2-43 剣聖として
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ジャニアス三世は今回の騒動に対して、何も行動を起こさなかったが、どうやらそれには皇太子殿下との何かしらの駆け引きがあったらしい。
貴族連合による武装蜂起未遂、とされるこの一件から三ヶ月後、ジャニアス三世は退位することを宣言し、次なる王は皇太子殿下、テダリアス二世になることになるのだが、それより先に、私は慌ただしい日々を送る必要があった。
その三ヶ月の間に私がやったことは、皇太子殿下の側近たちと交流し、王城のしきたりや自分の新しい仕事について学び、そしてハンス教官を見舞うことでおおよそ全てが費やされた。もちろん、ハンス教官のお見舞いが最も大きい時間を割かれている。
あの決闘で、私の剣はハンス教官を刺したが、精密に制御された一撃は、致命傷を避けていた。
それでも一週間は意識が戻らず、さすがの私も肝が冷えた。
ただ目を覚ますと、ハンス教官は以前と変わらない飄々とした様子を取り戻し、しきりにガンダ・ガナッシュのことについて話していた。
「あんな騒ぎになるなら、最初に蹴り殺しておけば良かった」
ガンダは当然、私の一撃で死んでいる。その死は公には事故死であり、ガナッシュ侯爵もそれを受け入れた。
キーリング侯爵は片腕を失った上に、国王陛下の密勅もあり、引退した後で、侯爵家自体も取り潰しになった。これには別の側面もあり、キーリング侯爵が支配していた領地における非人道的な行為への是正という部分がそれだ。
ジャニアス三世は退位するにあたって、貴族たちに公平さと節度のある統治者であることを求めた。同時に王家そのものにも倹約と謙虚さを求め、これは皇太子殿下も同じお気持ちのようだった。
貴族連合へ担ぎ出された第二王子は、密かに王都を出て、地方で隠遁生活を始めた。もう二度と王都へは戻れないだろう、というのがおおよその観測で、つまり王家は今のところ、火種を消すことには成功したようだった。
私が剣聖の座に就いたことは、例の騒動の翌日には噂になり、皇太子殿下の希望に従ってその翌日には公式に発表された。皇太子殿下を守る剣聖が、暴発した貴族をなだめた、というのはなるほど、市民には受け入れやすいだろう。
本来なら剣聖に就任したことを公表する式典があるはずが、皇太子殿下の即位と合わせることになっていた。
そんな新米剣聖という私の立場を祝ってくれたのは、まずハンス教官とウォルフォン教官、そして二人の友人で、私のことが王国中に通達されると、すぐにミリカも王都へやってきた。
「なんとも、立派な身分のはずなのに、変わらないわね」
まだ童顔で美少女と呼ぶべきミリカは、王都の一角の大衆食堂で私を見て、そんなことを言った。同席しているのはエマとユリアである。そう、エマは例の騒動に加勢するはずが嘘をついて姿を隠していたことが露見したが、彼女が仕えている子爵はその先見を評価し、特に懲罰は与えないらしい。彼女は逆に、剣聖から王家の情報を聞き出すように、と新しい無理難題を吹っかけられたようだ。
四人で賑やかな食事をして、夕方には解散になった。ミリカは宿へ去っていき、エマは子爵家の王都にある屋敷で寝起きしている。ユリアは王立騎士学校に寮の部屋を借りていて、そこで生活しているので、私は一人で王城へ向かった。
もうトリトーン夫人の部屋で寝起きしていない自分が、何も変わっていないのに、決定的に変わってしまっていて、不自然に感じた。
王城では剣聖に仕える従者が二人いて、どちらも少女の剣士だ。私に当てられた部屋で待っていて、さっさと汗を流して、私は部屋のベッドに寝転がった。従者の一人がホットミルクを持ってきてくれた。
このマグカップを手に取るたびに、イナのことを思い出す。
もう十年より長い時間が過ぎている。私は、遠くへ来たものだ、と思いながら部屋の窓の外を見ると、夜の中でも賑わいが途絶えることのない王都の町並みが、城壁の向こうにわずかに見える。まるで鳥になったような、広大な光景の中に、無数の人がざわめいている。
故郷には手紙を送って、返事はまだ来ない。両親とはまだどこかすれ違ったままで、どうしても対面する気になれなかった。私の中では、シアンの死の一部が、まだ両親の姿に重なっているのだ。
シアンの死も、イナの死も、私の中ではまったく整理されていなかった。
あの二人の死で今の自分があるとも、思えないし、思いたくなかった。
王城で過ごす身分になったと聞けば、二人は驚くだろうし、祝ってくれただろう。その二人の姿が、胸を引き裂き、私は閉じている目元を拭う。涙が流れなくても、なぜかそうしてしまう。何かを拭う必要があるらしい。
ジャニアス三世の退位の日が来る前に、ハンス教官は王城の中の病院を退院していった。皇太子殿下が清廉なことで知られるヴァミリアン伯爵に仕官するように手配したが、それをハンス教官は断っていた。
その代わりに、王立騎士学校の教官に戻してほしい、と言い出し、皇太子殿下はこれを受け入れた。王立騎士学校からも腐敗が一掃されるはずで、新しい空気にはハンス教官の力が必要だということらしい。
テダリアス二世の即位式があり、私もそれに参加した。参加というより、ほとんど常に陛下のそばに身を置いて、全ての儀式に間近で接しなくてはいけない。
非常に疲れる儀式の連続が二日ほど続き、最後には全ての貴族との謁見があり、それがそのまま新国王を祝う饗宴へとなだれ込んだ。
私はその間も国王陛下を守る仕事があり、近衛騎士と共に目を光らせるのだけれど、剣聖が近衛騎士と違うことは、ただの護衛ではなく、陛下の側近という立場もあることだ。補佐官が数人、張り付いているが、剣聖というのはもっと国王陛下と身近に接する存在でもある。
宴の間も国王陛下は私に冗談を向け、答えに窮する場面が幾度かあった。
その宴の中で、私に近づいてきた男性のことを、私はよく知っていて、しかし逃げるわけにも行かなかった。
男性は国王陛下に挨拶をして、そして私を見た。
「立派になったね、フランジュ」
そこにいるのは私の父、オルガッド・クリーア。
屋敷を出てからずっと会っていなかった相手は、わずかに老け込み、そしてどこか、弱々しく見えた。
(続く)




