早くここから出ていきたい!
なんとなく書きたくなったのでかっとなって書きました。
「早く寝たい、帰りたい……」
ショボショボする目を擦りながら、自転車の鍵を回す。ガチャリと音がしたそれに飛び乗って、バイト先をあとにした。
奨学金があるとはいえ、補えない分の学費は稼がなければいけないし、夜間の時給の方がいいとはいえ、23時まで仕事をするのはなんかちょっとしんどい。何もなければちょっとしんどい、で済むが、トラブルが起こった日は全てを呪う気分になる。バイトを始めてから、世の接客業の皆様には頭の下がる思いだ。
自転車を漕いで、大きな交差点につく。さすがにこの時間は車が少ない。信号待ちのちょっとした時間でもスマホを覗いてしまうのは、悪い癖かもしれないけど、この待ち時間って結構長いんだし、色が変わったら鞄に突っ込むから許してほしいところだ。
そんなことを考えていると、急に目の前が明るくなった。おかしいな、と思ってちゃんと顔を上げるともう目の前に車のライトが迫っていて、私の意識は途絶えた。
まぁ、死んだだろうと思っていたら、目が覚めた。
案外、自分の運はいいのかもしれない。
そんなふうに考えて起き上がると、明らかに周囲の様子がおかしい。私の部屋はこんなに広くなかったし、色合いだってもっとシンプルだった。
「どこ……?」
戸惑いながら発した言葉は自分が記憶している『自分の声』よりも随分と幼い。
少し先にドレッサーが見えてそこに移動しようとした。ベッドから降りようとすると、足が思ったより短くて驚いた。
何か、とんでもないことが起こっている。
そう思った私は妙に大きく聞こえる心臓の音を振り払うように、ドレッサーの前に立った。
鏡に映った姿は、私の……日本人成人女性のものではなかった。
そこにいたのは、小学生くらいの美少女だった。
髪の色も黒ではなく、美しい金色。目の色は青。
「どうなって……」
『ちょっと、あなた!わたくしの身体を返しなさい!!』
混乱していると、脳内に甲高い声が響く。ゆっくりと顔を上げると、鏡の中にいたのは鏡にいた美少女が赤いリボンでツインテールにしていて、しっかりと着飾った姿だった。
鏡越しに身体を返せと訴えている彼女を見て、転生なんていう事態でないことを察する。
(いや、こんな小さな子の身体を乗っ取るとか最悪じゃん)
思わず頭を抱えたくなる。
返事をしない私に不安を感じたのか、鏡の中の彼女は「聞こえていませんの?」とか細い声を出した。
「ごめんなさい。聞こえているわ。質問があるのだけど……」
『それに答えればわたくしをここから出して、身体を返してくださるのね!?』
「いえ、私もなぜあなたの身体を乗っ取ってしまったのかわからないの。手掛かりになるようなものはない?」
私の返事に不安になったのか、女の子は泣き始めた。
個人的には一刻も早く元の持ち主に身体を返したいところだけれど、不安になる気持ちは痛いほどわかるので泣き止むのを待つことした。
すると、部屋の扉を叩く音がした。
部屋の主がまだ寝ていると判断したのだろう。扉がゆっくりと開かれる。
メイドらしき女性は立ってドレッサーの前に立っている私を目にして、酷く驚いた顔をした。それから一瞬、間が開いた後、走り出した。
『……わたくしはたちの悪い流行り病にかかって寝込んでいたの。気が付けば、鏡越しに自分を見るというおかしな状況にいたわ』
鏡の中の少女がそう言う。
今の私は体調が悪いという感じはしない。違和感があるにはあるけれど、それは自分の身体でないせいだろう。
足音がたくさん聞こえる。
部屋に家族らしき人たちと医師が入ってきて、私はベッドへと引き戻された。
この身体の名前はロクサーヌ・オール。
オール侯爵家の長女だ。家族構成は父と母、それから兄。
家族仲は非常によかったらしいが、今のロクサーヌに違和感を感じているのか、全員が私をどこか疑うような目で見ている。仕方がない。実際に身体はともかくとして中身は全くの別人だ。
「問題はどうやってこの身体をあなたに返すか……」
『返す気はあるのね』
「自分が死んだからってよそ様の身体を乗っ取っていい理由にはならないわ。お祓いとかで消し飛ばせればいいけど……お祈りに連れていかれた教会でも何も起こらなかったのよね」
自分が悪い物だとは思っていないけれど、少なくともロクサーヌにとっては異物のはずだ。だというのに全く何もなかった。
『……中に入ったあなたが悪人でなくてよかった、と見るべきなのかしらね』
明らかに落ち込んだ声音で言われても……と私は眉を下げる。
幸か不幸か、彼女の姿は私にしか見えない。いっそ、ロクサーヌの家族にも彼女の姿が見えればよかったのに。
今ある手掛かりは、というと。
『破滅回避しないと出られない部屋って、一体何ですの……?』
彼女のいる場所にあるという謎の看板だけである。
〇〇しないと出られない部屋、というもの自体は生前あった二次創作などで知っている。とはいえ、あれは両片思い、もしくは両想いの推しカップルに年齢制限がかかることをやらせようとする、みたいな舞台装置であったように思う。そもそも、精神世界に閉じ込められてどうやって破滅とやらを回避しろというのか。
「転生、破滅となると悪役転生ものが流行りだったけど」
『わたくしも、わたくしの家族も特に悪いことをやっていませんわよ』
「うん。見ている感じ、侯爵様も奥様も、すごくいい人」
部下からの信頼も厚い様子がうかがえる。まぁ、そういう人ほど裏で……という考え方もないではない。でも、ロクサーヌが慕う家族が悪い人だとも思いたくない。
そろそろ、ロクサーヌの家族に説明するべきか、狂っていると思われて終わりじゃないか。でも、娘の様子がおかしいことに悩んでるみたいだしなぁ。
とりあえず、体の持ち主の意見も聞いてみることにした。
ロクサーヌの意見の元、父である侯爵に今の状況を打ち明けたところ、真っ青な顔をしていた。
今までにもそうやって『転生者』と名乗る存在が現れた事例があるそうだ。
高位貴族に生まれた娘は悪役令嬢、下位貴族や平民に生まれた娘はヒロインなどと言って国を引っ掻き回した事例もあるらしい。うわ、引く。
「ロクサーヌは生きているんだな?」
「はい。ただ、この身体から『私』を引っ張り出す手段がわからないこと、ロクサーヌ自身が『破滅回避』しないと出て来れなさそうなのが問題でして……個人的にはご息女の身体を乗っ取っている状況はあまりいい物だとは思っておりません」
「……その身体がないと、死の運命にあるのにか?」
「だからって、他人の人生を奪っていい理由にはならないでしょう」
私の言葉に、侯爵は少しだけ安心した顔を見せた。今まで転生者として現れた人間がよほどヤバかった、もしくは国を大きく引っ掻き回したのだろう。そもそも、身体がこの世界の人間のものである以上、『中身が違う』なんて家族以外にはわからないだろう。知らない誰かが入っていたとして、教育できなかったのはお前たちのせいだと後ろ指をさされるケースだってあったかもしれない。幼い精神が成人の精神に勝てる可能性というのは低い。塗りつぶした人間の再教育なんてなかなかできることではない。
「君に返す気がある以上、破滅という言葉だけがあの子を取り戻す手がかり、ということか」
難しい顔をする侯爵は何かを思い出したのか、ロクサーヌを部屋の中から出さないようにと指示して、行動を始めた。
初めから相談しとくべきだったかもしれない。
「ヒロイン、と名乗り、男爵家の血を引く娘を見つけた」
それから数日後、神官と共にロクサーヌの部屋を訪れた侯爵は愉しそうに口角を上げた。今までの事例から見て、乗っ取られた高位貴族の令嬢が現れた場合、高確率でヒロインという女も現れる。だから、破滅が鍵ならばと探し回ったようだ。
なるほど、と私は頷く。
「では、その彼女がいなくなれば破滅回避になる可能性が高いのですね?あ、でも元の『彼女』がかわいそうでしょうか」
「いえ、残念ながら元の『彼女』はロクサーヌ様と違って消されてしまったようです」
神官の言葉に息を呑む。そして、ロクサーヌと同い年だったという女の子がせめて来世では幸せになれればいいと祈る。
侯爵様も神官の言葉には不快そうな顔を見せている。娘と同い年の子どもの末路なんて気分がいいものではないだろう。
そっと鏡に目を向ける。私の目にはロクサーヌがはっきりと見えた。
「ロクサーヌはちゃんと戻れますか?」
「はい」
力強く頷く神官に少し安心する。
返せるならばよかった。
あの破滅回避しないと出られない部屋という看板もなくなったようだ。
(これで、身体を引き渡したらゆっくり寝れる)
自分こそ来世を祈るべきだろうか。
どちらにしても、この世界には私の家族はいないし、いても仕方がない。
魂を元に戻そうとする神官の祝詞を聞きながら、私はゆっくりと瞳を閉じた。
不思議なことにまた目が覚めた。
身体はロクサーヌに返したはずなのに、この手はまだ小さい。おかしいな、と首を傾げると「……確かに、ここしばらくのロクサーヌと似た仕草だ」という男性の声が聞こえた。
「目が覚めて?レア」
私の目の前には、鏡の中にいたはずのロクサーヌがいた。目の前で動く姿を見て、本当に戻れたのだと嬉しくなる。そこから、はて、とまた首を傾げた。不思議なことしかおこらないので傾げた首が戻るタイミング、難しい。
「れあ?」
彼女は私をそう呼んだ?でも、私の名前はそんなものではない。そこで、ふと自分の名前はなんだったかしらなんて考える。
(おかしいな。確かに、名前があったはずなのに)
私にも、大切なそれがあったはずなのに。
なぜだろうか。それに少し、焦燥感を感じる。
「そうよ。あなたはレアになったの」
「なった……?」
にんまりと笑うロクサーヌ。
彼女の言いたいことを補足するためだろう。ロクサーヌを元に戻すために来ていた神官が説明を始める。
いわく、『ヒロイン』の中にいた魂を引きはがした結果、身体だけが残ってしまった。
『ヒロイン』の器にまた妙な魂が入ってロクサーヌが傷つけられるのを避けたかった。
そこに『ちょうどいい魂』があったのでぶち込んだ。
なんてこった、そのちょうどいい魂って私のことじゃあないか!
「あなたはずうっと、わたくしを気遣ってくれた。わたくしから奪おうとはしなかった。ただ、わたくしが家族の元に戻ることだけを願ってくれた……」
「それ、は」
おとなとして、とうぜん、では……?
いや、日本では大学生なんてまだ子どもの延長線みたいな感覚ではあったけれど。
それでも、私はロクサーヌよりお姉さんなのだ。奪う、なんてしちゃいけないと思った。それだけだ。
「わたくし、あなたともっと一緒にいたくなってしまったの!」
ロクサーヌはそう言って愛らしく笑んでいた。
私はというと、このままいけば貴族の令嬢になってしまうらしいと聞いて震えていた。だって、私は『ロクサーヌ』だったからがんばって淑女教育を受け、おしとやかに振る舞っていただけなのだ。元来の私はめんどくさがりだし、雑だし、とにかくお嬢様なんて柄じゃあない。
「おかしい!」
私は早く出ていきたかっただけなのに!
主人公
自分の名前も覚えていない元日本人女子大学生。
バイト帰りに酒気帯び運転信号無視のクルマによって轢かれて死ぬ。
目が覚めたら侯爵令嬢だった。物語として読むだけならいいが、小さな子の身体で好き勝手したくなかったし、心の底からお嬢様やりたくなかったのでなんとかして身体を返却してもらう。これで終わりのはずだったのに捕まった。
あれ?
ロクサーヌ
破滅回避しないと出られない精神部屋に閉じ込められし被害者。
誰も自分が見えない、話せない、触れないなか、「体はちゃんと返すからがんばって!」という主人公に絆された侯爵令嬢。
閉じ込められる前は性格に若干難があったため、お友達が少なかった。主人公を捕まえてうっとりご満悦。絶対出ていかないでほしい。
レア
哀れ転生者(乗っ取った存在)に呑まれた一番の被害者。
今は平民だが、そのうち男爵令嬢になる予定だったらしい。
魂が食われちゃったので、転生者を払ったら身体が空になっちゃった。そこに全く関係ない主人公がぶち込まれることに。