3-3 嫌悪と憎悪
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新しい領地に父はもう関心を持っていなかった。
前の領主である男爵が振興したのは材木の販売で、私は幼いながらにこの産業の巧妙さには驚きを感じていた。
男爵は複数人の大工を招いて、領地の山から切り出した材木をその場で加工させたのだ。そうすることで、その材木を運んでいけば、その材木を組み立てることで任意の場所に家を建てることができる。
家とまではいかなくても、小屋のようなものや物置のようなものも同じ手法で作られ、方々に売られている。材木は領地の山に唸るほどあるし、木こりたちはある程度は材木に慣れている。大工の技術はあっという間に彼らに普及した。
この男爵と大工と領民による一致団結した産業作りが、中央の目に止まり、その男爵は今は王都に近い領地を任されている。
父はその男爵の産業を継承したが、それ以上のことをしようとはしなかった。
ただ、男爵についていかなかった古い住民にはやや重い税を課し、モランスキー伯爵家についてきた住民にはやや税を軽くする措置を取った。
実際にはこれは移動してきた領民には技術がなく、田畑を継承し、農作業をするしかないこともあった。そのそもの経済力が違うのだ。
これが住民の間での相互不信を生みつつあった。それは父が是正し、どうにかしてなくしていくべきだろうが、父はその努力をしなかった。
父が最も腐心したのは私への教育で、それは全てに及んだ。剣術、体術、算術、語学、最新の科学、さらには閨房術にさえ及ぼうとしていた。五歳にも満たない娘に、そんなことを教えるのは正常ではない。
それを私も、周りも咎めないのは、あの冬の日のせいだろう。
血まみれの娘を連れて館へ戻った伯爵を見て、誰もが、執事であるレイダさえも、言葉を失い、何かを決めたのだろう、と今なら思える。
モランスキー伯爵は、自分の娘に領地を継承させるつもりはない。何かしらを、もしくは何もかもを用いて、より高い場所に羽ばたくことを願っているのだ。
私は成長した時、自分には翼があるかもしれない、と思った時が何かの折にあった。父や大勢の人が私に与えてくれた翼だ。
でもその翼は、最初の最初から、血まみれであることも、意識しないではいられなかった。
何はともあれ、私は父の指導に必死で食らいつき、その一方で父のように領民を見放すこともできず、時間を見つけては山の高い位置にある屋敷を出て、多くの人と接するようにした。
領民たちは、古いものも新しいものも、私に温かい視線を向けない。領主の娘である、という立場だけが彼らの頭を下げさせているようなものだ。
「流刑者の娘」
いつだったか、領民の一人がそう呟いたのが聞こえた。
視線を向けても、誰も何も言わない。私はどう言葉をかければいいか、わからなかった。幼すぎたし、流刑者、という言葉が何を示すか知っていても、実際にどれほどの侮蔑か、わからなかった。
「みなさんのために」
私はどうにか言葉にした。
「出来る限りの事をしたいと思います」
返ってくる言葉はない。私はもう一度、その場にいた領民を見回す。彼らは古い領民で、大工たちだから、税の不公平には怒りがあっただろう。しかし五歳児のその場限りの言葉で、領地の経営を変えることもできないし、私にも迂闊なことは言えないのはわかっている。
挨拶をしてその場を離れようとすると、また声がした。
「無能者の娘など、死んでしまえ」
振り返りたくなるのを、必死に堪えた。
同行していた使用人が「お気になさいませんよう」と私の横で囁いた。領民たちと離れてから、私は使用人に聞いてみた。
「私たちは何をすればいいの?」
「それは伯爵様が決めることです」
「お父様は、彼らの話を聞いていないわ」
「何かお考えがあろうかと」
私は使用人を睨みつけたが、女児に睨まれて恐縮するほど、使用人は思考停止していなかった。
「お嬢様、誰もが願望を持つものです。お嬢様の願望と、伯爵様の願望は、必ずしもピタリと同じものではありません。別の人間なのですから」
「私には、お父様の考えがわからないわ。もっとみんな、仲良くなれるのに」
「それもまた、願望かと存じます。世の中には、いがみ合うことで金を得るものもいます」
「先生のような人ね」
私は初老の傭兵だけを先生と呼んでいた。もっとも古くから私に教授を続ける、最古参の教師だった。
「誰もが穏やかに暮らせればいいのにね」
私がそういうと、使用人はわずかに笑ったようだった。
「お嬢様の発想は、まるで国王陛下です」
使用人の笑いにある嘲りに気づき、やっぱり私は前だけを見ることに集中した。
国王陛下、テダリアス二世は、優秀な若者で賢君だとも聞いていた。例の「パズル」でさえ、全体的に見れば国力が上がり、結果的には多くの人間が恩恵を受け取っている。
ただその一方で、私たち、モランスキー伯爵やその周囲の人のように、混乱に飲み込まれている人もいるのだ。
どんな人でも、誰もが等しく平穏に過ごすことを願っているはずだ。
私がそう考えるように、テダリアス二世もそう考えたはず。
そしてテダリアス二世の結論を、私は受け入れられそうもない。
どちらが正しいわけではない、とぼんやりと考えていた。どちらにも正しい側面があり、しかしその裏では間違った側面が立ち上がっているのが、なんとなくイメージできた。
私と使用人も何も言わず屋敷への坂道を上っていった。
山に切り開かれた畑では農作業が続いている。季節は春先で、緑が芽吹き始めていた。
(続く)




