ラミィの涙 ②
前に立つその姿は奇々怪界な幽鬼のよう。
「ポーカー」
「わーってる……手ぇ出すなってだろ?喜んで見物するよ」
「察しがいい子で助かるわぁ」
(ケッ……年下の癖に子供扱いかよ)
ポーカーは腕を組みその場で待機する。
「あのウロボロスにしては手温いな」
依頼完遂の為ならば殺人も厭わず、なり振り構わない裏社会の組織が二対一の状況を利用しない事に違和感を覚えた。
「薄暮のデートを誰にも邪魔されたくないの」
(全身に包帯を巻いた異様な出立ちの女。間違いない……奴はビンゴブックに載る懸賞金6億Gの賞金首『嘆きの聖女』だ。嘘か誠か人肉を食らう鬼女と噂で聞いたが……成る程)
ともあれタントラはその辺の雑魚とは、一線を画す相手だと認識を改める。
【カイムの強奪技!赤玉の理】
【赤玉が敵の物理攻撃・魔法攻撃・状態異常攻撃をカバー】
(念には念を)
【カイムの強奪技!惜別の涙】
仄かに光る雫が、天空より二人へ降り注ぐ。
【アレクシアのダメージをカイムが引き受ける】
【ラミィのダメージをカイムが引き受ける】
「これは?」
「先生のアビリティですわ」
自分ではなくアレクシアとラミィの防御を堅める。
「ふふ!優しいのねぇ?過保護すぎて妬けちゃう」
「……」
膨大なMP量を誇るカイムだったが、連戦による多用で大分消耗していた。基本MPは自然回復するが、総量より減った状態で消耗する程、回復速度は鈍くなる。MPを回復するアビリティとスキルは希少なので、それ以外の回復方法となるとアイテムの服用が最もポピュラーだろう。
「わたしには優しくしなくていい……その代わり、貴方の狂気をありったけぶつけてぇ」
タントラの『闘気』が火花を散らし、空気を裂く。
【闘気:MPを消費して具現化させるオーラ。戦闘に於ける運用方法は多岐に渡り、『覚醒』まで到達する巧者もいる】
左手に血で錆びた鉄の杭。右手には薔薇を模した棘付きの鞭。
「ーーーーさぁ愉しみましょう」
その言葉が開戦の合図だった。地面を踏み締め、カイムは突進する。
「あはぁ」
防ぐでも、避けるでも、迎え撃つでもなく、なんとタントラは嬉々として、無防備に迫る刃に身を晒した。
【3257ダメージ】
「んん…いいわぁ」
袈裟斬りで右腕から、流れた血を手で掬い舐める。
「嘘!?」
「き、斬られて喜んでる」
(カウンター系のアビリティ……この感じはスキルか?)
疑問を感じつつも、出方を窺う真似はしなかった。倒すべき敵を躊躇なく斬る。
【2563ダメージ】
【4200ダメージ】
【1999ダメージ】
【4074ダメージ】
次々と繰り出される攻撃を一身に味わい、タントラは恍惚としていた。余りに異常である。
「ひひひひひ!強引な人ねぇ?」
「…そのまま倒れろ」
刀の切っ尖が左肩の肉を抉り、鮮血が噴き出し、草を赤く濡らした。
「ーーーー今度は私の番よぉ」
【痛哭を唄う聖母のスキルを発動】
「!」
【3269ダメージ】
直後、カイムの左肩が抉れ出血した。
【カイムは血の呪いを受けている】
【タントラのHPが1134回復した】
一旦、バックステップで距離を取り直す。
「…あらあらぁ?離れちゃ嫌。もっと傍に居て頂戴な」
器用に振るい、タントラは追撃に転じた。
【580ダメージ】
左腿に鞭が当たる。
【625ダメージ】
次は右腕だ。カイムはその場に留まり、防御を固めた。
【318ダメージ×2】
【267ダメージ】
【193ダメージ×2】
威力は然程でもないが、徐々に鈍い痛みが蓄積し始める。
「我慢強いのねぇ……是非とも痛みで歪む顔が見てーーーーみたいわっ!」
【タントラの戒めの罰!くねり這う蛇】
波打ちくねった鞭は、当たる直前で方向を変え、カイムの頰を引き裂いた。
【2229ダメージ】
血が伝い、襟元を汚す。
「せ、先生!」
我慢出来ずアレクシアは叫ぶ。ここまで余裕綽々と敵を薙ぎ倒してきたカイムが、手傷を負い押し負けている。タントラの実力は本物だ。
しかし、避けないのは彼なりの理由があった。
タントラは攻撃の手を緩め、挑発的な口調で喋り掛ける。
「本当にあの子たちが大事なのねぇ」
「……」
回避ではなく防御に徹するのは、アビリティを使用して尚、二人が攻撃対象になる事を避ける為とタントラは考えた。
「ひひ!嫉妬しちゃってぇ意地悪したくなっちゃったわ」
【タントラの戒めの罰!鬼乳母の躾】
大きく伸びた鞭が空気を叩き、乾いた音を鳴らし、二人へ迫る。
「ーーーー狙ったな」
瞬時に身を翻して、鞭を掴み取る。引き合った張力で鞭は真っ直ぐな線となった。棘が掌に食い込み血が流れる。
「うふふふふ」
(流石は億越えだな……まだまだ足りないか)
グイッと力任せに引き寄せ、タントラの体が宙に浮く。逆袈裟から放つ強力な斬閃は腹部へと吸い込まれた。
「ーーーーんあぁぁぁ!!いいっ!今の、凄くいいわぁ」
【6980ダメージ】
しかし、何故かカイムが衝撃で後退し血が飛び散る。
【タントラのHPが3240回復した】
「な、なんで?」
「くっ…先生!」
アレクシアもラミィも目を疑う。攻撃が当たっても、タントラはダメージを喰らわず、逆にカイムがダメージを負っているのだ。
まるで、悪夢である。所々服は赤く染まり、出血も激しくなってきた。
(……何度見てもえげつねぇスキルだぜ)
ポーカーは心の中で呟く。
タントラの戦闘系固有スキル『痛哭を唄う聖母』は、条件を満たすと発動する特殊なスキル。
条件とは範囲内で敵の攻撃に身を晒し、痛みに耐え血を流すこと。ダメージが一定量を越えると、相手の攻撃を反射後、ダメージ量の半分を自身へ還元して、HPを回復する特殊効果を得る。効果の発動範囲は約20m。
最も有効な対応策は、範囲外からの攻撃だが、距離を熟知した彼女は常に範囲内を保ち、初見での対応は難しい。
……苦痛を尊び、相手にも同じ苦痛を与えたい。歪んだタントラの願望を体現した、正にハイリスクハイリターンのスキルである。
【タントラの闇魔法!エビルフォックス】
黒い霧がカイムを包み、HPを徐々に蝕む。
【54ダメージ×19】
闇属性に強い耐性を持つゆえ、ダメージは微小だが狙いは、視界を塞ぎ、大技を放つ前準備である。
【タントラの戒めの罰!破滅へ誘う薔薇】
「ひひひひひひひひひっ!あは、あはははは」
背中・腕・足を幾度も叩き、前進。距離を詰めた。
【600ダメージ×7】
「私の、私の熱いリビドーを感じてぇ!!」
【タントラの戒めの罰!衝動の杭】
鉄杭が右胸付近に突き刺さり、赤い闘気の衝撃波が体を貫く。パキンッと小さな音が鳴った。
【4289ダメージ×2】
「あ、あ…カイム先生!?」
声を震わせラミィは名前を叫ぶ。
「痛いでしょう?苦しいでしょう?苦悶の嘆きを、私の耳元で囁きなさい」
しかし、カイムの表情は変わらない。
「我慢強いのねぇ。それとも不感症かしらぁ」
彼女が囁き挑発するも、何も答えない。
「……無口な男」
そう言って、連撃に転じる。
【350ダメージ×4】
【517ダメージ×2】
【962ダメージ×5】
為されるままのカイムから、一旦距離を取り、彼女は不満気に睨む。
「凶刃の逸話は誇張された噂だったのかしら。反撃もしないなんて、私を嘗めてるぅ?」
「……その逆だ」
漸くカイムは一言答える。
「ダメージ反射と回復を両立させたスキルとは驚いた」
「ふふふ、うふ、うふふ。よく見抜いたわねぇ?ーーーーその通りよ。このスキルは、私に癒しを与え、相手へ苦痛を施す。敢えて見に徹し攻撃を食らいつつ看破するなんて、大した観察眼と度胸だわ。余計、苦しむ顔が見たくなっちゃうじゃない」
残念な事に表面上、能力を解明して解決とはならない。
条件と範囲を明かさない限りは、迂闊に手を出せばカイムが傷付くだけなのだ。
「ひひ、いひひひ」
【タントラのフェザー・ボラール!】
カイムが授業で見せた縮地法とは異なる移動術。跳躍後、羽毛のように不規則に舞い、撹乱を図るがーーーー。
「……あらぁ?」
それは不発に終わった。鼠を捕らえる猫のように、タントラの頭を鷲掴み、地面へ叩き付けた。
【2332ダメージ】
「ぷはぁ」
【タントラのHPが1231回復した】
「ぺっぺっ……も〜〜口の中に土が入っちゃったじゃない」
赤く長い舌で、唇を舐め取り、唾を吐き出す。余裕綽々な態度は、強者ーーーーいや、捕食者の風格を醸している。
アレクシアとラミィは無論、仲間のポーカーでさえ恐怖を禁じ得ない。
「……やれやれ。やっとだ」
溜め息を吐き、首の骨を鳴らすと右手を前に翳した。
(やっと?)
アビリティorスキルを警戒し、タントラは構え直す。
「ーーーー貰うぞ」
卒然と凍えるような悪寒に襲われ、タントラは杭を握る手が震えている事に気付く。
【略奪の誓いと強奪の試練のスキルを発動】
「「ひぃ!?」」
【対象のスキル強奪に成功】
ローブを羽織った三面六臂の悍ましい大きな骸骨がカイムの背後に現れ包み込むように祈りを捧げると、青い炎が噴き上がり霧散した。
(何だよありゃあ…?)
傍観するポーカーも目を皿のようにしている。
「…ア、アレクシア…今のは?」
「わ、私にも分かりませんわ」
離れた位置で見ていた二人は余りの出来事に、肩を抱き合い、顔を見合わせた。
(……セオリー通りは嫌いだけどぉ、一旦牽制した方が良さそうねぇ)
流石と評するべきだろう。タントラに動揺はない。冷静に不用意な接近は、危険と判断して行動に移る。
【タントラの水魔法!バブルボム】
接触すると破裂する水泡が迫るも、相変わらず避ける素振りを見せない。
(さぁお手並拝見ーーーー)
【カイムの強奪技!痛哭を唄う聖母】
「ーーーーがっ…!」
【2581ダメージ】
不意にタントラの頰を爆けるような衝撃が襲う。
【カイムのHPが1340回復した】
(…へぇ…攻撃系かと思ってたけど、魔法反射とはね…!)
すかさずアビリティで追撃する。
【タントラの戒めの罰!月を目指す棘茎】
三日月のようにしなった鞭はカイムの顔面へ直撃ーーーー。
「…ぶっ!?」
【4000ダメージ】
ーーーーと同時に、タントラの頰へ焼けるような痛みが走り、包帯の一部が剥げた。
(物理攻撃も反射ですってぇ?これじゃまるで私のっ……!)
タントラの動きが止まり、カイムの肩の傷が癒えるのを見て、唇を噛み締める。疑問は確信へ変わり、さっきまでの飄々とした態度は、消え失せ感情を露わにした。
(……『痛哭を唄う聖母』を、何故、何故凶刃が使ってる!?)
包帯で隠れた顔は、物凄い形相に違いない。
【カイムの強奪技!ディスペスの理】
(!…拙い)
薄紫の靄が漂い、タントラは下がろうとするも反応が遅れ、靄に触れてしまう。
【カイムの発動中のアビリティを解除した】
【タントラの発動中のスキルを解除した】
(やはり解呪の……私としたことが、ショックで我を忘れるなんて、あるまじき失態だわ)
形勢が変わった。
「ーーーーお前は強い。きっと察しているだろうな」
大剣銃を肩に担ぎ、カイムは久し振りに闘気を解放する。
彼の闘気を形容するならば、猛々しい漆黒の雷。
闘気は戦力の具象化でもあり、威嚇にも使えるが、この闘気を前に戦意を保つのは、きっと至難に違いない。滅多に解放しないのは、闘気を使うまでもない相手が殆どだからだ。
(厳かで、恐ろしく暴虐的ーーーーそして美しい。嗚呼!怒りを忘れる程、素晴らしいじゃない…)
戦意を失わず感動する彼女は、戦闘力もその精神構造も、常人の枠を逸脱している。
「俺は相手のアビリティとスキルを奪える」
「……」
(盗むと言った方が正しいかも知れんがな)
略奪の誓いと強奪の試練。
このスキルは、魔法のアビリティを除く対象の戦闘系アビリティorスキルを五つ条件をクリアする事で、自身の強奪技へ加える事が出来るスキルだった。
前提条件は、①戦闘系に分類されるアビリティorスキルである。②対象アビリティorスキルの『ALv』・SLvが一定値に達している。③カイムがスキル保有者のLvと同等、もしくは上回っていること。
この三つをクリアして、残る二つへ履行。
④対象アビリティorスキルでダメージを受け続ける。履行中は、アビリティorスキルの発動及びHPとMPの回復禁止(強奪対象のアビリティorスキルは除外)。
⑤対象アビリティorスキルの分析(分析が正確である程、成功確率上昇)。
ーーーー以上、強奪までのプロセスだ。成功すれば適正属性も、固有アビリティorスキルだろうと関係なく我が物に出来るが、失敗すれば厳しい代償を支払う羽目になる。痛哭を唄う聖母を遥かに凌ぐ、超ハイリスク・超ハイリターンなスキルで強奪したアビリティorスキルの威力と効果の割合は、強奪技のALvが作用する。
【ALv:アビリティレベルの略称】
「……奪う、奪う奪う奪う?」
タントラは、包帯を掻き毟り、笑った。
「ーーーーそれじゃあ、貴方は他者から今まで奪い続け、最強という終着点に辿り着いたの?……あは、あははははははははは!!素敵!本当に素敵だわぁ。何て辻褄の合う話かしらぁ」
それは違う。『赫眼』、『暴食の貴婦人』、『略奪の誓いと強奪の試練』。そして残る他二つを含め『Dの恩寵』は、カイムがDの心臓の移植手術に奇跡的に成功した後、手に入れた偶然の産物。何も最初から、彼は最強だった訳ではない。
……カイムは先天性のある奇病が原因で、幼少時は魔法は扱えず、身体能力も乏しかった。
召喚獣との誓約とDの心臓は、あくまで取っ掛かりで、当初ヘレネと誓約は結べど、使役する技量と実力はなく、Dの恩寵のスキルは強力無比ではあったものの、獲得した時点では、到底扱える代物では無かった。
正気とは思えぬ鍛錬に日夜励み、格上の強敵へ無謀にも挑み続け幾度の敗北を味わい、時には嘲笑され酷い侮辱も受け、それでも折れず、努力に努力を重ね経験を積んだ結果、『凶刃』と呼ばれ、最強の冠を戴くまでにカイムは成長を遂げたのだ。彼の根底にある鋼鉄の意志こそ、強さの本幹である。
「与太話に付き合うつもりはない」
剣を肩から下ろすと同時にカイムの姿が消えた。
【カイムの強奪技!飯綱落とし】
頭上へと高速で飛び上がり急襲する飯綱落としは、元は東国の暗殺者が使う『忍術』という技の一つ。
【9999ダメージ】
「がはっ……ひ、ひひひ!」
【ミス!ノーダメージ×3】
先程と一転、反撃を躱し距離を確保した。
タントラの推測は半分正解で、もう半分は不正解だった。
【カイムの強奪技!フレアスター】
【血の大盾のスキルを発動】
光が迸った瞬間、咄嗟にスキルを発動させ、タントラは爆燃に耐える。血の大盾は、自身が流した血で盾を作り、物理攻撃・魔法攻撃のダメージを防ぐ。
【ノーダメージ×5】
【血の大盾のダメージ許容量が限界を迎えた】
六回の連続爆発を四回まで防ぐも、五回目で限界を迎え、血の大盾は消える。
【2662ダメージ】
戦闘系アビリティと戦闘系スキルは、非常に類似しているが厳密には違う。
例えば火属性に適正のない者でも、火魔法のアビリティは扱えるが、火属性に起因するスキルは覚えない。
スキルは適正・経験・素質・血統等が会得に大きく影響するのだ。それは陽が暮れれば夜になる位、イヴァリースでは当たり前の常識。カイムのDの恩寵はその常識を破っている為、タントラが驚くのも無理のない話である。
【カイムの強奪技!メイルシュトローム】
【6251ダメージ】
【カイムの強奪技!轟雷】
【5555ダメージ】
【カイムの強奪技!大地の怒り】
【1979ダメージ×3】
水流、落雷、岩礁。自然災害のようなアビリティによる猛襲で、タントラのHPはみるみる削られた。
耐性と闘気で軽減しても、身体を突き抜ける激痛に苦しむーーーー。
「…んぁぁ…んんひぃぃいぃ〜〜〜!最、最幸だわぁ!!」
ーーーーのではなく嬌声を挙げ喜ぶ。
痛みを快楽と結び付ける性癖は珍しくもないが、こうまで倒錯した者は極々稀だろう。
(『戦場に火の花が咲き、濁流は死肉を攫い、雷の雨が振り、地は罅割れた時、絶望の笛を鳴らし、有象無象を斬り伏せ凶刃が現る』……誇張でも大袈裟でもなく、伝説は真実だった。侮ってなかったけど、ふふ……見縊っていたのね)
「タントラァ〜〜!?」
ポーカーが叫ぶと同時に大剣銃を、タントラの頭上へ宙高く放り投げる。
【カイムの縮地法】
そして、縮地法を使い懐へ飛び込む。
【カイムの強奪技!心厳流・乱れ牡丹】
「ぐほぉ……」
先ず強烈なボディブロー。次に顎へ左右のショートフック、振り戻しにエルボー、最後に後傾部を掴み引き寄せ、膝蹴りを鳩尾に食らわせた。急所を狙い打つ打撃技だ。
「い、いぃ!…痛みが…わ、私の体を…ふふ」
【1180ダメージ×5】
次に放り投げた大剣銃を跳躍して、キャッチする。
アビリティorスキルは威力・効力に比例して、負荷が生じMPの消耗も増す。一度使えば次の発動まで、時間を要する。スムーズに素早く発動させるには、ALv・SLvを上げるか修行して、練度を高める他ない。
自由自在にアビリティを使い熟す彼の姿に、アレクシアとラミィは只々魅入っていた。
「もっと、もっとよぉ!?痛みの絶頂までぇ……私を導いてぇーーーー!」
タントラは喜び両手を広げ、カイムを見上げた。
「勝手にどこへでもいけ」
【カイムの強奪技!メイルブレイカー】
漆黒の闘気を纏った剣は、火花を散らし、鉄を掻き毟るような音を鳴らす。直撃した瞬間、まるで、隕石が落ちたような、凄まじい衝撃が発生して視界を眩ませた。
「んああああああああぁ〜〜〜〜!!」
【20000ダメージ】
「……どうなりましたの?」
「あ!」
アレクシアとラミィが瞼を開くと、仁王立ちのカイムと片膝を突くタントラの姿が目に飛び込んだ。
「…は…あははぁ…」
深手を負い、流した血を愛おしそうに彼女は凝視している。
(タフだな)
「うふ、ふふふふ」
俯いた顔は恍惚としており、不気味に余韻に浸っていた。
【ポーカーの壊し屋の流儀!岩飛ばし】
(むっ)
岩の塊が飛んできた。カイムはこれを躱して離れる。
「……おい」
傍観していたポーカーがタントラの横に並ぶ。
「そうねぇ」
促され左手を前に翳す。
【喘ぐ者への救済のスキルを発動】
気絶している戦闘員をスポットライトのような光が照らす。
「ーーーーぎゃあああああああ!?」
次の瞬間、叫び出した。
「いぎぃぃいぃっ!」
「ぐ、苦じぃ…」
苦悶に喘ぎ涙を流しつつ、絶命する。
【『瀕死状態』にある対象の生命力を吸収した】
【HPが64000回復】
【瀕死状態:HPを失い行動不能な状態。この状態でダメージを受けると死亡する】
「生命の雫が私の膣に注がれ、満たされる……何度味わっても最高の感覚ねぇ?」
「こっちは頭が痛ぇわ」
タントラの傷がみるみる癒え、快復する。
「…死んだ?」
「ひどい……」
戦闘員は干涸びた木乃伊のように、変わり果てた。アレクシアは愕然と呟き、ラミィは手で口を覆う。
「……」
無言で大剣銃の切っ尖を向けた。
「ふふふふ」
【タントラの召喚術!堕天せしアグモスを召喚した】
『………』
白い魔法陣の向こう側より、拘束された天使が顕現する。
きつく巻かれた有刺鉄線により、純白の翼と皮膚を赤黒く染め、酷く痛々しい姿だ。
「し、召喚獣ですわ」
「………こわい」
カイムは怯える二人の前に立ち、微動だにしない。
タントラは立ち上がり、息を吐く。顔を覆う黒い包帯は剥がれ、金の瞳と白い素肌が露わになっていた。
「舞うは凶刃、奏でる災いーーーー素敵な一句でしょ?さっき思い浮かんだのよ」
甘えるような声に眉を顰める。
「うふふ。可愛いお姫さまは諦めて、今日は降参しとくわぁ。私の負けよ」
(今日は……ふん)
彼女が本気で戦っていない事に、カイムは気付いていた。
戦力を隠したまま誘拐をあっさり諦め、敗北を宣言する辺り、一筋縄ではいかない女である。
「次は誰にも邪魔されず、二人っきりで、とことん貪り合いましょう」
「そうしてくれ。あーあ……部隊は壊滅、依頼は失敗。ったく最悪な一日だぜ」
カイムは武器を構えたまま問う。
「ーーーーラミィを攫った目的と依頼主について話せ。答えれば見逃してやる」
「先生!?犯罪者を見逃すなんて駄目よ!情け無用ですわ」
救出に成功して目的は無事達成。
次に必要なのは、黒幕の情報である。タントラとポーカーはあくまで外注。元を断たなければいけない。捕縛も考えたが、そうなればタントラとポーカーは形振り構わず、アレクシアとラミィを狙い抗戦すると読んだ。
(俺は市警でも、傭兵でも、兵士でもない。…教師なんだ)
ネムに伝えれば、彼女が解決すると信じている。情けではなく先を考えての判断であり、依頼主が提示した条件も二人には幸いした。ーーーーもしラミィが怪我を負っていれば、カイムは躊躇せず、利を度外視してタントラとポーカーを殺害しただろう。
「フン!どーせ嘘を吐くに決まってますわ」
アレクシアに反応するように、タントラはニヤリと笑った。
「……何を笑ってますの?観念して潔く投降なさい」
「丁重にお断りするわぁ。威勢のいい金髪の小猿ちゃん」
「だ、だ、誰がサルですって!?むきーー!」
(本当に猿みたい……)
地団駄を踏み憤慨する姿を隣で眺めラミィは思った。
「ねぇ凶刃」
「む」
「私たちに桃毛の仔猫ちゃんの誘拐を依頼したのは、『帝国解放戦線』よ」
とても呆気なく暴露した。アレクシアもラミィも、そしてポーカーでさえ言葉を失う。
「……はぁ〜〜〜〜」
深い溜め息を吐き、ポーカーは宙を仰ぎ頭を抱える。欺く演技には見えない。本気で憂いてる様子だ。
(帝国解放戦線……レジスタンスか?)
「先生が凶刃で仔猫ちゃんは、本当に運が良かったわねぇ」
ラミィは勇気を出して、タントラへ問う。
「あたしを拐ってどうするつもりだったの?」
両肩を竦め首を傾げる。
「さぁ。シェフは注文された料理を作るのが仕事よ。テーブルに運んだ料理の食べ方は客次第ーーーー客が行儀良く食べようが、犬のように貪ろうが知ったことじゃないわぁ」
誘拐した後、ラミィが酷い目に遭おうと自分達は無関係だと言いたいようだ。
「他にタントラ先生に質問はあるかしら」
冗談を言うとはご機嫌である。
「……さっきからなぜ先生を凶刃と呼ぶの?」
ラミィは怖じけず再び聞く。
「ん〜〜?…あらぁ!もしかしてーーーー」
大剣銃の銃音で言葉は遮られた。彼女の足元の横から、硝煙が登る。カイムは無言でタントラを睨め付けていた。
「先生?」
(へぇ〜〜あの子たちは知らないのねぇ)
カイムの事情など関係ないが、下手に面白がって機嫌を損ねれば殺されかねない。
「悪いけどぉ質問タイムはお・し・ま・い」
「ちょ」
不自然に話を切り上げられ、ラミィは憮然とした表情だ。
「ーーーーどうかしらぁ?見逃す対価に見合う情報だったでしょ」
ゆっくりと大剣銃を下ろす。
「…俺の気が変わらない内に消えろ」
「寛大なる凶刃のご慈悲に感謝致しますわぁ」
タントラはスカートも履いてないのに、宙を摘みカーテシーでお辞儀した。
「……でも覚えておいてぇ?狡賢く欲に塗れた狩人は、一度狙った獲物を諦めない。こわぁ〜い獅子が一人二人、喰い殺したとて狩人は徒党を組み、仕留めるまで獲物を狙い続けるわよ」
「「?」」
アレクシアとラミィは意味が分からないが、カイムは脅迫だと察する。
「狙うなら全滅するまで喰い殺すだけだ」
「……ふふ、ふひひひ。あははは、ははははは!やっぱりぃあなたって素敵ぃ。凶刃ーーーーいえ、カイムゥ?」
(こりゃ野朗をかなり気に入ったみてぇだな…)
こんな上機嫌な彼女を見るのは久し振りだ。
「百年戦争の憎悪と爪痕がもたらす縁に感謝しなきゃ」
『ア…アァーーーーーー』
その時、召喚獣アグモスの掠れた咆哮と共に天光が射した。
【望まれたアブダクションのスキルを発動】
「また逢いましょう」
光に包まれ、二人の体が徐々に歪み始める。不気味な笑みを浮かべたまま、やがて跡形もなく姿を消した。
「消えましたわ……」
「うん…」
(赫眼と同じ空間操作のスキルか。恐らく支援型の召喚獣……ラミィに使わなかったのは、スキル条件に該当しなかった所為だろう)
一先ず危機は去った。武器を仕舞い、カイムは振り返る。
「もう大丈夫だぞ」
「先生…あ、あの…」
口籠もるラミィを見て穏やかに答える。
「さぁ帰ろうか」
いつの間にか陽が傾き、空は茜色に染まっていた。
アラハバ平原に敷かれた線路の終着点。
岩崖に囲まれ殺風景な廃駅にタントラとポーカーは居た。
「ーーーーウボォォエェェ!!……はぁ、はぁ…クソ」
壁に手を突き吐瀉するポーカーを、タントラは愉快そうに眺めている。
「だらしないわねぇ」
「ア…ア、アグモスの移動は……ウプッ!ォエェェ〜」
言い終えぬ内に再び吐いた。胃の中は既に空で、胃酸の苦酸っぱい後味が口腔に広がる。
「もう三回目でしょお?いい加減慣れなさいな」
タントラの召喚獣アグモスは『時属性』の稀有な召喚獣であり、戦闘力が低い反面、サポート能力に秀でている。そのスキルとアビリティの使い勝手は難しいが、型に嵌れば無類の強さを発揮するピーキーな性能を彼女は気に入っていた。
望まれたアブダクションは、現在地からアグモスが記憶した地点へワープ移動する空間系スキルである。
但しアグモスが記憶できる場所には限りがあり、最大三つまでしか記憶できない。また強烈な負荷も生じ、人数に制限はないが、ワープの対象条件にLvとステータスの制限がある。ラミィは対象外だったのだろう。
端的に説明するとワープは激しい苦痛が伴うので、耐えうる肉体が必要ということだ。ポーカーはタブレット錠の鎮痛剤を口の中へ放り込み、ガリッガリッと噛み砕く。
数分後、鎮痛剤が効いて体調も落ち着いたようだ。
「ああ゛〜〜……タントラよぉちょっと気前が良すぎだぜ」
喉を摩りつつ、彼は喋る。
「ん?」
「チンコロの件だよ」
「あぁ」
「これを依頼主や『青鬼』の旦那に知られたら面倒だぞ」
笑ったまま、変わらぬ口調でタントラは問い返す。
「…あらぁ私とあなたしか知らないのにその心配は必要?」
サーッと空気が凍り付き、嫌な汗が背中を伝う。
(……言葉のチョイスを間違えちまったか)
「残念だわぁ」
手を振り翳そうとする彼女を慌てて止める。
「ーーーーまてまてまて!誤解だ、誤解!チクるつもりはねーよ!?心配で言っただけじゃねーか」
彼の必死に宥める顔を凝視めたまま、手を下ろした。
「…クス…冗談よ」
(嘘つけ!本気だったろうが)
平然と仲間を殺す癖にーーーーと心の中で愚痴る。
「ポーカーって顔に似合わず心配性よねぇ?」
「小心者で悪ぅございやした」
「拗ねないの。そんなあなたを私は気に入ってるわ」
喜ぶべきか、それこそ嘆くべきか?複雑な心境である。
「ペッ……これもうダメねぇ」
擦り切れた顔の包帯の一部が唇に触れ、タントラは裂くように破り捨てた。
「『六本指』の婆さんに怒られるな」
「本人の前で婆さんなんて言うと『呪具』の材料にされちゃうわよ〜?年齢はNGワードだもの」
「口が裂けても、本人の前で言わねぇよ……タントラと俺しか知らねぇのにその心配の必要はねぇーよな?」
先程の意趣返しだろう。
「あはは!その通りよーーーーふぅ……秘密の共有って素敵ぃ」
包帯を毟り取り、彼の方を振り返る。
(……勿体ねぇ)
ポーカーは目が合った瞬間、そう思った。
タントラは懸賞金6億Gという巨額に見合う化け物だ。
人が食べたパンの枚数を数えないのと同じ様に、タントラも今まで殺した人数を数えていないだろう。
悪魔と形容してもいい真っ当には、生きられない深淵の住人の素顔が露わになる。
澄んだ金色の瞳に愛らしい唇。
頰の付いた乾いた血の痕は、白蘭の肌を際立たせる。鴉を濡らしたような黒髪がさらさらと揺れた。
悪魔が醜悪ならば、万人も納得だろうが、天使の如き美貌とは皮肉でしかない。
(どう道を間違えたか……選択肢は沢山あっただろうによ)
彼女の過去に興味はあるが、それを聞いて何か変わる訳でもない。……ポーカーも道を踏み外す前は平和を望み、正義を信じる熱血漢だった。共和国軍に従軍し、祖国と愛する人の為、必死に戦った。しかし、凄惨な戦争で光を見失い、闇の中を彷徨うまま辿り着いた先が今だ。
(ま、俺も他人に言えた義理はねーか)
「さぁて……そろそろ行きましょうか」
「おう」
今日も明日も祝福されぬ道を進んで行く。引き返すことはない。
微風に頰を撫でられ、三人は線路に沿い引き返す。
激闘がまるで嘘のように穏やかな草原の風景が続いた。
「む〜〜〜〜」
カイムの隣を歩くアレクシアは、風船のように頰を膨らませて唸る。
「どうした?」
「ーーーーやっぱり納得出来ませんわ」
腰に手を当て目を吊り上げる。
「あの変態女と男を倒せたのに、なぜ見逃したのですか?」
「救出が最優先だと言っただろう」
「でも!」
食い下がるアレクシアに、カイムは苦笑しつつ答えた。
「厄介な相手を深追いすると、予想外の痛い目に遭う時がある」
「…厄介?」
「アレクシアの言う変態女は、『嘆きの聖女』の名で有名な懸賞金6億Gの賞金首で名はタントラ・マクバーン。……ああいう手合いは、戦況を逆転する奥の手を必ず隠し持つ。例えば『自爆系』スキルやアビリティとかな」
「自爆……って6億G!?」
予想を遥かに超えた金額に驚く。
「それに本気で戦えばもっと強かっただろう」
彼は気に留めず答えた。
「……あれは本気じゃありませんの?」
「ああ」
「……」
今の自分との次元の違いに閉口するしかなかった。
「今回はこれで我慢してくれ」
「むー…分かりましたわ」
こう言われては頷く他ない。
カイムの桁外れの戦闘能力は、嫌というほど分かった。6億Gの懸賞金がとんでもない危険度を示している事も理解した。
(その相手に勝てる先生は一体、何者ですの?)
一度疑問が湧けば、後は湧き水のように次々と生まれるのが人の性だ。
「コホン!ラミィも聞いてましたがーーーー」
「ん?」
「あの二人は先生をどうして『凶刃』と呼ぶのかしら」
彼は返答に窮した。
「二つ名で呼ばれるのは、認知度が高い証拠ですわよね?どんなご活躍をされてましたの?」
「……モンスターや賞金首を相手にちょっとな」
「それは前に聞いてますし、ちょっとは答えじゃありませんわよ。質問には何を、いつ、どこでーーーーその点を意識して、正確にお答えくださいませ」
(て、手厳しいな)
さっきは武力に物を言わせ誤魔化したが、同じ手を生徒に使える筈がない。
「その、あれだ……個人のプライバシーだ」
「先生」
どうしても誤魔化そうとするカイムを両腕を組み睨む。
「そもそも人の過去を詮索するのは、お淑やかなレディのすることじゃない……違うか?今の俺は教師、君は俺の生徒ーーーーそれだけで答えは十分。過去を振り返るのは不毛だぞ」
捲し立てるように彼は、それらしく答える。
(話す気はないみたいですわね)
きっと粘っても無駄だと溜め息を吐く。
「ハァ〜〜……もういいですわ」
「素直でよろしい」
「先生は素直じゃないです」
「大人は色々あるんだ」
「子供扱いして…」
「いや子供だろ」
「むー」
「そう頰を膨らますな。折角の可愛い顔が台無しだぞ」
「安い褒め言葉で私は誤魔化されませんわよ」
「いや本心さ」
さも当然のように言われれば、誰だって悪い気はしない。
「……フフン!まぁ私はロレーヌの睡蓮花と界隈では評判ですから」
「それは凄いな」
「ええ」
どんな界隈だ?ーーーーとは聞かない。美少女なのは事実なのだから。
(あ!お父様に先生の調査を頼めば解決じゃない?私ってば冴えてますわね〜)
やけに素性に拘るのは、カイムが師事するに相応しい実力者と認めたからだ。アレクシアは理想が高いので、自然と他者に求める基準も高くなる。実際、過去に家庭教師と揉め、何人も匙を投げ辞めている。それを踏まえ今回の出来事は、二人の関係を良い方向へ導いたのだった。
「それにしても、どうしてラミィが狙われたのでしょう?」
すっかり機嫌を良くしたアレクシアが喋る。
「あくまで憶測だが、メロビィング社が製造する『魔導兵器』関連かも知れないな」
「魔導兵器は『帝国ヴィジョン』の番組で見たことありますわ」
【魔導兵器:マナを動力に起動する無人兵器】
【帝国ヴィジョン:帝国アレクサンドリアを中心に、無線映写機を介して、映像を放映する国営の放送機関】
急にラミィが立ち止まった。カイムとアレクシアは振り返る。
「ーーーーあたしを誘拐してもお父さんは心配しないのに」
「ラミィ?」
「娘より仕事とお金を優先するに決まってる」
ラミィの吐露にアレクシアは何も言えなかった。
「……子を大事に思わない親はいないぞ」
カイムの慣れないフォローも虚しく俯いてしまう。
(う〜〜気まずいですわ……あっ)
アレクシアは空を飛ぶ飛空艇に気付いた。
「カイム先生!ネム理事長のハンドレッドですわよ」
ハンドレッドを先頭に、ルーヴェ市警の小型捜索艇二基が此方へ向かって来る。
「これで歩いて帰らずに済むな」
彼方も気付いたのか機体の降下を始め着陸準備を整えた。
「世界でたった一基の飛空艇に乗って、帰れるなんて夢みたいですわ」
目を輝かせアレクシアは走りだす。
「はやく行きますわよ〜」
「慌てて転ぶなよ」
ゆっくり後を追う。
「まって」
ふとラミィに呼び止められた。
「どうした?」
「……あの、えと…助けてくれて…ありがと」
ラミィは礼を言うタイミングを見計っていたようだ。
「気にするな」
答えても立ち止まったまま、服の裾を握り動かない。
「どうして先生は…先生はっ…」
「ああ」
言い淀むラミィを急かさずただ待つ。
「ーーーー危険を顧みず来てくれたの?」
「…質問の意味がよく分からないが」
助けた理由を問われ首を傾げる。
「だってあたしに助ける価値なんてないもんっ!メロヴィングの性以外、何もないあたしなんて……」
(……恐らく心の傷か)
カイムはラミィの過去を知らない。
母の病死による父親への落胆は、大人を信頼出来ない土台を築いてしまっているのだ。
何かしら辛い経験をしてると想像に難くない。
「違う」
否定して、徐に屈んで視線を合わせる。
「誰かを助けるのに理由が必要か?価値は関係あるか?…答えはノーだ。この先何があろうと、ラミィが大切な生徒だというのは変わらないし、ピンチになれば何度だって助けるさ……それにラミィの抱える傷を癒すことは無理でも、隣で寄り添う位は俺にもできる。無理に一人になろうとするな。まだ10才だろ?」
「………」
「好きなだけ、大人に甘えて、我儘を言っていいんだ」
葢を被せ諦めていた気持ちが堰を切るように溢れ出す。
「ーーーーえっぐっ…ひぐっ…」
「!?」
ラミィの瞳から涙の雫が滴る。悲しい訳ではない。
嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて堪らないのだ。
絶望に打ち拉がれ、多くを失ったカイムの言葉だからこそ、響くのだろう。
ラミィとてカイムの過去は知らない。でも真心は飾らずとも伝わるものだ。
「…いっ…ふぇ…ぐす…!」
「ど、どうした?…腹でも痛いのか?」
戦闘で微塵も動じなかったカイムが慌てている。
何を隠そう彼は子供の涙が大の苦手だ。ちなみに昆虫の蝉も苦手である。
「う、う゛ん…!う、嬉しっく…て」
目を擦り、泣きながら笑う。
(…俺が泣かせてはないみたいだ)
その顔を見て少し安心する。
「ほら」
ハンカチをサッと出せれば良かったが、生憎持っていないので、コートの裾で目元を拭う。ラミィは嫌がらず為されるがままだった。
(そうだ。眼鏡も拾ってたな)
懐に手を突っ込み取り出す。
「これ落としてたぞーーーーって壊れてる?」
「……」
(最悪だ…アイテムパックに収納しとけば良かった)
フレームは180度捻じ曲がり、レンズも完全に割れてしまっている。タントラの技で、突き刺された拍子に壊れたに違いない。
「……すまない。ちゃんと修理して返」
「いらない」
「え?」
「もういらないよ」
それは決別の意思表示。
母の死はラミィの心に刻まれた深い傷だ。時間が経とうと生涯、癒えることはない。ただ嘆くより、前を向き笑っていたいーーーーきっと亡き母もそう望んでいる。
ほんの些細な切っ掛けで、人は良くも悪くも変われる。
ラミィは心から信用できる大人と出逢い、良い方へ舵を切ったのだ。
「分かった」
強い決意を感じ取り、眼鏡を懐に戻す。
潤んだ銀の瞳に自分が映る。泣き腫れて少し赤いが、心の底から笑うラミィはなんと愛らしいのだろう。
茜空と草原も演出して、まるで一枚の絵画のようだ。
(七、八年後にはきっと誰もが振り返る美人になるな)
そんな事を考えつつ、膝の汚れを手で払い立ち上がると、ラミィが恐る恐る問う。
「……その……手を繋いでもいい?」
カイムは無言で左手を握った。
「先生の手は大きいね」
逞しく角張った手の感触を確かめる。
「大人だからな」
(…大きくて、あったかくて、安心できる)
「行こうか」
「うん」
(細くて脆い小さな手だ)
少し力を込めれば、砂糖菓子のように壊れてしまう。
(……事情はどうあれ、俺はこれまで数え切れない命を奪った。何れきっと報いを受けるだろうーーーーただ、その日が来るまで、最期に笑って逝けるように、この子達の為に尽くす。それが俺なりの贖罪だ)
どれだけ善行を積んでも、許されない罪。過去に縛られていたのは、ラミィだけではない。
カイムとて前を向き始めたばかりなのだから。
◇◇◇◇◇◇
ルーヴェに帰還後、カイムは市警の事情聴取を受けた。流石に今回免れる事は出来ず、ネムの指示により、ラミィとアレクシアは早々に学園へ帰宅する。
市民と生徒への影響を考慮し、誘拐事件は秘匿扱いとなったが、帝国議会より要請を受けた『サーガルム国境警備軍』が、50km圏内を巡回していた。
【サーガルム国境警備軍:中立国であるサーガルムの軍隊】
数時間後、カイムはルーヴェ郊外にあるネムの別邸にそのまま向かった。
夜の帳が下り、雲の切れ間に星が輝く。
二階テラスでタバコを吸うカイムは紫煙を吐き出した。
帝国様式で建築された屋敷の庭園を眺めていると、子供の頃をふと思い出させる。
「ーーーー『帝国解放戦線』だって?」
「ああ」
カイムの話を傾聴していたネムは、眉間に皺を寄せた。
「嘆きの聖女がそう言っていた」
「…この情報を市警には?」
「言わなかった」
先ずは彼女にーーーーと考えルーヴェ市警には、誘拐犯について知らぬ存ぜぬで通した。
捕まったウロボロスの戦闘員五名は、近々ルーヴェ市警の管轄より、帝国軍に身柄を譲渡。帝国領の『ロアルガル監獄島』へ護送される予定だったが、留置場で自害した。
死因は奥歯に仕込んだ毒薬によるもので、自白しないよう、訓練されていたのだろう。『トロール』に似ている担当刑事も、キナ臭い案件に顔を顰めていた。
「ネムは連中を知ってるようだな」
薄紅の唇を噛み忌々しそうに答えた。
「……『帝国解放戦線』は、前元帥ヘイムワースの武力至上主義を崇拝するテロ組織さ。官邸爆破事件、帝国議員の暗殺、帝国領属州の襲撃ーーーー四年前から軍の包囲網も掻い潜り暗躍してる。……戦後最大の癌だね。今も奴等の尻尾を掴めず、野放し状態なんだ」
カイムは煙を吐き出し答えた。
「間違いなく内通者がいるな」
「うん。僕も前々から怪しいとは思ってた……それにしたって、学園の生徒を狙うなんて度し難い暴挙だ。どれだけ費用が嵩もうと、徹底的に洗い直しするよ。セルビアにも協力を要請する」
セルビア・アシュフォード。
現アレクサンドリア帝国陸軍大将であり、かつてクイーンナイツの部隊長も務めた七英雄の一人。つまりカイムとネムの同期である。
「陸軍大将とはセルビアも出世したな」
帝国軍は陸軍、海軍、空軍に別れ、最上位の将官が大将である。指揮系統は複雑なので、乱暴な言い方をすると全軍を統括する元帥の次に偉い。セルビアの年齢は、二人の一つ上で29歳。歴代最年少の大将であり、万人が認める女傑だ。
「ふふ、『帝国で一番強い人は誰?』って聞けば子供でも、真っ先にセルビアの名前を挙げるよ。最近は『氷帝』より、『アレクサンドリアの闘神』の二つ名で呼ばれてるし」
「アレクサンドリアの闘神?大層な二つ名じゃないか」
「一晩じゃ語り尽くせないほど活躍したからね」
「追放された俺とは大違いだ」
僻みではなくそう思ったので、率直に答える。
「……ちょっと別件の話だけどいい?」
「ああ」
言い辛そうにネムは口を開いた。
「実は先日、ゼノ元帥にカイムを軍法裁判へ出頭するよう説得を頼まれたんだ。目的は九年前に剥奪した市」
「やめろ」
先程までと打って変わり、二の句を告げない言い方だった。
「……民権を復権させ、軍に新たなポス」
頑張ってネムは続けようとするもーーーー。
「ネム」
(あ、無理だな)
ーーーー結局諦めた。こうなると何を言っても無駄なのは、よく知っている。
「はぁ……わかったよ。もう言わない」
「おう」
満足気にタバコをふかす。
「本当に君とゼノおじさんは似た者同士だよね」
「…どーゆー意味だ?」
聞き逃せなかったようだ。
「頭に超が三つ付く頑固者ってこと」
「あれと一緒にするな」
珍しくムキになっている。
「へぇー」
ネムは半ば適当に相槌を打つ。
「用があるなら自分で直接、伝えるべきだろ?偉そうに指図するのはちっとも変わってない」
「実際に偉いけど?」
最も過ぎる指摘で反論の余地もない。
「……兎に角、俺に構うなと言っておいてくれ」
「はいはい」
「俺はカイム・レオルハートだ。カイム・ファーベインじゃない」
「わかったってば」
こんな風にカイムが感情を露わにするのは、本当に親しい相手の前だけ。大抵は口に出さず、無言の圧で会話を終わらせてしまう。
「ふぅーーーーねぇカイム」
「…今度は何だ?」
「ありがとう」
「急にあらたまってどうした」
「今回の件は展開次第で最悪、戦争勃発の引き金になってたかも知れない。魔導兵器産業最大手のCEOの一人娘が誘拐され、行方不明なんて交渉で済む話じゃないよ」
「……」
「ラミィだけじゃなく、この可能性は前々から懸念してたけど、僕の考えが甘かった。でも共和国軍も、帝国軍もーーーーいや、それは言い訳だね……どの道、連中は踏んじゃいけない尾を踏んだ」
銀髪が逆立ち、瞳孔が縦長に細まる。洗練された闘気が漏れ出す。
「『魔狼』の二つ名に賭けて、生徒に手を出したことを悔やませてやる」
……ネムは闘争を望まない。武力より対話、対立より共存、搾取より恵与。歩み寄ることから、何事も始める。
ーーーーしかし、彼女を嘗めて、狼の縄張りを荒らす愚か者は思い知るだろう。彼女はやると言ったら、とことんやる。
老獪な魍魎巣食う帝国議会の手綱を握るには、家柄だけでは務まらない。知慮に富み、威を兼ね備えるからこそだ。黙って聞いていたカイムだったが、幾許の間を置き答えた。
「…ネムの理想が今の俺の生きる目的だ」
「!」
「たった一週間だが、自分が成すべきことがわかったよ。俺は生徒の夢や目標を叶える手助けをしてやりたい」
真剣に話す彼の横顔を見詰める。
「それを阻む輩は誰だろうと許さん。俺が皆を守る」
命じられた訳でも、頼まれた訳でも、請われた訳でもない。
嘘偽りのない本心だった。
「だから心配するな」
(ーーーーやっぱり君は変わらないね)
カイムは自分が困るといつも『心配するな』と言う。
その言い方が昔とちっとも変わってなくて、嬉しくなる。
微かに頰を赤らめネムは微笑む。
「どうした?」
「ううん」
胸中を知る由もない鈍感なカイムは首を傾げた。
「……ずっと頼りにしてるよ」
そっと右腕に腕を回して、肩に寄り掛かる。
「あー…引っ付くなって」
「別にいいでしょ」
甘えるような上目遣いと仕草は破壊力抜群。大半の男はその魅力に陥落するだろう。
「歳を考えろよ」
「………」
ーーーーさりとて残念ながら、彼には通用しない。まさかの発言にネムは絶句して体を震わせる。
(………ほんっっっっっっと鈍感なのも変わらない!!そこはいい加減、変わってってば!)
憤慨するのも無理はない。カイムの朴念仁っぷりは目に余るものがある。
「痛っ!?」
思いっ切り腹の皮を抓られ、思わず声を挙げた。
「…おい」
「何?」
さっきと一転、ネムは刺々しく睨み上げる。
(き、急に不機嫌になったな)
「鈍感」
そう言われても意味が分からず困惑する他ない。
「はぁ……もういいよ」
それでも好きなので仕方ない。惚れた方の負けなのだ。
「お腹空いたでしょ?夕飯を一緒に食べよう」
怒っていたと思えば、朗らかに笑う。
「あ、ああ」
カイムは釈然としない気分だった。
(……もしや女の子の日だったか?それだと気分の浮き沈みにも納得だ)
とんだ勘違いと見当違いだ。口にしていれば、横っ面に鮮やかな紅葉が咲いたことだろう。
二人は食堂へ移動して、夕食を共にする。
その折、ネムに1ーAの五人が其々抱える事情を聞かされたのだった。
◇◇◇ヴァルキリースクール◇◇◇
ヴァルキリースクールの女子寮は、初等部と高等部で棟が別れ隣接しており、寮というよりホテルに近い外観と設備で、内装もかなり凝っている。
居室の他、共同スペースも多彩だ。1ーAの五人はエントランスホールで談話している。
「ーーーードカーン!!…と私の魔法で連中を一網打尽にしましたわ。勇姿を皆さんに見せてあげたかったです」
意気揚々とアレクシアは、今日の出来事を語っている。
「Lvも26まで上がりましたのよ」
「……いい加減、そのくだりは聞き飽きた」
「だよね〜」
「飽きずに聞きなさい!」
辟易した表情でセアは答えフラウも同意した。
「ふ、二人とも無事でよかったね」
「うん」
オルタは向かいのソファーに座るラミィとアレクシアを見て安堵する。
「ーーーーそれより、本当にカイムは『嘆きの聖女』に勝ったの?」
セアの問いにアレクシアは頷く。
「さっきも言いましたが圧勝ですわ」
「あのタントラ・マクバーンに圧勝……」
俄かに信じ難いのか難しい顔で呟いた。
「セアさんはあの変態女を知ってますの?」
「ん。有名な賞金首で前にリンドブルム猟兵団と揉めてるから」
アレクシアやラミィと違い、セアは賞金首に詳しいようだ。
「その時はぼくの姉と対決して引き分けてる」
「あら?お姉様がいたのね」
「ん…めちゃくちゃ強いよ」
「セアのねーちゃんが勝てなかった相手に勝ったカイムはもっと強いってこと〜?」
「そーなる」
何を隠そうセアの姉は『地上の稲妻』の二つ名で有名な猟兵である。
「むふふ〜!そーなるとカイムって何者だろうね〜?」
「連中も先生を知ってる風でしたわね」
フラウの一言に四人は黙り込む。
「おでこシアは何も聞かなかったの?」
「質問したけど誤魔化されーーーーって、その渾名はやめて下さる!?」
「何者でも関係ない」
「ラミィちゃん?」
「先生はあたしの命の恩人だもん……それに」
「「「「それに?」」」」
「…かっこよかった」
照れ混じりにはっきりと言った。
「ーーーーはっは〜ん!フラウちゃんのセンサーがビビっときたよぉ……もしかして好きになっちゃったとか〜?」
茶化すフラウを意に介さず頷く。
「「「「えっ」」」」
予想外の反応に四人は声を揃え驚いた。
表情の起伏に乏しいセアまで、大きく目を見開いている。
「す、す、す、好きってどーゆー……はぅぅ」
「せ、先生と生徒が恋愛なんて犯罪ですわ!?」
「話が飛躍し過ぎだよ…」
オレンジジュースのストローを啜りつつ、ラミィは呆れた。
淡い恋心と憧れーーーーその表現が適切だろう。
颯爽と現れ、窮地を救う姿は、英雄的に映って当然だ。
もしくは理想の父親像を当て嵌めているのか。
「ぼく恋愛とか興味ない」
「あ〜ぶっちゃけフラウもわかんな〜〜い」
これは歳相応の反応だろう。ラミィは少し間を置き口を開いた。
「……この前、授業で理事長に夢や目標を聞かれたでしょ?」
「でしたわね」
「今ならはっきり答えれると思う」
決意を感じさせる態度と口調で告げる。
「どんな夢〜?」
「先生」
「へ?」
「カイム先生みたいな先生になりたい」
切っ掛け一つで人は変われる。今日の出来事は正にその言葉の有効性を示した形だ。
「勢揃いやねぇ」
「あ…チヨ先生」
生徒誘拐という由々しき事件が起きた直後の為、ネムはチヨへ夜間警備を要請した。戦闘経験豊富な彼女は適任だろう。
これを機に学園の警備体制も、より厳重に一新される予定である。
「ラミィは特に疲れたやろうし早く休まんと」
「うん」
「ーーーーチヨはカイムのこと詳しい?」
「どーゆー意味やろ」
セアの問いに彼女は表情を崩さない。
「アレクシアとラミィに聞いたけど只者じゃない」
「そーそー!気になっちゃうよね〜」
わざとらしく悩む素振りを見せた。
「ん〜〜うちも詳しくは知らんのよぉ」
「……そう」
返答を怪しみつつもセアは頷く。
(セアは感が鋭そうやわ。他の娘も違和感は感じてるやろね)
隠し通すのにカイムは苦労しそうだと思うチヨだった。
「そろそろお喋りは仕舞いにして寝よか」
「えー!まだ21時じゃん」
「夜更かしは美容の大敵やからね」
「まだピチピチだもーん」
「大人になって後悔しても遅いんよ?日頃の不摂生が一気にきよるから」
「ぶー」
「まぁチヨ先生くらいの年齢だと気になりますわよね」
チヨの笑顔が固まった。
「そ、そうなの?」
「30歳を超えれば当然ですわ」
アレクシアは地雷を踏み抜いたことに気付いていない。
「ーーーーうち26歳やけど?」
ニコニコと笑っているものの、目は笑っていない。
「え!?……そうでしたのね」
「えって何ぃ?うちが老けて見える言う意味かいな」
アレクシアは狼狽える。
「どうなん?」
「あ、う〜」
まるで蛇に睨まれた蛙のようだ。
「ーーーーふ、ふわぁ〜〜?急に眠気が襲ってきましたわぁ〜……お休みあそばせ!」
あろうことか脱兎のようにアレクシアは逃げ出した。
「「「「……」」」」
残された四人は非常に気不味い。
「……アレクシアは寝るみたいやけど四人はどうするん?」
「ね、ねまひゅ!」
「…おやすみなさい」
「キャハハ」
「ん、ん」
後に続き四人はエントランスホールを出て部屋に戻る。
「ったくぅ……次は許さんわぁ」
同性だろうと女性のNGワードは踏み抜いてはいけない。
普段一言多いアレクシアには、良い教訓になっただろう。
(まぁ素は可愛いええ子なんやろうけどねぇ)
こうしてヴァルキリースクールの夜は更けていく。
◇◇◇廃都カルデラ◇◇◇
アラハバ平原の終着駅より、西の山道を進みルーヴェ領を越えると今は崩壊した『廃都カルデラ』がある。
【廃都カルデラ:百年戦争中期、カルデラ防衛戦で両軍の交戦被害により、壊滅した都市。元は帝国領だったが、共和国軍に敗れ現在は共和国領土だ。しかし周辺のインフラストラクチャー設備が諸事情により機能しておらず、無人の都と化している】
人の業を象る兵器の残骸は砂に埋もれ、戦火で荒れ朽ちた瓦礫が散らばる。かつてカルデラが山嶺の大都市と名を馳せた名残は、欠片も見当たらない。
夜空に浮かぶ月が、廃都に蠢く闇の住人達を照らした。
「ーーーー弁明はあるか?」
依頼主の男の声には、怒気が込もっている。
「ありませんわぁ」
タントラは飄々と答えた。
「安くない金を叩いて用意した列車は全壊……依頼にも失敗した挙句、おめおめ逃げ帰ってくるとは怒りを通り越して笑えるぞ」
憤慨する男の背後には、武装した大勢の配下が控えている。返答次第では此処でタントラとポーカーを始末する腹積りなのだろう。
「ふっ……私は君達を買い被っていたようだな」
男は対峙するタントラとポーカーを侮辱するように嘲った。
「…おい」
ポーカーがにじり寄り男に凄む。
「何だね」
怯む様子は一切ない。
「そっちのクソみてぇな調査のせーでこーなったってわかった上で言ってんのか…アァ?」
「我々に責任転嫁とは見下げ果てた卑しさだな」
「ーーーーガキの担任が『凶刃』だって話をこっちは聞いてねぇぞ!?」
タントラはにやにや笑い、二人の応酬を眺めている。
「…なんだと?」
「その様子だと知らなかったのねぇ」
「謀ろうとしても無駄だ。俺の知る限り、奴は無償で敵を見逃す男じゃない」
浅からずカイムを知る人物のようだ。
「相手のスキルとアビリティを奪う」
「!」
「あなたは凶刃の能力を知ってたぁ?」
「……ああ」
「それが証拠じゃないかしら」
ポーカーの話の信憑性を裏付けるには十分だった。
カイムのスキルとアビリティを奪う異能の一端は、戦った者しか推察は出来ない。
それ程、道理を超越したスキルなのだ。
「凶刃がルーヴェに……カイム・ファーベインが……?」
(上手く誤魔化せたわねぇ)
二人は失敗の責任と見逃された経緯の追及を逃れた。
「これが責任転嫁か?もういっぺん言ってみろよ」
「……」
「都合が悪くなりゃあ黙りかぁ?オォ!?」
「ポーカーってばぁ…うふ、ふふふ。依頼主にそんな口の利き方しちゃ、めっ」
「…チッ…わーったよ」
タントラに嗜められ引き下がる。
「依頼失敗は本当に申し訳なく思うわぁ。でも凶刃の所在が事前に判明していれば、お互いもっと慎重に行動した筈。帝国の『七英雄』、共和国の『三賢』ーーーーそれを凌ぐ怪物を相手にするんだもの。彼がかつて最強と畏怖された理由が身に染みたわ」
「ーーーーククク!…ハハ!アハハハ、ハハハハハハハハハッ!!」
男は肩を震わせ唐突に笑い出した。
「あの野朗がっ……ルーヴェで教師ぃ?クックック!どの面下げて、小便臭ぇガキ共に何を教えやがるってんだ!?……あああぁ!傷痕が疼いてやがるよぅ…クソッ!クソッ!!」
言動、態度、表情。余りの豹変振りに配下も狼狽える。
(…急に発狂しやがったぞ)
顔を顰めるポーカーだったが、タントラは聖母のように微笑み男へ歩み寄る。
「まぁまぁ落ち着いてぇ」
「ふぅ〜…ふぅ〜…!」
「一先ず今後についてぇお互い語り合うべきじゃないかしらぁ?ーーーー『二律背反』のお兄さん」
深呼吸を繰り返し、男は冷静さを取り戻したようだ。
「…そう、だな」
顔を上げて、タントラを凝視する。
「私は過去に凶刃と色々あってね……つい嬉しくて我を忘れてしまったよ」
「嬉しい?」
「奴の名前を聞く度、あの顔を思い出して、傷が疼くのさ」
男の右顎部から右上眼瞼まで醜い火傷痕が残っている。
火傷の引き攣れで唇は捻れたまま無理矢理、笑ってるように見えた。左顔の造形から元は端正な顔立ちだっただろう。故に余計に酷く映る。
「その素敵な傷は凶刃の?」
「あぁ」
指で右頬をなぞりつつ頷く。
「ーーーー『嘆きの聖女』よ。お前は運命を信じるか?」
「…どうかしらぁ?私は案外、リアリストだから」
「俺は信じている」
「…ヘッ…ロマンチストなこって」
「ポーカー」
「はいはい」
依頼主の男を茶化すポーカーに釘を刺す。
「……フッ……笑うなら笑え。これは凶刃に借りを返せという復讐の女神の思し召しなのだ。愚者に解らぬだろうが、俺には分かる」
まともじゃない狂人の思想。
(これはまたーーーー)
「奴に弟を殺された俺にはな」
(ーーーー素敵な展開だわぁ!)
男の瞳は憎悪に染まり、血走っていた。