4. ベスト・腐レンズ・フォーエバー
「僕なんかの人生と変わってソーレさんが助かるなら……むしろソーレさんは大丈夫なんでしょうか? アパートも解約してしまいましたし、そうだ、マグロ漁船!!」
マグロ、マグロ漁船に乗れますか?とわたわたとソーレに話しかける。
「乗らないわよ、マグロ漁船なんて」
「ええっ」
「こうなる前に連絡して断っといたっつーの。未成年も未成年、15歳のタイヨウを違法に雇用する御予定が破綻しても先方は文句も言えないしね。家はしばらくホテル住まいにするから問題ないわ。この3年、ハンナと一緒に小金稼いできたから大丈夫」
ひらひらとソーレが通帳を差し出す。
受け取ったタイヨウは中を開いて「一、十……ええええっ!!?」と立ち上がった。
「3000万!? しかも名義が僕なんですけど!?」
「足りない? まだ物価がよくわからなくて」
「いえいえいえいえいえ」
「よかった! このお金、入れ替わりのあとはタイヨウに報酬として全部あげるからね」
こ……(んな大金)も…(らえないです)……と口をパクパクさせているタイヨウの肩をソーレはポンポンと叩いた。
「“こ”んな端金で、“も”し僕がノーと言ったらどうするつもりなんだって? もちろんわかってるっつーの!」
ドンと胸を叩く。
「生活費は当面ここから出すけど、一年後までさらに増やしておくから! あと来年高校も入れるようにしておくわ」
ソーレが自信を漲らせ、にっこりと笑う。
「それにしても……こんな大金どうやって……」
通帳を震える手でめくるタイヨウに、そのお話は私から、とハンナが割り込む。
「――お嬢様が初めて日本に飛んだ頃、ちょうど私はお嬢様付きのメイドとして雇われたばかりでした。私も闇属性で『索敵』『認識阻害』を少々嗜むのですが、諸事情あり、失意の中お嬢様とお会いして……」
無表情のまま淡々と語るハンナが、そこで一瞬言葉に詰まった。
明るいソーレさんの存在に救われたのかな?僕のように。ちらりとソーレを見ながら、タイヨウは紅茶を傾けた。
「救われたんです、BLに」
ブッ!っと紅茶を吹き出すタイヨウ。
「び、びびBL……」
「はい、BのLでございます」
ハンナが無表情のまま笑う。
「BLの自由と、気高さ、美しさ。まさに薔薇の如き魅力! こんな世界があったのかと、開眼後は日々尊さに合掌しておりました。想いが昂り、読書用にと頂いたタブレット端末でBLを書き始め、あのお金を作らせていただきました」
「ハンナ先生は売れっ子なのよー」
2人がハイタッチをする。
怪しいお金では……ないということでしょうか……?
これ以上深入りしてはいけないという本能からの警笛を受け入れ、タイヨウが話を変える。
「し、しかしソーレさんのご家族は、さすがに入れ替わりに気づくのではないでしょうか!?」
その言葉に、一瞬2人が無言になった。静かになると、リンと虫の声が遠くから響いてくる。
((チャンス!))
ハンナとソーレが目を合わせた。タッグを組んだ2人は静寂を引き裂きタイヨウに畳み掛ける。
「大丈夫! うちはお母様が亡くなっていないし、お父様は放任主義でねえ。実は来月母方の親戚のノーマン公爵家の養女になることになってんのよ」
「よ、養女」
初耳の話が次々と……。
だがギラギラするソーレの目に気圧されるタイヨウ。
「むしろオッケーよ! ノーマン家のメンバーとは赤ちゃんの時に会ったきりで面識はないから、中身が別人なんて誰も気づかないってわけ!」
ソーレの言葉に、ハンナも大きくうなずいた。2人の完璧なコンビネーションパスがタイヨウを追い詰めていく。
「当家からノーマン家には私しか同行いたしませんし、元々お嬢様は病弱な引きこもりを装って好き勝手遊んできたので。恋人はもちろん、ご友人もおりません。ボッチです」
ね、ボッチですよねとハンナがソーレを指差す。
「だからね、タイヨウには一年間、我が国でも有数の名家であるノーマン家で当たり障りのなーい令嬢生活を送ってもらえればいいだけなの。私より絶対上手に令嬢らしく振る舞えるって!」
なぜかソーレが胸を張る。
「ね、バカンスだと思って!」
「ね、悪い話じゃないわよ!」
押しに弱い自分が憎い……。
「うう〜……」と唇を噛み締めるタイヨウ。
その天使としか形容できない美しい顔は青ざめ、扇のようなまつ毛に包まれた宝石のような瞳は潤み、果実のような紅い唇は微かに震え……
ざわ、と森まで騒いだ音がした。
本人は期せずとも、目にした誰もが跪き手を差し伸べざるを得ない、奇跡のプロ令嬢がそこに爆誕していた。ソーレとハンナは手を取り合い、感動の涙を流して快哉をあげる。
「「百点満点、五千点です!!!!!!」」
さてと、とソーレが立ち上がる。
はい、ハンナがその手に皮張りのトランクを一つ手渡すと、ソーレは扉に歩き出した。
自分の後ろ姿ってこうなっていたんだな、と、そんなことを思いながら小柄な学生服姿の少年の姿をタイヨウは目で追った。
「一年間、よろしくねタイヨウ。ちなみに満月の夜に少し通信はできるから。私の魔法が使える便利道具も作っといたから後で見ておいて」
それとね、と振り返る。
「――入れ替わりの魔法は、魂の器が同じ人間同士しか使えないの。『魂の双子』って言うのよ。私たち、生まれた時間も死ぬ時間も一緒なんですって。だからタイヨウを見つけたときは本当に嬉しかった」
本当に、嬉しかったんだよ。
その言葉は、タイヨウの心の柔らかいところにスッと沈んだ。
「だからね……そんな唯一無二の家族のタイヨウに、無理なことゼーッタイ頼まないっつーの! てなわけで、ゆる甘♡令嬢生活楽しんでねー!」
ソーレは扉の向こうにウインクしながら消えていった。
「待って!」とタイヨウが追いかけ扉を開けると、そこは洋館の廊下が広がっているだけだった。
とんでもないことに巻き込まれたという実感と、春の夜の冷気がタイヨウの身を震わせる。
ソーレとハンナの計画と期待を大きく裏切り、このあとタイヨウはゆる甘♡とは程遠い令嬢生活を送ることになるのだが、その夜は何も起きなかったかのようにただ静かに更けていったのだった。
ハンナ先生のペンネームは『帆南堂』と仰るそうです。