2-25 新しい技
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私が先に頭を下げたわけだけど、三日後にはハンス教官の方が頭を下げることになった。
「すまんな、フランジュ。すぐには無理だ」
私が詰め寄る前に、ハンス教官は手のひらを私に向け、言葉とは正反対の不敵な笑みを見せた。「しばらく辛抱しろ。種だって芽ぶくまで、長い間、土の中にいるんだから」
不満しかなかったし、寮に戻った私を待っていたのは、エマとミリカの嘆きだし、私は自分の不甲斐なさを恥じた。ユリアだけは、ハンス教官を信じましょうか、と笑っていた。
そうして四年生の最初の一ヶ月で、ユリアは寮から去っていった。三人になった部屋はどこか広く感じて、私たちはみんな落ち着かない感覚を共有していた。
ちなみに、ユリアは去り際に、私たちに大金を残していった。
王立騎士学校では、衣食住の全てが保証される上に、毎月、小額ながら自由に使えるお金が支給されるのだ。それを私とエマとミリカは、全部、ユリアに任せて資産運用を好きなようにやってもらっていた。
「穀物価格の高騰に乗じて」
というのがユリアの回答だったけど、それにしてはすごい額だった。十倍近い額なのだから、相当な強運が味方したのでなければ、ユリアの才能の片鱗がこうして形になったと思うべきだろう。
ユリアを見送る三人で、そのお金から餞別の贈り物をした。
それは一本の短剣で、飾り気も何もない。しかし同じものを四本買って、私たちが一人一本、それを持って友情の証とした。
短剣を購っても余っているお金は三分割され、それぞれが自由に使うことになるはずが、なぜか誰も散財しようとせず、まるでその銭にもユリアの一部が宿っているように、大事にしていた。私は、手元の銭を見るたびにユリアのことを思い出した。
その一方で、ハンス教官は今までにない激烈な稽古を私に施し始めた。四年目が始まって一ヶ月経たずに、受け身を取り損ねて床に落ちた腕に激痛が走り、校医に見せると骨にヒビが入っているようだ、と言われた。
同行したハンス教官が謝るかと思えば、全く逆のことをいった。
「足を動かすのは問題ないよな?」
こうして腕が治るまでの間にも、歩技の濃密すぎる訓練は続いたわけだけど、最初に怪我した左腕が治る前に、今度は右腕を痛めた。校医の老人がさすがに顔をしかめ、ハンス教官に苦言を呈した。
「ハンスくん、やりすぎじゃないかね」
「こんなもんですよ、ここは王立騎士学校ですから、仲良しこよしのキャットファイトは似合わないでしょう」
校医は抵抗を諦めた。
ただ、さすがに左腕が治りかけ、右腕が回復途中で、今度は背中を痛めて医務室へ連れて行かれた私を見て、校医の老人は初めて見せる怒りをハンス教官へ向けた。
「あんたは生徒を潰す気か! 指導と暴力の区別もつかんのか! ガキじゃあるまいし、加減しなさい!」
校医の助手の老婆が私の背中に何かの薬を当て、治療のためらしいややしなる固定具をつけている横で、ハンス教官は少しも動じなかった。あまつさえ私を見て、首を傾げた。
「俺がやっているのは指導だよな? フランジュ、お前はこれで潰れる奴だったかな」
危うく校医が掴みかかりそうになったが、ハンス教官はさっとそれを避けて、逃げて行った。
そんな具合で私は頻繁に医務室に行くようになり、王立騎士学校の四年目は、人生で最も多く、最も多岐に渡る場所を怪我した年になりそうだった。
寮の同室の二人も心配していたけど、一度ならず、私が医務室で夜を明かすようになると、二人は夜な夜な、本気でハンス教官に抗議するべきかどうか、議論していたと、後で聞かされた。
ハンス教官は私が編み出した新しい歩技の長所と短所を暴き出す意図があって、本気でぶつかっているようだったので、私は別に不安や不満はなかった。
彼が本気になっていること自体が、そもそも異質だったけど。つまり私の歩技は超一流の使い手が本気で分析し、裏も表も知らなければいけない、そういう技術だと、その異質な状況が私に教えていた。
ウォルフォン教官は平然としていて、いつも本を読んでいて、私が倒されて動けなくなると、ハンス教官と一緒に即席の担架で医務室へ運ぶ手伝いだけをしていた。
歩技に名前をつけろ、と言われたのは秋も深まった頃で、私はまだ頻繁に負傷し、しかし夏に比べればマシだった。この年の夏は、週に一回は医務室に行き、一ヶ月の間の十一日を医務室のベッドで過ごしていたから。
本気で昏倒させられて、そのまま医務室送りで、気が付くと深夜というのが定番だった。私がうめくと、校医の助手の老婆が控えていて、問診と触診の後、保存しておいてくれた夕食を出してくれていた。
なにはともあれ、私は厳しい季節を乗り越え、ハンス教官も私の技を技として認めたのが、秋のハイライトだった。
名前は考えていなかったけど、元の技の名前からもらうことにした。
それはハンス教官が得意とする歩技で、雷閃と水月という二つの技だ。事実上、この二つの合わせ技が私の歩技なので、その二つが両親みたいなものである。
「水閃、と名付けます」
私がそういうと、無難だな、とハンス教官は呟いたが、それ以上は何も言わずにいつも通りの訓練に戻った。
空気が冷え込んできて、冬の到来を告げる。私の成績は、貴族や財閥の有力者の子弟に遮られて、まだ二十位以下をウロウロしていた。座学の方は平凡な成績である。
エマは「乱暴者」から「懲罰者」にあだ名が変わり、ミリカは「戦乙女」と呼ばれ始めた。
このあだ名に、エマは不満げに唇を尖がらせ、
「確かにミリカは可愛いが、私のあだ名はどうにかならんものかね」
などと、ぼやいていた。そういう彼女はついさっきまで、同級生の軟弱さを叩き潰すことで自覚させてやった、と自慢していたのだから、面白い人格である。
ユリアからは手紙が来たけど、冬が深まるとそれも途絶えた。どこか寂しく感じながら、もう四年目の一年が終わると思うと、感慨深かった。
そうして冬も終わり、春になると新入生が入ってくる。
私は五年生、十三歳になる年を迎えたわけだけど、入学式の後すぐに思わぬ出来事が連続した。
一つは、皇太子殿下が、王立騎士学校を視察に来たのだ。
(続く)




