23.バベル王家の最高傑作
ハンナの声に振り返ったタイヨウは、ヒューの風の牢獄から抜け出た三羽のケツァルコアトルを見て、心臓を冷たい手で乱暴に掴まれたような錯覚を覚えた。
(早い! あと数秒! 転移が間に合わない!!)
急いでいるのに、世界だけが勝手にスローモーションになる。
タイヨウはレオンとハンナをビーチへ転移させると、リリーマリーを背後に庇い、眼を閉じた。
「行け、『遊蛇〈ユダ〉』」
キランがカルマを唱えると、手元から三体の長大な水の蛇が出現し、ケツァルコアトルを海上へ押し戻していく。
「キラン、すごいじゃないか! 成長してる!!」
レイがキランの肩をバシバシと叩いた。
「うるせえよ! 残念なことにケツァルコアトルは水に強い。もって30秒だ」
キランの侍従たちが、主人とタイヨウたちを包むように水のドームを形成する。
最も屈強な一人がキランを見つめ、低く告げた。
「殿下、この強酸の壁でも倒せて一羽。レイ様とご一緒にどうか船までお逃げくださいませ」
「ああ、ご心配なく!! カザンがいますので!」
レイは笑顔のまま親指を立てる。
「うちの大将は、色恋はポンコツですが、有事の際はちょっとすごいんですよ〜」
ヒューも慌てる様子ひとつなく、ゆったりと座ったままだった。
そのとき。
天から業火を降らせる大技を繰り出していたカザンが、振り返りざま海上へ押し戻されているはぐれケツァルコアトルへ、左手を照準のように向けた。
「『天ノ漁火〈アマノイサリビ〉』」
水の大蛇が火の玉を吹いたように見えた。
はぐれケツァルコアトルが突如現れた火球に包まれ、海上へ落下していく。
「カルマを……同時に!?」
タイヨウが息を呑む。
カザンの右手の先では先ほどと変わらず、絶え間なくケツァルコアトルの群れへ火の玉が襲いかかっている。
黒天使は、赤銅色の髪をたなびかせ、トパーズ色の瞳を淡く光らせたカザンを見て、心臓が跳ね上がった。
すごい。この人、すごい!
タイヨウ自身もカルマを使うようになったばかりだが、詠唱するたびに体力と気力、そして生命力のようなものが大きく奪われる気がする。それなのに――。
「カルマの二重詠唱なんて、アリ!?」
タイヨウに抱きついていたリリーマリーが、タイヨウの気持ちを代弁するかのように叫ぶ。
「ハハハ! 二重詠唱は、カザンしかできないよ」
拍手していたレイが、タイヨウとリリーマリーに微笑んだ。
「あの子はね、長年の多国籍婚で優秀な魔属因子を残してきたバベル王家の最高傑作なんだ」
「さて、そろそろ終わりみたいだよ! お嬢様方」
ヒューがウインクし、ソファから立ち上がってカザンの方へ向かう。
「熱ッつゥゥ!!!!?」
リリーマリーが野太い叫び声をあげ、握っていた魔法陣の札を放り投げた。
打ち捨てられた札はたちまち灰となり、風に舞って消える。
タイヨウが駆けて行きダンスホールを覗くと、約二千羽の怪鳥は骨も残らず灰と化していた。
「召喚が終わったからだね。君、喚ぶモノこそ間違えていたけど、魔法陣を小型化してここまで効果があるなんて優秀だよ! ぜひ一度大学で話を聞かせてほしい。いっぱい試したいことがあるよ!」
「喚ぶモノが違うから問題なんだ。兄上。魔法バカも大概にしてくれ」
リリーマリーの横ではしゃぐレイのもとへ、カザンが歩み寄りながらため息混じりに言う。
汗一つかいていない横顔を、タイヨウはそっと見上げた。
「終わったぞ。死骸はないが灰はある。あと匂いがキツい。キラン、水で流してくれ。その後、乾かしてくれヒュー」
「俺、仮にも他国の王子なんだが!?」
「さすがに疲れたよ! 酒飲ませてくれよ!」
文句を言う二人を無視し、カザンが淡々と告げる。
「頼んだぞ、綺麗にな」
次いで、リリーマリーの肩に手を置いていたレイへ視線を向け、問うた。
「兄上、その娘だが故意ではなかったとはいえ王族の身を危険に晒したんだ。無罪放免というわけにもいかないぞ。どうするつもりだ」
「ヒイイイ! ごべんだざああい!!!」
涙と鼻水で顔面をべちゃべちゃにしたリリーマリーが泣き叫ぶ。
レイが芝居がかった仕草で両手を合わせ、カザンを拝んだ。
「頼むよ、カザン〜! この子が使った超小型魔法陣は画期的なんだよ! いろいろ聞いてみたいし、試してみたいことがありすぎるんだ。大体、僕もキランも、タイヨウ嬢も傷一つついちゃいない。突発的な妖鳥の被害から黒天使と護国の騎士団が奇跡的にみんなを守ったってだけの話にしてよ!」
「前半部分が本音すぎるぞ、兄上!」
カザンが肩を怒らせ、兄を指差す。
その肩をポンと叩き、キランがため息をついた。
「クソ真面目君。仮に小娘の罪を明らかにしたとしよう。するとどうだろう、王族を危険に晒したとして、招待したフォルクスも罪に問われるなあ。初めての夜会で父親が罪人となるタイヨウはどう思うかな?」
「ええっ! そそそれは困ります!!」
タイヨウは血の気の引いた顔でカザンを見上げた。
恐怖で大きく見開かれたアメジスト色の瞳に、聖水のような涙が浮かぶ。
「カザンさん〜〜!! なんとかなりませんか!?」
袖をちんまりと掴み、潤んだ瞳で懇願するタイヨウ。
その破壊力に、カザンが言葉を失い――石化した。
「カザンさん〜〜!! 僕でよければなんでもしますから〜!!」
「なん……でも……? なんでも……!?」
ベソベソと袖を握りしめるタイヨウの両肩を、カザンがガシッと掴む。
炎のような熱い揺らぎを秘めたトパーズ色の瞳に覗き込まれ、タイヨウは大きな瞳をぱちぱちと瞬いた。
「よし、今からノーマン公のところへ行こう。一緒に。今すぐ」




