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第13話 それでも青は曇らない

 ふと、会場の向こうにいるマスター・クァイエンと目が合った。

 けれど、彼は何も言わず、冷ややかに視線を逸らす。


(あくまでも自分から挨拶に来い、ってことね)


 クァイエン・ファミリア。

 進級した生徒の中で、毎年圧倒的な人気を誇るファミリアだ。それなのに定員割れが続いているのは、マスター・クァイエンが自分の基準で生徒を選別し、気に入った者しか受け入れないから。まるで、自分のファミリアを特等クラスとでも思っているかのように。


「シェンナさん、今よろしいかしら?」


 突然、背後から声をかけられ、ふと我に返る。


 振り返ると、雪の降り積もる夜空を思わせる青いドレスに身を包んだ女性が、静かに微笑みを浮かべて立っていた。その気品漂う佇まいは、一瞬で場の空気を変えるほど印象的だ。

 マスター・カルーナ――近年頭角を表した、人気No.2の若き実力派のマスターだ。


「ええ、もちろん大丈夫です」


「ありがとう。お忙しいでしょうから、単刀直入に言うわね。実はね、シェンナさん。あなたを私のファミリアに迎えたいと思っているの。お考えはいかがかしら?」


 彼女の発言に、周りに居た生徒達が一斉にどよめきを溢す。みんな、当然のように私がクァイエン・ファミリアに志願すると思っていたからだろう。

 マスター・カルーナの言葉に、私は少し驚きつつも、内心はほっとしていた。カルーナ・ファミリアに入ることは、私自身も前から考えていたことだから。


「ありがとうございます、マスター。実は、私もカルーナ・ファミリアを志願するつもりでした。マスターからお声をかけていただけるなんて光栄です」


 頭を下げて、誠意を伝える。


「まぁ、それは嬉しいわ! ここだけの話――」


 そういってマスターがそっと耳元に顔を寄せて来る。

 上品な香水の香りがフワリと漂い、彼女のサラサラな髪が私のすぐ傍で揺れた。


「あなたをクァイエン・ファミリアに取られてしまうんじゃないかと思って、気が気じゃなかったのよ。一番気になっていた生徒の勧誘がこんなとんとん拍子に話が進むなんて、嘘みたい。ぜひよろしくお願いね」


 マスターの柔らかな微笑みを見て、私も自然と笑顔になった。


 確かに、みんなの言うとおりマスター・クァイエンは軍からのたたき上げで実力もあり、各界に顔も効く不動の一番人気。でも……それはおそらくここ数年で終わる。

 凝り固まった思考と他者の意見を聞こうとしない姿勢が、次第に時代遅れだと言われ始めている。これからは、柔軟な思想で多くの研究成果を上げ、注目を集めているマスター・カルーナの時代――


 そんな事を考えていた矢先、背後からただならぬ気配を感じた。


「……少し良いか。私はノーブル家とは浅からぬ縁があったと思うが……その選択は、お父上も承諾しての事か?」


 冷たく重い声が背後から響く。

 振り返ると、そこにはマスター・クァイエンが立っていた。その表情にはあからさまな怒りと苛立ちが滲んでいる。


「失礼ですが、私の学業と父に何の関係があるのでしょうか?」


 毅然として答えると、彼の視線が一層険しくなったのが分かった。


「君らも直に大人になるのだから、もう少し賢く立ち回ることを覚えた方がいい、と忠告してやっておるのだ」


 赤らんだ顔。お酒を飲んでいるのか、呼吸からはアルコール臭が漂ってくる。


(毎年欠かさず主席の生徒から志願されてきたのに、私が他のファミリアに志願したのがどうしても許せないって事ね。ホントこれだから……)


 答えを間違えないよう慎重に次の言葉を探していると、ふと目の前にマスター・カルーナが割って入ってきた。


「マスター・クァイエン、そこまでにしませんか? 私たちマスターが、私欲のために前途ある生徒の選択を問いただすなど、教育者としてあるまじき行為です」


 マスターは見上げる程も背丈の違うクァイエンの顔をまっすぐと見据える。


「……なんじゃと」


 威圧的なその言葉に、一瞬、場の空気が張り詰めた。


「生徒は私たちの飾りではありません。シェンナさんには彼女なりの考えがあります。それを尊重するべきではなくて? 勿論、貴方ほどの聡明な方なら他人に諭されるまでも無いとは思いますが。……おめでたい席ですし、少しお酒が進みすぎたようですね」


 そういってニッコリと笑い返すマスター。この状況でクァイエンにこの笑顔を向けられるとは……さすが"極氷ごくひょう才麗さいれい"の通り名は伊達じゃない。


 クァイエンは舌打ちをし、見下すようにマスターを睨みつける。


「……小娘が。少し名が売れたからと、調子に乗りおって」


 睨みをきかすクァイエンに、マスターは氷のような微笑を返すだけで何も答えない。


 ……やがて、周りの様子をちらりと確認し、分が悪いと思ったのか「くだらん」と一言だけ吐き捨て、クァイエンは苛立ちを隠そうともせず踵を返した。


 その瞬間――彼のマントが近くのテーブルに置かれていたワインのグラスをまとめて倒し、赤い液体が周囲に飛び散った。


「……キャッ!」


 宙を舞ったワインが、一人の女子生徒に狙いを定めたかのように覆いかぶさる。


 その様子を見て――私は息を呑んだ。


(……アイネ?)


 真っ白な制服に広がる赤いシミ。ワインを思いっきり被ったのは……アイネだった。


 皆の視線を一身に浴び、アイネは慌てて頭を下げる。


「ご、ごめんなさい!」


 明らかにクァイエンが悪いのに、赤く染まった制服も気にせず、深々と頭を下げるアイネ。


「――っ! おい、ヴァン家の小娘!! こんな場所で何をうろついている!」


 発せられた怒号にビクリと肩を震わせながらも、アイネははっきりとした口調で答えを返した。


「お願いがあって来ました! ――私を、クァイエン・ファミリアに入れてください! こちらのファミリアは、まだ空きがあると伺いました」


 その言葉に、クァイエンの表情が一層険しくなる。黙って様子を見守っていた周りも、一斉にどよめきだした。


「……き、貴様っ!! 自分が何を言っているのか分かっているのかっ!!」


「も、もちろんです!」


 アイネの真っ直ぐな返事に、クァイエンはこめかみに血管を浮かばせて顔を真っ赤にする。


「いい加減にしろっつ!!! 貴様に志願されたというだけで、我がファミリアの格が下がるではないか! 何の落ち度もない我がファミリアの生徒の迷惑を考えろ!!」


「み、なさんのご迷惑は分かった上です! あ、あの。家の事もあり、迷惑をかけないとは……とても言えませんが。わ、わたし、皆さんの役に立てるよう何でもしますから!」


「それが迷惑だということすら分からんのか!! どうせ、どこのファミリアでも要らないと言われたのだろう!」


 図星をつかれたのか、アイネは一瞬目を泳がせて周りを見やる。身に覚えのあるマスターが数人、視線を避けるように隠れたのが見えた。


 その様子を見て、クァイエンは唇をワナワナと震わせながら大きく息を吸う。


「いいか、貴様などこのテイルにいるだけで、迷惑で、不愉快極まりないのだ!! これまでは多めに見てやったが、いい加減自覚して――出て行ったらどうだ!!」


 会場中に響く程の罵声が容赦なく浴びせられる。それでも、アイネは諦めない。


「それでも……! 私、どうしてもここでやらなきゃいけないことがあって!」


(……《《あの》》アイネがここまで言い返すなんて)


 その態度に、私は思わず息を飲んだ。


 クァイエンは苛立ちを隠さず、拳を震わせてコメカミに血管を浮かび上がらせている。

 そして――ふと、何かを思いついたように床にこぼれたワインを指差して冷たく言い放った。


「……ならば、覚悟を見せてみろ。何でもすると言ったな」


 まるで道端に落ちた汚物でも見るかのように見下した目でアイネを見やる。


「――舐めろ。舐めて掃除でもしてみせろ」


 その言葉に、会場全体が静まり返った。


 突き刺さるような視線が今度は一斉にアイネに集まる。


 いつの間にか音楽の生演奏も中断され、話し声一つしない会場の中で、アイネは肩を震わせならも、静かに「分かりました」と答えた。


 床に広がったワインの前に立つと、スカートの裾を丁寧に畳み、硬く冷たい床に細い膝をつく。その動きはぎこちなく、手は小さく震えている。

 そっと床についた指先が赤いワインに触れ、その冷たい感触にわずかに身をすくませた。

 ゆっくりと顔を床に寄せると、彼女の青い髪がふわりとワインに垂れて、その髪先がじわじわと赤く染まっていく。


 そこで彼女は一度顔を上げた。その瞳は虚ろに揺れ、助けを求めるような微かな色を一瞬だけ宿す。

 しかし、すぐに静かに目を閉じ、震える肩を無理やり押さえ込むようにして細く息を吐き出した。


 そして、彼女の唇がゆっくりと開かれる。



 ……ペチャ、ピチャ



 静まり返った会場に、小さく湿った音が冷たく響く。

 赤い液体が彼女の唇に触れるたび、床にさざ波のような波紋が広がる。その光景に誰もが釘付けとなり、会場全体が息を呑んだように静まり返っていた。


『……うわ、マジかよ。普通やるか? さすがにヒクわ』

『プライドすら無いわけ?』

『まあ大罪人にはお似合いでしょ』


 遠巻きのささやきがどこからともなく聞こえる。その一言一言が鋭い刃のように空気を切り裂いていった。

 それでもアイネは背中を丸めることなく、何度も何度も床を舐め続けた。


 赤い染みはじわじわと制服の胸元にも広がり、彼女の髪先をさらに濡らしていく。


 やがて彼女はゆっくりと顔を上げると、濡れた唇を拭うこともなく、まっすぐとクァイエンを見据えて口を開いた。


「これで……ファミリアに入れていただけますか?」


 小さな声が会場に響く。

 誰よりも低い場所から見上げる彼女のその瞳には、涙の影すらなく、青空のように澄みきった輝きが未だ消えることなく宿っていた。

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