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宣戦布告まで

宣戦布告まで


夢の中のおじさんに色々伝えていたおかげか、アメリカへの石油依存度を下げる方向に向かっていたようだ。

高くついても人造石油の技術を確立し、安定生産に漕ぎ着けていたみたいだし。


電探やパラメトロンの電子計算機の研究開発も順調に行っていたようだ。


航空機搭乗員の育成も進めていたが、戦闘機搭乗員に偏ってしまったようだ。


長10センチ砲の量産体制を整えたり、長銃身高初速なエリコンFFLを九九式二〇ミリ機銃としてライセンス生産し、ベルト給弾式の開発を急いで行ったようだ。

海軍の基本機銃となっていた。

同じ構造と初速の三〇ミリ機銃の開発も進めたようだ。


三国同盟は締結されてしまったが、仏印進駐は阻止できたようだ。


ノモンハンでの戦いの違いはよく分からない。

あまり変わりはなかったのだろう。

ただ、ソ連と中立条約は結ばなかったようで、日ソの緊張維持に繋がり、極東ソ連軍を拘束することになった。


ソ連の大規模侵攻を想定し、各所に防衛施設を建設していっていた。

南樺太も防備を固めていったようだ。

戦車も入れるトーチカを、満州や南樺太に多数建設したとある。


独ソ戦が始まり、ドイツにソ連を攻めるように要請されるも攻めなかったようだ。

ソ満国境で牽制は行い、極東ソ連軍を遊兵化させていた。


せっかくアメリカを刺激しないよう仏印進駐はしなかったのに、結果としてアメリカとの関係は険悪になっていったようだ。

中国利権を独占しようとする日本に対して、反日感情が強まっていき、アメリカ政府もそれを煽っていたようだった。

日本はアメリカに経済制裁を掛けられる事になったが、アメリカ依存がより下がる結果となった。


恐らく英ソはアメリカに参戦して欲しく、日本を出汁にしたかったのだろう。

しかし日本からアメリカに戦争を仕掛ける気配はなく。

英ソや米政府は、アメリカ国民を煽る形で反日感情を高め、日本への宣戦布告を容易にしていったと思われる。


また、戦艦10隻体制だった日本が、8隻体制になった事も後押しの一因だったかもしれない。


そして最後通牒がアメリカより突きつけられ、1941年12月。アメリカから日本に対し、宣戦布告がなされた。


アメリカが日本に宣戦布告したことで、三国同盟に基づきドイツがアメリカに宣戦布告した。


夢の中と同じで、チャーチルが喜んだという話も残ってる。

英蘭とは中立となり、貿易は継続された。

お読みいただきありがとうございます。


石油をアメリカに依存していたのは、安かったからと読んだ事があります。

仏印進駐で石油を禁輸され、ABCD包囲網で他所からも輸入できなくて、人造石油は技術開発にお金が掛かるから未完成の状態で使えない。

この頃、本当見事に追い詰められていますよね。

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