第二話:桜の木の下に埋まっているのは
さんざん泣いて目を腫らした私は、また、あのゴブリンらしき生き物を殺した場所へと戻っていました。
「蒸し暑い……」
やはり…………ここは異世界なのですね。長い時間泣いていたはずなのにまだ昼のままです。
「オウカ。私の名前はオウカです」
蠅にたかられはじめていたゴブリンさんの死体に名乗ります。これは、前世とはまるで違う名前です。
「あなたを殺した私の名前は、オウカといいます」
私の――――神様から授かった白によく似たピンク色の髪の毛を見て思いついた名前です。桜みたいに、見えましたから。
「とてもズルい名前ですけどね」
この先出会う人の中に、私と同じように日本から転生してきた人がいたら…………オウカが桜花であると気がついてくれるかもしれない。
「出身が同じなら、この世界の情報共有もやりやすいはずですし」
他人を利用することを前提とした仕込みを含んだ、ズルい名前。
「まあ、敵かもしれないですけどね」
敵であればなおさら、転生者だとわかったほうがいい。私の能力のような危険な力を持っているかもしれないですから。
「力加減、意外とできるんですね。ずっと、怪物みたいな腕力のままだと思っていました」
私は今、大きな木の根元を、拾った木の棒で掘っています。掘り始める前、私の強すぎる力で棒が粉砕してしまうのではないかと心配していたのですが、問題はないようですね。
「この絶妙な力加減。たしかに、拳聖って感じですね」
私の力は完璧に制御されていました。無駄なく確実に土を掘る力が、意識しなくとも発揮されるのです。弱すぎることも、強すぎることもありません。
「うん……すごい」
私の能力『拳聖』は想像以上に性能が良いようです。多分、私がやろうとしたことに最適化した腕力を、自動で提供してくれるものなのでしょう。
ということは…………
私は、ゴブリンさんを振り払おうとしたのではなく、殺そうとしたということになりますね。
「よしっ」
時計がないので、感覚的な話になってしまいますが、幅百五十センチほど深さ一メートルほどの穴を掘るのに四十五分もかからなかったと思います。疲れも全然ありません。さすが、神様から直接授かった能力なだけありますね。
私、時間はかるの得意なんです。監禁されて、あいつがいない時は……ずっと壁掛け時計を眺めていましたから。そうでなければ、この世界で時間を感じるのは難しかったと思います。だって、私がこの世界に来てから三時間ほど経過したはずなのに、太陽の位置がまるで変わっていないのですから。
「よいしょ」
穴から出て、私が殺した死体を抱きかかえます。緑色の肌を横切る赤黒い色の溝は、私が拳が抉り通った道。
「私の死体は、もっとひどい有様だったでしょうね。だからといって、許されるわけではないですが」
鼻の奥にはりつくような、喉に引っかかるような、濃い生き物のにおい。
たまに、顔にピシッと当たる蠅。
でも、あまり気持ち悪いとは思えません。
前世――消えていく意識の中で見せられた、私の下腹部に収納されていたはずの内臓のほうがよっぽどショッキングでしたから。
「あなたも、どこかに転生するんですかね」
穴の中にゴブリンさんを置いて、もう一度穴から出て。手で土を抱えてドサリ、ドサリとかぶせていきます。
「人生で一番、土を触っている気がします」
肌と服が血と分泌物で濡れてしまったせいで、私はあっという間に土まみれ。そして心は、罪悪感に似た感情にまみれていました。
「私って、本当に気持ち悪いですね」
埋め終わるのにかかった時間は、二十分ほど。
「私って……ほんと気持ち悪い」
ゴブリンさんに手を合わせながら考えていたことは、私という生き物が持つ気味の悪さについてでした。
はい、そうです。
私を拉致して殺したあいつに強要されていた敬語を今も使い続けている、グロテスクな生き物について考えているのです。
「私はもう、私じゃないのかな」
わかっています。これは、憎悪だと。恐怖という感情を捨てられるほど強い圧倒的能力『拳聖』を手に入れたからこそ持つことができた…………強者だからこそ持つことができた憎悪です。
でも、もう手遅れ。
憎悪なんて、あいつに怯えていたころに持つことができなかった時点で、意味、ないですから。
「ゴブリンさん、ごめんなさい」
ああ、なんで私はずっと独り言を呟いているのでしょうか。この世界に来てから、まだ、会話ができる誰かに出会っていないというのに。