第10話 俺が超えたのは……
「あなたは――どこの誰なのかしら?」
鋭い眼光が俺を捕えて一瞬たりとも離さない。その瞳の奥にはすべてを見透かすような鋭い光が宿っており、その迫力に俺は思わず一歩後ずさってしまった。
「あら、逃げようなんて考えない方がいいわよ。こんな年寄りでも、この距離で外すほど耄碌はしていないわ」
年寄りだなんてとんでもない。あんなに重そうな銃を構えながら、腕のブレ一つ見せないその姿は、鍛え抜かれた身体と場数を踏んだ経験がなせる技だろう。下手な言い訳も逃亡も、完全に不可能だと一瞬で悟った。
「……まず、嘘をついたことは謝ります。仰るとおり、私はブエラ・シュトルフという人物ではありません。そのIDも郊外のゴミ捨て場で拾いました。本当の名前はジンといいます」
「ジン……あまり聞き馴染みのない名前ね。どこの街から来たのかしら?」
銃口を向けられたままの状況で、下手に嘘をつけば即座に撃たれるだろう。ひとつ呼吸を整え、覚悟を決めて言葉を発した。
「――異世界から、来ました」
彼女は驚きもせず、嘲笑うでもなく。ただ静かな目でじっとこちらを見つめ、そしてそっと銃口を下ろした。
「なるほど。それで? その戯言をどう私に信じろと?」
「そう……ですね」
俯いて考える。だが、この状況で何を言おうと狂言にしか聞こえないのは明らかだ。証拠が何もない以上、信じてもらう方法はただ一つ――本当はもっと慎重に試すべきだが、今は背に腹は代えられない。
「その銃で俺を撃ってみてください」
覚悟を決めて顔を上げ、彼女を真っ直ぐに見つめる。
「……脅しのつもりかしら? 私が撃たないとでも? 一発で心臓を貫かなくても、腕や足を順番に吹き飛ばしていくことだってできるのよ」
「いえ。あなたは聡明な方です。証拠を持っているかもしれない相手をみすみす撃ち殺したりはしないでしょう。ですが、俺が俺自身を証明するために、どうかお願いできますか」
「……まぁいいわ。これでも人を見る目はあるつもりよ。あなたがただの狂人だとも思えない。その度胸に免じて、誘いに乗ってあげるわ」
彼女はそう言うと、躊躇いもなく引き金を引いた。部屋にけたたましい銃声が響き渡り、数十に分裂した火球が俺めがけて飛んでくる。
……もちろん、俺に銃弾を目で見切れる動体視力なんてない。それでも弾丸の動きを捉えられるのは、目で追っているからじゃない。――この力が魔法だからだ。
アイネが銃を撃ったときに何となく感じた。この世界の銃は見た目こそ現代的だが、使っている力は間違いなくマナ。そして、その銃口から放たれるものは紛れもなく魔法だ。
相手が魔法なら――それは俺の領分だ。
火球は俺に命中する直前で静止し、燃え盛る光の粒となって宙に浮かぶ。
シエンの表情にわずかな驚きが浮かぶ。
『グランド・マスター!?』
ドアの外で待機していたのか、警備員と思われる武装した数名の男性が部屋の中へ駆け込んできた。
「――問題ないわ。下がりなさい」
彼女は手を挙げて男たちを制すると、彼らはちらりと俺の方を確認しつつも部屋から出ていった。
「……驚いたわね。どんなトリック……いえ、魔兵器を使ったのかしら」
シエンが俺の前に浮かぶ炎の弾丸をじっと見つめる。
「いえ、"魔法"です。厳密には、魔法の理論を応用してこの火球の軌道を制御しました。マナの流れを上書きして、推進運動に使うマナを浮遊方向に転換、その場で静止させたんです」
「魔法――」
シエンは静かにその言葉を繰り返し、しばらく考えるように俺を見つめていた。そして、意を決したように口を開く。
「ねぇ、あなたの名前。もう一度教えてもらえる? ジン……だけなのかしら?」
「いえ。フルネームは、ジン・オルディナス・マギアです」
俺の名前を聞いた途端、シエンの目が大きく見開かれ、彼女は目眩でもしたかのように机にもたれかかった。
「だ、大丈夫ですか?」
散弾銃で撃たれて大丈夫じゃないのはこっちの方だが、思わず彼女の身を案じてしまう。
「し、心配ないわ。まさか――私が生きているうちに現実の話になるなんてね」
彼女の言葉ははっきりとしているが、その内容が俺には飲み込めない。敵意はもう感じられないようなので、そっと彼女の方へ歩み寄り、手を取ってソファーへと座らせた。
「ありがとう。――ねぇ、ひとつ、聞いてもいいかしら」
どうにか落ち着きを取り戻したシエンが俺を見つめる。
「俺で答えられることなら」
俺の目をじっと見つめると、シエンは震えるように口を開いた。
「シエラ・ヴァン・アルストロメリアという名に聞き覚えは?」
その名前を聞いた瞬間、今度は俺が目を見開いて驚く。緊張からか口が渇き、声が掠れる。
ああ、忘れる訳がない。
「――俺の、大事な弟子の名前です」
俺はシエンをしっかりと見据えて答えた。
だが、彼女から返ってきたのは、予想を遥かに上回る衝撃的な言葉だった。
「私の――偉大な師匠の名でもあるわ」
……いや、何となくそんな予感はしていた。
アイネと出会い、この街の名前を聞いたときからだ。
ただ、確証が持てないでいた。
「俺からも……一つ聞いてもいいですか?」
シエンに向かって問いかける。
「えぇ。私で答えられることなら何でも」
彼女の真っすぐな視線を受け、一度唾を飲み込んで喉を鳴らす。口に出そうとしても、胸が詰まり、言葉が喉元で絡まる。
もう一度息を吸い、どうにか言葉にして口から絞り出す。
「シエラは、今どこに」
その質問を受けたシエンは「そう、くるわよね」と小さく呟き、困ったような、そして悲しいような表情を浮かべ、それでもじっと俺を見つめながら答えた。
「亡くなったわ――もう何十年も前のことよ」
あぁ……やっぱりそういうことか。
異世界に来るのとどっちが良かったのかと聞かれると、まだ何とも言えない。
ただ一つだけ確かなのは――
俺が超えたのは、世界じゃない。
時間を超え、未来に跳ばされたのだ。




