28.ともだち
「……そこまで知っていながら、タイヨウちゃんの母親、つまり私の姉のソレイユが魔属大継承で命を落としたことは皆様ご存知ないのかしら?」
マーレ夫人の声は、氷のように冷え切って客間に響いた。その一言で、先ほどまでざわついていた空気が、嘘のように静まり返る。誰もが背を正し、しゅんと席に収まった。
本心からの心配が滲み出ているからこそ、その声音は重い。タイヨウは胸の奥がきゅっと締めつけられるのを感じ、無意識に呼吸を浅くした。鼓動が、やけに大きく聞こえる。
「魔属大継承については不明な点も多いけれど、なぜかバベル王国人同士の婚姻でしか発生しないことだけはわかっているの。そして闇属性は他属性よりも発生率が高い」
「姉上も闇属性……!」
レオンが息を呑む。その声が、場の緊張を一段階引き上げた。
「そもそも闇属性能力者は魔の森ゲヘナを抱くバベル王国にしかいないの。私の姉ソレイユもそうだった。優秀な能力者だったわ。……そして誰よりも優しいお姉様だった」
母の言葉には、抑えきれない哀しみが滲んでいた。一同は思わず息を詰める。
タイヨウは、いつの間にか視線を落とし、足元の絨毯に織り込まれた複雑な文様をぼんやりと見つめていた。色と色の境目が、少し滲んで見える。
泣いちゃいけない。
僕に泣く理由なんてないはずだ。
この話をソーレさんがどう思うかはわからないし、たった一年間、身代わりを務めるだけの僕が、口を挟んでいい話でもない。言っていい言葉なんて、何一つないはずだ。
それでも――
それでも。
「つ……つまり、僕とカザンさんとの結婚は、“魔属大継承が起きたら困るから反対”ってことですか?」
喉に何かが引っかかったようで、言葉がうまく出てこない。やっと絞り出した声は裏返り、思っていたほど何も伝えられていない気がした。タイヨウは視線を上げられない。
ノーマン公爵は、そんな娘の様子を見て、小さくため息をついた。
「――ママの想いとしては、カザンだけでなく、バベルの男とは誰ともってことだと思うよ」
だから、デビュタントに隣国のキラン王子が呼ばれていたのか。
タイヨウは、キランの穏やかな笑みを思い出す。父様と仲が良くて、家の格も釣り合っていて、バベルの人間ではなくて――。
その先を考えそうになった瞬間、宝石も恥らぐほど美しいアメジストの瞳から、涙がこぼれ落ちそうになる。
そのときだった。
「「キッモ!!!!!!!!!」」
まるで雷が落ちたかのように、二人分の声が客間に炸裂した。
「んまっ!?」
気持ち悪いなどと言われた経験など、生まれてこの方一度もないマーレ夫人は、両手で口を覆い、その場で跳ね上がる。
「めっっっちゃ気持ち悪いんですけど〜!!! 見てこの鳥肌!! ヤバ!!!」
リリガルドはそう叫び、隣に座る父親に腕をまくって見せる。
オータム氏は顔面蒼白になり、止めようと手を伸ばすが間に合わない。脂汗が噴き出し、もともと薄くなっている頭髪が、今にもハラハラと舞い散りそうだった。
「母上、お気持ちはわかりますが、姉上の気持ちはどうなるんですか? 姉上の人生は姉上のものですよ!」
レオンの声は凛としていた。そのまっすぐな響きに導かれるように、タイヨウは顔を上げる。
「それはもちろん……でもわたくしはタイヨウちゃんのことを思って――」
「はい、出た〜! あなたのためを思って、っていうセリフは100%嘘! 残される自分のことを思って、でしょ!! 大体、15歳で出産のこと言われるのとかキツくない? 大丈夫? タイヨウ」
あまりにも奔放で、あまりにも遠慮のない言葉。
マーレ夫人は言葉を失い、口をパクパクとさせている。
その横で、タイヨウはリリガルドを、そしてレオンを、交互に見つめた。
「姉上だってまだカザン様と出会ったばかりですし、この先どうなるかなんてわかりませんよ! 今、色々命じるのは可哀想です。姉上はこの地に舞い降りた天使! お優しさ故に母上のご意向に沿うようなさるでしょう。それはとってもよくないことですよ」
レオンはそう言い切り、自分の言葉に納得したように腕を組んでウンウンと頷く。
「そうだよ! タイヨウの未来はまだ未定なんだよ! カザン王子以外の男かもしれないし、女の子を好きになるかも知れないし、誰のことも好きにならないかもしれないよ。それなのに色々言われても困るよ! アタシたちはまだ子供で、何もできないけど、未来だけは真っ白なんだから! タイヨウはきっとママのこと大好きだし、言うこと聞いちゃうよ。だからタイヨウを信じて、もうその話はやめてあげてほしい」
甘やかされて育った大富豪の末子とはいえ、リリガルドは一瞬だけ、マーレ夫人との身分の差を思い出したのか、言葉を飲み込んだ。
それでも、すぐに顔を上げ、「……です!!」と語尾を強め、胸を張った。
タイヨウの両目に、みるみる涙が溜まっていく。胸の奥で絡まり続けていた糸が、二人の言葉によって、するするとほどけていくようだった。
こみ上げるものを抑えきれず、頬を紅潮させたままハンナを振り返ると、腹心のメイドは何も言わず、静かに頷いた。
しばらく、室内は水を打ったように静まり返った。
その静寂を破ったのは、マーレ夫人の笑い声だった。
それにつられて、ノーマン公爵も愉快そうに笑う。
「レオン、見直したわ。あなたいい男に育ってるわね。そしてリリガルド君、あなたすごいわねえ! その度胸、なかなかのものよ」
「気に入ったよ。団長時代だったら即スカウトしてたな」
「――タイヨウは、昨夜最後までアタシを庇ってくれたんです。命を賭けて」
リリガルドはそう言い、ケツァルコアトルの奇襲から身を挺して庇ってくれた、あの細い腕を思い出す。自然と、表情が柔らいだ。
スーツ姿の彼は、男装の麗人と見えなくもない。
「大袈裟かもしれないけど、昨日までの自分はあそこで死んだって気がする。見ず知らずの他人を咄嗟に守れるような、タイヨウみたいな子になりたいって今は思う! そんでもって生まれて初めて会ったアタシより可愛い女の子だから、超守りたいって気持ちなの!」
張り切って胸を叩くリリガルドの姿に、ついにタイヨウは堪えきれなくなった。天井を仰ぎ、声を上げて泣き出す。
「わああん! ありがとうございますー! レオンさん、リリガルドさん〜!!! うれしいですー!」
「タイヨウちゃん、ごめんなさいね。ママが悪かったわ。……でもアレよね? キモ、気持ち悪くはなかったわよね!?」
顔を引きつらせながら覗き込むマーレ夫人に、タイヨウはグズグスと鼻を鳴らしつつ、涙声で答えた。
「正直、気持ち悪かったです……」
「ヒイイイ!!!?」
「大切な話だと思うんですけど、母様の話は、結婚を飛ばして生殖の話なんで。それを勝手に予測や画策されてる感じがたまらなく……」
「キイエエエエ!!!?」
最愛の推しからの無慈悲な拒絶に、マーレ夫人は猿叫音を上げながらその場に倒れた。
ノーマン公爵はその肩を抱きとめつつ、タイヨウに穏やかに微笑む。
「いい友達ができたなあ、タイヨウちゃん。それに家族喧嘩も初めてじゃないか?」
その言葉に、タイヨウは目をパチパチと瞬かせ、リリガルドとレオンの顔を見た。
――そうか。友達が、できたんだ。
二人の顔は、誇らしげに輝いていた。
タイヨウは、神が見たら即座に星座に召し上げそうなほど清らかな笑顔で笑う。
「はい! みなさん、大好きです! 会えて、僕とってもうれしいです!」
客間が、その笑顔で浄化された後。
オータム氏が、ゴホンと咳払いをした。
「そのお友達のよしみで、タイヨウ様。リリガルドと一緒に王都へ行きませんか?」
「「王都!?」」
二人の声が見事に重なり、揃って目を丸くする。
オータム氏が胸元から取り出した高級紙の招待状には、『魔法大学見学のご案内』と記されていた。
「きな臭いですねえ……」
ハンナが小声でそう呟き、訝しげに天を仰いだ。
余談ですが、リリガルドの父のサルバトーレ・オータム氏だけは「この香水つけてそう」というイメージ香水があります。もっと出したかったんですが、ここで退場です。




