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最後通牒からマーシャル沖海戦

ようやく海戦の話です。

最後通牒からマーシャル沖海戦


アメリカから宣戦布告がなされた要因はなんだろうかと考えてみた。


大前提として満州事変や支那事変があるが…。

一時的にしろ戦艦が6隻にまで減っていた時期がある事。

中型空母ばかり建造していた事。

ノモンハン事件の後、ソ連と中立条約を結ばなかった事。

ドイツと三国同盟を結んだ事。

戦略兵器の戦艦が8隻体制だった事。

仏印進駐をせず、英蘭を刺激しなかった事。

独ソ戦が始まった事。


諸説あるが、ソ連やイギリスの陰謀論がよく語られている。

ソ連にいたっては、支那事変もソ連の陰謀だとの説が根強くある。

私もソ連の謀略説は可能性が高いのではと考えてしまった。


当時の日本は最後通牒が突きつけられた段階で、アメリカとの戦争回避は困難と判断したようだ。

三国同盟を破棄するのはまだしも、満州・中国から日本が完全に撤退するのは、陸軍どころか当時の国民も承服できなかっただろう。


最後通牒を突きつけられた直後からの陸海軍の動きは、フィリピン・グアムの占領と米艦隊の迎撃作戦を急ぎまとめる事から始まったようだ。

フィリピン・グアム占領作戦の準備を進め、開戦後に準備が整い次第攻略を開始していった。


また、通商路防衛のため海上護衛総司令部が設置され、小型空母を始めとした対空・対潜を強化した艦艇が集められた。

開戦後すぐ通商破壊が始まると想定し、商船や輸送船の護送船団方式への移行が急がれた。


全体で暗号も見直されたようだが、電子計算機で暗号機を作り、それを使い出してからは日本の暗号は解読されていなかったようだ。


米艦隊迎撃は、漸減邀撃作戦で行ったとなっている。

潜水艦や基地航空隊で索敵し、米艦隊の位置・動向を探り、空母の航空隊で米艦隊の戦力を削ぎ、艦隊決戦を行うというものだった。


夢の中で記憶していた漸減邀撃作戦と違い、索敵や制空権を意識した物に変わっているようだった。

確かに、制空権のない状態で一式陸攻を米艦隊に突入させても、損害が増すばかりでたいした戦果は期待できなかっただろうし、潜水艦も決死の覚悟で米艦隊に雷撃を仕掛けるよりも、索敵で貢献した方が活躍の場が広がった事だろう。


最後通牒が突きつけられ宣戦布告がなされる少し前、日本艦隊はトラック近海に集結していた。


1941年12月、アメリカからの宣戦布告後、米艦隊が南方に向かっている事を掴むと、日本艦隊はマーシャルとトラックの中間付近に待機した。


米艦隊の目標がマーシャル諸島と確信してからは、米艦隊を有利に迎え撃つべく、米機動部隊がマーシャル諸島を攻撃した時点で米機動部隊を攻撃できるよう行動したようだ。


日本艦隊と米艦隊の距離が縮まり、米艦隊はマーシャル攻撃に動き、日本艦隊は索敵機を飛ばし正確な情報を把握した。

もちろん米艦隊も索敵機は飛ばしていたが、基地航空隊の索敵情報も得ていた日本艦隊が有利であった。


米艦隊は、日本の艦隊に比べ空母の数が明らかに少なかった。

これは完全に日本を格下とみなし、舐めていたからに他ならなかった。


米艦隊の全容を把握後、機動部隊は米機動部隊に向け第一次攻撃隊を差し向ける。

もちろん戦闘機が多目であり、艦爆艦攻はF4Fに煩わされる事なく、米機動部隊に攻撃を行えた。


ちなみに日本の機動部隊は、艦載機の五割が零式艦上戦闘機だった。


続く第二次攻撃隊で米機動部隊を完全に壊滅させる事に成功した。


日本の艦隊に飛来した米攻撃隊は、多数の零戦により完封する事ができていた。


第三次攻撃隊は、撤退中の米戦艦部隊を攻撃し、撤退の足を遅らせる事に成功する。


しかし戦艦部隊の対空砲火は凄まじく、三次攻撃後の時点で再稼動可能な艦爆艦攻は合わせて30機程度であり、後は大和以下戦艦部隊の追撃に任せる事になった。


史上初の空母同士の航空戦は日本が勝利したが、あまりにも艦爆艦攻の消耗が激しかった。

実に4割以上の未帰還機を出してしまっていた。

制空権があってこれである。

必然艦爆艦攻の防弾装備を望まれたし、搭乗員の確保に苦慮する事になった。


よって不時着水している搭乗員捜索は、徹底的に行われた。

ついでに米兵の救助にも繋がったようだ。


この頃の米艦隊の対空火力が、夢の中ではどれ程だったかは記憶していないが、中型とはいえ空母が増えた影響があり、対空兵装が強化されていたのかもしれない。


戦艦同士の艦隊決戦は、撤退する米戦艦部隊を追撃する形になり、先ずは水雷戦隊が先行し、水雷屋ご自慢の酸素魚雷を発射するところから始まった。

後から主力の戦艦も到着することから無理はせず、遠距離からの雷撃を行った。

結果、接近して来ていた駆逐艦や巡洋艦には命中したが、肝心の戦艦には一本も命中しなかった。

水雷屋は意気消沈し、後に大井・北上は改修され海上護衛総隊へ編入されたようだ。

しかし露払いとしては完璧な仕事をしたといえた。


そしてついに大鑑巨砲主義者念願の、戦艦同士の艦隊決戦が行われた。

米戦艦は航空攻撃で損傷しており、戦う前から日本側有利に始まった。


また日本の戦艦は、電子計算機を用いた電探連動射撃となっており、大和以下全艦が高い命中精度を誇っていた。


よって米戦艦の射程外から大和と武蔵は砲撃を開始し、長門と陸奥が砲撃を開始する前に、敵先頭艦と二番手の艦は戦闘不能になっていた。

金剛型が砲撃を開始する頃には、既に海戦は終了間近であった。


ほぼ大和型が米戦艦に止めを刺した形になったため、大本営と政府は大和型の戦果を喧伝した。

海軍は大和型に自信を持ち、3・4番艦の建造を急がせた。


そしてマーシャル沖海戦後、対米戦争がまだまだ続きそうな事から、旧式化している金剛型の空母化を開始した。

これは日本の戦艦戦力が大和型2隻長門型2隻となり、戦艦戦力の低下をもって、米海軍の空母戦力が圧倒的にならないうちの再来寇を誘う意図もあったのだろう。

さらに、扶桑型、伊勢型、金剛型と空母化してきた経験を基に、長門型を効率よく空母化する計画も、この段階から練られていったようだ。


マーシャル沖海戦に勝利はしたものの、マーシャル諸島を維持するのは負担であるため、日本はマーシャル諸島からの撤退・放棄を決定した。

夢の中の海軍は、戦線を広げ過ぎて消耗していったが、現実では戦場が限定され、旨い事やっていた事が分かった。

お読みいただきありがとうございます。


大鑑巨砲主義者は、最大限お膳立てされて艦隊決戦に望みました。

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