第9話 さっそくゲームオーバー
シェンナの指さした建物に足を踏み入れると、近未来的なデザインが目の前に広がった。
壁は白を基調とし、天井には青白い光が柔らかく灯っている。
受付には多くの人々が並び、透明なガラスのような端末で入館手続きを行っている。受付カウンターの背後には大きなホログラムディスプレイが設置され、リアルタイムで様々な情報が浮かび上がっていた。
これはもはや、現代日本の技術すら遥かに凌駕してるな。
とりあえず手近な列に並び、順番を待つ。
「おはようございます。ご用件をお伺いします」
オシャレな制服を着た受付のお姉さんが、にこやかに笑いかけてきくる。
「あの、すいません。中に入りたいんですけど……ここに来るのは初めてで、手続きが分からなくて」
何の用でここに来たのか自分でも分かっていないせいで、説明がどうしても曖昧になってしまう。こんな説明で通るのか、内心かなり不安だ。
「かしこまりました。失礼ですが、身分証などはお持ちでしょうか?」
受付のお姉さんは優雅な笑みを崩さず、丁寧に尋ねてくる。
「あ、コレ……」
挙動不審にならないよう意識しながら、拾ったパスケースを受付のテーブルにそっと置く。……今更ながら、もう引き返せないところまで来てしまったな。
「かしこまりました。……戦術魔鉱学科、ブエラ・シュトルフ様ですね。少々お待ちください」
お姉さんは慣れた手つきで端末を操作し始めた。ノートPCのようにも見えるが、キーボードもマウスもなく、半透明なガラス板のような素材で出来ている。触れるたびに淡い光が走り、その動き一つ一つが異様に未来的だ。
「お待たせしました」
さっきのシェンナの話では、この"ブエラ・シュトルフ"という人物は在籍していないはずだが……さて、警備員が来るか?
「IDが確認できましたのでご案内いたします。ようこそウィステリア・テイルへ、マスター・ブエラ・シュトルフ。さっそくですがグランドマスターのシエン学園長がお呼びですので、まずは学園長室へ向かって頂けますか? 係の者がご案内致します」
(なん……だと? え、マジ?)
思わず内心で声が漏れた。まさか本当に通るとは思わなかった。
――
案内係のスタッフに連れられ学園の敷地内に進むと、そこは広大な広場になっていた。
辺りには大小さまざまな建物があり、見渡す限りの緑豊かな学園の景色が広がっている。広場の中央には大きな噴水があり、その周囲には手入れの行き届いた観葉植物が並んでいる。
緑の芝生の上では学生たちが本を読んだり談笑したりとリラックスして過ごしており、テラスを有するカフェのような売店では、笑顔と朝のコーヒーの香りが飛び交っていた。
まさに未来の学園を思わせる理想的な光景だ。
案内されるがままいくつかの建物を抜けると、徐々に学生の姿が少なくなり、代わりに職員と思しき大人たちが目立つエリアに入った。
どうやら学園の事務機能を担う区域のようだ。
大きな建物に入り奥へ進むと人通りはさらに減り、暖かい日差しが差し込む中庭を通り抜けた先に、一際格式高そうな扉が見えてきた。
「失礼します。グランドマスター。マスター・ブエラ・シュトルフをお連れしました」
案内係がノックと同時に声をかけると、中から女性の声が返ってきた。
「待ってたわ。中へどうぞ」
声の様子からして老齢の女性だろうか。穏やかでありながらも凛として威厳に満ちており、落ち着いた雰囲気が一声からでも伝わってくる。
案内係が促す視線に応じて軽く会釈を返し、扉のノブに手をかける。
(ここまで来たら、後はなるようになるしかないな……)
「失礼します!」
気合を入れるように声を張り上げ、俺は扉を開けた。
――
広々とした部屋の中は、この巨大な施設の長の私室としては意外なほどにシンプルだった。
決してチープではないが、必要以上に飾り立てもせず、大きな執務机と応接セットが機能的に配置されている。
壁際の棚には美術品やトロフィーといったありきたりな装飾はなく、並べられているのは大量の本と数枚の写真のみだ。
「予定よりだいぶ到着が遅かったから、心配してたのよ。マスター・ブエラ」
執務机の向こうに立つのは、銀髪を丁寧に結い上げた老齢の女性。
仄かに紫がかった瞳は、感情を読み取ることすら難しいほど静かで、ただただ威厳に満ち溢れている。
「すいません、道に迷ってしまって」
緊張を読み取られないよう、精一杯の笑顔で返事を返す。
相手は間違いなくやり手だ。不用意な発言一つで命取りになりかねないことは、俺でも理解できた。
「それは大変だったわね。ウィステリアの道の煩雑さは世界有数ですもの、無理もないわ」
「身に染みて感じました」
平静を装いながら、はははと笑ってみせる。
「それにしても、あなたがこのオファーを受けてくれるとは思わなかったわ。最近は魔鉱エネルギー学の研究でお忙しかったのでしょう?」
ヤバい……! さっそく聞いたことのない単語が飛び出してきた。だが、深入りしなければどうにか切り抜けられるはず。
「いえ、研究もひと段落着きましたし、たまには環境を変えて新しい挑戦をするのも悪くないと思いまして」
「素晴らしいチャレンジ精神ね。私も見習わないといけないわ。このテイルでの経験が、あなたにとって有意義なものとなることを祈っているわ」
「はい、ありがとうございます。今後とも精進いたします」
深く頭を下げる。もしこれが赴任の挨拶程度の話なら、これで終わりだろう――そう期待しつつ、顔を上げた。
「それじゃ、長旅でお疲れでしょうし、今日はゆっくり休んでちょうだい。係の者に寮まで案内させるから、外に出たら声をかけるといいわ」
「分かりました。それでは、失礼します」
……よし! 想定以上にうまくいった。どうにか切り抜けられたぞ。俺、案外俳優の才能があるんじゃないか?
心の中でガッツポーズを決めつつ、必死に表情を抑えながら回れ右をして部屋の出口へ向かう。
「――ところで」
大きな部屋を半分ほど歩いたところで、不意に背後から声をかけられる。思わず肩がビクリと動いた。
「一つだけ確認しておきたいことがあるのだけど?」
「……何でしょうか?」
振り返りながら応じた俺の目に飛び込んできたのは、執務机の向こうで相変わらず静かな表情を保つグランドマスターの姿。しかし、その手にはライフルほどの大きさの銃がしっかりと握られていた。銃口が向けられているのは……当然、俺だ。
「あなたがテイルに到着するよりも前、私の知っている"ブエラ・シュトルフ"が遺体で発見されたと連絡を受けているの」
……あ。終わった。