戦乙女の天罰
帝国と共和国の境に位置する無国籍の国境都市ルーヴェ。
『ゴード連峰』の大山脈と『東ソーマ海』の大海に面する交易が盛んな巨大都市は、『不戦の誓い』により如何なる軍の侵略、越権が禁止された地帯であり、市警・『冒険者ギルド』・傭兵ギルドが協定を結び、治安維持に務める。両国家の首都へ繋がる鉄道網が敷かれ、列車が走るのはこのルーヴェだけだ。カイムがルーヴェへ移住して、早二週間が過ぎた。新学期前の春休みで、生徒達は実家へ帰省している。
【ゴード連峰:大自然の恵みを受け、多種多様の動植物が生息する豊沃な地だが、危険なモンスターも跋扈する】
【東ソーマ海:未発見の無人島が点在し、莫大な海洋資源が眠る反面、貿易船を狙う海賊・モンスターの被害も多い】
【冒険者ギルド:未踏地の探検、ダンジョンの踏破、アイテムの採集・採掘の依頼を請け負う組合組織】
◇◇◇聖暦1798年3月5日◇◇◇
学園の会議机が並ぶ研修室の一画で、ネムは楽しそうに講師をする反面、分厚い教本を睨みカイムが唸る。
「……頭が痛い」
「最低限のカリキュラムは覚えてね」
「筆記テストが苦手なの知ってるよな?」
「知ってるけどカイムには、学年全体の戦闘学と新入生の担任も受け持って貰うし一回り以上も年下の子供に学力で負けたくないでしょ?」
「昔はこんなに難しくなかったぞ」
「終戦後、教育カリキュラムが充実したのさ。帝国も共和国も軍縮した分、予算に余裕ができたお陰だろうけどね。必須履修科目の他に、自由選択科目で芸術・音楽・料理・錬金術の授業が昨今はマストだもん」
(…時代の流れか)
「ヴァルキリースクールを創立して二年ーーーー話題性は十分でも知名度はまだまだ低いから」
「これだけの設備を揃えてるのにか?」
彼がそう言うのも無理はない。郊外一帯を買い占め、建設した敷地内は把握するのも一苦労であり、どの設備も豪奢なものである。
「最高の教育環境を提供したいからちょっと奮発したの」
ちょっとの規模がおかしい。
「……運営資金は寄付金とネムのポケットマネーで賄ってるんだろ?」
「うん。懇意にしてる帝国貴族や共和国の企業から、惜しみない援助を受けてるよ。貧富の差、身分、種族、国……そんなことで生徒に優劣を付けたくないし、学費は貰わない運営方針だから」
その方針と理想を実現するに膨大な資金の他、政治的に高度な駆け引きを要したに違いない。彼女だからこそ可能であって、他の誰にも真似出来ないだろうと感心する。
「本当に凄いな」
偽りない賞賛を真顔で口にした。
「て、照れるからやめてよ!……それと帝国貴族の中で一番寄付をしてくれてるのはファーベイン家だよ」
「………」
「ゼノ元帥は君が先生になるって言ったらーーーー」
「カイム・ファーベインじゃない」
ぶっきら棒な口調で遮る。
「俺はカイム・レオルハートだ。そうだろう?」
「…そうだったね」
ファーベインの性を名乗れば、面倒になると判断して、カイムは無理を承知で、新たな氏名と戸籍をネムに用意して貰った。彼女の権力と財力がなければ、為し得ない事である。
「兎に角、クイーンナイツの皆も逢いたがってたし、近い内に遊びに来ると思うよ」
義父の話題を嫌う彼に配慮して、話題を変えた。
「……そうか」
「特にセルビアとヨナは物凄い剣幕だったなぁ。ふふふ!覚悟しておいた方が良いかもね?」
(勘弁してくれ…)
昔からネムはカイムに甘いので平手打ち程度で済んだが、名前の挙がった両名は違う。背筋が空寒くなるカイムだった。
「それと戦闘学のカリキュラムは空白事項ばかりだが、俺の好きなようにしていいのか?」
「うん。戦闘学は教えるのが難しい授業だし、指導方法は一任するよ」
「難しい?」
「今までに二人雇ったけど、帝国出身の教員は共和国の生徒に、共和国出身の教員は帝国の生徒に受け入れられず、辞めちゃったんだ。経歴も実績も申し分ない人達だったんだけどね」
「なるほど」
「カイムはきっと大丈夫だよ。帝国最強の兵士だったし」
「……別に最強じゃない。そう名乗った覚えもないぞ」
最強の称号は、彼にとって不本意なようだ。
「英才教育を受けてる生徒も多いから、一筋縄じゃないけど頑張ってね。今年の新入生もーーーー」
「も?」
「ーーーーな、なんでもない」
誤魔化すネムを訝しげに見詰める。深くは追求しなかった。
「まぁ生徒数は新入生も含め、五十人しかいないから」
「……二千人は在学できそうなのにその人数か?」
入学希望者が殺到すると思ったがそうでもないようだ。
「百年戦争の爪痕は深いからね……きっと学校の評判が上がれば、入学希望者も次第に増えてくよ。カイムには部活動の顧問もお願いしたいな」
当たり前だが、覚えることばかりである。
「……やるだけやってみるさ」
「職員寮も建てたけど誰も住まないし、カイムの住居に丁度良かったね」
勿体ない限りだ。カイムはふとある疑問を口にする。
「折角の休日に時間を割いてくれてネムは良かったのか?」
「なんで?」
「デートとか」
ネムは美貌も、人望も、才能も、兼ね備えた名家の御令嬢。将来を誓い合った相手が居ても不思議ではないとカイムは考えた。
「デート相手なんていないよ」
「掃いて捨てるほど男は寄って来るだろうに」
「………」
「ネムだって28歳だし結婚を考えてないのか?」
自分を棚に上げた質問だった。
「…質問を質問で返すけど、僕が滅多にない休日を潰してまで君に付き合う理由は友情だけだと思う?」
小首を傾げネムは期待するような眼差しを向ける。
「ああ」
間髪入れず彼は答えた。
「ーーーーカイムの鈍感!甲斐性なし!」
「なんで怒るんだよ…」
一気に不機嫌になった彼女に戸惑う。
「もうっ!次のカリキュラムを説明するよ」
「お、おう」
教養を培う日々は続く。
◇◇◇聖暦1798年3月19日◇◇◇
職員室の窓から、夕陽が差し込む。カイムはコーヒーを片手に生徒の名前、出身地、種族、家柄、成績表を纏めたファイルに目を通していた。
「やぁ」
「ネムか」
「ファイルで見た生徒の第一印象はどう?」
「女の子しかいない」
ヴァルキリースクールは女子生徒しか居なかった。
「あはは!まぁそうなるよね。共学にしたのは今年からだから」
「年齢は15歳から16歳か」
「15歳〜18歳の高等部三年制と10歳〜18歳の一貫学部八年制で入学を募集してるけど、今年初めて一貫学部の生徒が五名入学するよ」
「ふーん……しかし、前学期戦闘学の成績が酷いな。他の科目は軒並み平均を上回ってるみたいだが」
「カイムの手腕に期待してるよ」
「ふむ」
頭の中で授業内容を思案する。カイムは一見、無愛想に見えるが基本的に面倒見は良く、真面目で律儀な性格だ。手先も器用で、興味がある分野の知識や技術は非常に優れている。しかし、逆に興味が湧かない事はとことん苦手だった。
「その眼鏡は?」
「伊達だ」
「へぇ〜」
まじまじとネムは見詰める。
「なんだよ…」
お洒落ではない。右頰の傷痕や目付きの悪さで、生徒を怖がせないよう、少しでも印象を良くしよう準備したのだ。彼の心中を察したのか、嬉々した表情で隣に座り横顔を眺める。
「メガネもオールバックも似合ってるよ」
「散髪が面倒なだけだよ」
(昔から素直じゃないもんなぁ…ふふ)
「暇なのか?」
無言で隣に居座るネムへ問う。
「帝都で仕事を終えて帰ってきたから」
「ハンドレッドで移動できるとはいえ大変だな」
「ううん」
「……見てて楽しいか?」
「楽しいよ」
(…やり辛い)
時間を見付けてはカイムにべったりなネムだった。
◇◇◇聖暦1798年3月26日◇◇◇
春らしい陽気に見舞われたある日。作業服に着替えたカイムは、職員寮の裏の空地を鍬で耕し、木柵で囲い畑を作った。うねに丸い形をした野菜の種を植えスキルを使う。
【憂鬱な魔女の手慰みのスキルを発動】
【カボチャの種→オランタンの種へ変化】
通常ではあり得ない速度で種が芽吹く。
【オランタンは水を欲しているようだ】
「よいしょ」
水道の蛇口を捻り、ホースを伸ばして水を撒いた。
【オランタンは栄養を欲しているようだ】
(次は肥料だな)
生ゴミを散らし小瓶の蓋を開けて、紫色の液体を満遍なく振り撒く。
【オランタンは満足しているようだ】
丸く橙色の瓜果が不規則に揺れ、黄色い花が咲いた。
(ここは土も水も良い。授業まで間に合いそうだな)
タオルで汗を拭い、煙草に火を点ける。
「表にいないと思ったら裏で何をしてるの?」
「おう」
ジャケットを羽織り白シャツにタイトパンツを履いたネムが、大きな紙袋を手に持ち歩いて来る。
「授業で必要な教材作りだ」
「畑仕事で教材?ーーーーって『ホムンクルス』じゃないか!」
ネムはオランタンの実を見て驚いた。
【ホムンクルス:『錬金術』で精製する人造の妖精】
「ああ」
「ホムンクルスを錬成するスキルは、錬金術の中でも習得難度が高いのに……いつの間に覚えたの?」
「幸い時間は腐るほどあったからな。九年間で他にも色々習得したぞ」
孤独と悲壮を紛らわす為にーーーーとは打ち明けない。
こんな風に役立つとはカイムも想像してなかった。
「ホムンクルスの錬成は『ライセンス』が必要だったと思うけど?」
「営利目的外の場合、ライセンス所持の有無は、グレーゾーンさ。ちゃんと法の抜け道は理解してるから大丈夫だ」
(それ脱法錬金術だよ…)
やる気に水を差すのも忍びないと考え、注意を諦める。
「カイムってば楽しそうだね」
「別に」
態度と裏腹にやる気十分なのは明々白々。
どんな活用をするか不明だが、意欲がなければここまで準備はしない。カイムの面倒見の良い本性が露呈された。
「素直じゃないなぁ」
「……」
カイムのこういう一面にネムは堪らなく惹かれる。
「俺に用でもあるのか?」
居心地が悪くなり、来訪の理由を尋ねた。
「あ、そうそう。プレゼントを渡そうと思ってさ」
(プレゼントだと?)
「普段着てる服で先生はちょっとね……御用達の『服飾職人』に仕立てて貰ったんだ。開けてみて」
紙袋の中には、槍を携え獅子に跨る戦乙女の刺繍が施されたコートとスリーピースの黒いスーツが畳まれていた。
(…これはヴァルキリースクールの校章か。『アラクネの珠糸』と『サモンウール』を編み込み、平織した極上の生地だ)
一目で超高級の素材で拵えた逸品だと分かった。
「僕からの就職祝いだよ」
彼女の掛け値無しの気遣いに目を細めた。
「……ネムには貰ってばかりだな」
「僕と君の仲だもん。気にしなくていいよ」
(幼馴染の厚意に甘えっ放しじゃ駄目だ)
親しい中にも礼儀あり。カイムなりの矜持がある。
「俺に出来ることはないか?」
「教職を頑張って貰えればそれでーーーーあっ!」
何か思い付いたようだ。
「ほ、欲しい物はあるかな」
「言ってくれ」
「…ゆ、ゆ、指輪とか…?」
左手の薬指を触りつつ、ネムは頰を朱に染めた。
「指輪?」
「うん…」
腕を組み、彼ははっきりと頷いた。
「分かった」
目を大きく見開き、予想外の返事に色的立つ。
「え!?ほ、本当に?念のために聞くけど意味は分かってるよね…」
高まる鼓動を感じつつ問い直す。
「意味?アクセサリーが欲しいんだろ?」
急速に鼓動は収まった。両肩を落とし深い溜め息を吐いて、唇を尖らせる。
「……はぁ〜〜この鈍感!唐変木!フラグクラッシャー!」
(フラグ?)
感受性の欠落を疑いたくなるレベルの鈍さだが、これがカイムの通常運転である。
(期待した僕がバカだった…)
過去に何遍、何十遍と振り回されたか数え切れない。
「ちゃんとした指輪を用意するから心配するな」
「……ふぅ」
ーーーーそれでも、好いた男の贈り物なら心が弾む。
「カイムのプレゼントならどんな物でも嬉しいよ」
手を後ろで組み、首を傾げ微笑むネムはあまりに可憐で、カイムは思わず見惚れてしまった。
「どうかしたの?」
「あ…いや」
誤魔化すように、咳払いをした。
「他の教員や生徒はまだ帰って来ないのか?」
「4月1日に皆帰って来るよ。新入生は2日の始業式が終わって、そのまま入寮だから」
「なるほど」
「今回はカイムの就任式も兼ねてるし、生徒への第一印象は大事だから挨拶はしっかり決めてね」
「挨拶なんて面」
「ダメ」
言い切らぬ内に即答で却下された。
ーーーーそして、始業式前日を迎える。
◇◇◇聖暦1798年4月1日◇◇◇
時刻は午前十時。生徒より先に召集時刻を迎えた教職員、事務職員、寮監が職員室へ集結する。
この場には居ないが、他にも臨時講師、厨房スタッフが明日からヴァルキリースクールで働くのだ。
たった50人の生徒に対し支援体制は十二分ーーーーいや過剰だろう。一同を前にネムが挨拶を述べ、いよいよカイムの紹介へ移った。
「ーーーー新学期から戦闘学の教師を務めるヴァルキリースクールの新しい仲間を紹介するよ。彼は僕の友人で教職に就くのは初めてだけど、豊富な経験と実力がある責任感がとても強い人だ」
(…無闇にハードルを上げないでくれ)
「カイム」
ネムに促され、一歩前に出る。
「カイム・レオルハートだ」
全員の視線が集中し若干、居心地が悪い。
「……もう少し何か言って」
隣に居るカイムにだけ聴こえるように囁く。
「宜しく頼む」
それだけ言うと押し黙り、気不味い空気が流れる。
「えーちょっと緊張してるのかな?兎に角、数少ない男性職員だし皆も頼りにしてね」
すかさずネムがフォローする。
「理事長」
艶やかな花柄の着物と簪で結った黒髪、狐耳と尻尾が印象に残る胸の大きい獣人の女性教員が手を挙げた。
「ーーーー戦闘学は帝国出身と共和国出身でそれぞれ教職員を雇う予定だったのではぁ?」
(そうだったのか?)
「彼一人で十分だと判断したのさ」
「へぇ……そうですかぁ」
自己紹介も早々と終わり、次はホールで入学式の最終準備だ。
長廊下を歩き向かう途中、カイムは眉を寄せる。
(まさか教員も女性ばっかりとは)
ネムが数少ないと言っていた通り、男性教員はカイムを含め二人しか居ない。
「あのぉ」
「?」
背後から声を掛けられ振り返る。
「挨拶が遅れて御免なさいねぇ。私はヴァルキリースクールで、魔法学を教えとるチヨ・キリサメです」
さっきの着物を着た女教師だった。
「…ああ」
「カイムさんは」
「呼び捨てで構わない」
「初対面の殿方を呼び捨てなんて恥ずかしいわぁ」
(……独特な訛り口調は恐らく『倭光』出身か)
【倭光:帝国に属する極東の島国。国民は和という文化を尊重し生活している】
「理事長が友人って言うてましたけど、元帝国軍人かいな?」
「どうだろうな」
詮索を警戒し素っ気なく答えた。
「やーん!同僚なんやしぃ仲良くしましょ…ね?」
着崩した胸元の上下に揺れる胸は、非常に目のやり場に困る。
「はぁ…傭兵をやってた」
「へぇ〜!傭兵ですかぁ」
(……含みがある反応だ)
「ここは女ばっかやしぃカイム先生も気ぃ遣うこともこの先、多いでしょう?困ったことがあったら気軽に相談して下さいね〜」
「ありがとう」
「生徒ら可愛いええ子ばかりやけど、国の違いに拘る子も多いからなぁ。特に戦闘学は難儀な授業やし」
「…そうか」
前任はよっぽど大変な目に遭ったようだ。
「ふふふ〜。じゃあ私はこれでぇ」
彼女の後ろ姿を見送り、双眸を細める。
(……上手く気配を隠してるが手練れだな)
強者を見抜く観察眼は、数多の戦闘経験で養われた賜物。鋭敏な感覚の為せる業か。
「おーっす」
(今度は誰だ?)
入れ替わりで現れたのは、もう一人の男性教員だ。
茶髪で活発そうな美丈夫で、左耳に三つ棒状のピアスを填めているのが印象的だ。
「カイムだろ?俺は歴史学を教えてるツヴァイ・シュテインだ。いやぁ〜!あんたが来てくれて嬉しいぜ?赴任した時は美人な同僚に囲まれて、天国に思えたけど蓋を開けてみりゃ男の居場所がなくてさぁ〜……アハハハ!既婚者にはキツイ職場だよ。帰りが遅くなると女房に浮気を疑われちまうし」
「あ、あぁ」
矢継ぎ早に捲し立てるツヴァイに適当に相槌を打つ。
「野朗同士仲良くしようぜ」
「こちらこそ」
差し出された左手に握手で応じる。
(この男も……これは牽制か?)
「さぁホールに行くか」
「ああ」
疑念を懐くも敵意はないと判断したカイムだった。
劇場と見間違うほど堂々たるホールでは、業者がネムの指示で装飾を施し教職員はリハーサルに勤んでいたが、唐突に中断を余儀なくされる。
「ネ、ネ、ネム理事長〜〜!」
学園の事務職員ランメル・スチュアートが血相を変えて走って来た。
「どうしたんだい?」
「し、し、市警から連絡があって、生徒が乗ったきゃ、客船が……か、か、海賊に襲われてるそうです!!」
ランメルの叫びに、その場に居た全員の顔色が変わる。
「…詳しい状況は?」
「全員無事らしいですが……その、無線で理事長に身代金を要求してるそうでみ、港も大騒ぎらしく……ふぇーん!」
「大丈夫。落ち着いて」
涙目のランメルと違い、冷静沈着に見えるネムは静かに激怒した。
(…キレてるな)
『魔狼』の二つ名で名を馳せた彼女を怒らせれば、どんな恐ろしい目に遭うか海賊は分かってない。
ネムが動けば問題ないだろうが、彼も黙ってられなかった。
「ど、どうしましょうか?」
「僕がーーーー」
「俺に任せろ」
「カイム…」
皆が困惑するもネムだけは違った。肩に手を置くと頷いた。
「頼むよ」
「ああ」
注目を浴びる中、意に介さず悠々とホールを出て行く。
「り、理事長!?本当に大丈夫ですか?万が一でも」
「同情するのは海賊の方さ」
「……へ?」
(やっぱり何年経っても、君は昔と変わらないよ)
カイムの実力を知るネムは、安心して見送った。
この事件は後にルーヴェで『戦乙女の天罰』と語り継がれ、ヴァルキリースクールの勇名を轟かすのに一役買う事になる。
◇◇◇東ソーマ海◇◇◇
ミドガルム共和国のウッドロー港から出港した旅客船エスポワールは、東ソーマ海沖合で三隻の海賊船に拿捕された。
ルーヴェ港からも、遠目でその様子が窺える。
……略奪に手馴れた海賊は、船の安全圏と逃走可能な距離を熟知しており隙がない。旅客船の乗組員と警備兵では、数でも戦闘力でも、荒くれ者の海賊には敵わず、全員甲板に集められ、海賊達は金品を貪った。
「わーはっはっはっ!ソーマの海は仕事が捗るなぁ兄弟!?」
「いーっひっひっひ!その通りだナジロの兄ぃ」
四十人の手下が金銭、食糧、物品を甲板に運ぶ光景を眺め、海賊船の船長と副船長は愉快そうだ。
「軍がいねぇ不戦の地は最高だねぇ〜。魔狼は帝国でも一、ニを争う大金持ちだしよぉ!2億Gの身代金は安いもんさぁ。海の上じゃ俺らが一等偉い!なぁゴジロォ」
「いーひっひっひっひ」
このナジロとゴジロは双子の兄弟で、『ビンゴブック』にも載る懸賞金1200万Gのれっきとした賞金首である。
【ビンゴブック:賞金首が載った手配書の冊子】
髭の生えた髑髏が交錯する海賊旗がシンボルマークで、海賊帽を被り、三日月の鉤爪と小さな宝石を顎髭に結ぶ奇抜な出で立ちに人質は恐怖した。
……渦中の最中、無謀にも挑む勇敢な『エルフ』の少女がいた。
【エルフ:尖った耳と整った容姿が特徴の亜人。生まれ付き、魔力が高く長命である】
「ごぶっ!?…うげぇえぇ…」
見張り役の手下の一人が吹っ飛び、反吐を撒き散らす。
「ぎゃああああああっ!!!」
もう一人は雷に打たれ、悲鳴を挙げた。
「…あぁん?」
「おやおやぁ」
戦乙女の校章が刺繍された白いブレザーとプリッツスカートを履いた二人の少女が歩み出る。
「ーーーーいい加減にして!これ以上の野蛮な狼藉はあたしが許さないわよ」
青髪をアップサイドに結び、少し吊り目の可愛い顔立ちをした少女が海賊達を睨む。名はエリナ・マクレイン。ヴァルキリースクールに在籍する高等部二年生だ。
【魔装術のスキルを発動】
両手脚のガントレットを『マナ』が覆い、緑色に光る。
【マナ:生命に宿るエネルギー物質】
「酷いことはやめて下さい…」
淡い栗色のふんわりしたロングヘアーで、愛愛しい少女も後に続く。両手には木の長杖を握っていた。
エリナと同じ高等部二年生のサビーナ・ルイドリッヒ。
彼女達は故郷に帰省して、海路でルーヴェに戻る道中、襲撃に乗合せてしまったのだ。
「シッ!」
「…あがっ!?」
手下の側頭部にエリナのハイキックが炸裂する。
【650ダメージ】
「ーーーーやっ!」
掌底と蹴りの乱打で次々と敵を薙倒す。
「おらぁああ!!」
隙を見て太った手下の一人が剣を振り下ろすも、エリナはサイドステップで躱し、右拳を強く握った。
【エリナのM・M・A!インパクトブロー】
「ごぶぁあぁ!?」
【2817ダメージ】
強烈な一撃が鳩尾に突き刺さり、悶絶する。
「…もうガキだからって容赦しねーぞ」
「裸にひん剥いてやるよ」
「げへへ!綺麗な肌してんじゃねーか」
四方を囲まれたエリナだが、鼻で笑い空中に跳躍した。
「ーーーーサビーナ!」
「みんな痺れちゃってください…」
【サビーナの雷魔法!サンダーウィップ】
電気の太い鞭が杖の先端から迸り、手下達を直撃した。
「「「あぎゃぎゃぎゃぎゃ!?」」」
【1800ダメージ×4】
「す、すごい」
「さすがヴァルキリースクールの生徒だ!」
人質の乗組員と乗客が喜び叫ぶ。
「へっへっーん!残るはあんたらだけよ」
「降参してください…」
しかし、ナジロとゴジロに動揺は微塵もない。寧ろこの状況を楽しんでいる。
「威勢のいい嬢ちゃんじゃねーか……船に残ってる見張りの手下ぁ呼ぶかい?」
「女がダンスを誘ってんのに断る男はいねぇさ」
「いーひっひっひ!さすが兄ぃだぜ」
湾曲したサーベルと鉤爪を構え、ナジロとゴジロは嗤う。
「後悔するわよ」
「手加減しません…」
「嬢ちゃんたちよぉ〜ちったぁ楽しませてくれよ?」
「おいらぁ興奮してきたぜぇ」
四者が衝突して、戦闘の幕が開けた。
同時刻のルーヴェ港。
「通してくれ」
野次馬を掻き分け、沖合に停泊した三隻の海賊船と旅客船エスポワールをカイムは視認する。
埠頭まで行くと数十人の傭兵と市警の警官が、どう対処するか厳しい顔で思案してる最中だった。
「……む?おい、関係者以外は」
「俺はヴァルキリースクールの教師だ」
現場を執り仕切る中年刑事は訝し気だが、コートの校章と眼力に気圧され引き退る。
「どんな状況か教えてくれ」
「ーーーー事態は最悪だよ。ついさっき、午後15時まで身代金を払わなきゃ、人質を一人ずつ殺すと脅迫の無線が入った」
刑事が答えると、金髪の傭兵も忌々しそうに舌打ちした。
「…チッ!あの海賊旗は賞金1200万Gの残忍で狡猾な賞金首『クラーケン』のナジロとゴジロだぜ」
憤り焦る彼等に、カイムは問う。
「何故、近付かない?」
「おいおい、アンタあの陣形が見えねーのか?船で近付きゃ迫撃砲で潰されちまうし、空襲対策に80mm高角砲まで積んでやがるんだぞ。迂闊に手を出せねーだろ」
カイムは目を細め海賊船を凝視した。
(視認できる限界の距離……よし。辛うじて範囲内だ)
「あんた名前は?スーフェリア卿は来ないのか?彼女が来てくれればきっと妙案をーーーー!?」
肩を掴もうとした刑事は、次の瞬間飛び退いた。
【赫眼のスキルを発動】
「な、なんだこれ!?」
「…ひ、ひっ!」
釁隙の裂け目の向こう側で、無数の瞳が覗き、黒い子供の手が這い出ようと蠢く。カイムが裂け目へ飛び込むと、綴じて消えた。
沈黙が流れ、第一声を発したのは中年刑事だった。
「い、い、い、今のは?」
「…俺にもさっぱり分かんねぇよ…」
その場にいた全員が言葉を失い、呆然とした。
「あ、あいつ誰ですか」
「……先生?」
部下の問いに中年の警官は、首を傾げ答える。数分後、一隻の海賊船が海の藻屑となった。
「ーーーーぐっ…あぁぁぁっ!?」
【エリナのM・M・A!ミラージュパテアル】
エリナの連続蹴りをナジロは不規則な動きで避ける。
【ミス!ノーダメージ×6】
「わっはっはっは〜!当たらね〜ぞぉ?」
「燃えて…!」
【サビーナの火魔法!ファイアボール】
「いっひっひっひ」
【ゴジロの水魔法!ウォーターボール】
サビーナの魔法はゴジロの魔法で相殺され霧散した。
「今度はこっちの番だぜぇ嬢ちゃん」
【ナジロの海賊技!多段斬り】
(は、速い…!?)
サーベルで二回斬り付け、最後に鍵爪の一撃を見舞う。
無茶苦茶な動きだが、的確に急所を狙っていた。
「くっ!」
【ミス!ノーダメージ×3】
側転で辛うじて回避した。
「おほぉ〜……ってスカートの下にスパッツ履いてんのか?」
戯けるナジロと裏腹にエリナは、殺意を孕む戦闘の緊張で嫌な汗が伝う。
(クッ…誤算だったわ)
実戦は実家での稽古やヴァルキリースクールの授業とは訳が違った。甘く見ていたのだ。
「きゃんっ…!」
「サビーナ!?」
ゴジロの攻撃で倒された友人に駆け寄ろうとした隙をナジロは見逃さず、腕を掴まれる。
「くっ!こっこの…離せ!?」
「離せ?ほーらよ」
無理矢理、甲板に投げ飛ばされた。
「…はっ…はぁ…はぁ…」
「ま、ガキにしては頑張ったほうか。余興はここまでだな」
「いーひっひっひ」
「ふ、ふざけないで!あんた達みたいな小悪党に、負けるわけないでしょ!?」
「勝ち負けじゃねぇんだよなぁーーーーこりゃ殺し合いだぜ?」
容赦ない殺意を漲らせナジロは嘲る。
「小便臭ぇ小娘が舐め腐ってくれたもんでさぁ兄ぃ」
「ん〜…身代金の件もあっしまだ殺せねぇが、とりあえず腕の一本でも見せしめに貰っとくか」
「!」
「エ、エリナ」
絶体絶命の窮地に陥るも、爆発音と共に状況は一変した。見張りの海賊船一隻が炎に包まれる。
「あ、兄ぃ?」
「…どーゆーこったこりゃ」
二隻目は船体が真っ二つに、三隻目は静かに海へ沈んだ。
ナジロとゴジロは、凄い形相で外敵を探す。
「あーあ。大事な船をぶっ壊してくれちゃってまぁ……出て来い糞野朗っ!?」
「姿ぁ見せなきゃガキを殺すぞぉ!」
「ぐっ…」
「エリナ!?」
サーベルをエリナの喉元に突き付ける。
「五秒以内に面ぁ見せねぇとエルフの娘の首は、永遠に胴体とおさらばすることになるぜぇ!?」
ナジロが虚空に叫ぶ。
「ごぉ!」
「…ま、まずいぞ!?」
「や、やめてくれぇ!」
見守る乗客と乗組員が慌てる。
「よんっ…さん…にぃ…いちーーーーぜろぉぉ!!」
「きゃあっ!?」
咄嗟にエリナは目を瞑るも、振り上げた刃は喉に届かない。反対にサーベルが弾き飛ばされ、ナジロは尻餅を突いた。
「おいおいおい…嘘だろぉ…?」
(え…?)
コートを風に靡かせ、黒刀を携えたカイムが颯爽と現れた。
「あ、あなたは」
「教師だ」
「き、教師って…え、え…?」
混乱するエリナの問いに一言だけ答える。
「兄ぃをよくも…死ねやぁ!」
【ゴジロの海賊技!スピンソード】
激昂したゴジロの回転攻撃を難なく往なし、袈裟斬りを放つ。
「ぐへっ!」
【3897ダメージ】
たたらを踏み後退るも踏ん張り、スキルを使った。
【ならず者の根性のスキルを発動!】
【一定時間攻撃力上昇】
【一定時間速度上昇】
「や、野朗…ぶっ殺してやる!」
【カイムの強奪技!凍てつく一撃】
カイムの左掌に冷気が集まり、尖った氷柱が形成され投擲する。氷柱は物凄いスピードでゴジロの右膝を貫き、膝下と甲板の一部が凍結して崩れ落ちた。
「ーーーーあ、足ぃぃ!?お、おいらの右足がぁ!」
【9206ダメージ】
「ゴ、ゴ、ゴジロォ!?」
「痛ぇ…痛ぇよ!あ、兄ぃ!」
(す、凄いです…)
自分達が苦戦した相手を歯牙にも掛けない姿にサビーナは圧倒された。
「全員無事か?」
カイムは安否を確かめる。
「は、はい」
航海士の男が答えた。
「……てめぇ何者よ?」
「大人しく降伏すれば市警へ引き渡してやる。死にたければかかって来い」
無表情で淡々と告げる。
「………」
悪党の神経を逆撫でするには十分な一言だ。
「何者か知らねぇーがよぉ〜命乞いなんざできるかよ。……奥の手ってもんを見せてやるぜ?なぁゴジロォ!」
「お、おうさぁ……てめぇは許さねぇ。頭から爪先まで、グチャグチャのメチャクチャに食い漁ってやっから覚悟しろよ!!」
忠告虚しく、物凄い顔で恫喝する。
「「クラーケンの恐ろしさを教えてやるぜ!」」
そう叫び二人は海へ飛び込んだ。
「逃げたの?」
「俺の背後に隠れてろ」
「…ってゆーか先生ってきゃ!?」
甲板が大きく揺れ、エリナは体勢を崩すも、カイムは素早く抱えて転倒を防ぐ。
【ナジロとゴジロの召喚技!】
八本の紫色の触腕が海から無数に突き上がり、人歯の吸盤、真っ黒の開眼目、分厚い漏斗、巨大な髭の生えた烏賊が旅客船を海に引き摺り込もうと暴れる。
『ーーーーげっへへへ!!もう身代金は要らねぇ!全員ぶっ殺ししてやる』
恐ろしい怪物の登場に唖然とする乗組員、神に祈る乗客、必死に宥める船長と反応は様々だ。
「こ、これって『召喚獣』!?」
「…海賊のくせに『召喚技』を覚えてたの?」
【召喚獣:異次元に棲まう高位生命体の呼称】
【召喚技:異次元の高位生命体を現界へ召喚する術。召喚者が誓約を交わし、眷属化させ召喚する方法と召喚獣に代償を支払い、依代となって顕現させる二通りの方法がある】
(最後の一手だな)
召喚技の代償を知るカイムは内心、彼等が愚かな選択をした事を憐れむ。
「もう大丈夫か?」
「…ふぇ?あ、は、はい!」
お姫様抱っこで抱えていたエリナを下ろす。
「全員、俺の背後に下がってろ」
「わ、私たちも戦えます…」
「大丈夫だ」
サビーナの震える足を見て、カイムは諌める。
「直ぐ終わらせるから」
クラーケンに向き直り対峙した。
『ーーーーぶっ殺してやるゔゔゔゔゔゔっ!!』
四方から襲い来る八本の触腕から船を守るべく、刀で切断するも切った傍からまた生える。
蚯蚓がのたうつような、グロテスクな再生シーンだ。
【4809ダメージ×8】
【水素吸収のスキルを発動】
【海水に浸かっているクラーケンは元気いっぱいだ】
『ひゃはははっ!痛ぐも痒ぐもねぇぇぇ』
高らかにクラーケンは嗤うもアビリティで迅速に対処する。
【カイムの強奪技!グラビディゾーン】
クラーケンの頭上に黒い穴が出現し渦を巻いた。
『な、な、なんだこりゃ…す、吸い込まれ…!?』
触腕を動かし抗うも無駄だった。抵抗虚しく引力に引き寄せられた様は、まるで海面から離され吊り上げられた魚である。
(海中に漂う『水素』の『元素』を吸い上げ再生するスキルーーーー見た通り『水属性』の召喚獣だな。召喚獣はエネルギーの塊で、自身を構築する元素に属性が特化する。召喚技は相手のアビリティやスキルを見極めず使えば、寧ろ弱点が増える諸刃の剣だ)
【元素:世界を構成する根源且つ不可欠な要素の呼称。元素の集合体は、属性を生み出しその自然エネルギーは事象を引き起こす】
「召喚技のリスクは当然知ってるよな?」
『や、や、やめろぉぉぉぉ!』
【カイムの強奪技!轟雷】
天空から凄まじい落雷がクラーケンを直撃した。
『……ぎゃ、ぎゃあああああああああ!?』
水属性のクラーケンは、雷属性の攻撃が弱点。そのダメージは甚大だ。
【124809ダメージ】
感電で肢体が麻痺状態に陥り、触腕を動かす力もない。
『あ、あぁ…死……死ぬのか……?』
降伏すれば死なずに済んだがもう手遅れだ。
カイムは刀を鞘に納め、左足を引くと次の瞬間、目にも止まらぬ速さで抜刀した。
【カイムの強奪技!抜刀・一文字】
【14500ダメージ】
止めの一撃。漏斗から縦に裂けたクラーケンは、そのまま落下した。召喚技が解除され、海面に浮かぶ二人の死体は、波に拐われ沈む。賞金首『クラーケン』ことナジロとゴジロ率いる海賊団は全滅した。
【海賊団船長ナジロと副船長ゴジロを倒した】
【経験値4500P獲得!6AP獲得!3SP獲得!】
振り返ると皆、唖然とした顔で硬直している。
「ーーーーもう大丈夫だ」
しかし、返事はない。
(冗談でも言って場を和ませるべきか?)
カイムは慣れないことに挑戦する。
「あれを見るとイカが食べたくなるよな」
挑戦は失敗。笑う者は誰一人居らず、ドン引きだった。
「……船は動かさないのか?」
反応に憤慨しつつも呟く。
「あ、あぁ」
呆けていた船長は促され慌てて、出航の準備を船員に指示。数十分後、旅客船エスポワールは遅れ馳せながら着港した。早速、市警が乗客の安否を確認し聴取を行う。
大勢の人集りの中には、ネムを筆頭にヴァルキリースクールの教員も数人いた。
危険な賞金首を倒したカイムに注目が集まるが、彼は全く気に掛けず、エリナとサビーナを連れネムの元へ向かう。
「待たせたな。二人は軽く打撲してるが……まぁ問題ないだろう」
「ふふ!ありがとう」
「えっと…その…理事長」
「……」
「エリナとサビーナも無事で良かった」
俯く二人を抱き締め微笑む。叱責を覚悟していたが、予想外の抱擁に頰を染めた。
「話は聞いたよ。他人の為に戦う選択をした君たちを僕は誇りに思う」
時に逃げることも、引くことも大切だ。しかし、立ち向かった勇気は賞賛に値する。
「ーーーーおほん!スーフェリア卿」
「モルダー警部?」
「……感動の再会に水を差すようで悪いが、そちらの男性は学校の教職員ですかな?」
(埠頭で会った市警の男か)
「ええ。新学期から本校で戦闘学の授業を教えるカイム・レオルハートです」
(本当に先生だったんだ…)
(戦闘学の?)
エリナとサビーナがカイムを見上げる。
「彼にも話を伺いたいのですが」
「…俺は先に帰るぞ」
面倒だと判断したのか、その場を足早に立ち去る。
「あ!おいーーーー行っちまった」
モルダー警部は溜め息を吐き、ネムは苦笑した。
◇◇◇ヴァルキリースクール◇◇◇
夕刻になり、空は赤く染まる。
カイムは職員寮の前でタバコを吸い、煙を吐き出す。
(……疲れた)
原因は気疲れである。
カイムの活躍は早速、ぞろぞろと帰省した生徒達の間で噂となり、他教職員からも質問責めにされ疲弊したのだ。
色々と予定外ではあったが、入学後式の準備は終わり、今日の仕事は終了。後は始業式を迎えるだけだ。
(腹が減ったな。今日は何を食べよーーーーん?)
夕飯の献立を考えていると誰かの気配を察する。
「そこに隠れてるのは誰だ」
(み、見つかった)
(はやく出てください…)
柱の影からおずおずと姿を現したのは、エリナとサビーナだった。
「え、えーっと、あはは!」
「どうも」
「何か用か?」
吸い殻を灰皿に捨て問う。
「まだお礼を言えてなかったので……あの、助けてくれてありがとうございました!」
「ありがとうです」
ペコリと二人はお辞儀する。
「気にするな」
「自己紹介しますね!あたしはミドガルム共和国ナインツヘル出身で名前はエリナ・マクレインです」
「ミドガルム共和国ターレム出身のサビーナ・ルイドリッヒ……ヴァルキリースクールの高等部二年生です」
「カイム・レオルハートだ」
「…さっき港で理事長が言ってましたけど、カイム先生は戦闘学の担当教諭ですか?」
サビーナに先生と呼ばれ、少し照れ臭くなるカイムだった。
「ああ」
「カイム先生は理事長と同じ帝国出身?」
「まぁただの幼馴染さ」
(理事長の幼馴染にしては貴族って感じがしないよね)
カイムはある疑問を口にする。
「二人はネム……理事長が憎くないか?百年戦争は知っているだろう」
帝国の中枢を担う大貴族にして七英雄の一人。
(自国の生徒に絶大な支持を得ても、共和国出身の生徒にすれば、忌み嫌われる格好の対象ではないか?)
そんな彼の危惧をエリナは笑って払拭する。
「あはは!終戦して何年も経つし気にしてませんよ」
「……それに理事長は皆から尊敬されてます」
(ーーーー時代は変わるか)
過去に囚われて気にした自分を恥じる。
「ただ生徒は違いますけど…戦闘学ではよく対立しますし」
サビーナは遠慮がちに喋った。
帝国と共和国は、戦闘に於いて、突出する分野が違うのだ。
「俺の授業は……まぁ今はいいか」
「「?」」
「そろそろ寮に戻れ。飯の時間だぞ」
カイムは話を切り上げ、職員寮へ戻っていく。
「顔は怖いけど……うん!いい感じの先生だね」
「お姫様抱っこされて惚れた?エリナは年上が好みだから」
熱っぽい眼差しを向ける友人を揶揄う。
「べ、別に!そ、そんなんじゃないわよ」
「とにかく授業が楽しみです…」
「まあね」
二人は仲良く喋りながら寮に帰った。