24.ラストワルツ
「タイヨウ様!!」
「姉上!!!」
カザンと共に、人々が避難していたビーチの端へ突如現れたタイヨウのもとに、ハンナとレオンが駆けつける。
「もう二度とあんなことはなさらないでくださいよ!」
ハンナはタイヨウの左頬をつねり、そのまま引っ張った。見た目ほど痛くはない。――だが、痛みの種類が違う。
こんなふうに他人に触れられ、叱られたことがないタイヨウは戸惑い、思わず顔を赤らめた。
「メイドの安全を御身より優先するなど、あってはならないことです! ましてやアボット家の私を守るなど……。とにかく、絶対に、もうしないとここで誓ってください!」
「ひゃい! ちひゃいまふ!」
頬をつねられて発音が終わっている。
タイヨウが答えると、今度は右頬をレオンが摘んだ。
「僕も怒ってますからね!! 姉上はご自分がいかに愛されているかご存じないのですか!? 僕だけ助かったからといって、喜ぶ両親ではありませんよ! この愚か天使! 家族をなんだと思ってるんですか! 絶対、あんなこともうしないでくださいよ!」
「ひゃい!! もうひまひぇん!!!」
――僕は嘘つきだ。
同じことが起きたら、きっとまた僕はこの人たちを逃がす。
内心そう思いながらも、タイヨウは「ハンナひゃんとレオンひゃんが無事で何よりでひゅ!!」と、二人の手をそっと包んだ。
両頬をつねられたまま、ニコニコと満面の笑みで答えるタイヨウを見て、二人の怒り顔は数秒も保たなかった。
唇が微かにふるえた次の瞬間、ハンナはタイヨウを抱きしめ、レオンは天を仰いでワンワンと泣き始めた。
遅れて出迎えに来たノーマン公爵夫妻とゴーンが、その様子を見て笑う。
「そこら辺でいいだろう。お嬢ちゃん、あっちでみんなに挨拶しろや」
この数十分で酒樽を空け、ご機嫌になっている元騎士団副長ゴーンは、タイヨウを抱き上げるとぐるぐると振り回した。
子供のようにきゃあきゃあと笑いながら、タイヨウが尋ねる。
「ゴーンおじさま! 父様、母様も! こちらは無事でしたか?」
「全く問題ないよ。強いて言うなら、蚊が出始めていたくらいだ。タイヨウちゃんが楽団もコックも一緒に飛ばしてくれたおかげで、避難というより別会場での二次会みたいになっている」
ノーマン公爵が指差した先では、宙に浮かぶランタンの下、賑やかなビーチパーティーが繰り広げられていた。
砂浜に点在するテーブルには料理と酒が並び、楽団の調べに身を任せて歓談する人々からは、さっきまでの危機の気配など微塵も感じられない。
「タイヨウちゃん、せっかくの晴れ舞台がこんなことになって……! ハンナに見せてもらったから、あなたに怪我がないことはわかっていたけど、でもお顔をよく見せて頂戴!」
ゴーンの腕から飛び降りたタイヨウの両頬に触れ、マーレ夫人は慈愛に満ちた目で瞳を覗き込んだ。
こんな至近距離で“母”に見つめられた経験のないタイヨウは、胸の奥にじんわりと温かいものが広がっていくのを感じる。
どうやら今夜の出来事は、タイヨウと家族の距離を、思った以上に縮めてしまったらしい。
「はい、カザンさんがしっかり守ってくださったので!」
タイヨウが少し誇らしげに、数歩離れたところで控えていたカザンを示すと、一同は「いたの?」という冷めた目で第三王子を見た。
ノーマン公爵に至っては「タイヨウちゃん、どこだい? 鳥を追い払うだけで30分もかけるような団長殿は!」と、あらぬ方向をわざとらしく見上げている。
タイヨウがあわあわと慌てる。
――自分でも、この反応がわからない。
なぜだろう。さっきからずっと。
僕はカザンさんの前に出ると、少し恥ずかしいのだ。
先ほど目の当たりにした圧倒的な力だけじゃない。
長身。凛とした美貌。服の上からでもわかる鍛え上げられた筋肉。帯刀した長刀を捌く武人の、無駄のない所作。近づくとお香みたいに、いい香りのする黒い軍服。
(だって、こういう男の人になりたいって、男だったらまず思う理想形なんだよ! カザンさん)
近くにいるほど、差が浮き彫りになる。
自分がひどくちっぽけに思えて、せめて嫌われないように、と言動の襟を正したくなる。
そんな人物に初めて出会ってしまったタイヨウは、カザンとの距離の取り方がわからなかった。
一方、ここまで胡乱な扱いを受けたのが初めてだったカザンは、口の端に笑みを引っ掛けたまま軽く頭を下げる。
「ノーマン、時間がかかってしまい申し訳ない。万事滞りなく処理した。会場で兄上が詳細をご説明する。客と共に戻るといい」
兄……?とノーマン公爵が片眉を上げる。
第一王子レイの魔法狂ぶりを知る彼は話の大枠を掴んだらしく、精悍な顔に凄みのある微笑を浮かべた。
「なるほど。あの娘はオータム商会の末子だったな。ここで恩を売っておくのも悪くないだろう。しかし、どのみち娘のデビュタントは別日で仕切り直しだ。このままビーチパーティでも我々は……」
その言葉を、タイヨウが両手をパッと広げて制止する。
「ダメです! 家に戻ってください! すぐ転移させますので!!」
「えっ、なんで!?」
「な、なんでもです!!」
父を制したまま、タイヨウはハンナへ何か耳打ちした。
怪訝な顔をしたハンナが索敵を展開し、結果を伝える。――それを受けて、タイヨウは両手を天に掲げた。
「みなさーん! 僕もすぐ追いかけますので、先にお戻りください!」
タイヨウの瞳に光が灯り、身体を包む魔力の圧が跳ね上がる。
「発車しまーす! 『はたらく車・E7系新幹線〈かがやき〉』!」
止めようと伸ばされた手も、不満の声も、まるごと飲み込み――転移は瞬時に終わった。
ビーチに残ったのは、タイヨウとカザンだけ。
さっきまでの千人のざわめきが突如消え、波音と静寂の存在感が、いやに鮮明になる。
そして、バーベキューの後のような匂いが妙に際立った。
何故か共に残された楽団の人間たちは、驚愕の面持ちで演奏をやめ、こちらを伺っている。
「……これでいいんですか?」
タイヨウがカザンを振り返る。
リリーマリーの恩赦のためならなんでもする、という言葉に対し――カザンが出した要求。
それを実現したタイヨウは、不安げに首を傾げた。
「ああ、完璧だ」
カザンが満足気にビーチを見回す。
宙空に幻想的に浮かんでいたランタンは、術者のノーマン公爵が消えたため夜空へと流されていく。
防風林の側に設置されたトーチだけでは、さすがに暗い。
いつの間にか隣へ歩み寄られ、熱のこもったトパーズ色の瞳で覗き込まれた瞬間。
タイヨウの心臓が、ドクンと跳ね上がった。
「……だがタイヨウ、男に向かって『なんでもする』など、二度と言うなよ」
「ひゃ、ひゃい!」
残されて戸惑う楽団の人間たちの中から、舞台監督のジェイクスピアが飛び出した。
不安と期待がないまぜになった顔で、カザンに尋ねる。
「王子、我々は……その……?」
「一曲頼む」
その言葉に、ジェイクスピアは雷に打たれたように全身を感動で震わせた。
顔もよければ声もいい。身体もいいし、その上センスまでいいとは!
まったく王子にしておくには惜しい男だ――と、ジェイクスピアは歩きにくい砂浜をこけつまろびつ、楽団へ向かって走っていく。
カザンはその場で再び跪くと、タイヨウの左手を取り、甲にそっと口付けてから大きな手で包み込んだ。
そして、抗い難く魅力的な声で、形式通りの口上を述べる。
「ソーレ・タイヨウ・ノーマン。我が名はカザン・ミカド・バベル。どうか私に貴女のファーストダンスの相手を務める歓びを賜りたい」
カザンの意図を汲み取ったタイヨウの顔が、たちまち真っ赤になる。
右手で熱い頬を押さえた。恥ずかしい。
走り回って汗もかいた。煤や水飛沫で、きっと髪もボサボサだ。
「ま、待って」
裏返る声で、握られた手を抜こうとする。
――逃さない。
掌に再び口付けされ、次の瞬間にはカザンが立ち上がってポジションを取っていた。
タイミングよく、楽団がとっておきのワルツを奏で始める。
「待たない」
耳元で甘く囁かれ、砕けそうになった腰を抱き寄せられる。
タイヨウは長い睫毛を伏せ、ぎゅっと眼を閉じた。




