですね、タイヨウ様が取り乱すなんて。キョート……というのは日本の領の名ですか?」
馬車の中でタイヨウが珍しく大股を広げて頭を抱えていた。
落ち着け、落ち着け、と心の中で繰り返しても、落ち着く材料が一つもない。
「領ではないんですが、なんて言ったらいいんだろ? こっちはノーマン公領1区みたいに数字で分かれてるから、近畿地方を……いや、もう京都は置いておいて、こういう『鳥居』を日本で見ませんでしたか?」
「トリー?」
「あれ、あの赤いの!! あれバベルにないですよね? 僕こっち来てから見たことないです。日本にあるやつなんですよ!」
必死に指をさすが、指をさしても現実が軽くならない。鳥居はそこにあり、朱色は堂々と空に刺さっている。
「申し訳ございません。私はソーレお嬢様に連れられ、イケブクロとアキハバラ、そしてシンジュクにしか行っておりませんので……見た限りではこれがトリーかどうかが……」
「観光地の選択の癖が強いッ!!」
ここでツッコミを入れられる自分の神経が逆に怖い。
しかしツッコまないと、精神が保てない。
ミラクルフィットしていた黒天使こと『ソーレ・タイヨウ・ノーマン』の仮面が弾け飛び、もはや取り乱している男子にしか見えないから不思議だ。そして男子になる程、ソーレと似てくるのも滑稽だ。
馬車の揺れが、妙に現実感を増幅させる。
ハンナは相変わらず冷静だった。冷静すぎて、逆に怖い。
「これらはミカド皇国から持ち込まれたものなのでしょう? 偶然の一致なんじゃないですか? 現に私はここに書かれている文字も読めません。ミカド皇国語の翻訳呪文はかけていただいてないんです」
ハンナが指差す大鳥居の前にある木門には『朱雀門』と墨書されている。
筆の勢い。文字の骨格。墨のかすれ。――日本語のそれだ。
「え、日本語でBL書いてたんですよね? BL読んでたんですよね?」
「はあ、日本語に関しては日本に行く度に翻訳呪文をかけていただいておりましたし、タブレットや書籍に翻訳呪文をかけるという離れ業を彼の方はできましたのでBLは初稿提出時に翻訳を……え、これ日本語なんです?」
「です……僕読めますから……」
「『ここ』と『日本』は交流のないパラレルワールドだと認識しておりましたが、どういうことなんです?」
「それを僕はずっと聞いているんです!!」
会話が堂々巡りになっていく。
答えがないからだ。あるいは、答えはあるが、言葉にすると取り返しがつかないからだ。
防音をかけた馬車の中で騒いでいると、窓ガラスをコツコツとカザンが叩いた。
タイヨウの心臓が跳ね上がる。青褪めた顔で窓ガラスを開けると、馬の上のカザンが申し訳なさそうにハンナに言う。
「すまん、母上はやはりアボットの者は家に入れたくないと言っている。1時間で済ませるから、タイヨウだけ面会させていいか?」
「左様でございますか。カグヤ妃がそう仰せなのであれば仕方ありません。タイヨウ様はいざとなれば転移で自領に戻れるので元々護衛は必要ない方ですし」
涼しい顔で返すハンナにタイヨウが顔色を変える。
“仕方ありません”で流していい情報量じゃない。
「ちょっ……! カザンさん、ちょっとお時間いただきますね! 失礼します!」
勢いで窓を閉めた。ピシャン、と妙に乾いた音がした。
タイヨウがカザンに背を向ける。背を向けたところで現実が消えるわけではないのに、背を向けずにいられなかった。
「ミカド皇国語が日本語で、ミカド皇国から持ち込んだという体で日本のものと酷似した建造物があるんですよ! おかしいですよ!! もっと調べてから会うべきです」
「いや、でも王妃と会えるのは今しかないですよ? 常識的に考えて。カザン王子とカグヤ妃が偶然暇なタイミングなんて普通ないんですから」
「なんでそんな冷静なんですかぁ! この異常さに気付ける僕は日本人! ソーレさんはバベル人! 絶対僕ではボロが出ます!! 入れ替わりがバレますよ!? そもそもね、『母親が好きだった国の言葉でソーレと同じ意味の“太陽”を意味するタイヨウを名乗る』って、強引に『タイヨウ』をミドルネームにして名乗ってますけど、“タイヨウ”は日本では通常男子の名前なんです!」
言えば言うほど、危険な情報が自分の口から増えていく。
脂汗が首筋を滑る。
その肩をトンッと叩いてからハンナがウインクする。
そして聞いたことのない女子ボイスで応援ポーズを作った。
「タイヨウ様。がんばれ♡!」
「はあああ!?」
「バベルは武人の精神で生きる国。平たく言うと、押せばいけるで生きてきたワンチャン大国なんです。大丈夫、タイヨウ様も最早バベル人です。『気になる彼のお母さんに気に入られちゃうぞ☆大作戦』がんばってください」
「無理いいいい!!!」
完全に腰が引けているタイヨウを馬車から引き摺り下ろすと、ペイッとカザンに押し付ける。
荷物みたいな扱いだが、今のタイヨウにはそれがちょうどいい。考えたら死ぬ。
「よろしくお願いいたします。カザン様」
「ああ、1時間経っても戻らなければ侵入していい。俺が許す」
「畏まりました」
社殿へと続く白い玉砂利の奥に、いつのまにか巫女装束に白い狐面をつけた人物が立っており、タイヨウが身体をビクッと跳ねさせる。
巫女装束。狐面。白。赤。
いよいよ日本のパッケージが揃ってきた。
「なんだ? 随分弱っているな、タイヨウ。御霊石を俺に持たせると言っていた勢いはどうした」
タイヨウを抱いて玉砂利をザクザク歩きながらカザンが尋ねる。
ザクザクという足音が、やけにリアルだ。逃げ道のない現実みたいに響く。
「……どうしてハンナさんは一緒に行けないんですか?」
珍しく大人しく抱かれるだけでなく、首元にギュッとしがみついたタイヨウの背中をカザンがトントンと優しく叩く。
その手の温度が、今は救いだった。
「心配するな、俺がいる。ハンナとやらはアボットだろう? 母は闇属性が基本苦手でな。闇属性はミカド皇国にいないから馴染みがない上に、特に王家御庭番であり操心や読心も扱えるアボット家は色々あって昔から毛嫌いしている。護衛もミカド皇国から連れてきているほどなんだ」
「……僕も闇属性ですよ」
「ハハハ! そうなんだが、俺が女を連れてくるのが初めてだからな。好奇心に負けたんだろう」
“女を連れてくるのが初めて”。
その言葉に、タイヨウの胸が変なところで跳ねる。
喜んでいいのか、恐れていいのか、判断が追いつかない。
楽しげなカザンの頬を両手で掴み、タイヨウが顔を寄せて真剣な眼で尋ねる。
「ーーカザンさん、お母さんが、僕ともう会うなって言ったらどうしますか?」
キョトンとした顔で、カザンが立ち止まる。
間の抜けた反応が、逆に怖い。否定されるより怖い。
「母上が? 俺に? タイヨウと? なぜ?」
「……なんでもです!!」
「そうだなあ……」
風が舞う。
カザンの背後に、美しい日本庭園が広がっているのが目に入った。
色づき始めた樹々。バベルに来てから初めて目にした紅葉の葉が、赤らんで風に揺れていた。赤色の多い景色の中、陽光の下で赤銅色の髪が紅く輝く。
「焼き払ってやる」
最悪の答えが、軽快に出た。
タイヨウははあああっと長いため息をついてから、再びカザンの首にかじりついた。
「何の解決にもなってないじゃないですか!」
紅葉と同じ色になっている頬をグリグリと肩に寄せて、タイヨウがため息をつく。
応接の間になっているらしい開け放たれた社殿の端に着くと、カザンはタイヨウを降ろした。社殿には『観月宮』と墨書がある。
観月宮。
見たことのある筆跡。見たことのある文化圏。
心の中で、危険信号がずっと鳴っている。
「ナリ、通せ。タイヨウを連れてきたぞ」
狐面をつけた小柄な巫女にカザンが言う。
狐面から見える髪は、バベルでは珍しい黒髪だ。
巫女は黙って見上げている。無言が妙に“慣れている”無言で、余計に不安になる。
カザンがため息をつく。
「案ずるな、タイヨウはミカド皇国語がわかる。ナリ、そろそろバベル語を覚えろよ。もう14だろう」
「ぼ、僕は翻訳魔法かけてるので、どの言葉でも自然に聞き取れます! お気になさらず!」
お辞儀をするタイヨウに、狐面が一拍黙る。
――この間が嫌だ。
間違い探しの答え合わせみたいで。
「……ああ? 御館様はタイヨウ様のみって言ってたぞ」
仮面越しにタイヨウの顔を見ながら発されたのは、細い少年の声だった。
やはり日本語だ。
その前に礼儀も何もないこの態度。
(巫女姿なのに少年……? 敬語でもないし……。でもこれがおかしいかどうか、バベルの人は普通知らないはずで、いやそもそも何でそんな日本なの??)
頭の中が渋滞する。
突っ込むべき箇所が多すぎて、突っ込む順番がわからない。
思案顔のタイヨウをチラリと見てから「ならぬ、俺も行く」と、カザンが怒気をにじませて宣言する。
「だめだっつーの。坊、御館様がタイヨウ様に無体なことを言ったら燃やすじゃねえか」
「無体なことを言う方が悪い」
「せっかく神苑の紅葉が生え揃ったんだよ。爺が泣くぞ」
「爺、セミマルもいるんだろ? 出てこい。俺も上がらせねば今すぐ一足早い紅葉を屋敷にも咲かせてやるぞ」
力を込めて血管の浮いた手の上に火球が生じた。
火球の熱が空気を歪め、その歪みが朱塗りの屋根を揺らす。
――瞬間、屋根の上に黒装束の男が2人顔を出した。
「坊、短気は損気って言ってんだろ。爺の頭見てみろよ、こんなハゲ散らかして。爺不幸も大概しとけよ」
黒装束の覆面姿で顔も頭も見えないが、四十絡みの男の声だった。
当然のように日本語だ。
覆面の隙間からは東洋系の目元が覗いている。
隣の爺と呼ばれた男は無言のままタイヨウを見つめていた。
視線が鋭い。
声を発さない分、圧がある。
“見抜かれる”という恐怖が、背中を走る。
「しかし、お姫さん綺麗な顔だねえ。人間なのか?」
仙女みたいだ、と狐面の少年がタイヨウの顔を覗き込めば、セミマルと呼ばれた男がケラケラと笑う。
「坊め! ついこの間、御館様に不能なのかって聞かれて庭燃やしてたのにな。単に面食いなだけだったとは」
情報が多い。
下ネタが早い。
そして“庭燃やした”が軽すぎる。
カザンがため息をつくと、タイヨウの頬に手を当てる。
強引なようで、どこか守る仕草だ。
「タイヨウ、こいつらはシノビという奴らで母の護衛だ。貴族ではないため礼儀も知らぬ。許せ」
「はあ、それは全然いいんですけど……カザンさんも日……ミカド語話せるんですね! ちょっと驚きました」
危なかった。
反射で“日本語”と言いかけた。
口の中に冷たい汗がたまる。
「お姫さんも、口の動きがミカド語だって爺が言ってるけどな。翻訳魔法じゃないのか?」
「!?」
セミマルの言葉にタイヨウが口を押さえて飛び上がる。
膝が笑う。心臓が喉までせり上がる。
爺と呼ばれる男は声が不自由なのか、手話で周囲に語りかけているのが見えた。
手話の動きが、ただの合図ではない。
――会話だ。
しかも、タイヨウを観察した結果を“共有している”。
「俺も気になってたんだよ。ミカド皇国語じゃなくてミカド語って略すあたり、まさか……」
狐面を押し上げて、赤い目の勝ち気な少年がタイヨウの顔を覗き込む。
距離が近い。近すぎる。
さあっとタイヨウが青褪める。心臓が破裂しそうだ。
――バレる。
入れ替わりが。
自分が“ソーレではない”ことが。
だが、ナリと呼ばれる少年の次の言葉で、膝から崩れ落ちそうな程拍子抜けした。
「相当なミカド好きじゃね!?」
「坊の母国だからか? やるじゃねえか坊、こんな別嬪にそこまで惚れられてよう」
セミマルが1人屋根から降りてカザンを肘でつつくと、爺も何やら手話で応える。
……違う。
疑われているのは“入れ替わり”ではない。
ただの――好きな推しのために頑張るオタク扱いだ。
「爺〜!! こんな真っ昼間から下ネタやめろよー」
はしゃぎすぎだぞ、と手庇をつくって見上げるナリが言った。
タイヨウは、その場の空気が“今だけは”自分を殺しに来ていないことを悟る。
ここで逃したら終わる。
次に同じ誤解が起きる保証はない。
「……よし、それで行きます」
聞き取れぬほどの小声で呟くと、「え?」と近くにいたナリが振り返る。
タイヨウは息を吸い、胸の奥の震えを握り潰し、完璧な笑顔を作った。
神々の奇跡。黒天使の仮面。
今この瞬間だけは、それが命綱だ。
「そうなんです!! 僕、ミカド大好きなんです!!!」
この世のものとは思えぬ美貌に、神々の奇跡と謳われる笑顔を湛えてタイヨウが言う。
「だから、ミカドのことを少しだけ知ってる……それだけです」
風が強く吹き、黒い髪を巻き上げる。
まるで羽根のように艶やかな黒髪が広がり――
「これが『天使』か……」
敬虔なものに出会ったミカド人の常として、男たちは自然に合掌した。
ここから物語が大きく動きます……!




