2-35 覇気の騎士の伝説
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密林に分け入って三日、予定では集落にたどり着くはずが、見えるのは木々だけで人の気配もない。日差しもほとんど届かないのに、下草は十分に伸びていて、案内役の男性が鉈で切り開いて先ヘ進んでいく。ユリアは足元がよく見えていない私を助けていた。
日が暮れてきて、周囲が薄暗くなった時、何かが動いたと思って顔を上げた瞬間、悲鳴をあげて案内役の男性が転倒した。
ユリアが剣を抜こうとするのを、私は身振りで止めた。
前方から男が一人、出てくる。上背が高く、大陸にいたら目立っただろう。何かの動物の皮のようなものをまとっているようで、そこから嗅ぎ慣れない匂いがする。
すぐ至近まで進み出て来たので髪の毛は長く伸ばして編み込んであるのがわかった。どうやって染めているのか、髪の毛に幾筋が白い線が走り、美しい。腕や胸の筋肉は、どこか人間離れしているのもわかった。
何か話しかけてくるのに、ユリアが堂々と応じるが、彼女の足は微かに震えている。
私はといえば、いつでも魔技を発動できるように集中していた。直撃しなくても、目眩しにはなるし、私かユリアは逃げられるだろう。道案内の安否を考える余地はなくなっていた、申し訳ないことに置き去りになるかもしれない。
ユリアが声を必死に抑制して話しているうちにも、男性は間合いを縮めてくる。彼の背中には弓と矢筒がある。腰に剣もあるようだ。
「なんですって……」
そう呟いて、ユリアがこちらを横目で見た。
「どうしたの?」
「客人が来ることは知っていた、って言っているけど」
「客人?」
何かの方便だろうか。少なくとも最初に向けられたのは握手の手ではなく、矢だったのだ。誘い込んで、例えばユリアを人質にとるのだろうか。その可能性は、薄いとは思う。だって、ユリアがここに来るのは予測できないし、そもそも蛮族がそこまでユリアやその家族に詳細に知っているだろうか。
「彼を助けてあげて」
ユリアに囁き返すと彼女がさっきよりははっきりした声で、蛮族の男に呼びかけた。男は頷いて何か言うと、自分が射倒した男性を担ぎ上げた。悲鳴が上がるが、男は気にした様子もなく、密林の奥へ進んで行く。
「案内するってさ」ユリアが上を見上げる。「何が何だか」
結局、私たちは蛮族の男を追って、さらに深い森の中へ進んだ。
進んだけど、気づいたことがある。蛮族の男性は不規則に右へ進んだかと思えば左へ進み、また右へ進むのだが、それは巧妙に隠された道筋を進んでいるのだ。そこだけは草をかき分けなくても進めるように道がある。
驚きながら進むうちに日が沈んでいくので、周囲はどんどん明度を失っていく。ユリアがかろうじて蛮族の男性の背中を追っているので、私は迷わずに済んだ。
前方で光が揺れているのに気づいた時は、もう真っ暗で、その明かりがなければユリアでも先を行く大男の背中を追えなかったかもしれない。
開けた場所があり、そこで焚き火が燃えている。四人の男女がそれを囲んでいて、私たちを連れてきた男が何かを話している。四人のうちのリーダー格らしい小柄な女性が、立ち上がった。腰が曲がっている、老婆のようだ。
立ち尽くす私とユリアのところへ、老婆がやってくる。嗄れた声は、私には理解できない。ユリアが翻訳してくれる。
「客人が来ると占いが告げていた。傷を負わせたことは謝るって」
「客人って何か、教えてもらって」
ユリアが返事をすると、老婆がしゃっくりをするような声を連続させた。笑っているらしい。
「古い伝説にある存在の来訪が予言されていた、と言っているけど、私にもよくわからない」
困惑するユリアに老婆が何かを言う。ユリアがこちらを見た時、老婆もこちらを見ている。
「覇気の騎士、と呼ばれる戦士が、力を求めてやってくるのを手助けするのが、ホルド族の宿命、って言っているけど、訳がわからないわ。妄想かもしれない。気をつけて」
本気でユリアは心配しているようだ。私は確認することにした。
「目を治せるか、聞いてみて。魔法による治療、ということだけど」
頷いて、ユリアが蛮族の言葉で答えると、老婆が堂々と頷いたので、私は驚いた。ユリアも驚きを隠せない様子だった。
「魔法によって真の瞳を手に入れたのが、覇気の騎士の伝説だ、って言っているけど、治せるってことかもしれない」
いったい、覇気の騎士とはなんなのだろう。
ユリアが確認するように言葉を向けたが、老婆は短い返事をして、身振りで私たちを手招いた。どうやら食事にするか、休むように言っているらしい。ユリアを見ると、「食事みたい」と短い答えがあった。
焚き火を囲んで座り込むと、木立の中から十人ほどの蛮族の男女が現れた。男性はもちろん、女性の肉体も筋肉の輪郭がはっきりして、力強い様子がうかがえる。焚き火の光もあって、縁取りがよく見えた。
蛮族たちがおしゃべりをしながら、食事を始める。ウサギやシカの肉が出た。野菜は見たこともないものだ。
ユリアが数人に質問攻めにあい、答えている間に蛮族の男たちがやおら立ち上がり、焚き火の周りをぐるぐる回りながら踊りだし、歌なのか奇声なのかを上げ始めた。
「願いが叶ったことを神に感謝する踊りだって」
踊り続ける蛮族を見ながら、私の頭にあるのは自分のことでもなく、案内してくれた男性の安否のことだけだった。
ユリアを介して訊ねさせると、どうやら治療はしているようだった。それが功を奏するのを願うしかない。
男たちは延々と踊り続け、その周囲では影も踊っている。
何か変な夢を見ているみたいだった。
(続く)




