2.タイヨウ転生(仮)
時は1ヶ月前に遡る。
「まって……! 情報が! 多い!!!」
そう頭を抱えたのは、波打つ艶やかな黒髪の美少女。……の身体にいきなり閉じ込められたタイヨウ(15歳・男子)だった。
中学卒業とともにマグロ漁船に乗船することを決め、少ない家財道具を抱えて古いアパートの扉を開いたはずが、扉の向こうに広がっていたのは見慣れた西新宿の街並みではなく洋館の一部屋。
そして目の前には“自分”が満面の笑みで立っていた。
「やった! できた! できたわ!!! 私ってすごい、天才!」
きゃあきゃあと両手を口元にあて、ぴょんぴょん飛び回っているのは数分前までの自分の身体。瞳を覆い隠すほど長い前髪に学ランを身にまとった華奢な少年の姿である。
厚みのある敷物の上で飛び跳ねているため、ぽすんぽすんと音は吸収されており足音はしない。タイヨウは部屋を見回した。
ウール地に複雑な幾何学模様が編み込まれた絨毯、壁と部屋の隅に飾られた揃いのランプ、レースの天蓋のついたベッド、品のあるカフェテーブルセット、その奥で静かに燃える暖炉。
人間は危機的状況化に置かれると、まず自分の持つ知識をフル回転させて状況を把握するという。生き延びるために、適応するために。
しかし、残念ながら極貧家庭に生まれ育ったためファンタジーに馴染みがなく、掃除屋のバイトだけは多数経験してきたタイヨウには
(部屋の広さ、約20畳。お金持ちですね……!)
ということしかわからなかった。
「――あんた、馬鹿ァ?」
口をぽかんと開けたままへたり込むタイヨウの両頬を包み込み、キスするほどの近い距離でタイヨウの体を持つ人物がのぞき込む。
さすがにムッと顔をしかめたタイヨウを抱き起こし「ごめん! ごめんね、タイヨウ。このセリフ言ってみたかったの! わたしの名前はソーレ。ソーレ・ドゥフト。あなたが今入っている体の持ち主よ!」といって、大きな鏡の前にひっぱって行った。
鏡を見たタイヨウはあんぐりと口を開ける。
夜明けの空のようなアメジスト色の大きな瞳。濡れたように輝く、腰までウェーブした黒髪、白磁色の肌を包み込む白いモスリンのエンパイアドレス。
「ど……」タイヨウの喉から出たのは、甘やかな少女の声で。
「ど?」ソーレと名乗るタイヨウの体を持つ少女から出るのは身に覚えのある少年の声で。
「ど……」
「ど?」
「ど……ど……」
「どういうことなんですか~~~~!!!!!!」
叫んだタイヨウの両肩をガシッとつかむと、ソーレはにっこりと笑って宣言した。
「いい質問です! 転生です! これから一年、あなたにはソーレ・ドゥフトとして生きてほしいの」
「てんせい。……本屋で平積みされている本によく書いてある、あの転生ですか!?」宝石のようなタイヨウの瞳がパチパチとまばたきを繰り返す。
うんうん、と頷くソーレ。
「厳密にいうと転生じゃないんだけどね。お互いのカラダを交換したの。それでお互い住む場所も交換できれば疑似転生じゃない? ニッポンのラノベを読みつくしてよかったわ! アイデアの宝庫ね。禁書よりよっぽどタメになったもの。王国図書館におさめるべきだわね」
「らのべ……待ってください、また情報が渋滞して……」
(そしてこの有無を言わさない圧力がおばあちゃんと似てて、身体が勝手に『仕事を命じられるモード』に……!)
頭を抱えるタイヨウに一冊のノートを差し出すと、ソーレは窓の外を指さした。
「ここはバベル王国のドゥフト領。そこをおさめるドゥフト男爵の屋敷よ。あなたがさっきまでいたニッポンとは違う世界線なの。私がいなくなった後もあなたが困らないよう、細かいことはこのノートにまとめておいたから落ち着いたら読んで頂戴。社会風俗の差も理解できる範疇だと思うんだけど、一番違うのは……」
と言いながら、ノートの文字をトントンと指し示す。そこには昔図鑑で見たメソポタミア文明の楔形文字のような、見慣れない文字が並んでいた。
「読める?」とソーレが聞く。
「読めません」とタイヨウが首を振りながら素直に答えると、指を鳴らして「“ワルト!”」とソーレが唱えた。
タイヨウは思わず息をのんだ。
見慣れぬ楔形文字が一瞬ゆがんだと思うと、日本語に変換され『タイヨウへ』と読めるようになったのだ。
「この世界には、魔法が存在するの」
ソーレはそう言うと、タイヨウの右手を握り、自身の右手は心臓ある場所に添えてからそっと跪いた。明るい口調とは裏腹に、その手は冷たく、かすかに震えていた。
タイヨウはまだ知らない。
ソーレの育った国ではそれが“命を捧げる”という意味を持つ最上級の礼であることを。
「1年後、わたしは16になる。顔も知らない、わたし以外の誰かにとって都合にいい相手と結婚することになるの。その前に、一年でいい。自由に生きてみたい。助けてタイヨウ、わたしの魂の片割れ」