1-8 死を引き連れた男
◆
ジョズが僕を相手にしたのは、ほんの数年だった。
彼の訓練は訓練というより一方的な暴力で、僕は堪えるのに必死だった。
僕が実戦剣術を重視するのは、間違いなくジョズの影響で、彼自身も系統だった技を持っていないようだったけど、そもそも当時の僕はまだ幼かったし、力がないどころかそもそも体がなかった。
最初に手渡されたナイフで、ジョズは自分に切りつけてこいと言った。
最初は躊躇ったけど、そんな余裕はないとわかった。ジョズは本気で僕を殴りつけ、蹴り倒した。場合によっては自分の短剣で僕の肌を切りさえした。その時の傷跡は、今も残っている。
躊躇っていては、こちらが死ぬ。そう思って、本気でぶつかっていった。それでもジョズに剣を当てることは至難で、彼はいつも堂々と僕を受け止め、跳ね返し続けた。
仲間がいると、彼は途端におどけた雰囲気になり、こんなのは遊びだよ、などと笑っていた。
そんな様子も、きっと僕に影響を与えたんだろう。だって、僕と対峙している時のジョズはとても遊んでいるようには見えなかった。本気で僕の命を奪おうとしているように、僕には見えていた。拳も蹴りも切っ先も、まさしく殺気がこもっていたから。
最初にジョズにナイフが当たったのは僕が十二歳の時で、当たったと言っても、彼の袖が少しくれた程度だった。血すら滲まない、まぐれのようなもの。
しかしジョズは、飯を食いに行くぞ、と言ったのだ。連れて行かれたのは貧民街の裏通りにある店で、見るからに盛ってはいない。何か嘘をつかれている、からかわれている、そうでなければ罠かと思いながら、ジョズと一緒に店に入った。
「どこの孤児?」
店主らしい男性が、気軽な様子でジョズに話しかけた。ジョズは「面白い孤児」と答えていた。答えになってないよ、と言いながら、何の注文も受けていない店主が、料理を何点か器に入れ、それを袋の中に重ねてジョズに手渡した。
ジョズは銀の粒で支払いをした。そこに至って、ジョズの生活が気になった。あの悪党の巣窟に出入りしているのだ、悪党なのは間違いない。しかし、どんなことで稼いでいるのかは、想像できなかった。
彼の腰には剣がある時と、ない時がある。それは当時から考えていたけれど、深くは考えなかった。何かの法則がありそうだったけれど、訊ねるわけにもいかない雰囲気があった。
デリカテッセンの料理はどれも本当に美味かった。当時の僕には、ご馳走というより、まるで国王が食べている料理のように思えたものだ。
訓練は続き、月に一度くらいは、このデリカテッセンの料理にありつけた。半年が過ぎ、一年が過ぎると、頻度はさらに上がり、最終的にはジョズが「これが最後だ」と言って、それはつまり僕の攻撃が頻繁にジョズを捉えるようになったことを示していた。
自分の成長こそ、自分ではわからないものだ。
ジョズに拾われて数年が過ぎ、僕は十四歳になっていた。ジョズとの訓練は徐々に拮抗するようにはなったけど、最後に立っているのはいつも彼だった。
その頃には悪党どもを統べる親方と呼ばれる人物と何度か顔を合わせ、話をすることもあった。彼から聞いた話で、ジョズが暗殺者だということを聞かされたのも、たぶん、十四歳くらいの時だろう。
その頃には血の匂いどころか、死の気配さえ、僕は感じ取っていた。
貧民街で頻繁に見ることのできる、死体の数々。死体の周りに漂うものと同じものを、ジョズが引き連れていることがある。彼自身は平然としていて、素知らぬふりでも、死は人間にまとわりつくのだ。
不思議なことに、ジョズが死ぬわけではないのに、ジョズからは死体と同じ匂いがするのだ。
「人を切るってのは、そういうことさ」
ある時、訓練が終わって休んでいる時、タバコを吸いながらジョズが言った。貧民街の真ん中にある不自然な広場で、時間は夜だった。ジョズの口元でタバコの先が赤く光る。
いつかも見た、懐かしい光だ。
まるで命の光みたいだと、思っていた。
「自分が死ななきゃ、相手なんて切れないさ」
「死ぬことが怖くないの?」
心では命の尊さというものにはっきり触れているはずなのに、僕は死について話している。それもまるで、身近にあるように。チグハグだ。でもそんなことはジョズにはわからない。
彼は夜の空気に白い煙を吐き出し、怖いな、と言った。何の感情もこもっていない、そっけない声だ。
「死ぬことは怖いが、誰もがいつかは死ぬんだ。金持ちも、貧乏人も、権力者も、奴隷もだ。早いか遅いか、それしかない」
「僕は」思ったことを口にした。「早く死にたいと思っていた」
ちらっとこちらを見るジョズの瞳が、月明かりか、そうでなければ乏しい街灯の光を反射した。でも色までは見えない、のっぺりとした奇妙な瞳の反射だった。
「今は死にたいと思わないのか?」
「ジョズを倒すまではね」
鼻を鳴らして、またジョズの口元で赤い光が灯る。
「なら俺もお前に倒されるまでは死なないこととしよう。できるだけ早く頼むぜ、オーリー」
もちろん、と僕は答えたと思う。
その一年後、ジョズは誰かに切られて死んだ。白昼の往来の真っ只中で、誰かに切りつけられたのだ。その場にいたものの話を聞くことができたが、最初の攻撃でジョズは肩を深く断ち割られたようだ。血飛沫が上がったという。
それでも抵抗し、切り結んだが、最後には胸を刺し貫かれ、倒れ、それきりだ。
相手は剣士だったが、その時になって知ったけど、ジョズには懸賞金がかけられていた。それも公の懸賞金ではなく、闇社会での懸賞金だ。ジョズが何をしてきたのか、今でも僕は知らない。でもきっと、恨まれて憎まれていたんだろう。
今の僕みたいに。
結局、誰がジョズを殺したのかは、わからないままになっている。闇社会でもよほど慎重に行動したのか、懸賞金を受け取った男ははっきりしない。受け取ったというか、実際に受け取った男は死体になって見つかり、大金は消えていた。
ジョズのことを思い返しても、不思議と仇を討ちたいとは思わない。
彼から受け取ったものの多くが、僕の中に生きている。これを失わないように、守り続けることが僕の使命だ、そんな風に考えることもある。
でも僕も剣士になって、命を狙われて、僕が死ねば全てが消えるのが自然だ。
僕はまだ誰にも、何も伝えていない。伝える気もないけれど。
僕とジョズの間にあったものは、僕とジョズだけのもので、誰も立ち入らせたくない。そんな風に思っている自分も確かにいて、これは傲慢とか、親愛とか、そういうものでもない気もする。言葉を探せば、独占欲、だろうか。
剣術を、技を独占したところで、意味はない。
それで自分が強くなるわけでもない。
ただ、何かの支えが欲しい時、僕の中にジョズがいて、その存在が少しだけ僕という存在を支えてくれるような、そんな錯覚があるだけ。
死んだ人間にすがるなんて、周りからすれば不自然だろう。
だって死んだ人間は、生きている人間には何もできないっていうのが、常識だから。
少しくらい気が強くなっても、剣が冴える訳でもない。
それでも何かが違う気がして、僕は時折、ジョズを思い出して、夜空を見上げる。
弔いではなく、ただの確認のように、そっけなく。
(続く)