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ジェフクタール

英雄ゼガロイヤとリシェル王女


 王都に花びらが舞う。


「救国の英雄ゼガロイヤの帰還だ!」

「あの魔王を倒した英雄だ!」


「「「うおおおおおおお!」」」


 英雄をひと目見ようと王都に集まった男たちは歓声を上げる。


「豊かな金の髪! 美しい空色の瞳!」

「なんて逞しく精悍な色男!」

「神に愛された英雄ゼガロイヤさま!」

「こっちを見たわ!」


「「「きゃあああああああ!」」」


 英雄をひと目見ようと王都に集まった女たちは黄色い悲鳴を上げる。


「ゼガロイヤッ!」

「ゼガロイヤッ!」

「ゼガロイヤッ!」


 民衆の興奮した声を一心にそそがれるゼガロイヤは間違いなく救国の、いや、世界の英雄だった。



♢♢♢



 長年世界を苦しめていた魔王。


 これまでにも世界中の国々が魔王を討伐を掲げて、世界連合の軍隊や自国の英雄、精鋭部隊を送り出してきた。


 だが、魔王の力はあまりに強大だった。


 このままでは、あのどんよりと黒く重い雲が世界を覆い尽くすだろう。

 世界の王たちは頭を抱えた。

 滅びが近い、と誰もが嘆いた。


「私が魔王を倒しましょう」


 英雄ゼガロイヤがその姿を現したのは、世界中が平和を諦めた頃だった。


 豊かな金の髪。

 美しい空色の瞳。

 精悍で逞しい男。


 ゼガロイヤは自信に満ち溢れており、独特の雰囲気がある男だった。


 この男ならば、と誰もが思ってしまう。

 この男に期待をして、潰えたはずの希望が再び蘇る。


 ただの平民だと言うゼガロイヤには、平民とは思えぬほどのカリスマ性があった。


「そこまでッ!」


 魔王討伐の志願者には試験がある。

 自称強者たちの実力を、日々鍛え抜かれた騎士団が試すのだ。


「ああ、なんて……強い……」


 ゼガロイヤの実力を試した騎士団は、この王国の最後の砦だった。

 その騎士団を、ゼガロイヤはたったひとりで叩きのめしたのだ。


 ゼガロイヤは今までの、口だけがたいそうな自称強者の平民ではない。


「ゼガロイヤのあの豊かな金の髪はとても平民だとは思えない」

「だが本人は平民だと言うのだろう?」

「確かに辺境の村にゼガロイヤの名はある」

「平民にあの金の髪と空色の瞳は、あり得ぬだろう?」

「しかもあの強さだ」


 本物の強者。

 英雄になり得る男。


 ゼガロイヤの話は王城を駆け巡った。


「私はひとりで魔王を討とうと思います」


 国が用意した剣と鎧。

 その調整をする間のゼガロイヤの一挙手一投足もまた、王城を駆け巡る。


「平民とはあきらかに所作が違う」

「食事の作法もリシェル王女殿下が見惚れるほどに美しいと聞いた」

「平民にあのような者が、いるはずがない」


 誰の隠し子だ、と誰もが探った。

 ゼガロイヤには高貴な血が流れているはずだと――。


「私はただの平民。辺境の村の、しがない農夫ですよ」


 ゼガロイヤは困ったように笑う。


「神に、我らの祈りが届いたのでは……?」


 誰の隠し子でもない?

 だが、とても辺境の村出身の平民だとは思えない、ゼガロイヤという男。


「ラーテ教皇聖下がゼガロイヤに会いたいと」

「なんと……」

「やはり、ゼガロイヤは……」


 神が魔王討伐の為にゼガロイヤを遣わしたのはないか?

 小さな噂の信憑性が高くなる。

 ゼガロイヤという男ならば、それもあり得ると誰もが思った。


「ゼガロイヤ殿」

「これは、リシェル王女殿下。いかがされましたか?」


 英明なリシェル王女。

 恋の噂ひとつなかった彼女が、ゼガロイヤには自ら会いに行く。

 この話も静かに広まっていた。


「魔王を倒した英雄にはリシェルを、と決めたのは、間違っていなかったのかもしれぬ」


 国王もさまざまな噂や話を聞いた。

 

 魔王を倒した者には望む褒美を与える。

 国王がそう決めたのは随分と前のこと。

 平民に、大切に育ててきた王女を嫁にやることになるかもしれない。

 王妃は泣いたが、国王がそう決断するほど、世界は切羽詰まっていた。


「ゼガロイヤが陛下に何を望むかなど、まだわかりませんよ」

「ゼガロイヤが英雄となれば、わしに望むのはリシェルだろう。英雄には美しい姫だ。その方が都合もいい」


 王としても、父親としても。

 さまざまな思惑がある中、ゼガロイヤは魔王討伐を誓って出立した。


「神よ。どうかゼガロイヤ殿をお護りください」


 魔王が討伐されて、世界中の人々が再び晴れ渡った青空を目にして歓声を上げ続けて、ゼガロイヤが王国へと帰還するまで、リシェル王女の祈りは続いた。



♢♢♢



「ゼガロイヤッ!」

「ゼガロイヤッ!」

「ゼガロイヤッ!」


 英雄の帰還。


 歓喜にわく民衆の声は王城へも届くほどだ。


「ゼガロイヤ殿……」

「リシェル。少し落ち着きなさい」


 居ても立ってもいられない様子のリシェル王女に、微笑みを浮かべた王妃は視線を送る。

 以前は、魔王討伐の褒美とされた美姫であるリシェルのことを思い涙していた王妃だが、それももう過去のこと。


 リシェルは英雄ゼガロイヤのことを本当に愛している。


 そうありありとわかるリシェル王女の様子に喜びの涙が出るほど、王妃は安堵していた。


「母として、陛下を恨んだこともありましたが」

「……わしは王だ。父親である前に王なのだ」

「ええ。わたくしが未熟であるだけのことです。一生続くであろう未熟さですが」

「そなたはそれが良いのだ」

「まあ」


 ほほほ、と王妃は扇を広げて笑った。


 王城も騒がしくなっていく。

 英雄の帰還は、もうすぐのこと。


 英雄ゼガロイヤを出迎える者たちの声が、謁見の間にいても聞こえる。

 謁見の間で国王と共に英雄ゼガロイヤを待つ王国の重鎮たちも、高鳴る胸の鼓動を隠すように息を飲んだ。

 これからやって来るのは、長い間世界を苦しめた魔王を見事に討伐した本物の英雄なのだ。


 重厚な扉が開く音が、英雄の帰還を告げる門番の声が、謁見の間に響いた。


 赤い絨毯の上を颯爽と歩く英雄ゼガロイヤの姿に「おお……」と思わず重鎮たちは声をもらす。

 英雄ゼガロイヤは国王の前で片膝をついた。


「顔を上げてくれ英雄ゼガロイヤよ。よくぞ、よくぞ魔王を討伐した……!」


 誰にも成し得ない。

 そう世界が諦めかけていた魔王討伐という偉業を英雄ゼガロイヤは見事に果たしたのだ。


「身に余る光栄です。国王陛下」


 国王からの賛辞を、英雄ゼガロイヤは少年のような笑顔で聞いていた。


「…………」


 きゅん。

 リシェル王女はゼガロイヤのその心底うれしそうな笑顔に、またもや胸がときめいた。


 初恋。

 リシェル王女は、自分は恋とは無縁だと思って生きていた。


 このままでは世界が滅ぶ。

 だがもう成す術がない。

 それでも、1分1秒でも長く皆を、この王国を生かしたい。

 英雄ゼガロイヤが現れるまで、この恋を知るまでは、自分が強国に嫁げば、と考える日々でもあった。この王国を生かす為ならば、リシェル王女は老王にですら笑顔で嫁いだだろう。


 ゼガロイヤ殿に出会う前の私は恋を知らなかった。

 けれど、私はもう恋とは何か知ってしまった。


 高鳴る胸の鼓動。

 リシェル王女は英雄ゼガロイヤだけを見つめていた。


「見事魔王討伐を成し遂げた英雄ゼガロイヤよ。わしに望むものを言え。わしに叶えられるものを偉大な英雄への褒美としよう」


 国王は英雄ゼガロイヤを見つめた。

 既に気分は花嫁の父。

 英雄ゼガロイヤに鷹揚に頷き、見つめた。


「さあ英雄ゼガロイヤよ。言うがよい」

「では……」


 ゴクリと誰かが唾を飲み込んだ。

 緊張が走る。


 いよいよ。


 いよいよ運命の時――。


「私は、丈夫な荷馬車が欲しいです」


 皆、パチンと何かが弾けたような気がした。

 まるで今、夢から醒めたような心地だ。

 国王は水をかぶった犬のようにプルプルと頭を振った。

 それから改めて目の前を見た。


「……」

「……」


 魔王の魔の手からたったひとりで世界を救った、英雄ゼガロイヤ。

 確かに国王の未来の息子は、目の前にいる。


「……」

「…………あの、国王陛下?」


 英雄ゼガロイヤは首を傾げた。

 誰もが、無言。

 静まり返った謁見の間。


 それからしばらくして、国王が口を開いた。


「英雄ゼガロイヤよ。望むものを言うがよい」

「私は丈夫な荷馬車が欲しいです」


 しーん。

 それはまるで謁見の間の時が止まったかのようだった。


 荷馬車……?

 荷馬車……。


 英雄ゼガロイヤ以外の者たちが、少しずつではあるが荷馬車について理解してきた。


「……っ」


 荷馬車に負けた王女。

 目の前の現実を理解した英明なリシェル王女はプルプルしている。


「――ッ!」


 王妃の手元からはミシリ……と音がした。

 扇だ。

 王妃の扇が悲鳴を上げている。


 これに気づいた宰相がハッと我に返った。


 宰相は国王が王子だった頃から、彼を支えてきた男だ。

 当然、国王の私生活も支えてきた。

 男女のすれ違いなども解決に導く助言を国王にしてきた宰相なのだ。


 この扇の悲鳴は、ミシリ……はヤバいと即座に気づいて青褪めた。


「……」


 知恵者である宰相の脳みそが、これでもかと高速回転をはじめる。


 世界を救った英雄への褒美。

 国が望むもの。

 あの魔王を討伐した本物の英雄を他国に奪われるわけにはいかない。

 これが第一だ。

 魔王が討伐された今、世界は平和への道に進みはじめた。

 だが、このまま平和が続くとは限らない。

 隣国は大国だ。

 魔王が現れる前の、あの国はどうだった?

 次々と戦争をして今や大国ではないか。

 魔王が現れた。

 それによる一時休戦でしかないのだ。

 この間0.1秒。


「……」


 辺境の村出身だという英雄ゼガロイヤ。

 この英雄ゼガロイヤが平民、ましてや農夫だなどと信じない者は多い。

 神聖教国では誰も信じていないだろう。

 宗教国家はとても恐ろしい。

 神の為に、と国民までが一致団結することがあるのだ。

 神聖教国は敵にしたくない。

 英雄ゼガロイヤがこのままリシェル王女と婚姻しなければどうなる?

 英雄の奪い合いがはじまるだろう。

 英雄ゼガロイヤは魔王をたったひとりで討伐するほどの強さだ。

 英雄ゼガロイヤさえいれば、世界征服すら現実味を帯びてくる。

 この間、0.3秒。


「……」


 宰相は懐から黒糖のカタマリを取り出した。

 それを口に放り込む。

 宰相の糖分補給だ。


「追加の黒糖を用意しなさい」


 裏で控えていた侍女頭が動いた。

 宰相が無意識に黒糖を食べたのだ。


 つまり今が、お国の一大事。


 宰相の黒糖を切らしては奇跡のように助かったこの王国が滅びるだろう。

 王妃の1014本目の扇の行く末を気にしている場合ではない。


 この間にも糖分が脳に染み渡った宰相は思考している。


「……」


 ボリッボリッボリッ。ごくん。


 宰相の結論は出た。


 リシェル王女を英雄ゼガロイヤの花嫁にするほか平和への道はない。

 策も決まった。


「これを」

「……」


 侍女頭にスッと差し出された黒糖。

 宰相は一瞬目を見開いた。


「きみを侍女頭に推薦してよかった」


 懐に黒糖をしまった宰相が僅かに微笑んだ。

 侍女頭は涙を浮かべて、宰相に深く一礼をするとその場から下がる。

 人の数だけドラマがあるのだ。


「……」


 国王が横目で宰相を見る。


 静まり返っていた謁見の間に、ボリッボリッボリッと宰相が黒糖を噛み砕く音が響いていたのだ。

 皆が宰相を見ていた。


 宰相が黒糖を無意識に食べている!

 これは、勝ったな、と。

 当然、期待した目で。


 しかし――。


「…………」


 宰相の黒糖を知らない英雄ゼガロイヤだけが不思議そうに宰相を見ている。

 きょとん、としている英雄ゼガロイヤと宰相の目が合った。


「陛下。少々よろしいでしょうか」


 来た! と英雄ゼガロイヤ以外の誰もがそう思った。


「……」


 これには王妃も手を緩めて宰相を見ている。


「……」


 リシェル王女は英雄ゼガロイヤを見ている。


「……」


 出来る侍女頭は王妃の手元の扇も見ている。


「よい」


 国王は宰相を信頼する眼差しである。


 この場をどうにかしてくれ。

 任せたぞ宰相。


 国王のそんな心の声が聞こえるキリリとした力強い眼差しである。

 宰相は朗らかな笑みで国王に頷いた。


 そして再びきょとん、としている英雄ゼガロイヤに視線を向けたのである。


「英雄ゼガロイヤ。貴方に少し質問があるのだが、いいだろうか?」

「はい」


 英雄ゼガロイヤはこの現状をわかっていない顔で不思議そうに頷いた。


「荷馬車、ということは貴方は旅に出るつもりなのかな?」


 宰相の質問を聞いていた者たちの中にはハッとする者もいた。

 英雄ゼガロイヤが旅に出るとなれば他国が動く可能性が高い。

 ハニートラップもあるだろう。

 自国の姫と、そう考える国は多いはずだ。

 英雄ゼガロイヤの血を引く子だけでも、今やとんでもない価値がある。


 英雄ゼガロイヤに視線が集中した。


「いえ。野菜をたくさん積みたいのです。私は野菜がたくさん積める丈夫な荷馬車が欲しいのです」


 ミシッ。

 扇の悲鳴だ。

 王妃は信じられないものを見る目で英雄ゼガロイヤを見つめている。


「それは辺境の村の為に、だろう?」


 不穏な音が聞こえた宰相は素早く英雄ゼガロイヤに質問をした。


「はい。村の荷馬車はとても古くて、もうどんなに修理をしても駄目なんです。村長が、魔王を退治すればきっと国王陛下から新しい荷馬車を褒美に貰えるはずだと、私は村長にその話を聞いて魔王討伐を決意したんです」


 くらりと、めまいがした者がいた。

 脱力して、思わずこの場で座り込みそうになった者がいた。


 荷馬車。

 荷馬車とは、それほどの価値があるものだったか?

 世界を滅ぼす一歩手前の魔王を討伐しようと決意するほどに?


 これには国王たちも言葉を失った。

 これではまるで、荷馬車が欲しいだけの英雄に退治された魔王ではないか!

 そのとおりだ。


「英雄ゼガロイヤ。村で使う荷馬車は英雄を育んだ辺境の村への褒美だ。陛下は貴方個人が望むものを褒美にするのだよ」


 宰相は幼子に言い聞かせるように言った。


「私個人が望むもの、ですか……」

「そうだ。村の為の褒美ではなく、貴方が望むものだ」


 宰相の頷きに合わせて皆も頷いた。


「英雄ゼガロイヤは陛下に何を望む?」

「私が望むもの……」

「きゃっ!」


 グイッと突然王妃に押されたリシェル王女が国王の前に立った。

 国王はリシェル王女の後ろから、にゅっと顔を出している。


「……」

「……」


 見つめ合う英雄ゼガロイヤとリシェル王女。

 ぽっ。

 リシェル王女の頬が可愛く染まった。

 これには王妃もにっこりである。


「本当に、私が望むものを言ってもいいのでしょうか……?」


 英雄ゼガロイヤはリシェル王女と視線を交わしたまま、呟くように言った。


「ああ! わしに二言はない!」


 にゅにゅっ。

 リシェル王女の後ろからさらに顔を出した国王のテンションもこれにはぶち上がる。


「……」


 ぽっ。


 なんと!

 英雄ゼガロイヤの頬がぽっと赤く染まったではないか!


「では、私は」


 ドキドキドキドキ。

 これには謁見の間にいる者たちの胸も最高潮に高鳴る。


「お、黄金のカブト虫が欲しいです」


 へへっ。

 まるで男児が照れたような仕草をする英雄ゼガロイヤ。


 バキッ!

 1014本目の王妃の扇が折れた。

 ボリボリボリッッ!

 宰相は無意識に黒糖を口に詰め込んだ。


 黄金のカブト虫。

 別名、愚王の象徴。

 王国の歴史上最悪の愚王が、寵姫が産んだ王子の為に作らせたものである。


『王さまぁん! 瞳は魔宝石、その姿は黄金で作った黄金のカブト虫が欲しいってあの子が言うのぉ〜!』

『おお! 俺の可愛い子猫ちゃん! すぐに世界一の職人を呼んで作らせよう!』

『にゃぁん! 王さまぁん! 私愛され過ぎて困っちゃうにゃ〜ん!』


 黄金のカブト虫。

 天災による飢饉の中で、王が寵姫の馬鹿なおねだりを聞いて作らせた愚かさの象徴。


 これがきっかけとなって正妃が産んだ王女が『もう我慢ならねえ。“また”やりやがるかあのクソアマ。みんな、元気か? 私は“また”あのクソアマに天誅を下すぞ』と立ち上がった。

 とあるガチアンチの男爵令嬢とは別人である。が、異世界人を世界一幸せにする気の女神の横にいる秘書くんは内心笑い袋なのかもしれない。


 こうして、父親である愚王とその寵姫をこれでもかと切り刻んで、王国の歴史にもっとも名を刻んだ偉大なる女王が誕生したのである。

 偉大なる過去の女王と共に歴史に名を刻む愚王とクソアマ寵姫。


 愚王の象徴、黄金のカブト虫。

 女王に天誅された愚王とクソアマ。

 面白おかしく吟遊詩人が唄う。

 この国の者ならば一度は聞いたことがある有名な歌だろう。


 英雄ゼガロイヤはそれが欲しいと言った。


「黄金の、カブト虫だと……」


 この王国の偉大なる過去の女王。

 その女王が残した薄い本の内容を思い出して、気分は最高潮だったテンションが急降下した国王。


 愚王になるな。

 あのような女の相手をするな。

 問答無用だ。

 誰でもいい。

 私が許す。

 あのGのような女は国の為に必ず殺せ。

 王とは――。


 歴代の王が暗記するほど読んだ偉大なる女王の戒め。

 どれだけ分厚くとも“薄い本”だという、王国の秘蔵書。


 一気に青褪めて震える声の国王の様子に、英雄ゼガロイヤは少し慌てた。


「あっあの、ひと目見せてもらえれば、私はそれで充分です」


 まるでお高いものをねだったことに気づいて慌てたような素振りの英雄ゼガロイヤ。


「そうじゃないでしょッッ!」


 キレた。

 とうとう王妃がキレた。


 バンッ!

 1014本目の扇だったものは床に叩きつけられた。


「んがっぐっぐっ……!」


 黒糖を口に詰め込みハムスターのような愛らしさがあった知恵者の宰相。

 黒糖を飲み込んだ宰相がすぐに間に入った。


「あげるよ英雄ゼガロイヤ。すぐに黄金のカブト虫を貴方にあげよう。けれどね、あの黄金のカブト虫はこの国の王族しか持てない決まりなんだ」

「え?」


 ハッとした王妃が立ち尽くしているリシェル王女をさらに押した。


「あ、あの、私はひと目見せてもらえれば」

「やるッ! わしは絶対に黄金のカブト虫を英雄ゼガロイヤにやるッッ!」


 逃さない――ッ!

 絶対に絶対に逃がしてたまるものか――ッ!


 謁見の間にいる者たちの心は今、ひとつになっている。

 今なら神聖教国ですら膝をつく一致団結ぶりだろう。


「え、あの、ですが、私はただの農夫で」

「英雄ゼガロイヤッッ!」


 リシェル王女が叫んだ。

 生まれてはじめて自分の意志で、リシェル王女は大声で叫んだ。


「私と結婚をしてッ! ゼガロイヤ殿は今日から私の夫ッ! 今日から英雄ゼガロイヤはこの国の王族ですッ!」

「……け、けっ、こん?」

「そうですッ! 欲しいって言ったでしょう丈夫な荷馬車と黄金のカブト虫が! だから……」


 自分で言ってて、じわっと涙が出てきたリシェル王女。


 彼女は初恋中の乙女なのだ。


 丈夫な荷馬車と黄金のカブト虫のおまけでもいいと、思ってしまった恋する乙女なのだ。


「…………本当に、いいの、ですか?」

「え?」

「いくら国王陛下でも、ただの農夫の私と、こんなに綺麗で優しいリシェル王女殿下が結婚をするだなんて、そんなことを、許されるはずが……」


 新たにリシェル王女の頬を伝う涙。


 ゼガロイヤ殿は今、なんと――?


「「「「「許すッッ!」」」」」


 このとき謁見の間に響き渡った皆の声は、王国の歴史書に深く刻まれた。


 英雄ゼガロイヤとリシェル王女


             〜Fin〜

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