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グアム島占領からトラック諸島沖海戦

グアム島占領からトラック諸島沖海戦


マーシャル沖海戦後、グアム島の占領は滞りなく行われた。


グアム島占領後、マリアナ諸島・硫黄島・パラオは要塞化していった。

飛行場や、それに付随する掩体壕を強化し、飛行場の修復能力向上も模索していったようだ。


日本の勢力圏で重要な地域は、電探とそれに連動する高射砲の配備も進められた。


海軍は、艦艇の不要になった火砲を陸軍に融通していき、また航空機技術・電探技術・電子計算機技術の共有化も行っていった。

アメリカと戦争をする事になり、陸海軍でいがみ合っている場合ではなくなったのだろう。


フィリピンでの戦いは、海軍が陸軍に協力。

米軍拠点に対し、空爆や艦砲射撃を徹底して行ったようだ。

そのおかげで夢の中の記憶よりも早く降伏させている。

その後フィリピンは、通商路防衛のための重要な拠点となった。


陸軍は長10センチ砲を高射砲として採用した。

海軍も一式三十七粍高射機関砲を、対空機銃として採用した。


長10センチ砲の量産によって海軍の高角砲はほとんどがこれになり、10センチ高角砲と37ミリ対空機銃で、海軍艦艇の対空火力は飛躍的に向上したと思われる。


1942年4月。米海軍は空母に陸上爆撃機を搭載し、日本本土空襲を目論んだ。

しかし、西太平洋で日本の空母艦載機に発見され、作戦を断念し急ぎ撤退したようだ。

恐らく夢の中のおじさんに伝えた情報を元に、厳重に警戒していたのかもしれないが、取り逃がしてしまう事になった。


同じく日本海軍が警戒していたのが、米機動部隊の一撃離脱戦法だった。

今度こそ取り逃がすまいと太平洋に面した島嶼を警戒していた。

特にトラック諸島は、占領されたマーシャル諸島の米制空権下からの、一撃離脱攻撃が起こりえると警戒されていた。

そのため日本機動部隊はいつでも即応できるよう待機状態にあった。


1942年6月。米機動部隊は、トラック諸島に対し一撃離脱作戦を行った。


米機動部隊の行動は、日本の潜水艦により察知され、迎撃のため機動部隊が行動を開始する。


潜水艦より得られた情報に基づき、索敵機を多数飛ばし米機動部隊の発見に努めた。


潜水艦の情報により、米機動部隊が日本機動部隊の攻撃圏内に入った事を知ると、敵機動部隊の正確な位置が判明する前に攻撃隊の発艦を開始し、推定海域に向け攻撃隊を進発させた。


索敵中の天山が敵機動部隊を発見後、直ちに攻撃隊の進路を修正し、敵艦隊を取り逃がすことなく補足。

敵直掩機を多数の零戦で押さえ込み、艦爆艦攻が攻撃を行い、米空母を撃沈する事に成功する。


米機動部隊は空母を始め、多数の艦艇を失い撤退。第二次攻撃は行えなかったようだ。


この海戦時、日本機動部隊の零戦の割合は、艦載機の六割だった。


また新型艦爆艦攻である彗星と天山の初陣でもあった。

防弾が少し意識され、損耗率が下がっていた。

ただし彗星は運用できる空母が限られていた。

運用できない空母には従来の九九艦爆が搭載されていた。


トラック諸島もマーシャル諸島と同様に、放棄が決定され撤退している。

トラック諸島もまた本土から遠く、やはり輸送船の護衛が負担だったのだろう。

制空権を維持するのも難しいと考えられたのかもしれない。

お読みいただきありがとうございます。

また、評価してくださり感謝申し上げます。嬉しいものですね。


この世界の海軍は、合理的な判断としてトラックを手放します。

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