期待と才能 ②
◇◇◇昼休み 12時00分〜13時30分◇◇◇
戦乙女の彫像と花壇が等間隔で並ぶ中庭の片隅で、カイムは一服していた。
「いい天気だ」
二限目の授業も終わり、些か疲れたのか首を回す。
(コハクとルミアローネには困ったな)
高等部1ーAと1ーBの合同授業。四六時中、言い争う二人を思い出して溜め息が漏れる。原因は模擬戦闘中、足を踏んだ踏んでないの些細な切っ掛けだ。
(……高等部はクラスが帝国と共和国で綺麗に別れてるから、余計に対立を煽るようなものだ)
吐き出した紫煙を眺め、カイムは一つの結論に至る。
「次は少し趣向を変えてみよう」
そうこう考えに耽る内、生徒が現れた。
「やっほー!カイム先生」
「お疲れ様です……」
「エリナとサビーナか」
駆け寄って来た二人を横目にタバコの火を消し、携帯灰皿へ捨てる。
「え〜特に用はないけど……あはは」
「?」
目を伏せて小声で話すエリナにカイムは首を傾げる。
「……エリナは先生とお喋りしたいそうです」
焦ったくなったサビーナは助け舟を出した。
「ちょ、ちょっと!?」
「俺とお喋りか」
自分と話しても詰まらないだろうと思ったが、生徒の意向を汲むのも教師の務めだと考え直す。
「いいぞ」
サビーナが発破をかけるようにエリナの背中を叩く。
「あ、えとーーーーこ、こ、恋人はいますか?」
「………」
予想外の質問に思考がフリーズする。
「お、教えてください」
「…恋人はいないな」
エリナは真剣なのでカイムも、一応真面目に答えた。
「そ、そうなんだ!はぁ…よかったぁ」
(よかった?)
「…ちなみに先生の好みのタイプは?」
今度はサビーナからの質問だ。
「……考えたこともないな」
「考えたことはないですか?」
「ああ」
はぐらかした訳ではない。本心だろう。
異性に関心はあるものの、自分には無縁だと思い込み、生きた男の末路がこれだ。正直酷い。
「じゃあ考えてみて下さい」
それでもサビーナは臆さず追求する。
(グイグイくるな)
控え目で大人しく見えるが、サビーナは物怖じしない性格のようだ。
「……あー」
エリナは肘で小突き、耳打ちした。
「ち、ちょっと!先生が困ってるじゃん」
「だってエリナが知りたいって言うから」
「…でもさぁ」
「じゃあ聞くのはやめますか?」
「………」
恥じらう親友を気遣うサポートだった。
「ーーーー俺は」
そんな機微に気付けない彼は真面目に考え回答する。
「好みのタイプはいないな」
「「……」」
二人が待ち望んだ答えとは到底、かけ離れていた。
「自分の理想を相手に押し付けるのは嫌いでね」
「な、なるほど〜」
(…カイム先生は堅物ではなさそうだけど変わってます)
反応を見て、流石の彼も自分の返答が的外れだったのでは?…と疑う。その通りである。
(適当にそれっぽいことを言ってお茶を濁しとこう)
わざとらしく咳払いし口を開く。
「まぁ変に飾らず自分らしく振る舞える娘は、魅力的だと思うぞ。……エリナは好きな男でもいるのか?」
「え、えっと!そ、そ、その…わ、わたしゅは…」
『目の前にいます』とは言えず、あからさまに動揺した。
(この反応は当たり?自分が恋愛相談を受けるとは、夢にも思わなかった。アドバイスできるような経験は一つもないけどな)
心の中で自嘲するカイムだった。上手い具合に話が噛み合っていない。
「俺で良ければ話は聞くから頑張れよ」
「は、はい…」
真っ赤な顔でしおらしいエリナは傍目にも、初々しく可愛らしい。
(……なんでしょう?この先、すごい苦労するような気がするです)
サビーナの不安は概ね正しい。
この場にネムがいれば、自身の十数年に及ぶ苦労を延々と二人へ語ったに違いない。
◇◇◇三限目 13時30分〜15時00分◇◇◇
昼休みも終わり、高等学部の合同授業が始まる。
今回はPTを編隊する利点と連携についての訓練『PT戦闘講座』を行う。
カイムはわざと2ーAと2ーBの生徒を混同して、三匹を相手に模擬戦をさせる。
「邪魔だってば!?」
「そっちこそ邪魔よ!」
「あ〜もぉ〜〜」
「……ちっ…右に避けてくれないと」
ーーーーしかし散々たる内容だった。互いを罵り合い、協力しようとしない。
「ファ〜〜!…バウッ?」
内輪揉め中の四人に放置されたジェヴォーダンは、欠伸をして地面に伏せてしまった。
(ここまで概ね予想通りか)
クー・シィとアメンポテプを相手に模擬戦をする他二班も同様だった。PTを組んで重要になるのは、各々の役割分担。
『アタッカー』・『ディフェンダー』・『ラウンダー』・『サポート』の四人編成が基本である。ディフェンダーが相手の注意を惹き、アタッカーは隙を狙い攻撃。ラウンダーは状況に応じて、アタッカーかディフェンダーに加わり、サポートは他三人の回復・補助に専念するーーーーこれが最もスタンダードな編成だ。
高Lvの強敵・難敵に低Lvが単独で勝つのは、無理とは言わないが余程、秀でた何かがないと厳しい。
しかし、PTとなれば話は別だ。上手くいけば足し算ではなく掛け算で戦力が増強する。怪我や死亡する確率も大幅に減少するので、生存確率はグンと伸びるのだ。
戦闘学を教える上で、PT戦術は重要なファクターである。
(これならまだいい)
どうやら何ぞ思惑があるようだ。
「ーーーーそれまで」
カイムは手を叩き、終了を告げた。
「全員集まってくれ」
生徒は浮かない顔で集合する
(ぜったい怒られるやつじゃん……)
(…うわぁ嫌だな〜)
特に模擬戦をしていた三班の足取りは重かった。
「率直に言うが酷いな」
これ以上ないストレートな感想だった。
「ごめんなさい…」
「す、すみません!」
怒られるのが怖いので次々と謝罪を口にする。
「なぜ謝る?謝る必要はないぞ」
「……先生は怒ってないの?」
「怒ってないさ」
これには怒られると生徒達は肩透かしを食らう。
「これでも最悪ではない」
「はい」
待機していたエレオノールが挙手すると、カイムは発言を促す。
「エレオノール」
「それはどういう意味ですか?……私は三班とも叱責されて然るべき失態を晒したと思いますが」
「た・し・か・に〜〜妹ちゃんの言う通りかもぉ」
「……その『妹ちゃん』は止めてくれる?」
横からウルスラもエレオノールに同意した。
「攻撃のタイミングが悪かったね」
「前衛がああじゃ後衛も魔法を唱えるのは無理です……」
エリナとサビーナも私見を述べる。
「三班とも実戦では即全滅レベルでも最低限は守れていたからな」
(……最低限?どう見ても落第点だったのに)
エレオノールは眉を顰める。静かに喋るカイムに全員注目した。
「ーーーーPT戦で最も忌むべきは、味方の裏切りだ」
「……裏切りですか?」
呆気に取られた他の生徒を代弁するように、サビーナは問い返す。
「ああ。連携の練度・役割の認識・精度の上達……そんなもの訓練次第でどうとでもなるが、意識外の味方の攻撃だけは防ぎようがない」
その言葉に沈黙が続く。
「自慢にならないが俺は過去、仲間に裏切られ死にかけたことが三回ある」
悲惨過ぎる体験談だった。
(……そのお陰でクイーンナイツの有り難みも実感したんだけどな)
しみじみと思い出し苦笑する。
(さ、三回!?)
(……めちゃくちゃカワイソーな人じゃん)
(まさかの実体験…うっわ〜)
憐憫の眼差しを向け、生徒は驚き言葉を失う。
「君達はお互いを罵り合っても裏切らなかった。これが最低限と言った理由だ」
「それはまぁーーーーねぇ?」
「同じ学校の生徒だし……って先生は自滅すると思ってたの?」
一人の生徒の質問にカイムは頷く。
「それも覚悟していた」
(…もしそうなった場合はどうしてたのかしらぁ)
ウルスラは口には出さなかった。
「…ハーシャはホリィの好物を知ってるか?」
「え!?し、知らない」
「ホリィはどうだ?」
「……わたしも知りません」
唐突な質問に戸惑う。
「では互いを毛嫌う理由は?」
「「……」」
「百年戦争で敵対した国同士ーーーーそれが理由か?」
「強いて言えば…うん」
「……はい」
「戦争の遺恨は目を曇らせ、見えない敵を想像する。文化の違い、考え方の違い、生活様式の違いーーーー些細な違いへ歩み寄ろうとする気概と機会さえ奪ってしまう。大事なのは、相手を知ろうとする努力と相手へのリスペクト。どちらか欠けた時、常に争いは起きる。つまり、三班に足りなかったのは両方だ。……今すぐ理解しろとは言わない。ただ、このままだと、いずれ後悔する日が来るぞ」
【……】
沈黙が流れる。
「急に名指しをして二人とも悪かったな」
「あ…ううん」
「いえ…」
「それでは授業に戻ろう」
懸命に言葉を尽くし、改善されれば苦労しない。
まだまだ先は長いだろう。
ただ有言通り公平なカイムの発言と態度は、生徒の好感度を高め、変革の切っ掛けになりつつある。
それは皮肉にも、凄惨な過去の経験から学び後悔の末、彼が培ったものだ。
「……」
正体を知るエレオノールの横顔は、どこか憂いを帯びていた。
二人編成で組ませたエレオノールとウルスラは、機敏に模擬戦に興じる。
(……いい動きだ)
アメンポテプを相手にエレオノールが近接戦で撹乱しつつ、ウルスラが遠距離から魔法攻撃を放つーーーーシンプルな戦法ではあるが、即興とは思えない巧さだ。
先の班と比べると雲泥の差である。
「む〜〜……悔しいけどやるね」
「です」
エリナのぼやきにサビーナは同意する。
現時点の生徒の個人戦闘力を格付けするならば、頭一つ抜けてエレオノールがトップだ。
次点はウルスラ、エリナ、サビーナの横並びである。
(PT戦はエリナ&サビーナのコンビが断トツ……エレオノールとウルスラは個々で強いタイプだな)
ウルスラが魔法を放ち終えた所で、模擬戦の終了を告げる。
「ーーーーそこまで」
「ゴォォ」
「ありがとうアメンポテプ」
労をねぎらいハントボールへ戻す。
「……どうでしたか?」
「超イケてたでしょ〜?」
「ふむ」
他の生徒はカイムも褒めるとばかり思っていたがーーーー。
「10点満点中で甘目に採点して3点だな」
ーーーー予想に反して辛口な評価だった。
(…嘘ぉ!低すぎでしょ?)
(超ハイレベルだったよね)
これには厳しいと非難めいた視線を背中に注ぐ。
「エレオノールは魔法の着弾点を妨害」
「!」
「ウルスラもわざとエレオノールを狙ったな?」
「………」
見事に図星を突かれた二人は言葉を失い、他の生徒も見抜いたカイムに驚きを隠せない。
「相手の力量を試す意味合いもあったと思うが、本気を出していないので低評価だ」
百戦錬磨の手練れの目は誤魔化せない。
「あはは!やっぱり先生ってすごぉーい」
「……流石です。お見それしました」
ウルスラは笑い、エレオノールは感服した。
「一番は文句なしでエリナとサビーナだ」
「やったねサビーナ!」
「当然です…」
二人はハイタッチを交わす。
「近距離の物理攻撃の威力に注目しがちだが、実はアメンポテプは範囲攻撃の方が厄介なんだ。圧力に押され距離を見誤ると痛い目に遭うが、エリナは臆せず足元に注意を引き付け、サビーナも一箇所に留まらず、魔法で迎撃と支援を行っていた。注意を分散する連携は良かったぞ。花丸をやろう」
似合わない台詞に何人か吹き出しそうになる。
「皆も分かったと思うが、PT戦術は奥が深い。ニ人編成、三人編成、四人編成、中隊編成、大隊編成ーーーー役割を認識し動くことが大切だ」
いよいよ授業の締めに入る。
「今後も帝国と共和国……つまり、両国の長所をミックスさせた戦術を指導していく。その過程で壁にぶち当たり、どうしたって才能の差は生まれる。戦闘に限らずどんな分野にもな。努力しても報われず、悲観に暮れる時もあるだろうーーーーしかし、これだけは言える。諦めなければ道は必ず拓く。挫折しても立ち上がればいい。もし立ち上がれない時は、俺が支える……向上心を捨てない限り、強くなれると保証しよう」
良くも悪くも身を持って、経験したカイムには四人と自分を比較して、自分に失望する生徒の見分けが付いていた。
これはエールなのである。
「分かったか?」
【はい!】
両クラスの生徒はしっかりと返事をした。
「よし……次回は課外授業の予定なので、詳細は追って伝える」
「課外ってことは外?それじゃお菓子持ってかなきゃ」
「だねぇ!あとシートとか?」
(まるで遠足気分だな。……ここは楽しみにしてくれてると、前向きに捉えておこう」
騒ぐ生徒を横目に小さく溜め息を吐いたカイムだった。
「では今日の授業はここまで」
丁度良く予鈴が鳴り、生徒達はグランドを後にする。
「カイム先生」
「先生ぇ〜」
「先生!」
「先生…」
エレオノール、ウルスラ、エリナ、サビーナの四人が駆け寄って来た。
「どうした?」
「放課後、先生の剣術指南を希望します」
「HRが終わったらぁ宝石部に遊びにこな〜い?」
「か、格闘訓練に付き合ってください!」
「私もエリナのついでに相談があります…」
四者四様のお誘いに、目を白黒させる。
「……貴女は別の日にしたら?」
「そっちこそぉ〜」
「わ、わたしも今日がいい」
「カイム先生は暇じゃないのよ」
「それをあなたが言うのおかしくない?」
エレオノールは譲るつもりが毛頭ないらしい。
(剣術指南と格闘訓練か。一緒の方が捗るな)
指導、相談、部活ーーーー一顔は無愛想でも、頼りにされて内心は嬉しいカイムだった。
「いいだろう。放課後、エレオノールとエリナは『トレーニングルーム』に来てくれ」
(…カイムお兄ちゃんと二人っきりがいいのに)
(わたしと先生だけの方がいいなぁ…)
若干不服そうな二人を気にせず、喋り続ける。
「サビーナの相談もそこで聞こう。ウルスラの宝石部は明日でもいいか?」
「え〜〜!…わたしだけ意地悪ぅ?」
「そんなつもりはない」
甘く囁きしなだれかかるウルスラだった。
「中途半端に見学しても仕方ないからな」
「まぁそーゆーことならぁ……うふふ」
「……先生から離れなさい」
「そ、そーゆーのダメだよ!」
「やぁ〜〜ん。二人がこわぁーーい」
あざとい行為は、嫉妬心を刺激するのに効果的である。
……自身の魅力を十六歳で自覚する彼女は、他の娘より肉体面だけでなく、精神面も成熟していた。『サキュバス』は女しか生まれず、蠱惑的な外見から誤解され易いが、一途で愛した男に生涯を尽くす者が殆どである。
サキュバスの歴史は暗い側面を伴い、その結果、彼女達は優れた容姿を自衛の手段として利用し、男を惑わす術を磨いたのだ。そこに偏見が浸透し、あらぬ誤解を生んでいる。
……実はウルスラは亡き父の面影を、知らず知らずの内にカイムへ重ねており、それが恋なのか親愛なのかーーーー彼女自身も理解していない。
授業を終えて教室に戻ったカイムは教壇に立ち、五人の生徒と向かい合う。
「今日の授業はどうだった?」
真っ先に口を開いたのは、アレクシアだった。
「私の教養を高めるにはもう一声、二声は頑張って欲しいですわ」
「が、がんばりました」
「つまんないけど寝なかったよ〜!ほめてほめて!」
「ちゃんと勉強したかな」
「そうか」
まだまだ改善の余地はあれど、初日に比べれば、他科目の授業態度は良くなっているようだ。
「セアはどうだ?」
「ん?ぼくもーーーー」
「ほう」
「ーーーー頑張ってメンテナンスの速度を上げたよ」
「……それはまぁ……頑張ったな」
「ぶい」
無邪気にピースするセアに肩の力が抜けた。
「……セアさんは危機感を持った方が良いですわよ?あのレベルの計算問題を解けないのはどうかと思います」
「数学は戦闘に必要ないから」
自信満々に答えるセアに、苦言したアレクシアは呆れる。
「はたしてそうかな」
カイムの反応にセアは小首を傾げた。
「少なくとも、数学は戦闘に役立つぞ」
「まっさかぁ〜!ぜったい必要ないじゃーん」
「カイムのジョークだね」
フラウもセアも冗談だと思っているようだ。
「ーーーー俺は過去、計算規則を応用した『算術技』というアビリティを使う強敵と戦ったことがある。Lvとステータスでは圧倒してたが、敗北寸前まで追い込まれてな……最後の最後に起死回生の大技が当たり、瀬戸際で勝てたのを覚えてる」
「先生が敗北寸前ですって?」
俄に信じ難いのかアレクシアが目を丸くする。
「えー!マジ?」
「大マジだ」
冗談ではなかった。
(ふっ…あいつも元気かな)
厄介な好敵手を思い出して微かに笑う。
「つまり何が言いたいかと言うと無関係とも思える学問も、戦闘に役立つことがあるってことさ」
「……ん」
小さくセアは頷く。
HRを終え廊下を歩いてる途中、背後から足音が聴こえた。
「せ、先生〜」
「カイム先生」
足音の正体はラミィとオルタだった。カイムを追い掛けて来たようである。
「何かあったのか?」
そう聞くとラミィとオルタは、顔を見合わせ頷く。
「あたしに稽古をつけて欲しい」
「ア、アーちゃんの育て方を教えてください!」
「……おぉ」
「先生みたいに強くなりたいの」
「わ、わたしもしっかり面倒を見てあげたくて…アドバイスが欲しいです…」
平等に全生徒へ分け隔てなく接すると、心に誓いを立てる彼も人の子。
(…目頭が熱くなった気がする)
自分が受け持つクラスの生徒は、やはり特別なのだろう。
「勿論、大歓迎だ」
「やった!」
「よ、よろしくです」
「但し先約があるから、二人も一緒に来てくれ」
「「先約?」」
一同、トレーニングルームへ向かった。
◇◇◇放課後 午後15時30分〜17時30分◇◇◇
本校舎一階にある屋内トレーニングルームは、最先端のトレーニング器具が完備されている。
「わぁ!見たことない物がいっぱい」
「そうだね」
興味津々なオルタと正反対にラミィの反応は薄かった。
(俺が知る帝国軍のトレーニングルームより豪華だな)
エレオノールとエリナはまだ来てないようだ。
「!…これは」
中央に設置されたリングを見てラミィが呟く。
「それはメロビィング社ーーーーラミィのお父さんの会社が開発した『干渉遮断装置』を内蔵したリングだ」
「そーしゃるあうと?」
「簡単に言うと衝撃を防ぐバリアを張る『魔導具』だな。とても優れた発明品だぞ」
防刃、防弾、防災と汎用性の高い代物だ。
「ラミィちゃんの会社はすごいね!」
「お父さんの会社だよ。あたしは関係ない」
「…あ、あぅ〜」
冷たく言い放ったラミィにオルタは言葉を失う。
(……父親と仲が悪いとはネムも言ってたな)
自身も義父と折り合いが悪いので、複雑な気持ちである。
「お待たせしました」
「お疲れさまでーす!」
「ーーーー来たな」
エレオノールとエリナが現れた。
「「!」」
ラミィとオルタはカイムの背後にサッと引っ込む。
親猫の背後から様子を窺う子猫のようだ。
「…その子達は?」
「俺のクラスの生徒だ」
エレオノールは二人へ視線をやる。
「高等部二年生のエレオノールよ。貴女達の名前は?」
「ひっ!?」
「………」
(ど、どうして?)
本人は意識せずとも、事務的な挨拶にラミィとオルタは、威圧的と受け取ってしまったようだ。
その反応にショックを受けるエレオノールだった。
「ーーーーはーい!わたしはエリナ!こっちのお姉ちゃんと同じ高等部の二年生だよ〜」
スカートの裾を押さえ屈み、砕けた口調で挨拶する。
「お名前を教えてくれるかな?」
「オ、オルタ・ダンルケンです」
「……ラミィ・メロビィング」
エリナは神妙な面持ちで見詰めた。
「新入生で『ダンルケン財閥』と『メロビィング社』のお嬢様がいるって聞いてたけど、オルタちゃんとラミィちゃんだったんだね」
二人は頷き、肯定する。
「ちなみにあっちのエレオノールお姉ちゃんは、カイム先生と同じ帝国出身ーーーーとっても強いんだよ」
「そうなの?」
「うん!学校の生徒で一番だもん…ね?」
エリナがエレオノールにウィンクする。
「そ…そうよ」
しどろもどろに相槌を打つエレオノールだった。
「学校で一番…」
「ほえ〜!」
警戒心が解かれ、見る目が変わる。
(気遣いのできる娘だな)
エレオノールはエリナに向き直り、二人に聴こえないよう会話する。
「……年下の扱いに手慣れてるのね?」
「父さんが道場やってて子供の門下生ばっかだったから」
道理で手慣れてる筈だとカイムは感心した。
「んー…でも超有名な財閥に大企業の令嬢と、こーして一緒の学校にいるのはちょっと変な気分かも」
「そんなに有名なの?」
帝国出身のエレオノールは、疑問を口にする。
「ダンルケン財閥は三賢の『妖精王』メーゼン様を輩出した名家で、メロビィング社は共和国一の魔導製品メーカーだもん」
「妖精王メーゼン・フレルリア……召喚獣『竜王バハムート』と『燭天使セラフィム』を従えた最強の召喚術師よね?」
「そーそー!帝国でも知ってる人は多いと思う」
(…彼には何度、詫びても詫びたりない)
九年前、彼の娘と息子を誘拐した挙げ句、連れ戻し大混乱を引き起こした張本人のカイムは複雑な心境で、会話を聴いていた。
「他の生徒と違い二人は仲が良いみたいだな」
気不味くなったのか、話題を変えるべく話を振る。
「え?普通に友達ですよ」
「……エリナとサビーナは私を目の敵にしないので」
「『神剣』の妹だって、クラスメートは怖がってるけど、エレオノールはエレオノールだし」
「その考え方は偉い。とても偉いぞ」
不意に褒められ照れるエリナだった。
「えへへ!七英雄は共和国の復興支援をしてくれたから、ネム理事長も他のメンバーも尊敬してます」
「他のメンバー……そうね」
エレオノールは無言でカイムを凝視した。
「…時間が勿体ないから稽古を始めるか」
誤魔化すように目を逸らした。
「オルタとラミィはちょっと見学しててくれ」
「うん」
「は、はい」
二人に攻撃の型の反復練習を指示して観察する。
「ーーーー捻りが甘い」
エレオノールの抜刀を見て指摘した。
「居合術の基本は腰の捻りによる回転だ。もう少し腰を落とせ」
彼女の頰から玉の汗が伝い、リングマットに落ちる。
「まだ高いな。ちょっと動くなよ」
「!…はい」
微塵も邪な気持ちもなく、密着し手を軽く添え押す。
(ち、ち、近っ!?あ、汗臭くないかな…?)
無表情を装うも、顔は仄かに赤くなり、心臓の鼓動が早くなる。
「む?…エリナもパンチのコツは、骨盤を立てて、広背筋を引っ張るイメージで打つんだ」
エリナの肩を両肩を掴み、肩を寄せた。
(キャーーーー!!き、急接近…!)
「そうすると利き手を押し出す勢いが増すだろう?」
「カ、カイム先生…そ、その…近いと汗で服が…」
「気にするな」
二人が妄想した展開とは違うが、これはこれで満足しているようだ。
(…ざっとこんな所か)
エレオノールとエリナはカイムが教えた技を見事習得した。
「MPを消費し納刀することで、崩れた体勢をリセットする『鞘納の構え』……これは戦闘の幅が増しますね」
抜刀後に生じる隙に備えるアビリティである。
「シッ!ーーーーこっちもいい感じ」
エリナが拳を突き出すと離れた位置で空気が破裂した。
この技の名前は『空掌』といい、筋力にダメージ依存する遠距離物理技である。
「二人の日頃の努力の賜物だ」
習得に必要な下地が出来上がっていたのだ。例えるなら畑だ。土を耕し種を撒き、水をやり、作物は芽吹くーーーー土は肉体、水は経験と知識、芽吹くは技。
技の内容を教唆すれば、後はご覧の通りだ。
「先生の指導のお陰です」
「そーだよ!」
「そう言われると光栄だ」
カイムの知識と技術が指導に遺憾なく、発揮されていた。
(さてと次は……)
振り返りリングの外にいるラミィを呼ぶ。
「ラミィ」
「うん」
「見学してどうだった?」
少し考えた後、答える。
「上手く言えないけどエレオノール……先輩とあたしはタイプが違う」
「ほう」
「剣を使えないのに剣技を覚えても意味ないよね?あたしはエリナ先輩みたいに、素手で戦える格闘技を覚えた方が良いって思った」
傾聴していたカイムは、徐に右手の親指を立てた。
「……良い着眼点だ」
(やった!)
ラミィは顔を綻ばせる。
「素手は身体能力がダメージソースになり、格闘技と流用すれば汎用性も高いが、それはメリットであると同時にデメリットでもある。例えば性能の優れた武器を装備すれば、ステータスが低くても一定以上のダメージを叩き出せるが、素手では不可能だ。そこでグローブやガントレットを装備して底上げする」
「私はガントレットを使ってるよ」
エリナが装備を披露する。
「…ふーん…ガントレットかぁ」
「但し、グローブやガントレットは他の武器に比べダメージの上昇率が低い」
ラミィの戦闘スタイルを考えた時、格闘技は相性が良いかも知れないとカイムは思った。
「でも遠距離攻撃以外の手段は大事だよね?」
「その通り。カードで牽制しつつ、近付く相手を格闘で迎撃は利に適っているが」
「が?」
「基本はメインウェポンのアビリティorスキルを極めるのが主流で、安易に他の武器に手を出すとAP・SPの要求値が増加し苦労する。メインとサブを使い熟すのは、玄人向きのスタイルだ」
「自分が苦手なことは、仲間に頼る!ってことですよね?」
「エリナの言う通りだ。そこでPT戦術も絡んでくる」
ラミィは少し考えカイムへ問う。
「先生はどんなスタイルなの?」
「俺はメインとサブを使い分けるスタイルだ」
悲しいことに彼は一人で戦う状況が殆どだった。
(…決めた)
それを聞いたラミィは力強く頷き答える。
「ーーーーあたしもそーする!」
「そうか……わかった」
(だって先生みたくなりたいもん)
憧れも成長には必要な因子だ。
「早速、徒手空拳の基礎を教えようか」
「うん」
(…今度グローブかガントレットを用意してあげよう)
講義を交えつつ、手取り足取りラミィへ指導を始める。
カイムが教えるのは、『帝国流拳闘術』をベースにアレンジした我流の戦場格闘技だ。
暫くして、ラミィは慣れない姿勢から左拳を突き出す。
「……えい」
「そうそう!ゆっくりでいいからね?」
隣ではエリナが優しく見守っていた。
(これも訓練の一環だ)
カイムは気付いたことあれば、彼女に助言を頼んだ。
これはアウトプットと呼ばれるポピュラーな学習法である。
他人へ指導する際、プロセスを明確にするのが大事だ。
自分の知識を言葉に変え、所作を表現すると視点が変わり、新たな発見にも繋がる。
「肘を少し下げるといいわ」
「肘を?」
「ええ」
無愛想に佇んでる風に見えるエレオノールもしっかり参加している。
(…任せて大丈夫そうだ)
オルタの方へ向き直る。
「待たせてすまない」
「だ、大丈夫です」
「アガーーーーアーちゃんの育成方法を教えよう」
「はい!」
オルタはミッティを象ったポシェットのファスナーを開き、カイムが譲渡したジェヴォーダンのハントボールを手に取った。ちなみにジェヴォーダンは、職員寮の門前で番犬のように主人の帰りを待っている。
(本当にオルタはミッティが好き……ん?)
ポシェットの違和感を感じて、顎に指を当てる。
「そのポシェットは自分で買ったのか?」
「う、ううん!お爺さまのプレゼントです」
「ちょっと触らせてくれ」
(先生もミッティが好きなのかなぁ?)
感触、質感、装飾。彼は違和感の正体を突き止めた。
(やはり『錬金術師』が作ったアイテムパックだ。素材は龍革、ヤツヤガキの繭糸……この粒はピンクダイヤとブルーサファイアをカットしたもの。希少素材を使ってる上、一流の職人技で加工も完璧。恐らく100〜150万Gはするぞ)
彼の予想は概ね的中しており、ポシェットはオルタの祖父が著名な錬金術師へオーダーした特注品だった。
【錬金術師:モンスターの素材を材料に道具を製作する職人。特級、一級、ニ級、三級と段位がある】
「……おじいちゃんのプレゼントは大事にしなきゃな」
「えへへ!わたしミッティが大好きなので、お爺さまがよくプレゼントしてくれるの」
「そうか」
「先生もミッティが好き?」
「俺はーーーー」
カイムは興味がなかったので、好きでも嫌いでもない。
(ここは好きと答えておくか)
正直に答え、傷付けるよりは良いと判断する。
「手触りが柔らかそうで好きだぞ」
……彼はマスコットの素材の感想を言っているのだろうか?
「え、えへへ……じゃあ先生にもあげるね!」
それでも満足な回答だったらしく、オルタは瞳を輝かせ、純真無垢で愛らしい笑顔を見せる。
「気持ちは有り難いが、無理しなくていいぞ。一つしかない物だろう」
「ううん。お部屋にまだいっぱいあるから」
思わず絶句してしまった。
(……流石はダンルケン財閥。ネムと同レベルの金持ちだな)
ダンルケン財閥の財力は、想像を遥かに凌駕していた。
「フニニ〜」
ハントボールから放たれたアガペーにスキルを使う。
【慧眼のスキルを発揮】
【アガペーの特性を表示した】
「…ふむ…この子の好物は果物らしい」
「果物、果物」
ミッティのペンで、ミッティのメモ用紙にメモするーーーーミッティグッズの大盤振る舞いである。
「性格は甘えん坊、気性は穏やか。植物や土を操るのが得意のようだな」
「ふふ!甘えん坊なんだね」
「フニ?」
「アーちゃんの育成にこれといった条件はないみたいだぞ」
「よ、よかったぁ」
モンスターに拠っては、特定の環境下でしか育たない種も多く、基本的に適正属性のエレメントが豊富な地を好み、例えばゴブリンは、『闇素』が漂う薄暗い森林・寂れた廃墟等に巣を作る。
「もともとオルタへの『親愛度』も高いから、心配ないだろう」
「ラブメーター?」
「テイムしたモンスターの主人に対する忠誠心・愛情を数値化したものだ。ステータスで確認できるが、この数値が高いと戦闘中、命令に対する行動の的確性が増し、特定のアビリティの威力にも影響を及ぼす。それに時折、素材やアイテムを拾って持ってきてくれたりもする」
「ほぇ〜」
「逆にラブメーターが低いと、反抗したりするが最悪の場合、テイムが解除され襲われる可能性もある。しかし、甘やかしてばかりだと、自分より立場を下だと判断して、命令を聞かなくなってしまう」
テイマーが強くないといけないのは、主従関係を明確にする為でもあった。しかし、『地母神の導き』はオルタを慕い、主従が確立した前提でテイム済みなので、既に最大の難関をクリアしているのだ。中には薬漬けで抵抗力を奪い、無理矢理追従させる邪道なテイマーもいる。
「……つまり大切なのはここだ」
カイムは自分の左胸に手を置いた。
「心、ですか?」
「そうだ。モンスターといえど、心から愛されて嬉しくない筈がない」
「……」
「言葉が通じないからこそ、真心を大事にして欲しい」
抽象的な意味ではなく、愛は重要な育成要素だ。窮地の際、モンスターは生存を優先し敵前逃亡を図ることも多い。テイムしたモンスターが主人のピンチに本能と絆ーーーーどちらを優先するか?それこそ愛が試される場面である。
「が、がんばります!」
両手を握り締め、力強く返事をする。
(…この子なら大丈夫だろう)
授業で見せたオルタの姿を思い出して、自信を持って頷く。
「これは餞別だ」
カイムはアイテムパックに作り置きしていた『育成品』を幾つか渡し用途を説明した。
【育成品:テイムしたモンスターの成長を補助する専用アイテム。精製するには錬金と錬成のスキルが要必須】
「…ありがとう先生」
「気にするな」
そのまま講釈を続けていると、『魔導書』を手に持ったサビーナが現れた。
「ーーーーみなさん勢揃いですね」
「あ、サビーナ」
(魔導書のことで相談があるって言ってたっけ)
「みてみて!カイム先生に教わって、アビリティを覚えたんだ……シッ」
【エリナの『戦乙女の技』!空掌】
エリナが正拳を繰り出すと4、5m離れた位置で破裂音が鳴る。
「しかも戦乙女の技って新しい『アビリティカテゴリー』だよ!すごいでしょ?」
「それは良かったです…」
【アビリティカテゴリー:習得・または習得済みのアビリティの分類。分類は、主に固有・派生・伝承の三つに分けられる】
「この二人は先生のクラスの?」
「ラミィとオルタだ」
ペコリ、と二人が小さく会釈する。
「私はサビーナです」
「……よろしく」
「ひ、ひゃじめまして!」
(噛んだな)
「かわいい後輩は大歓迎ですよ」
喜んでいるようだ。
(ダンルケンとメロヴィング……ヴァルキリースクールに入学しなきゃ、一生縁はなかったでしょう)
挨拶もそこそこにサビーナは魔導書をカイムに見せた。
「これが相談したい魔導書か」
「はい……難解なマジックロックで解除できず困ってます。もしやカイム先生なら解けるかと」
「ふむ」
本を受け取りカイムは双眸を細める。
「「魔導書?マジックロック?」」
「おや。二人は魔導書を知らないですか?」
サビーナの問いにコクン、とラミィとオルタは頷く。
「では説明しますね。魔導書の種類は様々ありますが、概ね風変わりな魔法や強力無比な魔法の習得方法を記した本を魔導書と呼びます。しかし、殆どの魔導書はマジックロックという封印が施されているのです」
人差し指を立て、意気揚々とサビーナは説明する。
【マジックロック:閲覧や開封を妨害する封印術。一流の魔法使いほど、解除が難しいマジックロックを施す】
「はぅ〜」
「ふーん」
「魔導書とは魔法使いの遺産……次の世代、またその次の世代へ受け継ぐことで、歴史に生きた証を刻む賢慮の結晶です」
興奮してるのか、鼻先と頰が赤らむ。
「例を挙げるとですね、火属性と毒属性の魔法ベノムフレイムが有名です。これは魔術師『宝石王』マゼラン・ダ・カーポが編み出した魔法で、彼は毒魔法の形態を確立する偉業も成し遂げた偉人ですよ」
「…う、うん」
「あ、あうあう」
「それに諸説ありますが、魔法の起源はエレメントを利用した自然現象を模倣する類感呪術と言うーーーー」
「ストップ!サビーナ、ストップ!」
「……二人が怯えてるわよ」
「ーーーーはっ……驚かせてごめんなさい」
(……よく喋る)
好きな話になると、饒舌になるタイプのようだ。
(め、目が怖い〜!)
コソッとエリナがラミィに耳打ちする。
「サビーナは魔法オタクなの」
「そうなんだ」
カイムは魔導書に左手を備え、スキルを使う。
【強引で乱暴な解錠のスキルを発動】
【カイムに1000ダメージ】
【狂乱の魔導書のマジックロックをアンロックした】
難なく成功する。『強引で乱暴な解錠』は文字通り、封印された物品をHPとMPを消費することで無理矢理、アンロックするスキルだ。レア度が高い物(宝箱・魔導書等)ほど消費量も増える。
「開いたぞ」
「…え、もう?」
「スキルを使ったからな」
狂乱の魔導書をサビーナへ返す。
「これは状態異常系のーーーーふむふむ。複数対象を混乱させるコンフュションエリアですか。これは使えますね。ありがとうございます」
サビーナは笑顔を浮かべ喜ぶ。
「習得できそうか?」
「Lvは満たしてるので大丈夫です」
「それは良かった」
彼女は神妙な面持ちで呟く。
「……先生は凄いです」
「ん?」
「アンロックをものの数秒でしちゃう人を初めて見ました。さぞ凄い魔法を使われるのでしょうね……一度、拝見したいです」
そう言われると彼は首を横に振る。
「それは無理だ。俺は魔法を使えないから」
「え?」
「ーーーーっともうこんな時間か」
時計を見てカイムは解散の頃合いと判断し、会話を切り上げる。
(……今、使えないと言った?)
疑念が残るサビーナだった。
「今日はこの辺にしておこう」
「また稽古をお願いします」
「わたしも!」
(素晴らしい向上心だ)
思惑を知らない彼は素直に感心する。
((ーーーー次は二人っきりで))
エレオノールとエリナは互いに対抗心を燃やしていた。
「…あっ…」
ラミィのお腹が可愛く鳴る。
「……小腹が空いたな。俺の奢りで何か食べないか?」
「やったーー」
「太っ腹です…」
「ご馳走になります」
「わーーい!」
彼らしい配慮だ。
「…ありがと先生」
「気にするな」
礼を言うラミィに答える。
(当然の義務さ)
生徒の成長と変化に喜びを感じて、上機嫌のカイムだった。
食堂で五人に軽食をご馳走した後、カイムは職員室へ戻る。もう他の教師は帰ったのか誰もいない。
(俺も帰るか)
身支度を済ませている最中、扉を開けナフカが現れた。
「カイム先生」
「お疲れ様」
彼女とこうして面向かって、二人っきりで話すのは初めてだ。
「……あの日のお礼を言ってませんでしたよね?ありがとうございました」
礼を言うナフカを一瞥する。
「大したことはしていない」
そう言われるとナフカは悔いるように目を伏せた。
「ーーーー私は誤解してた」
「誤解?」
「貴方を清純な生徒に野蛮な暴力を教える粗忽者とばかり思ってたわ」
カイムは否定せず、首を縦に振る。
「それは間違ってない」
「間違ってない?」
「どんな言葉で飾っても、戦闘は暴力の権化さ。野蛮な行為に変わりはない。…ナフカの言う通り俺は粗忽者。夥しい血でこの両手は、真っ赤に染まっている」
ナフカは何も答えなかった。いや、答えれなかったのだ。
「本当は教師をする資格もないだろう」
戦争の英雄も裏を返せば、大量虐殺犯なのだ。
「それでも貴方の暴力に私と生徒は救われた」
はっきりと彼女は言った。
「……」
「今日こうして居られるのはカイム先生のお陰よ」
ただ、カイムは黙って頷く。重苦しい空気を変えるようにナフカは咳払いした。
「コホン!兎に角、これはそのお礼です」
包装紙に包まれたネクタイを差し出した。
「気を使わなくていいのに」
淡い紺色のストライプネクタイは、上等な『ウロンコットン』で編まれた品物だった。
「黙って受け取ってください」
「……ありがとう」
礼を言うと彼女はそっぽを向く。
「ーーーー余計なお世話だろうが、髪を下ろさないのか?」
横顔をまじまじと見詰めて、カイムは言った。
「髪?」
「あの時は下ろしてたよな」
「それがどうかしたの?」
「下ろした方が綺麗だった」
口説くつもりはなく、カイムは純粋に容姿を褒めただけだ。
「き、急に何を!?…ジョークですか?」
「いや本心だよ」
真顔で答えるカイムを見て頰が熱くなる。
ナフカ・キングスリーは、今年二十六歳になるが、男性との交際経験はない。交際を申し込まれた事は何度もあったが、悉く断っている。学業に没頭した青春時代だったのだ。
「そ、そうですか」
「ああ」
(顔が熱い……彼が真っ直ぐ見れないわ)
「……大丈夫か?」
急に挙動不審になったので訝しがる。原因は自分だと一片も思わないのが逆に凄い。
「だ、大丈夫です!別に意識してませんから」
(意識?)
不思議に思いつつも会話を切り上げ、別れを告げる。
「それじゃまた明日」
「あ……ちょっと待って」
「どうした?」
一瞬言おうか言うまいか迷った後、ナフカは口を開く。
「ーーーー今度、食事でもどうかしら」
「……」
「た、他意はありませんよ?ちょっとカイム先生の教育理念や指導方針に興味が湧いただけで」
しどろもどろに喋り続ける。
「そうか」
全く気にしていない。
「都合が良い日を近々教えてくれ」
「!」
それだけ言ってカイムは職員室を出て行く。
「はぁ」
一人残された彼女は、大きく溜め息を吐き俯いた。心苦しくも、どこか心地良い動悸に戸惑う。
「ま、まさか…?」
その先の言葉は飲み込み、胸に手を置いた。……颯爽と現れ、窮地を救ってくれたカイムを男性として意識するのは、自然な流れかもしれない。