ドイツ降伏からソ連軍の侵攻
ドイツ降伏からソ連軍の侵攻
第一次マリアナ沖海戦で勝利を収め、大和型戦艦の活躍とマリアナ諸島防衛成功を大本営や政府は大きく報じていた。
しかし、程なくしてヒトラーが居ないドイツは降伏してしまう。
夢の中と違い、早くにドイツが降伏してしまったのは、ヒトラーが暗殺されてしまったからだろう。
そしてそれ以前に、ノルマンディー上陸作戦が一年程早くなっていた。
あまりにもあっさり上陸出来たせいで、ノルマンディーの知名度が低くなっている程だ。
ノルマンディー上陸が早まった理由はいくつか考えられる。
イギリス・オーストラリアと、日本は戦争していない事。
フィリピン・グアム以外でアメリカと日本は地上戦を行っていない事。
ソ満国境でソ連と日本は睨み合い、中立条約を結んでいない事。
ドイツがソ連をあと一押しというところまで追い込んで、ドイツの戦力が東部戦線に集中していた事。
追い詰められていたソ連が、米英に第二戦線の構築を急がせた事。
こんなところだろうか。
そして米英軍がノルマンディーに上陸してみたら、完全に奇襲となって手薄なフランスとドイツ本国に雪崩れ込み、それに乗じてヒトラーが暗殺されてしまい、混乱したドイツは立て直す事ができず降伏してしまった。
急展開過ぎて日本も混乱した事だろう。
東部戦線のドイツ軍がソ連軍には降伏せず米英軍に降伏していったため、ドイツ軍がソ連軍との戦闘を終了させたのが遅くなり、さらに納得できないソ連軍と米英軍がしばし睨み合ったおかげで、日本は備える時間を得られた。
日本はソ連軍と正面から戦うに当たり、先ずは中国との戦争を終わらせる事にした。
中国と停戦交渉を行いつつ、満州・南樺太で迎え撃つ準備を行った。
陸軍は、T-34戦車やIl-2襲撃機等に対応するため、海軍から譲り受けた高角砲を活用したり、迎撃機の口径を12.7ミリ機関砲のホ103から20ミリ機関砲のホ5に変えてみたりした。
しかし東部戦線の情報から、ソ連軍の物量を押し留め続けるのは現状では困難と考えられた。
海軍は余力が十分にあり、ソ連沿岸部で暴れ回る事は可能であった。
つまり内陸の満州の防衛は現状では困難だが、海に近付くにつれ日本の防衛力は増し、ソ連の侵攻を食い止める事が可能と考えられた。
ノモンハン以降、対ソ防衛計画は練られており、独ソ戦の戦訓も取り入れられていた。
その結論が、中国と戦争を続けながらソ連軍と正面からぶつかれば、満州の防衛は極めて困難というものだった。
ソ連は夢の中とは違い、東欧に勢力圏を伸ばす事ができず、不満だったと思われる。
ゆえにドイツとの戦争が終わったのなら、夢の中でもそうだったように日本に攻めてくるのは当然の事だったのだろう。
また、極東ソ連軍は丸々残っており、いつ攻めてきてもおかしくない状況だった。
1943年11月。ソ連軍が満州・南樺太に侵攻を開始した。
陸軍は粘り強く戦い、防衛戦が破られそうになれば、死守や万歳突撃なとは行わず転進していった。
夢の中の印象と大分違う陸軍だ。
航空支援や兵站がきちんと準備されている日本陸軍は、無茶な戦術は取らない事がよく分かった。
各地に備蓄されている物資を利用し、地の利を活かした戦いを行えたようだ。
ソ連軍が満州・南樺太に侵攻を開始すると、ソ連海軍も当然動き出し、日本海軍に殲滅されたようだ。
日本近海は日本の制空権下であり、ソ連太平洋艦隊はその動きを完全に掴まれ、重巡を始めとする日本の高速水雷艦隊に一蹴された。
対潜哨戒も厳重で、徹底的にソ連潜水艦狩りが行われた。
制海権も手に入れた日本海軍は、南樺太を攻撃中のソ連軍に対し反撃を開始した。
局地的に圧倒的な航空戦力が展開し、ソ連軍を押し戻し、北樺太への逆侵攻を行うまでにいたった。
程なくしてオハ油田を確保し、樺太全島の占領が進められていった。
その後海軍は、ソ連沿岸部にある軍事・港湾施設などを、制空権を確保した状態で破壊して回った。
特に大和型戦艦の艦砲射撃は強力無比で、スターリンに衝撃を与えたようだ。
中国では中華民国と話が付いたのか、中国からの日本陸軍の転進が始まり、中国南部から徐々に引き上げて行き、北部まで引き上げた後は支那事変以前の国境線まで下がった。
中華民国から連合国に対しては、中華民国軍が日本軍を押し返したと言い張っている。
この段階で日中は停戦し、貿易を再開させている。
そういう話になっていたのだろう。
中国との戦争を終わらせた事で、日本陸軍はソ連軍に注力する事が出来るようになった。
しかし物量と人海戦術で攻めてくるソ連軍は強大であり、防衛は容易ではなかったようだ。
事実、中国と戦っていた時以上の根こそぎ動員となり、戦える一般男子は戦場へ送られ、働ける残った者達は生産の現場へ送られた。
まさに日本の国力を搾り出す戦いとなった。
樺太占領後、オホーツク海の制海権も確保した日本は、アメリカの再来寇までは後顧の憂い無くソ連軍と対峙する事ができた。
満州で制空権が確保できた場合は、ソ連軍を押し返す場面もあり、その際に放棄されている戦車や航空機などを持ち帰り調べ上げ、対抗手段が考案されていった。
成形炸薬弾のタ弾もその一つで、T-34戦車を撃破できる三式中戦車の量産に繋がった。
雲霞の如く押し寄せるIl-2襲撃機を効率良く撃墜するため、陸軍は30ミリ機銃装備の紫電改を採用するか検討し、実際試用してみた。
結果、非常に有用である事が分かり、さらに鹵獲したIl-2襲撃機を参考に紫電改の改良を行わせ、打たれ強い陸軍紫電改を誕生させた。
爆撃機迎撃に使え、対地攻撃もそれなりにこなす戦闘爆撃機となった。
戦後に映画などで、陸軍紫電改の操縦者が乗機の数が足りず、陸軍紫電改よりも防弾の薄い通常型の紫電改に乗せられる場面で、看護婦に不平不満や皮肉を述べたところ、看護婦から「軟弱者っ!」と叱咤されつつビンタを食らうというのが定番化している。
それだけ陸軍紫電改が打たれ強く信頼された機体だった事がよく分かる一幕となっている。
ソ連軍が本格的に攻めてくる事で、ようやく泥沼の中国戦線を終わらせる事ができた。
この支那事変で得をしたのは一体どこなのだろうか。
いろんな人間の思惑が絡み合った結果とはいえ、ソ連が得をしたようにしか思えなかった。
お読みいただきありがとうございます。
このネタがやりたくて、陸軍紫電改を出しましたw




