30.魔法大学
「やあやあやあ!! また会えてうれしいよ! ノーマン君、オータム君!」
地層のように積もった書籍と、何に使うのかわからない道具がぎっしりと詰め込まれた教授室。その奥から、レイ王子が喜色満面で手を振った。
「元気そうでなによりだ! ああ、座ってくれたまえ。今お茶を出すからね!」
タイヨウとリリガルドは、端に書類が積まれたソファへ腰掛ける。
第一王子は客員教授職についているとはいえ、このはしゃぎぶりを見る限り、日頃から頻繁に来客を迎える生活ではなさそうだった。
「あの~……早速なんですけど、今日は何の御用だったんですか?」
コテン、と首を傾げるタイヨウ。
その所作だけで場が和む。だが、空気が少しだけ冷えた。
筆頭側仕えと見られる執事然とした白髪の男が片眉を上げたのだ。片眼鏡の奥の視線が、氷のように冷たい。
タイヨウが無意識に背筋を伸ばした、その瞬間。
レイ王子が、穏やかに、しかし有無を言わせぬ声で言った。
「やめなさい。この子達には面倒な前置きはいらない。セバス、アレを見せてくれ」
セバスと呼ばれた老執事が、警戒を解かぬまま頑丈そうなブリーフケースをソファ前に置く。
(セバスさん、とても強そうな人なのに、なんで僕らなんかを警戒するんだろう?)
その疑問は、ケースが開かれた瞬間に氷解した。
「「あっ! 海鳥撃退君3号!!!」」
「ノン! お手を触れませぬよう!!! 特にオータム殿ですぞ」
伸ばした手をピシャリと叩かれ、リリガルドが小さく跳びはねる。
「痛ぁ! パパにも打たれたことないのに!」
「殿下の御前に2度もケツァルコアトルを呼ばれてなるものか!」
恨みがましい上目遣いで見つめるリリガルドを、セバスがシッシッと追い払う。
その動きがやけに手慣れているのが、なおさら腹立たしい。
「あ、本当だ。リリガルドさん、大変です。これも撃退じゃなくて召喚する方のやつみたいですよ」
タイヨウがブリーフケースに納められた呪符を指差した。
海鳥撃退君3号とは違い、魔法陣に描かれた三角が内向きを示している。
「さすがノーマン君! そしてこれは海鳥ではなく、前回同様、ケツァルコアトルを喚ぶ様に書き換えられているんだ」
ソファ前に歩み寄ったレイ王子が、バベル古語を指し示す。
「どういうこと!? こないだアタシが摑まされたバッタモンが何でまたあるの!?」
「……これを一体どこで? 先日のノーマン家への嫌がらせは終わってなかったんですか?」
震えながら抱きついてきたリリガルドを抱きしめたまま、タイヨウがレイ王子を見る。
アメジスト色の瞳が、ゆっくり固くなる。
その「変化」に、セバスが即座に反応した。
いつの間にか外されていた白い手袋。
その人差し指が、タイヨウの額を押さえる。
「よしなさい。タイヨウ嬢。王族の前で許可なく魔圧を上げるなど、全くノーマン公爵はどんな教育を?」
「父からは大切な人は命をかけて守るよう教えられています。あの夜の件は原因不明のため不問にされると聞いていたから僕たちは来たんです。それなのに、あんな口ぶりで御手手ピシャリはひどいですよ!」
むん、と胸を張って主張するタイヨウ。
それは抗議であり、告げ口であり、完全なる子どもの正論だった。
レイ王子が堪えきれず吹き出す。
「アハハハハ!! セバス、疑ってたのが馬鹿みたいだろう? この子たちは本当に何も知らないんだよ」
「ハァ……そのようでございますな、殿下」
呆気にとられるタイヨウとリリガルド。
だが次の瞬間、背後から空気の温度が一段下がった。
絶対零度のハンナの声が、地を這うように響く。
「……お祖父様、どういうことなのか説明してくださいませ」
老執事が手袋をつけ直しながら、かすかに微笑んだ。
「何を腹を立てておる。ハンナ」
「タイヨウ様に『読心』を使いましたね? 何故です? 査問にかけるのであれば、未成年のタイヨウ様にはノーマン公の立ち合いが必要なはずです。冗談にしては些か度が過ぎているのではありませんか? 当主を退かれて、脳味噌も引退されてしまわれたのですか?」
「……」
「どうせレイ王子から話を聞いても安心できなかったんでしょう。セバス・アボット名義で魔法大学の見学への招待を回りくどくリリガルド様にお送りされるあたりはさすが年季の入った粘着系だとドン引きするだけで済みましたけどね。でもねえ、調子に乗って未成年の主人に無許可でお触りされたら黙ってられませんよ。変態ロリジジイ」
「……」
教授室に、重たい沈黙が満ちた。
書類も、魔導具も、空気までもが固まる。
「あ、あの、ハンナさん。こちらの方はお祖父様なのですか?」
タイヨウの質問に、ハンナは深い溜息をつく。
「――恥ずかしながら左様でございます、タイヨウ様。今すぐ全ての血を入れ替えたいほどですが、こちらは王家御庭番アボット家の先代当主で私の祖父でございます」
「さっきの……『読心』って?」
リリガルドが尋ねると、ハンナは祖父から目を逸らさぬまま答えた。
「アボット家当主だけが使える秘術です。詳細は当主候補ではないので知りませんけど、一定時間心を読めると言われており、犯罪捜査では信頼できる証言として認められている程です」
「べ、便利ですね……って心っ!?」
(入れ替わりのこと、バレちゃったりしてます!?)
ドキン、と心臓が跳ね上がる。
タイヨウは顔面蒼白のまま口を押さえ、ハンナを見つめた。
ハンナは仰々しくハンカチを差し出しながら、祖父を半目で見る。
「なんとお労しい……さあ、お涙を拭ってくださいませタイヨウ様。そして額の加齢臭を拭ってくださいませ。どうかご安心ください。『読心』はアボット家現当主のみが使えるもの。引退した祖父は、触れている者が嘘をついているかどうかわかる程度でございましょう。御身は決してッッ! 未成年にッッ! 未許可で痴漢行為に及んだ老害の汚い手には汚されておりません!! 不埒で穢らわしい行動は薄い本の中だけになさいませお祖父様!」
「……」
「……じいさん、灰になってる」
心臓をおさえて震えるセバスを見て、リリガルドが小声で言う。
「ハンナさん、わざとやってますね……」
タイヨウの言葉に、ハンナは鉄仮面のまま肩をすくめた。
メイドに似合わぬ傲岸な態度に、レイ王子が目を細める。
「僕からも謝るよ。試すような真似をして申し訳なかったね」
「いけません、殿下! 王族の謝罪はそのように軽々しく行うものではありませんぞ」
主人の言葉に正気を取り戻したセバスが慌てて言う。
だがレイ王子は、手を挙げてそれを止めた。
「どうもアボット家というのは主人想いでね。セバスも非力な僕が危険な目にあったのではないかと心配してきかず……悪気があったわけではないのだが、本来犯罪者に使われる術を使われては気分が悪いだろう。どうか僕から謝らせてほしい」
「ノーマン公の夜会に行くと書き置き一つで城を抜け出し、挙句厄介な魔鳥の群れに襲われたと聞いた時には……爺にも謝っていただきたいですぞ殿下」
「この国で1番特級能力者が揃ってる場だよ? ある意味、城より安全だよ。現に僕はかすり傷ひとつついてないじゃないか」
客を忘れて話し始める主従。
そこへハンナが、氷の鉄仮面のまま「ン゛ンッ!」と咳払いをした。
そのタイミングで、タイヨウがもう一度、最初の疑問を尋ねる。
「あの〜……そろそろ本日僕たちが呼ばれた理由を教えてもらってもいいですか?」




