1. タイヨウ、ノーマン領に立つ
腹立つ! 腹立つ! 腹立つーーー!!!
レオンは大理石の廊下をカツカツと音を立てて歩いていた。
バベル王国屈指の名家ノーマン家の長男であるこの少年は、本日から自分の姉になるという顔も知らない従姉妹のことを心底憎んでいた。
耳辺りで切りそろえられた金髪は毛先がグリーン。瞳もエメラルドのような深緑だ。ラフな乗馬服の彼は、その憎き相手の出迎えのために玄関に向かっている。
かの女の名は、ソーレ・ドゥフト。
生後間も無く母を亡くし、幼くして闇属性の能力を開花させ、複雑な魔法を駆使しているという非業の天才少女。
だが近年は奇行が目立ち、〈闇(病み)の令嬢〉と影で呼ばれる完全にアレな令嬢として話題となることが多かった。聞けば、この春15歳になったというのにデビュタントすら済ませていないという。
「男爵家も恥ずかしくて外に出せなかったんだろ! それなのに母上は……!!」とレオンは嘆く。
半ば駆け落ち状態で名門公爵家を出てドゥフト男爵と結婚したというソーレの母、ソレイユ。多くの人に愛されながらも夭折した彼女の忘れ形見を養女にするというのは、ソレイユの妹であるレオンの母マーレの悲願であった。
レオン誕生から13年。念願の次男である弟のクリスが生まれたことで養子縁組の話が再熱したのだが、最初はけんもほろろに断ってきていたドゥフト男爵家の態度が昨年から急変。とんとん拍子で養子縁組がまとまり、めでたく本日養女としてノーマン家に来ることになったのだ。
どんな手を使ったのか、ここ1ヶ月は諸々の連絡を執り行うドゥフト家の執事からの手紙のトーンが急変したという。
「もはや存在が奇跡」「天は二物を与えずなどという言葉は辞書から即刻削除すべき」「まごうことなき我が国の秘宝。完全に天使」など常軌を逸している。
亡姉ソレイユのファンであった母は、「さすがお姉様の娘!」とその言葉を真に受け『熱烈歓迎! ようこそノーマン家へ』という横断幕を準備させ、愛妻家の父はその様子を優しい目で見守りつつ「パパ……は早いかな? 父上? お父様?」と何やらムフムフしている有様だ。しかもソーレ・ドゥフトが養子縁組に伴い申請してきたという改名も聞いたことのない響きで……。
「俺だけは騙されない!」と、レオンは鼻息荒く呟いた。
所詮、成り上がり男爵の田舎娘だ。淑女教育も行き届いていないに決まっている。公爵家への養子入りを飲んだのも、大方未婚の王族狙いだろう。しかも蛮族が多いと言われる闇属性!自分だけは特別だと思い込んだ鼻持ちならないクソ女に決まっているのだ。
――と、実はレオンの読みは『ソーレ』に関しては(王族狙い以外は)概ね的を得ていたのだが……
「『タイヨウ』様、お越しにございます!」
屋敷の鐘が鳴り響き、玄関が開け放たれる。
その刹那、すべての音が世界から一瞬消えた。すでに玄関で待機していた者たちは、一様に息を呑んだ。
扉の前に立っていたのは、大きな瞳を緊張でさらに大きく開いた絶世の美少女だった。
濡羽のような漆黒の髪は柔らかく腰まで波打ち、どんな名工も項垂れるほど美しい白磁色の白肌に、夜明けの空を思わせるアメジスト色の瞳。
美は細部に宿るというが、所作一つ、小指の爪の先まで整った少女の姿は、かつてない美の集合体としての圧力を持ち、そこにいる人間すべてを圧倒していた。
その時、さあっと春の風が吹き込み、彼女の長い黒髪を柔らかく巻き上げた。
周囲の反応には気づかず、少女はこの上なく気品あふれるカーテシーで挨拶をする。
「――ソーレ・タイヨウ・ノーマンと申します。本日からお世話になります」
夕陽と溶け合い、潮風をはらんだ黒髪は、まるで黒い翼のように見え……
「天使が来た」
気づくとレオンはそう口にしていた。