34.モラトリアム大作戦
「レイ殿下の目的は何なんです? オープンキャンパスに託けて未成年の子供を呼んだ理由をお聞かせくださいませ」
メイドとしてはもちろん、アボット家としても出過ぎた真似だと理解していた。
それでもハンナは、詰問口調を抑えられなかった。
タイヨウが「時間制限のある黒天使」だという事実。
それを知っているのは、この場で自分だけだ。だからこそ、ここで軽率な駒として扱われれば――取り返しがつかない。
「――目的はモラトリアムだよ」
「「「モラトリアム?」」」
「そう、猶予期間。モラトリアムが必要だという点で、僕とノーマン君、そしてカザンは合致していると判断した」
「僕に必要な……? 何の猶予でしょうか…?」
タイヨウが怪訝な顔をする。
“猶予”という言葉は、どこか怖い。間に合わなかったら終わる、という響きがある。
「君がカザンを選ぶかどうか判断する猶予、そしてこの魔法大学で学ぶ猶予さ」
その瞬間、風が吹いた気がした。強く、強く。
暗い雲を割り、天使が掛けた梯子のように、心へ幾筋も光が落ちる。
――そんな幸福な未来が、あっていいのだろうか?
レイ王子は続けた。声音だけが、ふっと冷える。
「ゲオルグが王になれば、僕は間違いなく廃嫡される。能力主義の我が国で、無能力者の僕を迎え入れる貴族はいない。平民となりアボット家の護衛も失えば、おそらく物理的にも消されるだろう」
タイヨウの体が、ぎしりと固まる。
思わずハンナ、そしてセバスを見る。アボット家の無表情と無言は、その予想が決して過言ではないことを雄弁に語っていた。
「しかし、5年間あれば僕は平民となっても生きる術を見つけられると思う。否、見つけてみせる! 平民の方が元王族という身分に価値を見出してくれるだろうしね。そして5年以内に僕はゲオルグと母上の悪行の動かぬ証拠を見つけたい」
多くを語らない王子の、揺るがぬ決意。
それに触れて、タイヨウの目が思わず潤む。
――もう、自分のような思いを誰にもさせないように。
――もう、傷つく者がないように。
「そしてカザンだ。あの子は本心から王になりたくないんだよ。5年あれば妹のシュリが洗礼式を迎えることができる。そうすれば後継者の指名を受けることができる。シュリはとても優しい子なんだ。あの子が王になればいいと、僕は思う」
『タイヨウ、お前が生まれる前より、この世界がほんの少しでもいいものになったとしたら、それほど素晴らしいことはないんだよ』
祖母の声が蘇り、タイヨウはふっと瞳を閉じる。
瞼の裏でソーレが笑った。
ハンナ。養父母。レオン。クリス。
この世界で出会った人々の笑顔が浮かび、最後にカザンの瞳を思い描いたとき――ツキリ、と胸が微かに痛んだ。
(ソーレさんは優秀だから、魔法大学は喜ぶよね。何より勝手に結婚が決められるわけでもないし、きっと喜んでくれるはず。それにカザンさんも……)
「ちょ、魔力! 魔力おさえてタイヨウ!! 無理!!!」
昂る想いに引きずられ、知らず魔圧が高まっている。
眼の色が変わりかけ、リリガルドが反射で飛び退った。至近距離で能力差のある魔圧を浴びるのは、それだけで大きな負担になる。
「ノーマン君も、5年かけてもカザンに想いが向かなければ手を取らなければいいよ。流石に5年あれば妊孕力のある特級女性が他にも現れるだろうし、気に病むことはないよ」
(他の、ひと……)
その言葉だけで、タイヨウの魔圧がみるみる引く。
勢いよく立ち上がった熱が、しゅん、としぼむ。
ハンナは複雑な胸の内を隠したまま、その横顔を見つめていた。
「実際、可能なんですか? 王命なのですから、王次第ですよね」
――王を動かす手段はあるのか。
言外の問いを込めてハンナが見据えると、レイ王子はセバスに頷いた。老執事がサッとフリップを出す。
『モラトリアム大作戦』
達筆すぎて、逆に胡散臭い。
だがセバスの手つきは、無駄がない。
次のフリップにはこう書かれていた。
『1. 聖誕祭で最優秀賞を受賞する』
「聖誕祭で特に優秀なイベントを行った領は王との謁見機会が与えられる。呼ばれるのは領主と、実行した代表者だ。そこで望む褒美を王から尋ねられる、というものだが『謹んで幾久しく御世の繁栄を願います』と答えるのが形式なんだ。だが、これは法で決まっている訳ではない。セバスと抜け穴がないか確認を重ねたが、ここで『御世の繁栄に尽くすために、5年間は婚姻はせず研鑽を積みたい』と一文を加えてはならないという法はなかった。また代表が未成年であってはいけないという法もない。武力がない分、知能戦は僕に任せてくれ」
胸を叩くレイ王子に、おお〜!とタイヨウとリリガルドが拍手する。
タイヨウの拍手はまっすぐすぎて、ちょっと眩しい。
「なるほど。武力によるクーデターとかじゃないんですね」
「そんな怖いこと想像しないでくださいよ!」
つつかれて、ハンナは黙って肩をすくめた。
彼女の脳内は、常に最悪を想定している。仕事なので。
「……でも相当難しいよ、それ。ノーマン領、毎年めっちゃやる気ないもん。聖誕祭は王位継承者の後援者たちの代理戦争。推す候補がいないノーマン領は毎年申し訳程度のイベントしかやらないんだよね」
腕を組むリリガルドの分析は、商家らしく現実的だった。
聖誕祭は“夢”であり“市場”でもある。勝ち筋のない勝負に金と労力は突っ込まない――それが彼ら商人の温度感だ。
「聖誕祭はゲラン領が絶対王者! 彼らのルーツであるアーシリア王国は芸術の都と呼ばれるほど文化水準が高いのよ。祭なんてお手のもの。ここ数年は王の外遊記の『西方見聞録』を舞台化してて、これも大当たり! それだけじゃない。当日の料理はル・コルトン料理大学っていう料理家たちの聖地から神々の舌を持つという七賢人が来て腕を振うの。これがとんでもない味で、口にすればたちまちなぜか衣服がはだけてしまう程なのよ!」
「服がはだける」
「はだけるのよ」
タイヨウの小さなつぶやきに、リリガルドは大真面目に頷いた。情報の深刻度が、急に変な方向へ跳ねた。
「そう。毎年国民も大いに期待していて、王もゲラン公爵の『危険が去らなければ聖誕祭に出ない』という発言が無視できないんだ。だから、次のこれも大事」
レイ王子がパチンと指を鳴らすと、セバスが次のフリップを出す。
『2. ヴォルフガング領の代表になる』
「工業国であるヴィロン共和国は学術都市としても名高く、そのルーツを持つヴォルフガング領は多くの学者や研究者を輩出している。アーシリア優勢は長年変わらないが、卓越した発明や発見があった年はヴォルフガング領が最優秀を得ている。ポテンシャルと予算があるから組み先としては最高だ」
「僕、研究結果とかないんですけど……」
タイヨウの声が、きゅっと小さくなる。
誰かの成果を横取りするような真似はできない。自分がここで“使われる”感覚が、胸の奥でひっかかる。
けれどレイ王子は、その不安を見透かしたように首を振った。
「いや、今年はめぼしい研究結果がないから、その線はない。狙うのはカグヤ妃だ」
「カグヤ妃!?」
それって、カザンさんのお母さんで第二王妃だよね?
タイヨウの目がくるくる回る。
横でリリガルドが、閃いた顔で叫んだ。
「ヴォルフガング……カグヤ妃……ボードゲームね!」
「そうだ! 君が来てくれて本当によかったよ、オータム君。ヴォルフガング公はカグヤ妃がミカド皇国から持ち込んだ『ショーギ』などのボードゲームをヴィロン系の商会を通じて商品化してきた。専任工房として『ジンテンドー』という会社をつくっていて莫大な利益を上げている」
話が、盤上へ移った。
戦争ではない。クーデターでもない。――“勝ち筋”を作るための、極めて現代的な外交と商売の手口だ。
そして最後のフリップを、レイ王子が掲げた。
『3. シュリと仲良くなる』
地味な学者にしか見えない第一王子は、コホンと咳払いをしてから、慣れない檄を飛ばした。
「テッペン、獲りにいくぞ! モラトリアム大作戦開始だ!」
その瞬間、タイヨウはなぜか――少しだけ、泣きそうになった。
怖いのに、胸が温かい。
未来が、ほんの少しだけ「選べるもの」になった気がしたからだ。
お兄ちゃん王子の説明長かったですね。ここからは勢い爆上げで参ります!!




