13.魔属大継承
金? 昔? 生活?
少女の言葉に、ハンナ以外の一同が戸惑った。
タイヨウの生家ドゥフト家が金に困っている話など聞いたことがない。男爵位ではあるが、仮にも貴族の家だ。平民から貴族となったドゥフト男爵は優秀な魔力専門医としても知られている。
それなのに、その家の令嬢が生きるための金策に迫られるとは――どういうことだ。
「姉上……まさか虐待を……?」
認識阻害眼鏡の副作用で、自慢の論理的思考力が残念なことになっているレオンが蒼ざめた。
その言葉に、令嬢の嗜みの域を超えたタイヨウの数々のスキルを目撃してきたノーマン公爵が、思わず口元を覆う。
まさか。
あれらは――親に見捨てられた少女が生計のために必死で身につけた、生きる術だったというのか?
「ハンナ……?」
ノーマン公爵が、タイヨウ付きメイドのハンナを鷹の目で見据える。
(いやいやいや、違うんです!! そもそも中身が!! 違うんです!! ドゥフト男爵は良くも悪くもフツーの人ですし、ソーレお嬢様はむしろ金喰い虫でしたし、虐待されていたのは周囲の人間です!!!)
そう叫ぶわけにもいかない。
ハンナはショート寸前で目を逸らした。
「……〜〜ッ!」
日頃冷静沈着なメイドのその挙動が、逆に決定打になってしまった。
一同は勝手に誤解を確信へ変えていく。
「畜生! これが魔属大継承か!」
ゴーンが憤懣やるかたないといった風情で吐き捨てる。
魔属大継承。
生母が高水準の能力者であった場合、ごく稀にその属性と魔力が全て出産と共に子へ継承される現象だ。子は高い能力を得るが、母は出産と共に壮絶な死を遂げると言われている。
それゆえ、残された家族が子を忌子として厭うケースが古来より後を絶たない。
ソーレ・ドゥフトが魔属大継承で産まれた子だというのは広く知られた事実だった。
一方で、亡母ソレイユの計らいにより、なんら弊害を受けることなく悪役令嬢を凌ぐほど伸び伸び育ったことは、まるで知られていない。
「違……ッ!」
思わず声を漏らしたハンナの肩を、ノーマン公爵がドンッと叩いた。痛い。
「そうだ、違う! 間違えている! 子供に罪はないのに! だが駆け落ち同然で結ばれた最愛の妻を失ったドゥフト卿を思うと、私は……私は……グゥッ」
身勝手な誤解で想いが昂ったノーマン公爵が片手で顔を覆う。
何しろ昨夜から飲んだくれている。かつての名将も、だいぶ酩酊していた。
もらい泣きしたゴーンが朋友の肩を抱く。
「わかる……わがるぞ友よ……グウゥゥッ」
極道のゴリラのような風貌をしているが、彼もまた泣き上戸だった。
レオンはこの世の不条理に蒼ざめ、涙を浮かべる。
智将の呼び声高いヒューですら神妙な顔をしていた。
カザンは怒りで覇気を背に漲らせている。
(もう嫌……助けて……誰か助けて……ッッ!)
ハンナが白目を剥く。
「えっと、えっと、でも今はお金じゃなくて……」
再び口を開いたタイヨウへ、皆が吸い寄せられるように注目した。
目をとろんと潤ませ、頬を桃色に染める少女の可憐さに、カザンが思わず心臓のあたりを押さえる。
「金じゃなくて、なんだ」
それでも声を発したカザンは、さすがの胆力と言えよう。
「……よろこばれると、うれしいから」
タイヨウが言いながら、赤らんだ頬を両手で押さえる。
カザンは胸を鷲掴みにされ、ハッと息を呑んだ。
「僕は……僕なんかに皆さんがとてもよくしてくださるから、今毎日とてもしあわせで」
酩酊反応は、酔いと同じだ。
本音が溢れてしまう。
「皆さんのことが、だ、大好きで。明日も、その次の日も、一緒にいたいから……少しでも好、好きになってもらえたらって。わー! 僕何言ってるんでしょう! 恥ずかしい!」
タイヨウが目をぎゅっと閉じて、手でぱたぱたと顔を仰ぐ。
そこには、かわいいの最高峰が燦然と輝いていた。
―――あ、ダメだコレ。
ハンナは天を仰いだ。
次の刹那、あたり一面に花の絨毯が広がった。
競い合うように色とりどりに咲き誇る花々は芳しく、その美しさを祝福するように舞い降りた精霊達は鈴のような声を揃えて歌った。干魃の地には恵みの雨が降り、水害で苦しむ地では雨が去った。病んだ者は立ち上がり、悲しむ者は微笑みを取り戻した。空も大地も、その狭間にいる者の争いを束の間止めた。動物達も鳥達も魚ですらも、喜びに舞い踊る。歌え、歌え! この世のすべて、あらゆる歓喜がそこにはあふれていた。
―――そこにいた、ハンナ以外の者達の脳内で。
「姉上、姉上!!! 僕の方が大好きですよおお!!!」
「パパもママもさ! 家族になったんだから、ずっと一緒だ!!!」
ノーマン家の面々がカザンを押し除けて抱きつく。
ゴーンは男泣きしながら何度も頷いていた。
そのまま輪に加わると、ワッショイワッショイと三人でタイヨウを胴上げし始める。
一歩身を引いたところにいたヒューが、ちょいちょいとハンナの袖を引いた。
「ねえ、ハンナさん。ずっと気になってたんだけど、何でタイヨウ嬢は一人称が『僕』なワケ? あざとくない? 僕っ子狙ってるのかなって、それだけ気になってたんだけど」
どうやら、ハーレム製造機こと最強生物兵器令嬢の力がそこまで及ばないらしい。
ハンナは片眉を上げた。
男子でありながら令嬢業務を超一流のパフォーマンスでこなしてきたタイヨウだったが、一人称を『私』に変えることだけはどうにもうまくいかなかった。だからそのままにしておいただけなのだが。
「……タイヨウ様が、それが一番自然に使えるそうで。公爵ご夫妻も今は好きなようにさせよと仰せです」
ヒューは、わかったようなわからないような顔でうなずく。
その時。
胴上げの陣から弾き出されたカザンが振り返った。
イケボすぎて忘れてたけど、そういえばこいつ、まだオタクファッションだったな――とハンナが急に冷静になる。
「……天使は女なのか?」
「「はい???」」
ハンナとヒューが首を傾げた。
そのヒューの両肩を揺さぶりながら、熱に浮かされたようにカザンが一本調子で喋り始める。
「わかるか? 天使は男でもあり、女でもある。つまりそれは天使としか言いようのないタイヨウ嬢の一人称が『私』や『わたくし』に囚われるべきではないということで、それは彼女が性別を超越した奇跡の存在であるということでもある。おそらく『僕』という一人称は千年に一度の可憐さが他者の心臓への負担を与えることを知り、和らげるつもりで本人が無意識に選択したのだろう。優しさ、慈愛、献身故に。だが、そのアンヴィバレントがむしろ魅力を引き立てて、情欲をかき立てしまうことに本人は気付いていないんだ。わかるか、この矛盾が生む尊さが……」
どんな言葉を使っても、何一つ伝えられていない気がする。
胸を打つ動悸は、もはや苦しいほどだった。
全てが遅すぎるような、何もかもが足りないような、でも何かしなくてはいけないと焦るこの気持ちは何なんだ?
カザンが、ゼンマイの切れたブリキの兵隊のようにぎしりと固まった。
トパーズ色の瞳が情動に流され、暗く沈む。
揺さぶられすぎて白髪がボサボサになったヒューがため息をつき、アイスブルーの瞳を細めた。
「―――つまり、好きってことでしょ?」と、問うと。
王国史上最年少の騎士団長は、己の赤銅色の髪よりも鮮やかな朱に、首まで染まったのだった。




